誓い、再び

 眠りについてどれくらい経ったのか分からないけれど、私は何となく違和感を覚えて目を覚ました。


 時計の音と川のせせらぎが聞こえるだけの部屋は真っ暗で、まだ夜が明けるには早い時間だと分かる。


 あれからあんまり寝れてないのかな。


 ぼんやりと天井を見上げていた私は、再びうとうとと襲い来る眠気に抗う事もなく目を閉じた。が、すぐにパッと開いた。


 足下の布団に、何か重みを感じる。


「……っ」


 この部屋に寝泊まりしてるのは私だけだから、足下に重みなんて感じるはずがない。

 一瞬、荷物が布団に乗っかったのかとも思ったけれど、翌日の着替えと荷物は頭元に置いてあるからそれもない。


 何か、体が動かないんですけど!?

 つまりこれは、属に言う金縛りと言うやつ!?


 人生初めての金縛りに私はパニックに陥りながらも、自分の足元にある何かを食い入るように見つめる。この時ほど、見なければ良いのについ見てしまいたくなる人の性を恨みたくなった。


「……!?」


 声を出せず、目線だけを何とか暗い足下に向けるとキラリと光る二つの眼が見え、ずっしりと重心をかけていたそれがゆっくりと動いた。

 ゆっくり、ゆっくり……。それは足元から上に向かって這い登って来る。


 えぇぇ!? ヤ、ヤダヤダ!


 私は心の中でそう叫びながらも、這い登ってくるそれから目をそらせなかった。


 音もなく腰の位置までそれが登って来た時、私はようやくギュッと目を閉じる。

 身を固くして、早く立ち去る事を一心に願いながら息をもつめていると、それは胸の辺りでようやく動きを止めた。そして顔のそばに近付いてくる気配をひしひしと感じると、私はいよいよ恐怖から悲鳴をあげたくなる。


「……っや」


 たった一言、掠れた声が喉の奥から出たのと同時に、頬に暖かな何かが触れた。


 止めれば良いのに、その感触に思わず目を開いて、こちらを覗き込んでいるそれを見上げてしまった。


「……っ!?」


 私はそれを見てますます身体を硬直させて再び声を失い、息をするのも忘れてしまった。


 だって、そこにいたのは……。


「……加奈子殿」


 覆い被さるようにして、こちらを見下ろしているのは狸奴だった。


「……り、狸奴!?」


 這い登ってくるのが、得体も知れず実体もない幽霊だと思ったら、その正体が黒猫の狸奴だと分かり、体から力が抜けていくのを感じた。


「ど、どどどどうしたの? こんな真夜中に」

「あなたと、主従関係を結びに来ました」

「え?」


 突然のその言葉に、私は目を見開いてしまう。

 だって、さっきは望んでないって言ってたのに……。


「何で、急に……」

「……私はただ、意固地になっていたのかもしれません」


 寂しげに見下ろしてくる狸奴に、私はギクシャクしながらも彼を見上げた。


「自分の気持ちに素直になれと、先ほど妖狐殿にも主にも叱られました」


 困ったように耳を垂れる彼の姿に、私は不覚にもドキドキしながら見入ってしまう。

 一人で顔を赤くしてる自分がバカみたいだと思う。しかも相手は人間でもただの猫でもない、あやかしだって言うのに。


 や、幸い暗いから、私の顔が赤いのは狸奴は分からないと思うけど……。


「り、狸奴……?」

「……幸之助」

「え?」

「我が真名は、幸之助。加奈子殿が私を受け入れて下さるのであれば、私は喜んであなたの為にこの身を捧げましょう」


 とても真剣な眼差しで見下ろされそう囁かれると、恥ずかしさの方が勝るんですけど!?


「……こ、幸之助?」


 ぎこちなく名を呼ぶと、幸之助はゆっくり顔を近付けてくる。

 私が思わずギュッと目を閉じると、額に暖かな感触が伝わった。と、同時にまるで彼の名前と何か分からない強い結び付きを心の中で感じて恐る恐る目を開いた。


「……あ、あれ?」


 目を開くと先ほどまでそこにいたはずの幸之助の姿はなくなっていた。

 覆い被さる重みもなくなっていて、さっきのは何だったのかと思えるくらい……。


「……??」


 私は訳が分からずむくりと起き上がって、暖かな感触の残る額に手を当てた。






 翌朝、私は神社へと向かった。

 相変わらず誰もいない閑散とした神社。ぐるりと辺りを見回すと、社の中から黒猫姿で2尾の尻尾をゆらゆらと揺らしながら、幸之助が現れた。


「り……じゃなくて、幸之助?」


 恐る恐る声をかけると、幸之助は私の足下に近づいて頭を擦り寄せて来た。そして私の前まで来るとチョコンと座ってこちらを見上げてくる。


「お待ちしておりました。我が主」


 昨夜と同じく黒猫の姿のままなのに、幸之助は普通に人の言葉で会話してきた。

 私は思わず辺りを見回して、誰もいない事を確認すると幸之助はクスクスと笑う。


「ご安心下さい。普通の人間には私の姿も声も、誰にも見えませんし聞こえませんから」

「あ、そ、そうなんだ……」


 な、なんだろ。今は猫の姿だけど、なんか意識してしまう……。


 真顔で、昨日の夜の事は何もなかったかのように話す幸之助から、込み上げる恥ずかしさに勝てずに、ぎこちなく返事をしつつ視線をそらした。


「主?」


 私のその様子に、不思議そうな顔を浮かべてこちらを見てくる幸之助は、小首を傾げている。


 な、何で私ばっかりこんな意識して、当人は平然としてるの!?


 そう思ったら、追求したくなってきた。


「あ、あのね……。幸之助、昨日の夜私の額にキスしたでしょ」

「きす?」


 まるで聞きなれない言葉だと言いたげに、不思議そうな顔でそう聞き返してきた幸之助は、しばし考えたあと真剣な顔で口を開いた。


「すみません。鱚はまだ食べた事がなくて……。主の額に寝てる間に鱚が乗ったんですか? 不思議な事があるものですね。仁淀川で鱚はとれないはずなんですが……。でも、少々羨ましい」

「ち、違うわよ! チューしたでしょって言ってるの!」

「ちゅう? ……今度はネズミですか?」


 あまりにも真面目な顔で答える幸之助に、私は少し腹が立って、彼の身体を抱き上げ、ふわふわで小さな口元に人差し指を押し当てた。


「ここを額にくっつけたでしょって言ってるの!」

「……」


 幸之助はしばし時が止まったかのように押し黙ると、ようやく理解したのか身体中の毛をブワッと逆立てて、黒猫なのに分かるくらい顔を赤らめてブンブンと首を横に振った。


「せ、せ、接吻などと、そんな、主に対してそのような無礼はできません!」


 そんなに全力で否定されたらされたで、ちょっと傷つくんだけど……。


 私は狼狽える幸之助に、ちょっと意地悪をしてみたくなった。

 ちょっとした仕返し。昨日私を驚かせたんだから。


「大体、真夜中に女性の部屋に入って来て、覆い被さるのもどうかと思うわ。あれじゃまるで夜這いよ!」

「も、申し訳ありません! 早くお話しなければと、急いたばかりに……」


 耳をペタリと倒して恐縮する彼を見ていたらだんだん可笑しくなってきた。

 悪気があった訳じゃない事は分かってるし反省もしてるようだし、これ以上は許してあげますか。しかも猫の姿だからか可愛く思えて、私は彼のふわふわの身体をギュッと抱きしめた。


「ごめん、もう怒ってないよ」

「か、加奈子殿……」


 抱きしめた温もりが、安心させる。

 それは彼も一緒なのか、しばらく抱き抱えているうちに猫特有のゴロゴロと甘えたように喉を鳴らし始めた。


 きっと、幸之助も人の温もりが恋しかったんだよね。長い間ずーっと一人でいたんだもの。温かさを伝える。これが私が彼にしてあげられる、最初の事なんだろうな。


 そう思いながら、安心しきった彼の身体を撫でながら空を見上げる。

 ギラギラと照り付ける太陽。蒸し暑い空気。忙しない蝉の声。


……あぁ、そうだ。私、夏休み中だった。


 忘れていた現実を思い出し、途端に気持ちが沈むのを感じた。

 私は彼を抱えたまま、社の軒下へ向かい境内の端に腰を下ろす。


「……ねぇ、幸之助」


 膝の上にいる幸之助を撫でながら声をかけると、彼もピクリと耳を動かし、私が何を言わんとするのが分かったかのように顔を上げた。


「……加奈子殿。私はあなたと主従関係を結びましたが、私はやはり、ここから離れる事は出来ません。でも、あなたには帰るべき場所があるのですよね」

「うん、そうなんだけど……」


 私の膝の上で座り直した幸之助は、真っ直ぐにこちらを見上げ笑っているような表情を見せた。


「私ね、まだしばらく学校が休みなのよ。だから、休みが終わるまではここにいようかなって思ってる」

「え? でも……」

「幸之助がここから別の場所に行きたくないことも、主さんを大切にしている気持ちも全部よく分かるから。それに主従関係にあると言っても、私はあなたのことを従えたいだなんて思ってないし。だから、これからは幸之助の好きにしていいわ。私はここであなたのそんな姿が見てみたいなって、単純に思ったのよ」


 にっこり笑う私に、幸之助は戸惑いの色を露わにしていた。


「それに、離れたとしても私たちには切っても切れない絆が出来たでしょ? これで幸之助もさみしくないよね?」

「加奈子殿……」


 ぺたりと耳を垂れ、感激したような顔を浮かべる幸之助が堪らなく可愛くて、私はもう一度彼をぎゅうっと抱きしめた。


「私は、あなたと結んだこの繋がりを信じる事にします」

「うん」

「今一度、主に誓いを立てましょう。あなたが困っている時は、必ずあなたの助けになると。昔の私には出来なかった事も、きっと今の私には出来るから」


 そう言う幸之助に、私は彼の額に自分の額をくっつけて目を閉じた。


「……うん。ありがとう。じゃあ私も約束する。夏休みが終わってここを離れても、また必ずここに帰ってくるって」

「加奈子殿……」


 私の頰に柔らかな感触が当たり、ふと見ると彼の肉球が触れていた。

 私はクスクスと笑い、幸之助の身体を持ち上げた。


「幸之助、あなたに出会えて良かった」

「私もです」


 真夏の強い日差しの中で、私たちは新たな誓いと約束を交わした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る