幸之助と鞍馬と真吉

 このお屋敷に寝泊まりをするようになり(何故か鞍馬も一緒に同居することになって)ここでの生活にもだいぶ慣れはじめた頃。

 

 幸之助は家でやることを済ませると必ず毎晩寄相神社へ出向いて、人々の安寧を祈るための舞を舞うために出かけるから、私は彼を見送ってから何となくお茶の入った湯飲みを手に縁側で星空を見上げていた。


 周りに明かりがほとんどなくて空気がとても澄んでいるから、星空が凄く綺麗に見える。


 ふと、傍に置いてあった携帯が明るくなり、LINメッセージが届いた。


「あ、愛華まなかだ」


 私は友人の愛華のメッセージを開くと、相変わらずお気楽元気な彼女のメッセージが映る。


『やっほ~ぃ! 田舎暮らしはどう? いい男見つけた?』


 出た。

 男漁りの絶えない愛華のお決まりフレーズだ。毎回毎回、同じような事を良く聞けるなぁ。


「私は男を漁りに来たわけじゃないわよっと……」


 周りはお爺ちゃんお婆ちゃんばかりだからね、と付け加えてメッセージを送信する。するとそこへ風呂上がりの鞍馬がやってきた。


「おう、お嬢さん! 何しゆう?」

「友達に連絡取ってたところよ」


 私はそう言うと携帯を縁側に置いて、湯飲みを手に取り温かい緑茶を一口口に含んだ。

 

 鞍馬はそのまま立ち去るかと思っていたけれど、今日はなぜか私の隣にどっかりと腰を下ろして胡坐をかいて座り込んでくる。


「何?」

「いや、別に」

「……」


 そうとだけ言うと、鞍馬はいつもうるさい癖に黙り込んだ。私も別に話すこともないから同じように黙り込んでいると、ふと鞍馬から口を開いてきた。


「ここに住むようになって少し経つけんど、どうや。ここの暮らしは」


 その言葉が、ちょっとふてぶてしいお父さんみたいな言い回しで、私は思わず笑ってしまった。


「何、急に。お父さんみたいなこと言って」

「いや、単純にどうなんかなぁと思ったがよ。お嬢さんは本来は東京に住みゆうって聞いたき、田舎暮らしが肌に合わんがやないろうか、とかな」

「心配してくれてるの?」

「そら、まぁなぁ……」

「ありがとう。この村の人達、みんないい人だから思ったより不自由してないわ。むしろ住み心地はいいかもしれない」

「ほうか……」


 鞍馬が心配してくれるだなんてちょっと意外だなぁ……。幸之助のことは、古くからの友人だから心配したり気にしたりすることは別に不思議とは思わなかったけど。


 そう考えると、私はふと二人の関係の事を知りたくなった。


「ねぇ。聞いてもいいかな?」

「何が?」

「幸之助と鞍馬の関係。古い友人だって言うのは分かったんだけど、どうやって知り合ったのかなって思って」

「何や。わしに興味でも持ってくれたがか?」

「違います」


 ニヤニヤと笑いながらそういう鞍馬に私は睨みつけながら冷たくそう切り返すと、彼はムスッと顔を顰めながらつまらなさそうに呟いた。


「わしが狸奴に初めて会うたんは、あいつがまだこんまい子猫の時やった」



                  ◆◇◆◇◆



 時代は、幸之助が幸之助として生きていた江戸の時代まで遡る。


 真吉に拾われて、黒川家の一員に迎え入れられた幸之助は元気にすくすくと育っていた。

 黒川の家に来てから半月ほど経った頃。幸之助は生後9か月ほどになり、やや大人びた顔つきと体つきになった時に鞍馬と最初の出会いがあったと言う。


鞍馬は比叡山から家出同然で出て来てあちらこちらを放浪し、何気なく立ち寄ったのが土佐だった。


 彼が何故、土佐に住みつくようになったのかは、単純な気まぐれがきっかけに過ぎなかった。


その気まぐれに乗じ、人助けなんてものをすれば、誰かも分からないのに助けてもらったからと有難がられ、路地の角に作られた小さな祠の前に毎日お供え物をされるようになり、居心地の良さがこの地に居ついた理由だとも言える。


 鞍馬はこの日も、供え物として置かれていた餅の一つを頬張りながら、残りの餅を竹の葉で包んだ物を片手で抱えて空を飛び、ねぐらでもある寄相神社の裏手の森へ帰ろうとしていた。



 いつも通りかかる家の近くを飛んでいた時、ふと、チリチリと毬の中に入れられた鈴が絶え間なく響き渡る音に気付き、そちらに視線を巡らせる。


 すると裏庭の見える軒先で玩具として与えられていた毬とじゃれて遊んでいた幸之助の姿が目に留まった。


「へぇ。この家に猫なんかおったかなぁ」


 そう呟いて、興味本位で屋敷の垣根の上に舞い降りてみる。

 毬を両手で押さえ込みながら後ろ足で何度も蹴り上げていた幸之助は、ふと自分を見つめる視線に気付きそちらに視線を巡らせた。


「……誰?」


 幸之助は毬から手を離し、真っ直ぐに鞍馬を見る。

 鞍馬はようやくこちらに気づいた幸之助を見てにんまりと笑うと、庭先に降り立った。


「よう、坊主。わしゃ鞍馬っちゅうんじゃ。おんし、名は何と言う?」

「幸之助」

「ほう、幸之助か。良い名じゃ」

「オジサン、何処から来たの?」

「ちょお待て。わしはオジサンやない」


 年の頃で言えばまだ10代の幸之助からすれば、鞍馬は立派なオジサンに見える。

 だが鞍馬はムッと顔を顰め、ふんと鼻を鳴らしながら面白くなさそうに幸之助を見下ろした。

 確かに彼よりは随分と長い時を生きてはいるが、それでもこの時の鞍馬はまだ20代も半ば。まだまだ青臭い若造の部類に入る。


「わしの生まれは近江国おうみのくにじゃが、今は訳あって家出中じゃ」

「家出? 何か悪い事したの?」

「まー、しちょらん、言うたら嘘になるけどな。親兄弟がやいのやいのとうるそうて、逃げて来た」

「ふ~ん。でも、きっと心配してるんじゃないかな。だって、どうでもいい人だったらうるさくなんて言わないでしょ?」


 子供ながら、なかなかに的を射たような事を言う幸之助に、鞍馬の方が驚いて目を丸くした。


「何じゃ。おんし、坊主のくせにどえらい真っ当な事言いよるのぉ」

「だって、ご主人様が良く言ってるんだ。皆があれこれ言ったりちょっかいを出してくる内は、自分はどうでもいい人間じゃない。まだ気にかけてもらえているんだから、有難いと思わなきゃいけないって」

「……」


 あまりにも純粋な眼差しで、言葉のままを素直に受け止める幸之助の姿を見て、鞍馬は思い当たるところがあり顎に手をやった。


 村のはずれに厄介者の武士崩れの男が住んでいる。あれは武士の風上にも置けない、頼りにならない、どうしょうもない奴だと、もっぱらの噂だ。


 「よそ者」だとか「いつも何を言ってもへらへらと笑いへつらう、気味の悪い男」だとか「身なりも汚い乞食だ」だとか……。


「……ちっくと確認ながやけど。おんしのご主人て、もしや黒川真吉と言う名前の男やないか?」

「え? うん、そうだよ。オジサン、知ってるの?」

「やから、オジサンやない言いゆうろうが! わしゃぁまだ20そこそこの男じゃ!」

 

 鼻息荒く目くじらを立ててそう言うと、幸之助はビクッと体をすくませ、小さく「ごめんなさい」と呟き耳を垂れた。

 とは言え、20そこそこと言えばこの時代で言えば立派な「オジサン」部類には入るのだが、これは鞍馬のような妖怪には当てはまらない。


「まぁ、別にかまんけんど。その真吉殿、村で何て言われちゅうか、おんし知らんがか?」

「知らないよ。だって僕、外出ないもん。でも、ご主人様は皆良い人達だって言って嬉しそうに笑ってるよ?」


 とんでもない勘違いだ。と、鞍馬は思った。


 村中からある事無い事ふっかけられ、毛嫌いされている事実を見ないとは、真吉と言う男は一体どんな頭をしているのか疑わしく思えて仕方がない。

 それでも、目の前にいる幸之助は主である真吉の言葉を信じ切った純粋過ぎる程純粋な目をしていた。


 いたずら心に真実を吹聴してやろうかとも思ったが、それはいささか大人げないというもの。何より、幸之助の純真さに邪な鞍馬の心があまりにも下衆に感じられてならなかった。


「……おんし、幸せか?」

「うん! とっても!」


 幸之助はそれはそれは嬉しそうに頷き返してきた。


 こういう事は、知らない方が幸之助にとっては幸せだろう。ならば黙っているのが通りというもの。

 鞍馬はそう思うと、幸之助の頭に手を置いてぐしゃぐしゃっと撫でた。


「ほんなら、それでかまん。じゃあ、わしはねぐらへ帰るきねゃ」

「?」


 不思議そうに眼を瞬く幸之助に、鞍馬はちらりと彼を見やるとそのままねぐらへと戻って行った。

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