第24話 落とし穴


「そうそう、あんたたちが幼稚園の頃、2人で遊んでて、きぃがジュースを出して一緒に飲んで、それがお酒だったもんだから、2人して酔っぱらって大変だったことがあったっけね」

「その話、お母さんもしてたことがあったけど、全然覚えてないよ」

「そうだらねぇ、2人してここであっかい顔して、グーグーいって寝てて、2人そろって熱出したのかと思って慌てたっけねぇ」

「お酒といえば、私はあんまり強くないんだけど、それが原因かな?」

「そうかもねぇ」

そう言って笑うおばさんは、私の母とそう歳が違わないのに、もうお婆さんのように見えて、なんだか鼻の奥がツーンとなった。

「そうそう、今日はシゲが家族で帰ってくるんだよ。みーこちゃん会ってやってね」

「シゲちゃん、結婚して新しい家族ができたんだね。シゲちゃん、最後に会ってからどのくらい経つんだっけかな・・・」

「そうだね、みーこちゃんはお祖母ちゃんのお葬式にきてくれたっきで、もう10年以上も・・・もっと前かね」

 シゲちゃんと最後に顔を合わせたのは、シゲちゃんのお祖母ちゃんの葬儀の時だった。

きぃちゃんがいなくなったあの日から、シゲちゃんとはほとんど口を利いていない。

何度か話しかけられたり、話しかけたそうにしていたけれど、いつの間にか姿すら見なくなっていた。

 5歳年の離れたシゲちゃんは、あの次の年には中学生になり、学校で顔を合わせることもなくなり、高校で県外の寮のある学校へ行き、そのまま大学就職と、家から離れていて顔を合わせることすらなくなっていたのだった。

もう、顔すらうろ覚えだという具合だ。

「お婆ちゃんにお供えもの、ありがとうね」

「ううん、いっぱい可愛がってもらって、よくこの縁側で日向ぼっこしてたなって、今思い出してたところだった。庭の畑もあの頃のままで、今もいろんなもの作ってるんだね」

「そうそう、大根も大きくなってるからこいでくるで持って行くといいよ」

「うん、ありがとう」

そういって、縁側から庭に下りたおばさんが、畑の中に入って行き、いい具合に育っている大根を1本2本と抜き始めた。

 鶏の小屋はいつの間にかなくなって、そこは私の家のように、離れの建物になっていて、1階が農機具小屋、2階が部屋になっているようで、きっとシゲちゃんが使ってたんだろう。

この辺は田舎なので、敷地が広く離れを子供たちが使う家が多いのだった。

「おばさん、鶏は全部つぶしちゃったの?」

「いやぁ、小屋を建て直すときに3羽ばか大きいかごを被せられるだけ置いただよ、家で食べる分だけ産んでくれりゃあいいと思ってね。だけん、それももう全部のうなったでね、今はいないよ」

畑から抜いてきた大根を新聞に包みながら庭先に置いて、外の手洗い場で手を洗い始めたおばさんが、「ほれ」と言って、庭の隅っこに置いてた、もうだいぶ古くなった大きなかごを見せてくれた。

「朝の産みたての鶏のタマゴ美味しかったよね」

「そうだね、きぃも大好きだったでね、鶏が生きてるうちに食べさせたいっけねぇ」

「―――おばさん、私、一緒にいたのに・・・ごめんね、わからなくて・・・」

「ううん、いーさぁ、みーこちゃんもまだ2年生だっただもん、あんたも、わけわからなくなるようなことが、きっとあっただねぇ。怖い目にでも遭っただよね」

 心の中でおばさんに、思い出したことを話さないことを詫びながら、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

けれど、どうしても思い出したことを話せない。

私は怖いのだ。それを知ったとき、みんなが私をどう見るのかが・・・

そしてきっと、責められるのだ・・・ものすごく・・・そして、憎まれる・・・

せっかくつかんだ、教員という仕事だって、続けられるかわからなくなる。

そう考えると、怖くて怖くて仕方がなくなる。最低だ、私は。

「シゲちゃん、何時頃に来るの?」

「そうだね、車で来るで、道が混んでりゃあ夕方近くになるかもしれんねぇ」

「そっか、じゃあ私は一旦帰るね」

「ありがとね、お祖母ちゃんもみーこちゃんがきてくれて、喜んでるよ」

私は仏壇のお祖母ちゃんにも、手を合わせながら「ごめんなさい」と詫びた。

 今日、あの穴を見てこよう。

唐突にそう思った。

いや、そうしなければいけないと思っていたから、今日、きぃちゃんの家を訪ねたんだろう。

自分の行動に理由をつけるとすれば、今日の行動の理由はそうなるのだ。

行かなきゃいけないと思ったから、今日、ここにきた。

 私はもらった大根を持ち、一旦家に帰り母に渡すと、

「あら大根、ありがたいねぇ。早速煮るかね。ぬか床にも入れとこうかね」

 母がとても若く見えた。

今、きぃちゃんのお母さんに会ったばかりだから、より母の若さが際立ってしまったのかなと思った。

ものすごく悲しくなり、込み上げるものを誤魔化すために、私は思わず笑った。

「しばらく毎日大根だね」

それだけ言うと、急いで2階へ向かった。


 今でもノートに挟んで持ち歩いている「こわいおはなし」をカバンから取り出して、仕事に行くときジャージなどが必要な時に持って行く手提げにそれだけ入れると、私は三角の畑に向かった。

 そこは、今では毎日のように自動車で通る道路のすぐ横に2mほど下がって畑はあるのだけれど、毎日のように通るのに、敢えて意識することなく、あの日以来足を踏み入れていない場所だった。

 そこに行く前に、あの日のように、きぃちゃんと遊んだゴザを敷いて遊んでいた田んぼに行き、立ったまま、開き癖がついていた「おろち」のページを開いた。

 開き癖は今でもあって、「こわいおはなし」の本だけは、あれから時間が止まったまま、そこにあるようだった。

 おろちのページを開きながらも、意識はもうすでに三角の畑、ヘビの穴にあるのだった。

 行こう、行かなきゃ、自分を奮い立たせるようにして顔を空に向け、ひとつ頷くと、三角の畑に向かって歩き出す。

心臓がドキドキしてきた。

まるであの日のようだ。

いよいよヘビの穴の蓋を開けて、タマゴをヘビにあげてみるんだと、きぃちゃんと2人でワクワクしながら向かった三角の畑に一人で向かう。

 あの日のように、階段になっているところを下りて行く。

階段は、あの日とは違って、随分としっかりしたものに作り替えてあり、あの日に見たミニトマトやキュウリは季節の変化とともに消え、代わりに白菜や白ネギが育っており、半分くらいはもう採ってあった。

 それらの脇を通り進むと、あの日見たままの・・・いや、だいぶ古くなってるのか

でも、記憶にあるままの形で、それはそこにあった。

 「こんなに小さかったっけ?」

思わずそうつぶやきが出てしまうくらい、それは記憶にあるものより小さく見えた。

「よし」と、自分に言い聞かせるようにして、蓋の両側にある取っ手に指先をかけると、あの日にも感じたように、思ってた以上に力を込めることなく、それを浮かせることができた。

「確かに、これじゃあ子供が開けちゃったら危ないって思うのも無理はないな」

大人になって、その目線で感じたことは、きっとあの頃の母と同じだったんだろう。

「ふぅー」っと息を噴き出してから、その蓋を横にずらした。

 ぞわり。

 黒い穴がそこに見えた途端、ぞわりを感じた。

「タマゴ・・・忘れちゃったな」

なぜか、ふとそう思った自分が可笑しくて、誰もいないのに、はにかんで見せたりした。

 私は、地面に膝をつき、穴の両側に手をついて、穴の上からそこを覗いて見た。

けれど、あの日と同じで、ただ暗いだけで、よく見えない。

 もっとよく見えるようにと、顔を穴の中に入れるようにして、覗いて見る。

マンホールのように、筒のようになっている部分が少しあり、その先はその筒よりも広くなっていて、テレビで観た、あの洞窟の入り口のようになっているんだなと、あの日には思わなかったことが、大人になった今見てみると思うこともあり、その過ぎてしまった年月を、そんなことで感じてもいた。

そして、どんなに目を凝らして見ても、穴の底にはあの日と同じように、水が溜まっているだけだった。

ヘビの穴か。

あの水の中に、まだあの日に落としたタマゴがあったりするのかな。

そんなこと考えて穴の中を見ていたら、「みーこちゃん」の声と共に、背に小さな手の平を感じた。


ぞわり。


と、肩がビクンとなり、身体を起こして振り返ると、そこには、

「きぃちゃ・・・・・」

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