賑やかな妖・鞍馬天狗.壱

「何か、思ったより凄いことになってない?」


 私は目の前にある山のような荷物に戸惑っていた。

 あの後、家の押し入れの肥やしになっていると言うお布団を一式持ってきてくれたお爺ちゃんが、他にも色々と持ってきてくれたのだ。と、言うより、他のご近所さんに話をしてくれたらしくて、お爺ちゃん以外の方々が「良かったら使って」と言って持たせてくれたらしい。


 新しく打ち直したかのようなフカフカの上等なシングル布団一式。それ以外にはお鍋やちょっとした食器や、懐中電灯だったりお菓子だったり。そうそう、冷蔵庫がないと困るだろうからって小さい一人用の真四角の冷蔵庫まであった。


 最初はこんなにたくさん貰えないからって遠慮したんだけど、お爺ちゃんは「ええからええから」と言ってにこやかに次々に置いて行ってくれた。


「しばらくは困らなさそうですね」

「うん、そうだね。後で何かお礼をしなくちゃ。確かこの家の二軒隣に住んでる中野さんだったっけ」


 帰り際にお爺ちゃんは自分の名前とどこに住んでいるかまで教えてくれて帰っていったけど、お礼って何がいいんだろう。お年寄りが喜ぶものって和菓子とか?


「気持ちがあれば何でも嬉しいものですよ」


 幸之助はそう言ってくれた。

 気持ちがあれば、か……。

 後で宿の近くにあった小さなお店に寄ってみようかな。材料があれば、大福でも作って持って行こうかな。


 ふと、玄関から外を見ればだいぶ日が傾いて来たのが分かる。

 さてと……今日はとりあえずもう宿に戻ろう。


「ここにある荷物は一度部屋の隅に避けておいて……。じゃあ、明後日また来るわ」

「はい。では私も社へ戻ろうと思います」


 私と幸之助は二人でお屋敷を出て、元来た道を帰り始めた。


 これから約一か月。ここで過ごすんだなぁ……。


 車がギリギリすれ違えるくらいの道幅しかない道路を戻りながら、ぼんやり考える。

 ワクワクするような、不安なような、何とも言えない感覚。

 山肌に沿うように並ぶお茶畑に囲まれて、のんびり田舎ライフ。都会に戻ったら喧騒としていてこことのギャップに気後れしてしまいそうだ。


「加奈子殿? どうされました?」


 何となく足を止めた私に気付いた幸之助も足を止め、こちらを振り返る。


「あ、ごめん。何でもない。これから一か月ここで過ごすんだなぁって思ったら、何か感慨深くなっちゃった」

「……不安でしょうか」

「不安じゃないって言ったら嘘にはなるかな。でも、楽しみでもあるのよ。だって田舎に暮らすなんて、普通に東京にいたら出来ないもの」


 笑ってそう言うと幸之助は「そうですか」と言って前を向く。その幸之助が私には分からないところで少し物憂げな表情を浮かべていたことに私は気付かなかった。




 


                  ◆◇◆◇◆

    




 今宵も神楽鈴を手に粛々とした舞を踊り続ける。


 シャン……と鈴を鳴らし幸之助は短い溜息を吐いて途中で舞うのを止め、遠く連なる山々を見つめた。


「私は加奈子殿に、何か無理をさせてしまっているのではないだろうか……」


 400年もの間人の温もりから離れていた彼にとって、久々の温もり。優しく背中を撫でてくれる暖かな手は、とても心地よい。

 いつまでも浸っていたい。そう願わずにいられないほど、安心感を得られるものだった。

 ただ、彼女から言い出した事だとは言え、先ほどの表情を思い出すと不安に思うことも否めない。


 幸之助は神楽鈴を見下ろし、もう一度溜息を吐く。


「……色々考えてしまうのは、私の悪い癖だな」


 そう呟いて鈴をもう一度握り直すと、どこからともなくバサバサッと鳥の羽ばたく音と大きな黒い影が幸之助を覆った。


「よう! 狸奴! まだこがな場所で人々の為に舞を踊りゆうがか?」


 この呑気な声音。どこかで聞いたことが……いや、よく知っている……。


「私に何用ですか? 鞍馬」


 心の底から鬱陶しいと言わんばかりに幸之助が社の上を見上げると、屋根の上で翼を折りたたみニヤニヤと笑う、古典的な天狗がいた。上半分だけの面をかぶった鞍馬と呼ばれる一本下駄を履いた男だ。


「何ぞね、その顔! わしゃおんしを心配して来ちゃったに、そがに怪訝な顔すなや!」

「心配していると言う割に随分音沙汰もなかったようですが? それに、あなたの声はいつもうるさ過ぎる。私は静かに舞を舞いたいのに、あなたが来ると気が散るんです」

「まぁそう言うなや! 久々に会うたがやき、歓迎しちゃってや!」


 周りによく通るでかい声でゲラゲラと不躾なほど声をあげて笑う鞍馬に、幸之助はムッと顔を顰めて視線を逸らす。


「あなたは土佐の生まれでもないのに、ずいぶん土佐訛りが板についてますね」

「おう! しばらくここにおったら、知らん間に移ってしもうたがやき! ここの人間は皆えい人が多いきねゃ。住み心地はえいで」

「帰る場所があるでしょう? お国の方々は心配されてないんですか?」

「あ~、かまんかまん! どちらかと言うと厄介払いが出来てせいせいしちゅうにかぁらん」


 バサバサと翼をはためかせて幸之助の前まで下りてくると、鞍馬はひょいと面を外す。

 赤茶けたボサボサの髪に人懐っこそうな目でニコニコと笑う鞍馬を、幸之助は冷めた目で見つめ返す。


「お?」


 そんな幸之助の様子にしり込みをすることもなく、鞍馬はぐいっと顔を近づけてすんすん、と鼻を鳴らした。


「狸奴……。おんし、いつもとちゃうニオイがしよらんか?」

「そうですか?」

「そうや。なんちゅうか……こう、侍臭いと言うよりももっと若い女のニオイじゃ。おんし、人には認知されんようになっちょったに、どいたが?」


 鋭いと言うべきか何というべきか……。


 幸之助は観念したかのように、ふぅ~と長い溜息を吐いた。


「新たな人間と主従契約を結んだんですよ」

「……は?」


 突然の告白に、鞍馬は目を瞬いた。そして少しの間を開けてとびきり大きな声をあげる。


「そりゃほんまかよ!? こりゃえらい事ぜよ! 真吉殿だけがおんしの主やったがやないが? いや、待て待て。その前に、人間と何ちゃあ関われんはずのおんしが、どがにして人間と主従関係なぞ結んだが?」


 矢継ぎ早な質問に、幸之助はうんざりしたような顔をして口元を扇子で隠しながら、鞍馬を睨み見るように視線を送る。


「その真吉殿の縁の方だったんですよ」

「ほうかよ!? いやぁ、こりゃごっつい巡り合わせやいか! で? その新しい主っちゅうんはどこにおるが?」

「……」


 どこにいるか。それを言わなければいけないのかと思うと、幸之助は思わず口をつぐんでしまう。そんな、急に口を閉ざした幸之助に、鞍馬は目を瞬き首をかしげる。


「どういた?」

「……いえ」


 すっと視線を逸らしながらそう言うと、鞍馬は眉間に深いしわを刻みぐいっと迫って来る。


「なんぞ言えんような事でもあるがか? さっきから目を合わさんとキョロキョロしよって」

「……」


 言えるが、言いたくない。言ってしまったらどうなるのか、分かっているから。


「あなたの手癖の悪さが問題なんですよ」

「手癖!? なんやそら。随分な言い方やいか」

「本当の事を言ったまででしょう」

「そがに言いたないのは、あれか。新しい主っちゅうんは嘘か」

「嘘ではないです」

「ほいたら何ぞね。わし好みの女子とかか?」


 鞍馬好みの女子……。


 何やらその言い方が面白くない。

 確かに加奈子の事を思い返せば、鞍馬の好みに近いような気がする。だとするならなおの事面白くなく感じてしまう。


 ムッとしかめっ面をしたまま、またしても押し黙った幸之助に鞍馬はニヤッと笑った。


「そこで黙る言うことは、わし好みの女子や言うことやな!」

「……」

「そがな事で言えんなんぞ、水臭いねゃ! 安心せぇ。おんしの主に手なぞ出さんき」


 それが一番信用できない。


 幸之助は深い溜息を吐いた。

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