無自覚、無防備
私は目の前の状況に、どうしていいのか分からずにいる。
だって、想定していない状況が目の前で繰り広げられているから。
「おおお!? これは何ぞね!? このモロモロしとる赤いがぁは血か! わしにこの血まみれのゲテモノを食わせる気か!?」
「加奈子殿の作って下さったものにケチをつけるなら、帰って下さい!」
黒川家のお屋敷に移ってきて初日の夜。
あの後もご近所の方々がご厚意で色々持ってきて下さって、何もせずとも普通に生活できるくらいのものが揃った。フライパンから菜箸やお玉なんかの日用品だけじゃなく、消耗品や食料品なんかも一通り下さった。
だから私は分けて下さった皆さんに手作りで大福を作って配り、あとはこの家を快く提供してくれた幸之助の為にと思って手料理を振舞ったところだった。
本当は幸之助が用意してくれるって言ってたんだけど、私はそれじゃお礼が出来ないからって言って作らせてもらったんだ。ただ、昔の釜戸は使ったことがないから、そこだけは幸之助に頼んだんだけど……。
お菓子を作るのは得意だけど、食事となるとそんなに得意じゃないから簡単な物しか作れなくて、今日の夕食にミートソーススパゲティを作ったわけで……。
そしたら何でか鞍馬もこの家に上がり込み、我が物顔でくつろぎ始めるどころかそのミートソーススパゲティに興味、と言うより、もはやおぞましい物を見たと言わんばかりに騒ぎ立てている。
鞍馬がスパゲティをゲテモノだ何だと貶すものだから、幸之助が彼の事を説教してくれてるんだけど……。
悪いけど私、見たわよ。
一番最初にこれを出された瞬間の幸之助の、何とも言えない表情を。
「もういいわよ! そんなに言うなら食べないでも!!」
「か、加奈子殿!」
「いや、別に食わんとは言うてない! この物が何なのかを知りたいがじゃ!」
私が思い切り不機嫌に顔を顰めてスパゲティの乗った大皿を取り上げると、二人揃って慌ててそれを止めに来る。
二人揃って反応が酷い。でも、ここで引き下げたら意味がないわ。それに、これは洋食だもの。二人が見たことがないのは仕方がないか。
私はムスッとした表情のままもう一度皿をテーブルの上に戻すと、二人はどこかホッとしたような顔を浮かべた。
「これは、スパゲッティって言う食べ物よ」
「すぱげ……? そのすぱげっちゅうんは何なが?」
「だから、これがスパゲッティ。発祥はイタリアだと思うわ」
説明しながら私がそれぞれの皿に取り分けていると、鞍馬は眉間に皺を寄せたままその様子をしげしげと眺めて来る。もちろん、それは幸之助も一緒。
二人の前に取り分けたスパゲッティを置いて、フォークとかは使い慣れていないだろうからお箸を添えて、二人が座っているテーブルの反対側に私が座ると、鞍馬の質問攻めが始まった。
「うどんやないが? 確かにうどんよりは細いけんど……。で、この血まみれの赤いんは何なが?」
「血まみれじゃなくて、トマトよ」
「とまと? とまとちゅうんはつまり、色から察するに唐なすびの事か。ほいたら、こっちの茶色い塊は?」
「ひき肉」
「ひきにく? 肉を食うがか? えらいねゃ。こりゃ軍鶏か?」
「豚肉」
「ぶた!? ぶたち何ぞね? 牛やイノシシやないがか? ほいたらこの上の白いのは何ぞね?」
「粉チーズ……」
「こなちーず? ちーずとは何なが?」
「……」
休むことなく繰り返される怒涛のような質問攻めに、私はフォークを手にしたまま深い溜息をこぼした。
全然ご飯にならない。むしろ食欲無くすわ……。
「もう! いい加減食べたら?」
「そが言うたち、得体の知らんもんは知ってから食いたい。山菜や魚とは違うんじゃき」
何の悪びれもなくそう言う鞍馬の言い分は、まぁ、分からないわけでもない……。
でも、そんな矢継ぎ早に質問攻めにあったら色々面倒かも。
「今は普通に食べられている物だから大丈夫よ」
「変わった食いもんやきねゃ……。ほんま大丈夫やろか……」
「……」
疑わしい目でミートソーススパゲッティを見つめる鞍馬に、私は色々面倒くさくなってフォークをスパゲッティの山に突き刺して巻き付け、無言で彼の口に突っ込んだ。
「むぐっ!?」
「いいから食べてみなさいって!」
目を白黒させながら、強引に口に突っ込まれたスパゲッティを鞍馬はもぐもぐと食べて飲み込んだ。
その様子をどこか心配そうに見守る幸之助の様子がどこか落ち着かない。だけど幸之助が心配するのをよそに、鞍馬はパァッと目を輝かせて私の方を見つめてくる。
「こりゃごっつう美味いねゃ! こがな美味いもん、わしゃ初めて食うたぜよ!」
「あ、そうですか。じゃあ食べてください」
淡々と切り返した私のことなどおかまいなく、鞍馬は皿の上のスパゲッティにがっつき始める。
「幸之助も食べてみて。鞍馬がこんな感じなら大丈夫でしょ?」
「は、はい。では……頂きます」
鞍馬の食べっぷりを見ても、やっぱり恐々と箸を手に取り一、二本摘み上げて口に運ぶその様子は見方によったら確かに良い気持ちはしないけど、初めて口にするものならきっと私も同じ対応してると思う。そう思ったら一方的には責められない。
もぐもぐと口を動かして飲み込んだ幸之助は、耳をぴんと立てて目を輝かせながらこちらを見た。
「大変美味しいです」
「そう? 良かった」
私がにっこり笑ってそう答えると、幸之助も黙々とスパゲッティに手を付け始める。
それにしても、鞍馬は随分豪快でとても綺麗とは言えない食べ方をするのに対して、同じ興奮気味状態でも幸之助は綺麗な食べ方をするなぁ……。
相反する二人の様子を見ている間に、鞍馬は多めに盛ったはずのスパゲッティをぺろりと平らげてしまった。
口の周りはソースでベタベタだと言うのに全然気にしていないのは子供と同じだ。
私は自分のスパゲッティを口に運ぼうとして、ふと目の前の視線を感じて顔を上げる。するとそこには、目をキラキラと輝かせながら見入る鞍馬の姿があって……。
「……どうぞ」
「ほんまか! ありがとう!」
そんな顔で見られていたら、食べ難いじゃない……。
渋々そう言って差し出した私の分も、鞍馬はペロリと平らげてしまった。
「ぷっはぁ~っ! しょういごけんばぁ腹はっちゅう!」
お腹を叩きながら満足そうにごろりとその場に寝転がる鞍馬を見て、私は深い溜息を吐いた。
その隣では姿勢を正して正座のまま綺麗に食べ終えた幸之助が、そっとお箸を置いて両手を合わせ「ご馳走様でした」と頭を下げたのには、本当に対照的過ぎて笑えて来る。
「鞍馬、顔汚いわ。ちゃんと拭いて」
「何!? わしの顔が汚いやと!? 随分失礼やな!」
「別にあなたの顔が汚いって言ってません。汚れてるって言ってるの!」
「おお、ほうか。そらすまざった!」
そう言うと鞍馬は濡れた手拭いでグイグイと自分の顔を拭った。
ふと見れば、幸之助も少し口元が汚れている。まぁ確かに、ミートソーススパゲティってどんなに綺麗に食べようとしても多少は汚れるから仕方がないか。
「幸之助、あなたも……」
「え?」
私が手拭いを持って拭こうとすると、驚いた幸之助が目を瞬いた。自分でやる、と言うかと思いきゃ、「やって」と言わんばかりに目を閉じてじっとし始めたもんだから、虚を突かれた私が急に恥ずかしくなってしまった。
「……ご、ごめん。やっぱ自分でやって」
「はい」
幸之助はまたも不思議そうな顔を浮かべて目を開き、私から手拭いを受け取った。
「食器片づけて来るから」
そう言って空いたお皿を持ち水場に行くと、思いがけずバクバクと胸が早鐘のように鳴る胸を押さえて、熱くなった顔から汗が流れる。
な、何なんだ。幸之助は。あの無自覚な無防備さは殺傷能力高すぎると思う!
この先、どうなるのか……。先行きが不安に感じてならなかった。
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