第3話 ヘビの指
「みーこ、お父さんが後ろ持ってるから前だけ見て足を回せ」
私の自転車は、練習用にと父が荷台を取り付けたものだった。
バスの通る道以外はまだ砂利道がほとんどだった農道で、
一番最初にアスファルトに舗装した農道が、いつもの練習場所だった。
そこで私がやっと両方の補助を外すことに納得したのは、
自転車の練習をはじめて1時間ほどのことだった。
今まではどうしても怖くて、片方だけは補助を付けていたのが、
その日の練習で、補助を付けてるほうの荷台を父が少しだけ持ち上げて、
補助が浮くような形で練習をしていて、
どうやらこれなら乗れるかもしれないと、補助を取ることにしたのだった。
「みーこ、上手い上手い、これなら手を放しても大丈夫だな」
「だめだめ、ぜったいまだはなさないで」
手を放したとたん転んだらと思うと、なかなかその手を放していいとは言えず、
その日は結局、いつまでも父の手を借りて走るだけだった。
父が押す自転車に跨いだまま帰ってくると、裏庭に回る祖父の姿を見つけた。
昨日父と話したヘビを捕まえに行くんだと思った私は、
自転車を車庫の父の車の横に立てる私に、
「ちゃんと手洗いうがいをするんだよ」
と言い、玄関に向かう父に気付かれないように、祖父の後を追いかけた。
父は私がヘビに近づいて噛まれることが心配なようで、
いつもヘビに近寄るなと煩かった。
裏庭から河原へに行くには、一度堤防へ上がって下りなければならず、
階段にしたら10段もない高さの堤防に向かって斜めになっている部分に、
段を作って足を乗せる部分だけに木をはめ込んだだけの、
1人で通るのがやっとの階段を走るように上ると、
まだ堤防に上がったばかりの祖父に追いついた。
「じいちゃん、ヘビつかまえに行く?」
「おぅ、みーこおかえり。
そうだよ、みーこや純がヘビに噛まれたら大変だからな、ヘビを探してみるよ」
「いっしょに行ってもいい?」
「いいけど、草の中に入っちゃダメだぞ」
「うん、見てるだけだよ」
私の返事にうなづいた祖父は、川の上流に向かって堤防を歩いて行き、
堤防から河原に降りるために作られたコンクリートの階段のところで、
そこから下流に向かって緩い勾配になっている草むらに入り、
1mほどの棒で草を触りながら、足元に目をやりながら、
少しずつ下流に向かって進んだ。
堤防から河原に下りるには、その階段を下りることもあれば、
そのまま緩い勾配の草むらを5、6歩下り、
その先はコンクリートで舗装された勾配の部があり、
そこを走るように下りることもあった。
祖父はその草むらになっている部分のところを、
棒を使って念入りに調べるように進み、
ヘビがいたら捕まえようと、目を光らせていて、その顔はとても真剣だった。
私はといえば、あのヘビが出てこないかなと、
ワクワクしながらその行動を眺めながら、
祖父がヘビを捕まえる姿を想像していた。
祖父は、ヘビがその指を見たら逃げ出すといわれる指を持ち、
それは、「ヘビの指」と呼ばれていた。
その指はヘビの頭を持ちやすいように、
親指の第一関節が90度に反り曲がるという指だった。
その指は父も持ち、そして私も持つのだった。
祖父は3軒隣の裏堤防の辺りまで進んでいて、
その先には工事の車が河原に下りて行けるように、砂利が敷いてあり、
草の切れ目がある辺りにいた。
「ここまで見ていなけりゃ・・・」
そう祖父が言ったかと思ったら、急に私のほうを向き、
人差し指を口元に立てて「シッ」とやった。
私はすぐさま祖父の足元に目をやった。
すると、そこだけ草が揺れながら長く動いていた。
ヘビだ。
まだその姿はハッキリとは見えないが、その瞬間、私はぞわりとした。
祖父は身体を屈ませながら進み、その動きを目で追い・・・
と、「シュッ」と風を切る音がした。
草むらに一瞬だけ入り込んで持ち上げた祖父のその右手の親指には
ヘビの頭が摑まれていた。
三角の頭のヘビは、祖父の曲がる指にピタリと重なって収まっていた。
「じいちゃん、マムシだね」
三角の頭を持つヘビは毒を持つマムシだから気をつけるようにと、
物心つく前から何度となく家族から、
中でも母からは絶対に近寄らないようにと言い聞かされていたし、
薬屋さんに売るために干されたヘビの姿を毎日のように目にし知っていた。
「マムシだな。こんな近くに危ない危ない、
みーこたちが噛まれなくてよかったな」
祖父はそう言うと、
腰にぶら下げていた鉈入れを左側にずらし、鉈を鞘から抜き、
摑んだヘビの頭の下あたりに刃を当て、
ヘビを摑む手と鉈を持つ手をくるりと逆に一周すると、
鉈を腰の鞘に収め、ヘビの頭を掴んだまま左手の親指の爪で、
まるで台紙から剥がしにくいシールの端を掴めるようにかじったかと思うと、
そこを摘まんで右手を上にあげるようにして
左手を下に向かって一気に尻尾まで皮を剥いだ。
それを目にした私の背中はぞわりぞわりが続けてやってきていて、
ヘビは自分の躰をよじるようにぐにゃぐにゃ丸めるように暴れていたが、
ピンク色に剥かれたその躰の頭は祖父に強く摑まれたままで、
しばらくすると、その動きは緩やかになり、止まった。
祖父はそのヘビを摑んだまま、裏庭にある小屋に入って行った。
その小屋は、風呂を沸かすときに使う薪小屋で、
そこにはその他に、私の手でも折れてしまいそうな、
すごく細い竹がいくつも置いてあり、
その竹を一本抜き取ると、腰にぶら下げてた鉈をまた抜き出して、
竹の先を一か所、下から上に向かって斜めに鉈の先を滑らせ、
反対側の一か所に、スッと切り込みを作って鉈を仕舞った。
「みーこ、あっち向いてろ」
祖父はそう言って、私が顔を横に向けたのを確認して、
ヘビの首の下の皮を剥いたところに、その竹の先を差し入れた。
祖父は、それを薬屋さんに売るために
ヘビを干す準備をするんだと私にはわかっていた。
それをするところを私に見せたくないのだとわかったから、
顔を一瞬横に向けたが、
祖父にわからぬよう、少しだけ横にした顔を戻し、
目の端にそれをする祖父の指をとらえていた。
ヘビの首元に竹を刺して、まだ皮を剥いていなかった頭の部分を、
躰にしたように、その端を摘まんで頭に向かって剥き上げた。
その動きを目にし、また私はぞわりとした。
躰の全部がピンクになったヘビの姿は妙に艶めかしく私の目に映り、
少しだけ、可哀想になった。
祖父は器用にそのピンクの肉を竹に斜めにくるくる巻き付け、
尻尾の隅の部分を切り込みに挟むと、
軒下に干されたヘビたちの横に、まるでそこにずっといたように鎮座させた。
「じいちゃん、おくすりやさんよろこぶね」
軒下にはそのヘビを含めて5つものヘビの干物が並んでいて、
そのうち3つは、もうカラカラに乾いた状態で、
ピンクの肉はその躰のもうどこにも見えなくなっていた。
「そうだな、だけん薬屋はちゃんと乾いたやつしか持って行かないから、
今きても、売れるのはまだ3つだな」
じゃあ、あのヘビの穴のヘビをもっとたくさん捕まえて、
たくさん干せばいいのに。
どうしてあの穴のヘビをみんな捕まえないんだろう。
うじゃうじゃいるって言ってたのに、
それを全部捕まえないことが私にはとても不思議だった。
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