第23話 穴



 久保先生に相談を持ち掛け、その後の校長教頭を交えた話から、しばらく様子を見ることになった。

嘘なのかどうか、確認しなければいけないこと以外は、信じることにしたのだ。

まず、今までの様子から、本人に嘘をついているという自覚がなく、現実のことと思い込んでいるので、否定してしまうのは千絵ちゃんの精神面に傷をつける不安がある。

それに、成長していくにしたがって、妄想だとか想像だとかは、それだとちゃんと理解していけるようになるかもしれないという期待を込めての話で、様子を見て、改善されて行かないようなら、これは専門の病院にいくことになるのかと思う。

 ただ、父親のほうが、自分の娘の状態について理解がついていかないようだ。

娘が嘘など言うはずがない。

自分が妻に対して殴る蹴るといったことをしているんだと言われても、それはそれを聞いた私の作り話だと言い出すほどで、こうした威圧的なところがあるこの父親が、多少なりとも影響しているのではないかと思わないこともないが、そういうこともあっての、様子を見ながらということで、確認しなければならない嘘は、相手がいる場合は、相手が同級生などのときは、話のすり合わせから千絵ちゃんの様子を見るといった感じでやってみようという話に落ち着いた。


 この話をしていく中で、私は自分のことを振り返る時間が多くなった。

自分のことというか、嘘だとか妄想が人の中で現実になることがあるということで、そんなことがあるものなのかと、自分の子供の頃のことを思い返そうとすると、どうしてもきぃちゃんのことに思いは行ってしまうのだった。

「ヘビの穴」にヘビがたくさんいると、母に言われて信じ込んでいたこと、きぃちゃんに嘘だと指摘されたこと、嘘じゃないと言い返した私のこと、その後に起きたことと記憶をなくしたこと、思い出したことを誰にも話さなかったこと、知ってることを話さなかったこと、そんなことを思いながら、黙っていることは嘘をつくこととは違う、知ってることをわざと話さないことは嘘をついてることと違う・・・そう自分に納得させたりもした。

それに、嘘は嘘だと、ちゃんと自覚しているはずだ。

 私は、妄想だとか想像だとかが現実にあったことと思い込んでいたりしない・・・はずだ。

しないはずだ。

そう思った瞬間、何か胸のあたりにぞわりと感じた。

 私は思い出した。

あの日に、何が起こったのか。

あれは、間違いなく、私の消えていた記憶のはずで、そこに間違いなどあるはずがない。

なのに、心の中の千絵ちゃんが、私に何か言いたそうにしているような気がしてならない。

心の中に、何か錘のようなものが沈んでいることに目を背けている自分に気付きそうになることを、必死で抑え込んでいるような、ともすれば、吐き気に襲われそうになる前に、そうなるはずがないと言い聞かせるように意識を別のところに飛ばしているもう一人の自分がいることに気付いていた。

 この、胸の中の墨汁を垂らして黒く塗りつぶしたところに、なにがあるのだろう。

千絵ちゃんの心中に思いを馳せるようになってから、敢えて意識してこなかったその部分に問いかけなければいけないかもしれない、それができたら、千絵ちゃんの心にあるものに触れることができるのではないかと思うようになっていた。

 そして、それをしようとすると、猛烈な吐き気に襲われる、子供の頃に経験したそれを思い起こさせられ、またもや目を背けようとするもう一人の自分が顔を出す。

 先延ばしにしてきた、あの穴を見に行くということを、いよいよしなければいけない。

鹿児島から帰って、すぐに行こうと思いつつ、忙しさにかまけて、まだ行けずにいる。

いや、いつも行けない理由を、こんなふうに私は作ってきたのだ。

あそこに何があるのか、いや、きっと何もないんだろう。

私が見なければいけないのは、きっと形があるものではないのだろう。

そして、穴を開けて見たところで、何が変わるというわけでもなく、心の塗りつぶしたところが透けて見えるようになることもないんだろう。

 そうしたこと全てわかった上で、それでもあの穴の中を、蓋を取って見る必要があるような気がする。

 もう、何かに捕らわれたままの自分でいたくない。

たぶん、それがその一番の理由だ。

それを私はいつも、どこかにいるきぃちゃんを探すんだという気持ちとすり替えてきた。

おじさんの家の小屋を見るということだって、おじさんたちが越して何年が経っても、私はまだそこにこだわっていた。

まるで何かの時間稼ぎのように。

 時間稼ぎ?

どうしてそんな言葉が出てくるのだろう。

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