陸奥の桜 3-1

「いい眺めですね〜」

悟は石川城の物見櫓から、津軽平野を一望していた。

「そうだろ!!そうだろ!!

さすがは、わしの城だ!」

信直の父、石川高信が自慢げに言った。

「けど、この城作ったのは、高信様じゃないですよね」

「細かいことは気にするな!!」

悟の指摘に対して、ガハガハと笑う。


永禄12年(1569年)、鹿角郡を平定し、東北地方において、北は下北半島から南は、陸中国(現在の岩手県)北上川の中流域にまで、南部家の支配下となった。

三戸は戦の気配もなくなり、落ち着いてきたので、悟は暇になり、善兵衛と共に石川城まで来ていた。

高信はとにかく豪快で、細かいことは気にしない性格なので、突然やってきた悟を歓迎して、城のあちこちを案内してくれていた。

「いい城にございますな。

津軽平野が一望出来ます」

善兵衛も目を細めて、遠くを見ている。

「高信様、私は思うのですが、十三湊(とさみなと)を拠点にして蝦夷地と交易をしていくのは、どうでしょうか?」

「十三湊か」

高信は顎に手を当てた。

「安東氏が支配していた頃は、日本でも有数の港として賑わっておりました」

「しかし、あそこは浪岡北畠氏が支配している。

北畠氏は我々南部氏の主筋に当たる。

勝手に手出しは出来ぬのだ」

陸奥南部家の始まりは、南部師行(なんぶもろゆき)が北畠顕家に従って、陸奥に来た。

師行は北畠顕家と運命を共にしたが、弟の政長が家を継いだ。

浪岡御所とも言われている浪岡城に住んでいる北畠氏は、北畠顕家の弟の顕信(あきのぶ)の子孫である。

「津軽は、大浦、北畠、大光寺の三豪族の影響力が強い。

特に最近では、大浦為信が力を強めてきておる。

わしの力では奴を抑え込むのが、精一杯よ。

本家が本腰を入れたら、大浦為信を従わせることも出来るかもしれぬが、ここのところの殿は気弱になっておる」

悟も善兵衛の土産を届けに、何度か晴政の元へ行ったが、元気がないようだった。

「老いを感じておられるのかもしれません」

善兵衛の言葉に高信は頷く。

「あの年で実子が出来ぬのは、可愛そうではあるが、そろそろ踏ん切りをつける時ではないだろうか」

高信の言う踏ん切りとは、信直に家督を譲り、隠居することだろう。

「身内贔屓かもしれぬが、信直なら大丈夫だとわしは思っている。

確かに武はないが、そんなもの他の者が補佐すればどうとでもなる。

北信愛という知恵者も側におる

南部家が一つにまとまれば、大浦為信など小さな存在に過ぎん。

奴がまだ小さな存在のうちに、芽を摘んでおくべきではないか」

「それを晴政様には」

「言えなんだ。ここのところ殿はわしを鬱陶しく思っているようじゃ」

そう言うと高信は寂しそうな顔をした。

「俺が言います!!」

悟が言うと、高信はいつも通りの顔に戻った。

「気持ちは嬉しいが、お前まで悪く思われるのは不本意だ。わしとてまだまだ踏ん張ってみせるわ!!

まだ74歳だ!あと30年は余裕だ!!!」

「未来の人間なら、100歳くらいまで働いて・・・はいないですね」

悟が言うと、得意げな顔をした。

「なんだ!!500年後の人間も大したことないな!」

「いや、高信様がおかしいんですよ」

そう言うと、高信は大声で笑った。





「どうだった?父上は元気だったか?」

三戸に帰ると信直から聞かれた。

いつものように、お茶と饅頭を用意している。

「はい。なんか、あの人は病気の方が怖がって逃げ出しそうです」

「はは、その通りだな。

けど、いつまでも頼りにしている訳にはいかない。弟の政信が今度行く予定だ。

父上の補佐をしっかりしてくれるだろう」

弟の政信の方は、悟はあまり知らない。

落ち着いた雰囲気の人という印象しかない。

「善兵衛、それよりも、大浦為信はこれからどう動くだろうか?」

「おそらくは津軽地方を手に入れるために、挙兵するかと。

まだ動かないのは、待っているからでしょう」

「待っているって何をさ」

悟の質問に、善兵衛は言いにくそうな顔をした。

「善兵衛、いい。悟、私たち南部氏は一族の連合体であり、その連合は固い一枚岩ではないのは、もう知っているよな」

知っていた。というよりも感じていた。

ここ1年過ごしてみたら、よく分かった。

氏族ごとに長がいて、土地と兵を持ち、それぞれの問題に各自で対応していく。

多分、鎌倉時代の武士はこういったものだったのだろうと、悟は思っていた。

しかし、それが時代遅れになりつつあるのは、織田信長が証明しつつある。

「私が恐れているのは、養父(ちちうえ)が亡くなった後だ」

善兵衛は思わず、肩を震わした。

信直の部屋だから大丈夫だとは思うが、悟も思わず周りを見渡す。

「そんなに緊張しなくてもいい。

常に先の事をことを考えおくのは、大切だ。

まして、養父はいいお年だ。

それでだ。養父に子どもが生まれなければ、跡取りになる人間が何人かいる」

信直は人差し指を立てた。

「1人目が私。南部信直だ。

南部晴政の叔父、石川高信の息子。

南部晴政の元に養子として入っている。

人間としての器は大したことないが、なぜか信愛のように慕ってくれている者がいて、それなりの力を家中に持っている」

今度は中指を立てる。

「2人目が、九戸実親(くのへ さねちか)

この人は、南部晴政の次女を嫁にもらっている。

義理の息子になるわけだ。

この人の兄は九戸政実だ。九戸党は、南部家の中では力のある一族で、特に当主の政実は、武勇に優れた武将として近隣諸国にまで名が広まっている。

もし、彼が弟を擁立しようとすると、南部家は分裂の危機を迎えることになるな」

薬指を立てて、三を作る。

「3人目は、八戸政栄(はちのへ まさよし)

彼は八戸南部氏の当主で、下北半島を支配している。義を重んじる男で、当主としての器も十分にある。

ただ八戸氏はずっと、内紛が起きていて、彼はそれの対応で国を離れることが出来ない。

それが片付けば、候補の1人になるだろう」

「うーん。難しいですね。

早いところ、信直様が当主になって、南部家をまとめればいいんじゃないですか?」

悟が言うと、苦笑いをした。

「みんながみんな、悟や信愛のように私を信用してくれてはいない。

九戸政実殿は、私を警戒しているようだしな」

「じゃあ、九戸政実と直接話してみましょうよ。

どんな人かは、話してみないと分かりませんよ。

話してみれば、きっと信直様のことを認めてくれますよ!!」

「素敵な考えだが、それも向こうが望んでくれなければ意味がないな」

「じゃあ、俺が九戸党のところに行きますよ!!

俺が九戸党の人たちに、信直様がどんな人かを話してみせますよ!」

信直は嬉しそうに笑みを浮かべたが、首は横に振った。

「お前は立場上は、私の小姓をしている。

未来から来たとはいえ、そのような立場の人間の話を政実殿は聞きはしないだろう」

信直は、シュンとなる悟に優しく声をかける。

「人間が心から通じ合うためには、体面や立場を取っ払うことが必要だ。

けど、それは本当に難しいことなのだ。

私はお前が自分のことを、最初から正直に話してくれたから、今こうやって互いに心の底から話せている。

大人になり、立場や守る者が出来てしまうと、そう簡単には話せなくなるのだ。

政実殿にも九戸党という守るべき存在がある。

彼は、なによりもそれを優先して守る。

それが当主としての役割だからだ」

そう言って、ようやく茶を啜った。

今日は饅頭に手をつける様子もない。

悟は、饅頭を食べない信直を見て、これは本当に難しい問題なのだと実感していた。

なにか、他に信直の好物はあったか、考えてみた。

美味しいものを食べれば、少しは考えもまとまるかもしれない。

「そうだ!!!

それなら、みんなで一緒に美味しいものでも食べながら、話せばいいんじゃないですか?

立場はあれども、みんな元は同じ一族なんでしょ?

とびっきり美味しいもの食べて、みんなで楽しく盛り上がれば、少しは仲良くなれるんじゃないですか?

あっ!!誰かのお誕生日会を開くとか。

そこでプレゼント交換とか、ビンゴをしてみればいいんですよ!!」

信直はそれを聞いて吹き出した。

しばらく、クスクスと笑っていたが、そのうち大声で笑い始めた。

「いいな。それは!

何かのおめでたい行事の時にでも、口実を作って一族みんなを集めてみようか。

盛り上がり、仲良くなれれば、それでよし。

上手くいかなくとも、別に損する訳でもないしな。

善兵衛、北から南まで、日の本中の美味しいものを集めてきてはくれないか?」

善兵衛はニッコリと笑って頭を下げる。

「承知致しました。この網干屋善兵衛、商人としての誇りにかけて、集めて参ります!!」

「口実はそうだな。

もうすぐ桜の季節だ。

みんなで桜を見ながら、美味しいものを食べないかと、これでいこう」

楽しそうに笑う信直は、まるで悪戯小僧のようだった。

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