帰省 ~別れの日~
仁淀川町で過ごした残りの三日間は、あっという間に過ぎてしまった。
ご近所さんにもお菓子と一緒に挨拶にも行けたし、行ってないところは無いと思うから、とりあえず大丈夫かな。
皆に帰るって言ったら泣いてしまうお婆ちゃんやお爺ちゃんがいたりして、本当に人があったかい場所だったな。あいさつ回りに言ったら「これを持って帰りや」って、色んなものをまた持たせてくれた。
結構少ない荷物で帰る予定だったけれど、皆の御好意を無下にするわけにはいかないから有難く頂いて、結局中くらいの段ボール一つ分の荷物が出来たっけ。
乾燥させた山菜とか、池川で採れたお茶とか、お菓子。あと一番驚いたのはお婆ちゃんの中には小さなポチ袋にお金を入れて渡してくる人もいた。
さすがにそれは受け取れないって断ったんだけど、その人はずっとお子さんにもお孫さんにも会えないから、私が来た事が孫の代わりだと言って持って行って欲しいと懇願された。
聞いたら、電話や手紙でのやりとりはあるようだけど直接会って過ごすことが出来ないから、ずっと寂しかったんだと言っていた。何でも、お婆ちゃんのお子さんのお嫁さんが都会の人で、「虫が多くいて、不便でしかない田舎には絶対に行きたくない」と言い張っていることから来られないんだとか。
実際に来てみれば凄く良いところだって分かるのにねって私が言ったら、お婆ちゃんはただ涙を流しながら「ありがとう、ありがとう」って私の手を握っていて、その姿を見てたらこっちまで切なくなっちゃって、貰い涙が出てしまった。
そう言えばここに来てから私、涙もろくなったかも。
そんな事を思い出しながら、私はカバンと段ボールを車の後ろ座席に置いて、忘れ物がないかどうか今一度確認をする。
そうそう。車はあのお屋敷に移る時に近くの空き地に停めさせてもらっていたんだ。ガソリンは半分くらいになってるけど、帰りにサービスエリアで入れて帰れば問題ない。
「……よし」
私は車の扉を閉めて、スマホを取り出してお母さんに連絡を入れる。
「……あ、もしもしお母さん? 今日帰るから。……うん、うん。分かった。たぶん今から出たら明日の明け方くらいには着くと思う。うん。はい。はい、じゃあ切るね。はーい」
早々に会話を切って、通話を終了する。そして後ろを振り返ると鞍馬が見送りに来ていた。
「あれ? 幸之助は?」
「炊事場で何ぞしよったで。たぶんもうじき来るろう」
鞍馬は着物の袂に両腕を突っ込んだまま、私をじっと見て来る。
不思議に思った私が「何?」と聞くと、鞍馬は視線を逸らしながらお父さんみたいな咳払いを一つした。
「あ~、お嬢さん……。わしはな、羽がある」
「?」
突然何を言い出すんだろう? そんなのとっくに知ってるけど……。
普段はどうやってるのか知らないけどその羽、いつも見えないようにしてるよね。今もだけど。
「うん、そうね。あ、そうそう。てんこちゃんとやんこちゃんを抱えて飛んだ時は大変だったね」
「そうながよ、ありゃあちっくと骨が折れそうやった……や、のうて。わしには羽があるやんか? ちゅうことはじゃ。どこへでも飛んでいける」
「うん。そうだね」
何が言いたいんだろう。いまいち的を得ない。
私が分からないできょとんとしていると鞍馬は痺れを切らしたのか、がしがしと自分の頭を掻いてもう一回咳払いをした。
「何かあればわしも駆け付けられるき。それだけは覚えちょいてくれや。そもそも、何も状況が分からんずくおったら、狸奴も色々心配するやろうしな。まぁ、わしはまだお嬢さんの言う東京なんぞ行った事はないけんど、必要とあらば東京やろうがどこやろうが駆け付けちゃる」
「……」
意外、と言ったら酷いかしら。
私の事も心配してくれてるんだ。まぁ、私に何かあってもなくても、幸之助が心配するのは目に見えているからだろうけど。でも、素直に彼の優しさを有難く思う。
彼なりに恥ずかしい事を言ったと思ったんだろう。ガシガシと頭を搔きながら視線を逸らして照れくさそうにしているのを見たら、嬉しくなった。
「うん。ありがとう、鞍馬」
「……おう」
鞍馬が本当は凄くいい奴だって、私知ってるもんね。鞍馬は私がそれを知ってるのは知らないと思うけど。
あ、でも……。
「そうだわ。私が次に来るまでに、その行儀の悪さを直しておいてよ」
「何やと!?」
「この間はご飯を噴き出すわ、寝相は悪いし頭はボサボサだし……」
「そりゃあ、何ぞ……。あれじゃ、あれ……」
反論できなくて言い淀む鞍馬にくすくす笑っていると、勝手口の方から中庭を回ってきた幸之助が見えた。その手には茶色い何かが握られている。
「加奈子殿。これを……」
そう言って渡してくれたのは、竹の皮に包まれたおにぎりと漬物だった。
昔風のお弁当だ。こんな包みまだあったのかしら……。
でも……こうしてみたら、幸之助何だかお母さんみたい。
怒られるから言わないけど、ちょっと目線を変えてみると鞍馬はお父さんっぽくて幸之助はお母さんがはまり役なんだよね。
そう考えるとおかしくなって一人でくすくすと笑ってしまった。
「何笑いゆうがじゃ」
「ううん。何でも」
突然私が笑いだすから、鞍馬がしかめっ面をして突っ込みを入れて来る。
あぁ、ほんと、呆れるくらい鞍馬はお父さんみたい。
私は受け取ったお弁当を見つめ、その視線を目の前にいる幸之助に向ける。
整った綺麗な顔立ち。性格的には幼さもあるけどやっぱりちゃんと男の人なんだってこうして見るとよく分かる。そんな人に「お母さんみたい」だなんて失礼よね。
「お弁当ありがとう。帰りに大切に食べるね」
「それから、これを……」
お弁当の他に渡されたのは手の平に収まるくらいの、小さくて綺麗な糸で編まれた巾着袋だった。中には何か固いものが入ってる。
「これは?」
「私とあなたを結んだ、大切なお守りです」
お守りを握った私の手を、幸之助は両手で包み込むように握り締めて来る。
彼は凄く離れがたい顔を浮かべているけど、たぶん私も同じような顔をしてるのかも。
温かいその手を見つめながら、私はぽつっと呟いた。
「……幸之助がさ」
「はい」
「ここを離れたくないって言ってた気持ち、今ならよく分かるんだ」
ここの人は優しい人が多い。そりゃあそうじゃない人もいるのかもしれないけど、少なくとも私がここに来てから優しくない人には出会ってないもの。
真吉さんが生きていた時代には、詳しくはないけれど今の時代から考えれば理不尽なことが多かったのかもしれない。あ、でも……もしかしてそこは今も大して変わってないのかな?
彼の手から視線を上げて、もう一度真っすぐ幸之助を見上げる。
「あなたがここを守りたいと思う気持ち。ここに生きる人たちを見守りたい気持ち、凄く分かるよ。ここは本当に素敵。だから、幸之助がここを見守って村の人達のための安寧を願ってくれてること、私は本当に嬉しいと思う。それに……。ここだけはあなたの主として言わせてもらえるなら、そうしてくれていることで安心出来るしとても誇りに思うわ。ありがとう」
「加奈子殿……」
幸之助は少し驚いたように目を見開いたけれど、ふわりと優しく微笑んだ。
そうだよ。彼だからこの場所を任せられるし、安心も出来る。彼はこの土地の守り神だもの。ここの守り神は、きっと彼じゃないと務まらない。
「これからも、この場所をよろしくね」
「はい」
「私も向こうで頑張るわ。まずは幸之助や鞍馬にも美味しい料理が振舞えるように頑張ろうと思ってる。幸之助のお料理本当に美味しかったんだもの。私も負けないように頑張らなきゃ」
この前は散々だったからね。女としてそこもちゃんとしなきゃいけないんだなって痛感したっけ。だから、ここは幸之助に負けないように頑張るわ。
「あ、そうだ。あと妖狐さん。やんこちゃんとてんこちゃんにも、もし来ることがまたあったら宜しく伝えて。この間はわざわざ遠いところから来てくれて、嬉しかった。来年また私が来たら色々お話を聞かせて下さいって」
「はい。分かりました。必ず」
「あと、それから……」
あぁ、やっぱり帰りたくないな……。
こうして何かにつけて話を長引かせて、帰るのを遅らせようとしてる私自身に笑ってしまう。心は帰りたくないってずっと言ってる。このまま時が止まればいいのにって願ってる。
この幸之助の手が離れたら帰らなきゃいけないんだって思うと、辛い……。
私は思わず俯いて、きゅっと唇を嚙んだ。
「加奈子殿……」
「……ごめんね。私やっぱり……」
帰りたくない。
そう言いそうになると、幸之助がその言葉をやんわりと遮ってくれた。
「私は何年経とうともここであなたをお待ちしております。あなたとこの村の為に、これまで以上に祈りを深めて舞い続けましょう」
「うん……」
ありがとう。吐き出しそうな弱音を止めて、背中を押してくれて……。
私は何のために東京に戻るのか、もう一度よく考えないといけない。全部ちゃんとするために帰るんだって、自分で決めたんだもの。ちゃんとやり遂げなきゃ、誰にも顔向け出来ない。また来るんだから、大丈夫。
「じゃあ、私行くね」
そう言うと幸之助の手がするりと離れていった。
離れていくぬくもりに名残惜しさは
エンジンをかけてゆっくりと走り出し、ミラーからチラリと見送る幸之助たちを見ようとして「あ」と思った。
「……そっか。そうだよね」
私は思い出した。三日前に幸之助を写真に撮ろうとしてスマホを構えた時のこと。
スマホの画面のどこを見ても幸之助の姿はないのに、画面から目を逸らすとそこに彼は確かにいて……。
そう……。レンズ越しに、彼の姿は映らなかったんだ。
彼がいる場所の写真は撮ったけど、撮れた振りをしただけ。
だからレンズには映らない彼が、鏡にだって映ることがないと言うのは、納得がいった。
実際に見て、触れて、一緒にご飯を食べられる。ぬくもりも包んでくれる柔らかさも確かに感じられるのに、記憶の思い出には残せても形ある写真の思い出に残せないのは少し寂しかった。
それでも、彼が最後に渡してくれたお守りは確かにここにある。これも形ある思い出になる。
「……来年。また絶対帰って来るからね」
ここに彼らはいないけれど、私は車を走らせながらもう一度誓った。
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