第2話 ヘビの穴
「ここはヘビの巣だからね、蓋を開けたらふか~い穴があって、
そこにはたくさんの蛇がいて、落ちたらもう二度と上がってこられないからね」
実家は兼業で、母は畑仕事をしていることがほとんどだったから、
小さな私はよく、母について畑にいることが多かった。
田園風景の広がる一角に、小さな溝があって、その上に小さな橋を作るときに、
まるでそこだけ仲間外れのように三角形になった畑があり、そこは私の家の畑で、
橋の陰になっていて、周りから少しだけ見難くなっていた。
「見せて見せて」
私は蛇と聞いて、半分の怖さとそれ以上の興味で、
それが見たくてたまらなくなって、母にそう強請った。
「ちょっとだけだよ。全部の蓋を開けると落ちちゃうからね」
そう言って、母はその蓋を少しだけずらしてくれた。
「まっくらでなんにも見えないよ。ほんとうにヘビがいるの?」
「そうだよ、真っ暗でふか~い穴だから、落ちたら怖いからね。
だからこの蓋を全部開けたり、下のほうを覗いたら絶対にダメだからね」
真っ暗で何も見えないその穴に、本当にヘビがいるのか、
少しでいいから、ヘビの姿を見たい私は、また母に強請った。
「おかあさん、ぜんぜん見えないよ。もう少しふたをあけて」
「じゃあ、もう少しだけだよ。これ以上は危ないからダメ」
と、半分くらい蓋をずらして見せてくれた。
「ヘビ、見えないね。なんか水があるみたい」
「そうだよ、その水の下にうじゃうじゃヘビがいて、餌が落ちてこないか待ってるんだよ」
小さい私は、父がよく川で捕ってくるバケツに入ったウナギを思い出し、
水の中で蠢くたくさんのヘビを想像し、ぞわりとした。
その日から、私の頭の中はあの穴のことでいっぱいになった。
「じいちゃん、さんかくの畑のあなにはヘビがたくさんいるんだよ、しってる?」
夕ご飯を食べながら、ほろ酔い気分になっていた祖父にそう聞くと、
「誰に聞いただ?そうだよ、あそこにはヘビがたくさんいて
あのヘビたちは、爺ちゃんが時々捕まえて、ほら、外に干してあるだろ?
ああやって干して、お薬にする人に買ってもらうんだよ。
だからあそこにヘビがいることは誰にも内緒なんだよ。
誰にも見られないように、絶対に蓋を開けたらダメだからね」
母屋から屋根続きの小屋の軒下に干してあるヘビの存在は知っていた。
30cmほどの細い木に、とぐろを伸ばしたように巻かれたヘビがあって、
それはカラカラに乾いてるものがほとんどだったが、
ごくたまに目にするピンク色の肉が新しいヘビに、私はよくぞわりとしていた。
あれを、時々くる薬屋さんに売っていたのは、私も何度か目にして知っていた。
小さかった私は、あの穴の中にヘビがたくさんいて、それがあの干してあるヘビだったんだと納得した。
広がる田園風景の三角畑の他にも、家の畑は何ヵ所かにあって、
きぃちゃんと私には、稲の収穫の終わったあとのそこが格好の遊び場になっていた。
春になると、その田んぼも周辺の田んぼも一面にレンゲの花が咲き、
そこに祖父が藁で編んだゴザを敷いて、レンゲの花で首飾りや冠などをよく作っていた。
「ねえ、きぃちゃん、家のトイレんとこのまどの外にヘビがあるのしってる?」
「しってるよーヘビがほねみたいになってるのでしょ?」
「うん、あれはおくすりやさんが来たとき、買ってくれるんだって」
「ふ~ん、へび、おくすりになるの?」
「そうだって。ヘビがおくすりになるから、ヘビをたくさんつかまえなきゃいけないんだよ」
「ヘビ、山とか草むらとか、このまえ、川にもヘビがいたよ。ヘビたくさんいるよね」
遊んでいたレンゲ畑でも、時々ヘビを見かけていた。
目の前には田園風景が広がり、実家の裏は川があり、その向こうは山があった。
田園風景のその奥にも山が連なるこの辺は、ヘビを見かけることも多く、
どういうわけかヘビは怖いもの、危険なものだと思っていて、
それを見かけて、「ヘビだ!」「どこ?」「そこ・・・」と、つい指を指してしまったら、指を指した人にはヘビの呪いかかけられ、そのヘビがついていくと言い伝えられており、そんなとき、自分以外の誰かに指した指に息を吹きかけてもらえば、
そのヘビの呪いは消えると言われていた。
「きぃちゃん、ヘビ指さしたとこふぅーってしてもらった?」
「川のときはわたし一人だったから指ささなかったよ」
「そっか、じゃあヘビはついてきてないね」
そんな話をしていると、風などないのにさわさわさわとレンゲの花が小さく揺れ、
ヘビかも?と、ぞわりとして振り返るが、そこにヘビの姿はなかった。
一面レンゲの花が咲いていて土すら見えないほどのレンゲに覆われた田んぼには、
目に見えていない昆虫もたくさんいて、時折一部だけレンゲが揺れていることはよくあった。
「みーこちゃん見て、かんむりできたよ」
「すごーい、花でいっぱいのかんむりどうやったのー?」
「おばあちゃんに教えてもらったんだよ。
レンゲの花のすぐ下に穴をあけて、そこにレンゲをさして、そのレンゲの花のすぐ下にまた穴をあけてレンゲをさしていけば、花だけのかんむりができるんだって」
「すごーい。私もやってみる」
それまでの花冠や首飾りといったら、いつもはレンゲの茎の切り口すれすれに穴をあけて、そこにもう1本のレンゲを茎から花まで差し込みを繰り返して、
首飾りの輪の一定間隔でレンゲがついてる首飾りができていたのだが、
きぃちゃんのお祖母ちゃんの作り方だと、輪の全部がレンゲで、
本当の王冠や首飾りに見え、私たちはそれを作ることに夢中となった。
「おねえちゃん、これすごいね。わたしもほしい」
それを頭の上や首にかけて帰宅した私の首を指さして、顔を高揚させた妹が言った。
「かたほうあげるよ、きれいでしょ?どっちがいい?」
「くっびかっざりー」
そういう妹の首に私はレンゲの首飾りをかけてやった。
「こんどつくり方をおしえてあげるよ」
「おかーさん、みてみてきれいでしょ?」
妹は首飾りが嬉しかったようで、台所に立つ母に見せていた。
「まあ綺麗ね、2人ともお姫さまみたいだよ」
「きぃちゃんにつくり方おしえてもらったよ。お祖母ちゃんにおそわったんだって」
「そう。綺麗にできてよかったね」
嬉しそうに歌を歌いながらダンスの真似事をしている妹を見ながら母が言った。
「今日はどこの田んぼに行ったの?三角の畑にはきぃちゃんと2人だけで行ったらダメだよ」
「うん、行かないよ、今日はまん中の田んぼにいたんだよ」
「あそこは危ないからね、子供だけで行ったらダメだからね。約束だよ」
「うん、やくそくだから行かないよ」
少し怖い顔をして言う母を視線の脇に流した私の頭の中は、
また、あの穴の中のヘビのことでいっぱいになりはじめていた。
「おとうさん、おかえりー」
妹の純の言葉で振り返ると、玄関から入ってくる父の姿がみえた。
「純、いいもの首に巻いてるな」
「まいてるじゃなくて、かけてるんだよ」
「ははは、そうかそうか、かけてるな」
「おねえちゃんにもらったんだよ。おねえちゃんもおうかんしてるよ」
「お姉ちゃんもいいもの乗っけてるな」
「きぃちゃんがつくり方をおしえてくれたんだよ。お祖母ちゃんにおそわったんだって」
そう答える私を見ていた父の目が、一瞬光ったように見えた。
「みーこ、今日はどこの田んぼに行ったんだ?」
「真ん中の田んぼだよ。なんで?」
「そうかそうか、新田の田んぼだな。そのうち新田のレンゲがなくなるな」
私は真ん中の田んぼと呼んでいたが、家では地区や町の名前を田んぼにつけていた。
私がヘビの畑と呼ぶ畑も、家ではその形で三角畑と呼ばれていた。
「まだレンゲ、いっぱい咲いてるよ」
父はそう答えた私より、目は母を向いており、
私は、父もヘビの穴のことを気にしてるのだなと思っていた。
あそこにはたくさんのヘビがいる。
お薬になるたくさんの、内緒にしなくてはいけないヘビたちが。
「みーこ、明日は自転車の練習をするぞ」
「え~やらなきゃダメ~?」
2年生になってもまだ自転車に乗れないことを父はいつもうるさく言っていた。
明日は日曜日だ。毎週日曜になると、父は私に自転車の練習をさせていた。
「乗れないと困るだろ。今年も夏休みにプールに歩いて行かなきゃならないぞ」
「プール行かないもん」
「きぃちゃんはもう自転車乗れるだろ。みーこは夏休み1人で歩いていくのか?」
「だからプール行かないもん」
「来年もその次も、ずっとプール行かないのか?」
プールで遊ぶのは大好きだった。
家のすぐ裏には川が流れていて、山から流れてくる川底まで見えるほど水は澄んでいて、小さい頃からそこで遊んでいた私は、泳ぐ練習などしなくても、いつの間にか泳いでいたといった具合で、小学生になって、大きなプールで泳ぐことを楽しみにしていたのだ。
1年生の時には、小プールという、膝までもないくらいの浅いプールしか入れてもらえず、2年生になって大きなプールに入れることを楽しみにしていた。
プールのことを言われ、きぃちゃんが河原で見たヘビのことを思い出していた。
「きぃちゃんが川でヘビを見たんだって」
「そうか、草も多いし、ヘビは川にも出るだろうから噛まれないように気をつけろよ」
「ヘビ、つかまえる?」
「そうだな、爺ちゃんにちょっと見てもらうかな」
そう言う父の言葉を聞きながら、私の頭の中には屋根の下の棒に巻かれた、
皮が剥かれて間もない、まだピンク色をしたヘビの姿が浮かび、ぞわりとした。
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