悲しき舞子、狸奴2
「また黒川の血を引く者とここでこうしてお会いする事が出来て良かった。主の血は、ちゃんと今日まで継承されていたのですね」
口元に小さく笑みを浮かべどこか安堵したような表情を浮かべた狸奴に、私の胸は小さく痛む。
私は不思議に思い、自分の胸元に手を当ててみるが原因がよく分からない。
「400年もの間、たった一人でここを守っていたの?」
「はい」
気づいたら、頬に熱い物が伝い落ちていた。
私は慌てて頬に手を当てると月明かりを受けて光るそれを見て、自分は今涙を流しているのだと気づく。
「あ、あれ? 何で?」
別に悲しくもなかった。何もなかったはずなのに、目からは涙が溢れ出て止まらない。
ボロボロと零れる涙を何度も拭っている内に、胸の内からこみ上げてくる原因の分からない切なさに押し潰されそうになった。
「……ごめ……っ、ごめんなさい」
何でそんな事を言い出したのか分からないけれど、何故か謝らなければならないような気がして、彼に対して謝った。
「突然一人にして……、ずっと一人にして、本当に、ごめんなさい……」
泣きたくなんて無かったのに、私はこみ上げる全ての物を曝け出す様にただ謝りながら、その場に泣き崩れた。
狸奴は私のその様子を見て少し驚いたような顔をしたけれど、その場から動く事はないまま静かに座して切なそうに目を細めながら、こちらを見つめている。
やがて目を閉じてゆるゆると首を横に振り、僅かに視線を下げたまま言葉を続けた。
「……あの日。いつものようにあなたの帰りをずっとお待ちしておりました。本当は、私も分かっていました。もうあなたが帰ってくることは無いと……。それでも諦めきれず、この命が尽きるその時までひたすらにあなたを待っておりました」
「……っ」
とても寂しそうに耳を垂れた狸奴を見て、私は彼に近づこうと足を踏み出した。でも彼はピクッと耳を動かし、すっと視線を上げて私の動きを制するように首を横に振る。
「……どうかそれ以上近寄らないで下さい」
「え……」
「どうか……そのまま、そこに」
まるで懇願するかのような言い方に、私はぎゅっと胸の奥を掴まれたような気持ちになった。だって、彼の目は何かに追い詰められたような、困惑しているのにとても寂しそうだったから。
「黒川の末裔であるあなたとこうしてここでお会いできた。それだけで私は十分です」
「狸奴……」
そう言いながらも伏せ目がちの目はとても哀愁が漂っていた。
誰が見ても寂しそうなのに、近付く事さえ出来ないなんてそんなの寂しすぎる。
狸奴はそんな私の心情をまるで見透かしたかのように言葉を続けた。
「私はこの寄相神社の
「そんなの……これから先も続けていくつもり? あなた一人で寂しくはないの?」
「それが私と主との約束。主が愛したこの地を私が主に代わって守る事が私の使命」
だから寂しくはない。
そう言葉を付け加えるわりに、彼の表情は変わらないけれどやっぱりどこか寂しそうだった。
彼は自分の意志で御神体となったのだと思う。だから彼の言葉が本当なら、彼に触れる事は出来ない。神様や仏様は安易に触れていいものじゃないことは分かっている。でも、私はどうしても彼を放っておいたらいけないと思った。
このままずっとここに……自分の意志だとしてもたった一人で居続けるなんて……。
私はぎゅっと手を握り締めて、顔を俯けた。
「……そんなの、悲しいし寂しいよ」
その言葉に、狸奴は驚いたような顔を浮かべた。
私は顔を上げて真っすぐに彼を見つめると、狸奴はどこか戸惑うようにわずかに視線を逸らす。
「懐かしい主の匂いを纏うあなたが、時々私に会いに来て下さればそれで構いません。私はそれで悲しさも寂しさも報われます」
狸奴はそこで初めて、ふわりとほほ笑んだ。
すっと細められた目は本当に猫のようで、それにとても神々しい。
その時ザァッと強い風が吹き、神社を取り囲む森の木々がざわめいた。
思わず目を閉じて、乱れた髪と浴衣の裾を抑える。そして次に目を開けて舞台を見ると、そこに彼の姿は無かった。
「え……? 狸奴!?」
いなくなった狸奴を、私は慌てて探し回った。
彼が先ほどまでいたはずの場所まで駆け寄ると、確かにそこにいた彼のぬくもりだけが残っている。
私は誰もいなくなった神社を見つめたまま、やるせない思いが胸に込み上げた。
400年前にご主人に先立たれた狸奴。きっとずっと亡くなっても大好きな主を待ち続けていたのに違いない。でもご主人は帰って来なくて、おヨネさんと言う人も死んでしまって……。
それなのに主を信じて、主の願いを引き継いでたった一人でこの場所に留まり続ける事を選ぶだなんて……。
「……人も動物も関係ない。一人じゃ生きていけないのに」
言葉とは裏腹にさっき見たあの悲しそうな目は、本当はもう一人でここにいたくないって思っているんじゃないかと、そう思ったのは私の勘違いなのかな……。
「狸奴は、私に、狸奴の元主の血が流れているって言ってた……。もし私が狸奴だったら、ずっと待っていた人が目の前に現れたら傍にいたいって思うわ」
その頃の主の想いが私にあるとは考え難かったけれど、でも、彼を一人にしていいなんて思わない。もう離れちゃいけないような、そんな気持ちの方が大きかった。
「……例えばもし、今の私が狸奴の主になれたら問題はないのかな」
暗い闇に仄かに照る月明かりの舞台を見つめ、私はそう呟いた。
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