第16話 記憶



「みーこ、まだ起きないのー!?遅刻しちゃうよー!」

階段の下で、母が大きな声で呼んでいる。

さっきもこんな声が聞こえていたような気がする。

ということは、そろそろ怒り出すはずだ。

夢の中でも私には母が呼んでる声はちゃんと聞こえていた。

私が見ていたのは、またあの夢だった。

 三角の畑には穴があって、そこにはヘビがうじゃうじゃいて、落ちたらお腹の空いてるヘビたちに食べられちゃうよ、絶対に開けたらいけないよと母から言われた穴の蓋を、私はきぃちゃんと開けていた。

 夢は、しばらくはきぃちゃんが穴を覗いているところで目覚めていたものが、私がきぃちゃんの背中を押すところまで見るようになったり、あるときは、穴を覗いていた私の顔めがけて、穴の底からきぃちゃんが飛び出してきたり、その穴にいるきぃちゃんが私を引きずり込もうとしたりと、夢の中でうなされることが増え、朝起きても、頭がぼんやりしていることが多くなっていた。

 そんな姿を目にして母は、きぃちゃんがいなくなったり、まゆちゃんが引っ越したりとで、私が寂しがっているんだろうと思ったようで、家族でよく外に遊びに連れ出してくれた。

 お弁当を持って、父の運転する車で遠くの公園に出掛けたり、泊りがけで遊園地に行ったり、誕生日にはクラスの子たちを大勢呼んでくれたりして、そういうときはとても楽しくて、楽しんだ分だけ、悲しくなることが多かった。

 誕生日の時は、特にそうだった。きぃちゃんと私の誕生日は、1週間ほどしか違わない。

静かにその日を迎えているであろうきぃちゃんの家族のことを思うと、私はお祝いなんてしてもらっていいんだろうかと、なんだか悪いことをしている気にさえなっていたのだった。 

 そしてそれはきぃちゃんがいなくなって、ちょうど1年が経つ頃のことだった。

きっかけは、私が頭を下にして穴の中に向かってぶら下がっている夢を見たことだった。

「おちる」と思って跳び起きた私は、抜け落ちていた記憶と共に、きぃちゃんの背を押した感覚が手の平に蘇ってきたのだった。

 汗だくでベットの上に飛び起きて、手の平を見て、私は指先から、足先から、身体が震えてくる自分を抑えきれずに、枕を抱えて震えを止めようとしたけれど叶わず、声をあげて泣きそうになる自分を必死でこらえ、声を出さずに静かに涙を流していた。

 瞬時に、これは誰にも知られてはいけないと判断したからで、それは恐怖からくるものだった。

「誰にも言ったらいけないよ」

これは私にとって、強力な魔力を持つ言葉だった。

 あの日、きぃちゃんに「うそつき」呼ばわりされ、お母さんもおじいちゃんも嘘つき呼ばわりされ、みんなに全部バラすと言われ、私の頭の中がぐるんぐるんして、母に絶対誰にも言ったらダメだと言われたこと、それを破ってきぃちゃんに話してしまったこと、だから誰かに話されたら困るということ、それよりなにより、ヘビがいないと嘘つき呼ばわりされたことでカーッとなった私は、穴を覗き込むきぃちゃんに、

「うそじゃないもん。もっと近くで見てきなよ」

そう言って、背中を両手で押して、穴に落とそうとしたのだった。

 その時の私は妙に冷静で、首をぐるっとさせ、人がいないか周りをざっと見てから背を押していて、口から出た言葉は自分じゃない誰かの声のようにさえ聞こえた。

 「やめてよ」

 一瞬、身体がガクンとするような反動があったけれど、膝を地面につけ両手を穴の淵に置いていたきぃちゃんは、私が押したくらいじゃあ落ちたりしないとでもいうように、強い力で踏ん張っていた。

「やめてよ、やめて、おちちゃう・・・」

「うそじゃないよ、ヘビいるから見てくればいいじゃん」

「やめて、やめて・・・」

 と、きぃちゃんの背を押す手が、背中から離れていき、あれ?なんで離れるんだろうと思うと同時に、ふわっと私の身体が持ち上がった。

 畑に植えてあるミニトマトが見えて、あ、あれはもう赤いから採らないとだなと、そんなこと思っていたとき、

「危ないじゃないか!」

ぞわり。

 声が背中に聞こえたかと思ったら、風景がぐるりと1回転し、真っ暗になった。

 その直前、きぃちゃんの真っ赤になった泣き顔が逆さまに見えた。

 誰かが私の足首を持っている感じがしたけれど、それより私は頭に血が下がっていくのがわかった。

 体育の時間、壁に向かって逆立ちするときのような、逆立ちして友達に足を持ってもらっているときのような、そういうときに頭に血が下がっていく、あの感じがした。

 真っ暗だ。逆さまだ。頭を動かして反対側、足の方を見上げようとしたけれど上手くいかない。

反対に、頭の下を見た私の目に飛び込んできたものは、穴の中の水だった。

「あ、あ、あ、・・・あぁぁ――――あぁぁ―――」

穴の中に向かって逆さまに宙釣りにされているんだと思った私は、「落とされる」という、ものすごい恐怖で大声で叫んだけれど、その声は穴の中に向かっていき、反射して自分の耳に大きな木霊になって聞こえてくるだけだった。

怖さで、足をばたつかせることもできずに、でも、手だけは両側の壁を自分が落ちないように腕で押さえるような形で力を入れ、あとはただただ声をあげて泣いていた。

 頭に血が下がっているからだろうか、だんだん気が遠くなっていくような感じがした。

 遠くで話し声が聞こえる気がした。

土の匂いがして顔をあげると、ものすごい怖い顔をした牛乳屋のおじちゃんがいて、

「いいか、二度とこんなことするな!こんな穴に人を落とそうとするなんて、人殺しのすることだ。

お前は人殺しだぞ!わかったか?」

 私は引き上げられたようで、土の上に寝かされていた。

頭の下には、きぃちゃんの手提げのバックが敷かれていて、おじちゃんの顔を見た瞬間、恐怖がじわじわと蘇ってきて、「あぁ・・・」と、声を上げそうになった瞬間、強く口を押えられ、「あぁ・・・」の声がそのまま頭へものすごい力で突き抜け、顔がカァーっとなり涙が溢れ出てきた。

「しっ、静かにしろ」

「いいか、人をこんな穴に落とそうとしたらダメだぞ。自分がやられて怖かっただろう?二度とやっちゃダメだ。人殺しになるんだぞ!お前は人殺しになるところだったんだぞ!」

 私はただただ頷くことしかできなかった。怖くて怖くて、身体中が震え、涙が溢れて止まらなかった。

しゃくりあげている私を睨みつけながら、きぃちゃんが

「人ごろしだ。みーこちゃんは人ごろしだ。人ごろし、人ごろし」

きぃちゃんがそう言いながら、私の給食袋を穴の上にかざし、投げつけるように穴に落とした。

「いいか、今日のことは誰にも話しちゃダメだからな。わかったか?話したらお前が人殺しだって、言いふらしてやるぞ。わかったな!」

ものすごい怖い顔をしたおじちゃんが、私を睨みつけながらそう言った。

 優しいおじちゃんが、いつもケンちゃんの家で優しい顔して話してくれるおじちゃんが、お母さんのクッキーを美味しいって言ってくれたおじちゃんが、こんなに怖い人だったなんて、私はただただ、しゃくりあげながら頷くことしかできなかった。

 おじちゃんは、穴の蓋を閉めて、きぃちゃんの耳元で何か言ったかと思ったら、きぃちゃんが手提げを持って、三角の田んぼから道路に出て、行ってしまった。

 きぃちゃん、待って、待って、一人にしないで、誰にも言わないで、うそつきじゃないもん、ヘビはいるから、待って、行かないで・・・おじちゃんと2人にしないで、怖いよ、怖いよと、自分がきぃちゃんを穴に落とそうとしたことなんてまるでなかったかのように、都合よくきぃちゃんに助けを求めた心は声にならないまま、私はしゃくりあげながらきぃちゃんを追いかけて・・・


 そこで私の記憶が途切れている。

次に気付いたとき私は病院にいて、都合よく全てのことを忘れてしまっていた。

穴に落とされそうになった恐怖のあまり、心と身体のバランスが崩れてしまったのだろうか・・・

 ただ、「誰にも言ったらダメだぞ」のおじさんの言葉が強烈に私を支配していたと思う。

それに、「ヘビの穴のことを誰にも話したらいけないよ」という母の言いつけを破ったから、あの出来事に結びついたんだと思っていたから、私にとって、言った人が誰であれ、「誰にも言ったらダメ」と言われたことに対して、それを絶対に守る、守らなければいけないという強い気持ちが、その出来事で備わってしまったようだ。

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