第12話 記憶の穴

「・・・どこ?」

「病院だよ。もうちょっと眠ったほうがいいよ」

うつらうつらする意識の中で、そんな言葉を交わしたような気がした。

 私は自分の頭の上のほうからその状況を見下ろしていた。

そこには、母がいて、白衣のお医者さんと看護師さん、

そして担任の先生が私の寝ているベットの周りに集まっていた。

「どうしたのかな?」

心の中で自分に問いかけるが、わからない。

 ただ、頭がものすごく痛く、身体を動かそうとすると気持ちが悪い。

そう思っているのに、私は頭上からそう思っている自分を見下ろしていた。

 どのくらいそういう状態でいたのかわからない。

どうしてそういうことになっているのかも覚えがない。

とにかく、混乱していた。

ただ、母が剥いてくれたリンゴが美味しくて、

ベットの上で、私はリンゴばかり食べていた。

家ではリンゴを一つ剥いても、みんなで食べると、

1切れか2切れしか食べられないのに、

ここだとリンゴ丸ごと一つ食べれるんだなと思って、

ここぞとばかり、リンゴばかり食べていた。

「明日退院できるみたいだから」

私の意識が戻って3日ほどしたとき、母がそう言った。よかった。

病院にいてもすることもなく、ただ流れるテレビをみるくらいで、

それだって、昼間はちっとも面白くなくて、

家から持ってきてくれる絵本なんかは、もう見飽きた。

 きぃちゃんから面白そうな本でも借りてきてくれればいいのに・・・

そう母に言ってみたら、なんだか怒ったみたいな、悲しいみたいな、

なんだか変な顔をして、

「ヒマだったら勉強でもしてなさい。勉強遅れてるんだから」

そんなこと言われても、頭が痛かったんだからできるわけないじゃん。

私はぶうたれた顔で無言の抵抗をするしかなかった。

 やっと退院できると思ったら、嬉しくて仕方がなかった。

ほんのちょっと病院にいただけなのに、私にはすごく長く感じたのだった。

そもそも、なぜ病院にいるのか、なぜ入院しているのか私にはわからなかった。

「それでね、お医者さんがまた来るから、聞かれたことにちゃんと答えるんだよ」

「うん」

 お医者さんは、いつ来ても特に何かするわけでもなく、

学校の話やきぃちゃんの話、まゆちゃんの話やケンちゃんの内職の話とか、

私がいつもどんなことして遊んでいるのかとか、そんな話ばかり聞きにきていた。

今日は何を聞きに来るんだろう。もういっぱい話したのに。

さよならをしにくるのかな・・・そんなこと考えていたら、

「みーこちゃん、こんにちは」

入り口の引き戸が少しだけ開いて、

手の平くらいの大きさのウサギちゃんが顔をのぞかせた。

「わぁ、ピンクのウサギちゃん」

そう言うと、お医者さんが顔を出して、

「退院のお祝いだよ」

と、ピンクウサギを私にくれた。

それと同時に、母が部屋から出て行った。

お医者さんと話をするときは、母はここにいないことが多かった。

 私はもらったウサギの長い耳が折れるのかなと思い、

片耳の半分を向こう側へ折ってみた。

その耳は、折れたり伸ばせたりができる柔らかいもので、

そういう人形を持っていなかったから、

これは純に取られないようにしなきゃと、ぼんやりそんなこと思っていた。

「みーこちゃん、今日はみーこちゃんが病院に来た日の話を聞くよ。

みーこちゃんは学校に行ったんだよね?」

「うん、学校に行ったよ」

「帰るときは、きぃちゃんと一緒だった?」

「そう、いつもきぃちゃんとかえってくるよ」

「じゃあ、きぃちゃんとはきぃちゃんの家の前でさよならしたの?」

「うん、バイバイした。でもすぐあそぶけどね」

「そうか、じゃあカバン置いてすぐ遊んだんだ」

「うん、田んぼでまちあわせだよ。ドーナツもらった」

「ドーナツ食べたんだね。美味しかった?」

「おさとうっぱいで、あま~くておいしいよ」

「ドーナツ食べてどうしたの?」

「ドーナツ食べて・・・」

「それからどうしたの?」

「それから?・・・う~んと、ともちゃんのおばあちゃんを見た」

「ともちゃんのお祖母ちゃんかぁ・・・お話したの?」

「ううん、とおくにいたから」

「話が戻るけど、ドーナツ食べて、ともちゃんのお祖母ちゃんを見て、

それからどうしたの?」

「それから・・・・・それから・・・・・わかんない」

「きぃちゃんとバイバイした?」

「きぃちゃんとバイバイは・・・・・ドーナツたべて・・・・・」

 どうしたっけ?なんでわかんないんだろう・・・

私は、わからない自分が不思議だった。

どれだけ考えてもわからない私を見て、

「じゃあ、ともちゃんのお祖母ちゃんの他に誰かを見なかった?誰かに会わなかった?」

「う~ん・・・・・わかんない」

 私はウサギの耳を何度も何度も、折り曲げて伸ばしてを繰り返していた。

なんだか手がじんじんしていて落ち着かなくて、

まだお話し続くのかな・・・なんだか気持ち悪くなって、

「きもちわるい・・・げーしそう」

「ごめんねごめんね、疲れちゃったね。

いっぱいお話しすぎちゃったね。お水飲もうね」

そう言って、ベットの横のテレビの下にある冷蔵庫から、

お水のペットボトルを出して蓋を取ってくれた。

「おいしゃさん、ドーナツたべたあとどうしたのかしりたいなら

きぃちゃんにきいてみて。そうすればどうしたのかわかるでしょ」

「そうだね、きぃちゃんにきけばわかるよね」

 そうだよ、きぃちゃんに聞けばいいのに。

そうすればどうして私が病院にいるのかもわかるんじゃないのかな。

そうだよ、きぃちゃんが来られたら入院ももっと楽しかったかもしれないのに、

普通は友達が入院したら、お見舞いに来るんじゃないのかな・・・

窓の外に広がるどんよりとした空を見ながら、きぃちゃん何してるかなと思っていた。

きぃちゃん、私が入院してるうちにまゆちゃんともっと仲良くなって、

また私をのけ者にしたりしないかな・・・

 そうだ、おじさんと石投げもいっぱい練習して、

もっともっと、私よりずっと上手に跳ばせるようになって、

私にできないこと、いっぱいいっぱいできるようになっちゃう・・・

 そう考え始めたら、こんなところにいつまでいればいいんだろう?

そもそも私はなぜ入院しているんだろう?

考えれば考えるほど私の頭は混乱し、気持ち悪くなり、

飲んだお水を全部吐いてしまった。お昼に食べたものも、全部一緒に。

 明日退院できるってお母さんは言ってたけど、

こんなに吐いたら、退院できなくなるんじゃないかと思い、

私は何かよくない病気にかかっているのかもしれないと思い、

とても怖くなった。怖くなって、怖くなって、また意識が遠のいていった。

 どのくらい眠っていたんだろう?

気が付いたら朝で、看護師さんがご飯を持ってきたところだった。

「みーこちゃん、おはよう。目が覚めたらお熱計ろうね」

看護師さんは、ベットの机に朝ご飯を置きながらそう言って、

ポケットから出した体温計を私の脇に挟んでくれた。

もう朝なんだ。ぼんやりとそう思い、ずいぶん長く眠っていたような気がしていた。

看護師さんは手首のところを触りながら腕時計を見ている。

これは脈を取っているんだと、一昨日聞いたとき話してくれた。

ピピッピピッピピッ

「うん、熱はないね。朝ご飯食べられる?」

「うん、食べられる」

そう言われて気が付いた。お腹がとても空いている。

「じゃあまず歯磨きと顔を洗ってこようね」

 ご飯とお味噌汁、ハムとタマゴとお新香と牛乳と、

なんだか学校の給食みたいだなと、ご飯のたび、出てくるものを見てそう思っていた。

でも、どれも多すぎて全部は食べられない。

「いつもごはんおおいんだよね」

「そう?でもみーこちゃんくらいならこのくらい食べないと大きくなれないよ」

「大きくなるより太っちゃうよ」

「あははっ、もうそんなこと気にしてるの?

いっぱい食べて、元気いっぱい遊んでいれば、太ったりしないから大丈夫よ」

看護師さんは適当なことを言ってくれる。

「きぃちゃんもまゆちゃんも太ってないから、私もきをつけるの」

「そっかそっか、きぃちゃんもまゆちゃんもみんな元気に遊べば太らなくていいよね」

2人の名前が出て、私はまた不安になり始めていた。

「私、今日たいいんできるんでしょ?」

「そうだね、そう聞いてるよ」

「よかった。たいいんしたらきぃちゃんとあそべるから」

「きぃちゃんと大の仲良しなんだね」

「そうだよ、いつもいっしょだよ」

「あとからお医者さんがくるからね。それで診察してから退院だから。

もうすぐお母さんがくると思うから、もうちょっと頑張ろうね。

あ、それから、もうちょっとだけ頑張って食べてみようね」

そう言って、部屋から出て行った。

 今日、退院できる。

そう思ったら、嬉しくてもりもり食べられそうな気がして、全部平らげてしまった。

看護師さんの言ったとおりだ。全部食べられちゃった。


「ただいまー」

そう言葉をかけるのが早いか、

「おねーちゃん、おかえり~」

の声が早いか、どっちだろう?というタイミングで声が聞こえた。

純が待ちかねたように玄関で待っていてくれた。

 朝、看護師さんがご飯の片づけをしてくれたと思ったら、

お医者さんが来て、お腹や背中や喉や目を診て、おでこに手を当てて、

「よし、退院だ」と言った。

母が来てからは、あれよあれよと片づけや着替えをして、

看護師さんに「さよなら」をして、家に帰ってきたのは、土曜日の午前のことだ。

「今日は静かにしていなさいよ。明日も家で大人しくして、

月曜になったら学校に行こう。朝はお母さんと一緒にね」

「えー、いつもみたいにみんなで行くからいいよー」

「ダメダメ、月曜日はお母さんと行くからね」

 そしたら、まだ3日もきぃちゃんと遊べないじゃん。

「お母さん、ごごはきぃちゃんとあそべるかな?」

「今言ったこと聞いてなかったの?今日は静かにしてるの!」

「おねえちゃん、きぃちゃんいないよ・・・」

の純の声に被さるように、「純!」と大きな声がした。

「うわ~ん・・・」

大きな声で怒られたと思った純が泣き始めた。

どうしたんだろう?お母さん、なんか変だ。

きぃちゃんがいないって、どういうことだろう・・・

「じゅん、きぃちゃんがいないって、なに?」

「みーこ、そこに座って。じゅんはお部屋に行ってなさい」

いつの間にか純が手にしていたピンクのウサギを取り返し、

母が指さしたソファへと腰を下ろした。

 母はついていたテレビを消し、私の横に座って、

膝の上でウサギの耳を折ったり伸ばしたりしていた私の手を、

「やめなさい」とでも言うように、母の手が包み込んだ。

「あのね、みーこが病院に行ったのは火曜日でしょ?

火曜日、学校から帰ってきて、きぃちゃんと遊んだよね。

新田の田んぼで待ち合わせって言ってたよね?」

火曜日だったかなぁ、月曜日だったかな・・・

「かようびだったかなぁ・・・まちあわせしてあそんだ」

「そうだね、遊んでからきぃちゃんとバイバイした?」

「バイバイ?した?でもかえりはいつもバイバイするからしたと思う」

「みーこ、病院で目が覚めたでしょ?

みーこは、田んぼから救急車で病院に行ったんだよ」

 初めて聞かされたことだった。

私は田んぼから病院に行った?救急車に乗って?全く覚えがなかった。

「えー?田んぼでおねつが出た?」

「そうだね、お熱があったね。

みーこは田んぼから道路に出たところで倒れてたんだよ。

田んぼっていうか、正確には三角の畑の階段上った辺りでね、

中学生が学校の帰りに通りがかって見つけてくれて、

すぐそこの井上さんのおばさんを呼んでくれたの。

それで、おばさんが声をかけても起きないから、

おかしいと思って救急車呼んでくれたの。

その間に中学生の子がお母さんを呼びにきてくれて、

お母さんがそこに行ったとき、そこにはみーこしかいなかったんだよ。

一緒にあそんでたきぃちゃんがいないけど、みーこが熱出して、

誰かを呼びに行ってくれたのかなと思ってね、

井上さんにきぃちゃんの家に行ってもらったんだよ。

でも、きぃちゃんがいなくてね・・・

きぃちゃん、その日から帰ってこないんだよ」

 きぃちゃんがいない?・・・いない・・・・・

・・・ぞわりとした。

「きぃちゃん、どこいった?」

「わからないんだよ。みーこ、田んぼできぃちゃんとバイバイした?

誰かほかに一緒に遊んだ?」

 母はお医者さんと同じことを聞いた。

そうか、お医者さんが聞いてたことって、これだったんだ。

きぃちゃんを探してたんだ。私の病気を心配してたわけじゃなかったんだ。

「きぃちゃん、どこいった?」

同じことをまた聞いた。

けれど、その返事を誰かがしてくれるはずもなかった。

きぃちゃんがいなくなるまで一緒に遊んでいたのが私だ。

 必死で思い出そうとした。

お医者さんに言ったときのように、あの日の出来事を思い出しながら声に出した。

「学校からかえってきて、お母さんにしゅくだいやった?って、

きぃちゃんがまってるから、田んぼにいったらきぃちゃんがもうきていて、

ドーナツ食べて、・・・ともちゃんちのおばあちゃんがいて、

それから、それから・・・それから・・・」

「みーこ、大丈夫だよ。そうだね、みーこは熱が出て、そこで眠っちゃったんだよね。

だからそこまでしか覚えていないんだよ。

きぃちゃんが誰かを呼びに行って、それでいなくなっちゃったんだよ」

 そんなこと全然知らなかった。

一緒に遊んでいたきぃちゃんが、あの日、忽然と姿を消してしまった。

私は、どんなに頑張っても、ドーナツ食べていたことまでしか思い出せず、

「わかんない・・・きぃちゃん、・・・ごめんね、きぃちゃん、わかんないよ・・・」

悲しくなって、涙がいっぱい流れていた。

だけど考えるとまた気持ち悪くなってくるような気がして、私は考えるのを止めた。

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