黒川の本家

 翌日、幸之助に案内してもらって連れて来てもらったのは、寄相神社から徒歩で20分くらいの所にある一軒の平屋。

 入り口には小さくてもちゃんとした武家屋敷らしい門もあったし、門の先には規模は大きくないけれど瓦屋根のちゃんとした、ドラマや映画なんかで見るようなお屋敷があった。

 

 あれ……? でも夢で見た時は藁葺屋根だったはず……。


「幸之助、ここが真吉さんの家なの? 私が夢で見た時はもっとこう、庶民的な感じの家だったと思うんだけど……」

「こちらは本家です。真吉殿はこの家の長男だったそうですが、武士の道を歩みたくないという理由で勘当されたと聞いています。でも、真吉殿はこの地を離れずに近くの民家に暮らしていました」


 猫姿の幸之助は、こちらを見上げながらそう答えた。

 確かに門の端に見えにくくはなってるけど、よく見ると木札の表札に墨で「黒川」って書いてある。


「……ねぇ、本家ってことは、今も誰か住んでるんじゃないの?」

「いえ、今はもう誰も住んでおりません。明治の初めの頃までは確かに住んでいましたが、文明開化が進んでからは当時のこの家の家人もこの地を去り、それきりです」

「そうなんだ……」

「お気に召しませんでしたか?」


 幸之助は困ったような顔をしてこちらを見上げて来る。


 いや、気に入らないなんてことはないけど……。私が知る限り、当時の庶民の家にはお風呂やトイレが無いとか……。

 ここはちゃんとしたお屋敷だからお風呂もトイレもあるはずだし、どちらかと言えばこちらの方が有難い。


「ううん。そんなことないよ」


 私はそう言って門をくぐると、右側には腰くらいまでの高さの竹の柵と生垣があり、その向こうに枯れてはいるけれど小さな池の跡と綺麗な庭が見える。

 玄関の前に立って引き戸を引くと、少し埃っぽいものの綺麗な玄関と目隠しに置いてあるのか、霞んでしまった屏風があった。


「……長い間誰も住んでいないのに、思ったより綺麗ね」

「家の持ち主がいなくなってからは、私が定期的に手入れをしておりましたので……」

「幸之助が? 一人で?」

「いえ。仲間にも手伝ってもらっていました。先日いた、やんことてんこ達にも手伝ってもらい掃除したばかりです」


 あ、そういう事だったの。だから思ったよりも綺麗なのね。手入れがされているから、普通だったらもっと家自体が傾いていたり入り口とかに雑草が生え放題になっててもおかしくないのに、それがないからてっきり今も誰か暮らしているんだと思った。


 真吉さんに縁のある場所までも大切にしているなんて、よっぽど幸之助にとっての彼は大切な存在なんだろうなぁ……。

 そう考えると、ちょっと複雑な気持ちにもなった。正直言うと妬ける。でも、自分の先祖に嫉妬してもしょうがない。私は今を生きてるんだもの。


「お邪魔します」


 そう言って靴を脱いで上がると、何だか凄く温かい気持ちに包まれる。まるで家自体が「お帰りなさい」って言ってくれてるような、そんな感じがした。この家には一度も来たことがないのに、懐かしいって思えてくる。


 玄関を入って目隠しになっている大きな屏風の裏には、すぐに6畳くらいの和室があった。その和室へ上がって正面の障子を開くと、12畳の和室がある。

 

「広い……」

「ここは下座敷と呼ばれる場所です。右の障子の先は庭に通じています。左の障子の先には次の間があり、その先には上座敷と縁側があります。他にもこの奥には納戸が二つ、奥座敷、広間、炊事場、なかえと部屋数で言えば7つ。外には厠と納屋があります」

「一人で住むには広すぎる……」

「確かにそうですね」


 幸之助はクスっと笑いながら頷いた。

 小さくても7部屋もあるお屋敷なんて、やっぱり武家屋敷らしい……。って言うか、ここで夏休み期間中一人で暮らすのなんて、贅沢過ぎないかな。と言うよりも、広すぎてちょっと怖い気がする……。


 周りは山に囲まれているし、夜は真っ暗。

 虫の声はするけど、それ以外は本当に何も聞こえてこない。山の壁面にあるような立地にあるだけに、少し坂を下れば綺麗に舗装された道はあるけど、街灯らしい街灯はないし……。


 そう思ったら、つい幸之助を見下ろした。


「幸之助は、いつも寝る時どうしてるの?」

「私は社で眠ることが多いです。手入れをしに来る時はここで眠る時もありますし、私が慣れ親しんだもう一つの家の方で眠ることもあります」

「そ、そう……」

「もし加奈子殿がこちらに身を置くのでしたら、私もここへ参りますが……」

「本当!?」


 まるで私の心が読めたかのように幸之助がそう言うもんだから、思わず声を上げてそう言うと幸之助の方がビックリして耳をぺたりと伏せてしまった。たぶん耳を伏せたのは条件反射に違いない。


「あ、ご、ごめん」

「い、いえ、こちらこそ申し訳ありません」

「もう一つの方の家も気にはなるけど、お風呂とかの設備はこっちの方が揃ってるんだよね?」

「はい。厠は外になりますが、風呂は炊事場の隣にあります」


 幸之助も来てくれるって言うんなら、とりあえずこのお屋敷を借りる事にしよう。さすがに一人では怖すぎるもの。


「幸之助、ありがとう。明後日から遠慮なくここを使わせてもらうね」

「はい」


 私は幸之助を抱き上げてお礼のつもりで撫でてあげると、彼は目を細めてゴロゴロと喉を鳴らし嬉しそうにしていた。すると、玄関の方から声がかけられる。


「誰かおるがか~?」


 その声に私が慌てて幸之助を抱っこしたままそちらに出向くと、そこには腰の曲がったお爺ちゃんが立っていた。


「あんた誰や?」

「え、えぇ~っと……私、あの、藤岡加奈子と言います。じ、実はここの家が私のご先祖様が住んでいた家だって聞いたもので……」


 どう言っていいのか分からず、私はしどろもどろながらにそう伝えた。

 絶対不審者だと思われてる。嘘は言ってないけど、でも見るからに怪しいじゃない。今まで誰も住んでいなかったこの家にいきなり上がり込んで、挙動不審な動きをしてるんだもの。

 だけど、何故かお爺ちゃんは私を怪しむ様子もなく、すんなりと受け入れてくれた。むしろ凄く感心したと言わんばかりの眼差しで見られている。


「ほうかよ。この家は相当古い家で、誰も住みやぁせんのに傾きもせんと綺麗に手入れされちゅうき、誰かが家の世話をしよっつうろうと思いよったが、あんたやったがやねぇ。若いのに先祖の家を大事にしゆうなんて感心やねゃ!」

「あ……い、いえ……」

「あんたどこに住みゆうが? この辺じゃ見ん顔やけんど。市内か?」

「と、東京です」

「東京!? そがな都会からわざわざこの家の為に来よるがか! そらぁえらい事ぜよ」


 東京と言うだけで、さっきよりも更に関心したようにお爺ちゃんが驚いていた。


「ほんで? この家に越して来るがか?」

「あ、いえ。引っ越して来るって言うか……、私今大学が夏休み期間中なので、その間だけここで過ごそうかなって思って……」

「へぇ~! こんな広い家に一人で住むが? 夜怖うないかえ?」

「そ、そうですね……。でも、私この家も場所も好きですから」

「ほうかよ。ほいたら、布団とかはあるかよ?」


 布団……。そう言えば布団、きっと無いよね。

 私はそう思ってチラリと腕の中の幸之助に視線を投げかけると、彼もまた「そう言えば」と言わんばかりに目を瞬いていた。

 トイレとかお風呂とか、そう言うのに気を取られていたけど布団無いんじゃ泊まれないじゃん。あと電気とか……。


「お布団……そう言えば持ってくるの忘れちゃったかも……」

「そらいかん。布団がないと寝れんやいか。よっしゃ、ほんなら家に一組余っちゅう客用の布団があるき、それを持ってきちゃろう」

「え!? で、でも、お客さん用なんですよね?」

「かまんかまん。息子らぁも全然帰って来んき、ずっと押し入れの肥やしになっちゅうがやき。使わんと布団も傷むきね。あんたはこの家の為にしょっちゅうここにもんて来ちゅうがやろ?」

「は、はぁ……」

「ほいたら多少生活用品も置いちょかんといかんで。今持って来るき、ちっくと待っちょれよ」


 私が止める間もなく、お爺ちゃんは坂を下りて道路に止めていた軽トラックに乗り込むと更に山道を登って行ってしまった。

 変な人が入り込んだと思われたって思ってたのに、思いがけない方向に転がって私の方が拍子抜けしてしまい茫然としていると、幸之助がくすくすと笑っていた。


「良かったですね」

「で、でも、初対面なのに、いいのかな?」

「ここでは皆こうして助け合って生きているんです。お互い様になれば問題はありませんよ。それに、若い人が住んでくれると分かれば喜びます。ここはもう老人ばかりで衰退していく一方ですから……」


 幸之助が開かれたままの玄関の先を見つめたままそう呟いた。


 確かに、老人の人口の方が圧倒的に多い。けど、このまま衰退してしまうのは何だか凄く勿体ない気がする……。


 でも……そうか。移住、か……。


 私は幸之助の言葉と、さっきのお爺ちゃんの様子を見て「移住」と言う言葉に関心を抱いたのはこの時が初めてだった。


 神社仏閣巡りが趣味だったけど、田舎に住みたいと思ったことは無かった。って言うかそんな事を考えたこともなかった。それは一言に自分には田舎が無いからって言うのもあったかもしれないし、仕事をするにも買い物をするにもとにかく不便だからって言うのもあったかもしれない。だけど、ここには都会には無いものがある……。


「加奈子殿? どうしました?」

「うん……」


 ぼんやりと考え込む私に幸之助が声をかけてきたけれど、私は生返事を返すだけだった。

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