第19話 旅先



「西田先生、もう成績付け終りました?」

「うん、評価付けはもう終わって、あとは言葉が残り数人だね。朝永先生は?」

「私はとりあえず全部終わりました。あとは校長先生のチェック待ちです」

「そっか、じゃあ今日は早く帰れそうじゃん」

「そうですね、あとテストの○付けしてメモって終わりにします」

「私も残り書いたら今日は上がるので、そこまでご一緒しますか。あ、そのあと一杯いきますか」

「そうですね、なんだか私も飲みたい気分です」

 冷房が28度設定されている職員室の居心地は最高だ。

扇風機しかない教室ときたら、暑くて暑くて、これじゃ子供たちも授業に身が入らないのもしょうがないと思えるほどの暑さだ。

この時期は、なんで教員になってしまったんだろう?と思ったりもする。

銀行勤めの亜美は1日中涼しいところで仕事しているというのにと、恨めしくなることもしばしばだ。

 亜美は高校のときからの親友で、大学進学で亜美は東京に出たが、やはり水が合わないということで、卒業後は地元の銀行に勤めることになり、大学も地元だった友達の少ない私には、亜美の帰郷は本当に嬉しい出来事だったのだ。

「さて、これで大丈夫かな。朝永先生、終わったよー」

「はい、私もいつでも出れます」

「今日はどうするー?やっぱ最初はキーンと冷えたビールだよね」

「もちろんですよー今日も暑かったですもんね」

「いつものとこでいいね。じゃあ、家まできてね」

 駅前通りの1本裏にある白州屋が私たちの行きつけだった。

いや、正確には西田先生の行きつけだ。

西田先生は、同じ年に異動してきた先生で、5つほど年は上だけれど、とても気の合う人で、年上なのにとても気さくな人で、親しくさせてもらっている。

西田先生の家は駅から歩いて10分ほどのところにあって、一緒に飲みに行くときは、いつも車を止めさせてもらっている。

私の家のように、庭の広い家なのだ。

駅に近くでこれだけの家とは、教員などやらなくても余裕がありそうなのだが、婿養子を取った西田先生は、家に閉じこもるのは性に合わないそうだ。

まだ子供はなく、ご主人が遅くなる日は、こんなふうに自由に飲みにも出られるそうだ。

 母にメールをしたら、今夜は母だけが迎えに来てくれるというので、車は西田先生の家に預けることになる。

両親のどちらもが迎えに来られないときは、代行に頼んでいる。

西田先生のご実家だからこそ、車も頼めるが、ご主人の家なら、きっとこうはいかないだろう。

まあ、西田先生がそうしろと言ってくれるので、こちらも甘えているのだが、誘いの声を上げてくれるのも、たいがい西田先生の方からなのだ。

母は西田先生に御迷惑だからと、両親とも来られるときは一緒にきて、私の車も父が運転して帰るのだけれど、今夜は父も飲んでくるんだそうだ。

「カンパーイ」

「お疲れ様でしたー」

カウンターと畳に上がるテーブル席がL字型に5つほどある白州屋の、カウンターの奥の隅っこが私たちがよく陣取る場所で、今日もそこでゴクゴクゴクと、喉を鳴らして西田先生は一気飲みだ。

「マミさん、ホント美味しそうに飲みますよねー」

「ミキさんも一気に行きなさいよ」

「いやーなかなかそう一気にはいきませんよ~」

私はアルコールにはそんなに強いほうではないので、一気飲みなどしたら後が怖いのだ。

西田先生もわかってるくせに、ふざけてよく一気に飲ませようとする振りをする。子供のような人だ。

 学校を出ると、私たちは互いを名前で呼んでいた。

学校の外では、互いに「先生」をつけることはご法度だ。

みな、学校の外ではさん付けになる。

教員になったとき、教員たちがそういうふうにしていることをはじめて知ったのだった。

「ミキさん、夏休みはどこか行くの?私は旦那の実家に顔出さなきゃなんだよね~ちょっと遠いから面倒だけど、たまの親孝行をしてこないとね」

「それは大変ですね。お嫁さんは夏はお盆があるので夏休みとは言っても、休めませんよね」

「ホントそうだよ。せっかくの夏休みを使って旦那の実家だよーまあ、そのあとちょっと遠回りして、北海道回ってこようかなって思ってるんだけどね」

「北海道ですか。いいじゃないですか。夏の北海道なんて、涼しくて最高じゃないですか。どの辺りに行くんですか?」

「今回は知床辺り巡ってこようかって話してる。って、だからミキさんはどこか行くの?」

「私は高校時代の友人と、沖縄に行こうかって話しています」

「あらまあ、私たち真逆の方向に行くんだね」

「ホントですね。でもマミさんはお盆の頃ですよね?」

「そう、お盆ギリギリで旦那の実家寄って、そのあとね。少しは空いてるかなって頃よ」

「私は毎度ですけど8月後半に休みを取らせてもらいます」

 学校が、子供たちが夏休みだとは言っても、教員が同じように夏休みになるわけはない。

暦通り平日は毎日出勤して、後回しにしている書類書きや、研修、プール当番に、二学期の授業の準備等々、やることはてんこ盛りだ。

それでも、決められた「夏休み」という与えられた5日間は、この8月中に取らなければ、もう取れるときがまずないので、その5日間をお盆に2日、残り3日と有休と合わせて後半に、亜美の夏休みと合わせて取って、沖縄に行こうということになったのだ。

 亜美は7月~9月の中でその5日を取れるので、8月の混みそうなときに取らせるのは少し申し訳ないのだけれど、ここは私に合わせてもらうしか、2人で旅行する術はないので、そこで取れる亜美の5日に合わせることにしたのだ。

と言っても、連休最終日はゆっくり過ごしたいということで、1日残して帰ってくる予定でいるが、私はそこで亜美とは別行動をして、鹿児島に行こうと思っていた。

亜美には、昔の友達に会うからと、帰りは別行動になることを承知してもらっている。

「8月後半の沖縄なら、少しは空いてきてるかもね」

「そうですね、ゆっくり観光してきたいと思います」

「それとですね、沖縄の帰りは友達と別行動にして、友達はそのまま飛行機で帰るんですけど、私は鹿児島行きの飛行機で向かうつもりなんです。小学生の時に仲良くしてた子が鹿屋市というところにいるので、帰りがバラバラになってしまって友達には申し訳ないんですけど、大学時代から一人で海外にまで行っちゃうような子なので、どうってことないって言ってくれて。」

「へぇ、鹿児島かぁ・・・小学生の時の友達って、お嫁にでも行ったの?」

「いえ、小学生の時に引っ越した子で・・・」

「小学生の時に?そんな子と今でも付き合いがあるの?」

「いえ、付き合いはないんですけど、手紙が途中で途切れてしまって、宛て先不明になってるので、気になってたんですよ。せっかく沖縄まで行くんなら、ついでにと思って・・・すごく仲良くしてたので・・・」

 私はマミさんに鹿児島に向かうということを話しておこうと思った。

何か起こるかもなどということを考えているわけでもなかったのだけれど、保険のつもりで亜美とマミさんには鹿児島という地名を知らせておきたかったのだ。

 もちろん、家族には内緒だ。

私の性格上、一人で鹿児島まで昔の友達を訪ねるなんて知ったら、違和感を感じることこの上ないと思う。

「そっか、会えるといいね。あ、お土産楽しみにしてるね。泡盛とかさ」

「はいはい、泡盛ですね。私も楽しみにしています。白い恋人とか」

「はいはい、白い恋人ね。定番よね」

そう言いながら、またゴクゴクとビールを飲んでいる。これで3杯目だ。

マミさんは本当に美味しそうに飲むので、見ていても気持ちがいい。

私はアルコールにはそんなに強くないので、マミさんのようには飲めないので、一緒の時はまず私がマミさんの家まで連れて行くことがほとんどだ。

ぞわり。

・・・寒気が来た。

 気の合う人と、こんなふうに時間を楽しむことをしていると、心の底できぃちゃんを思い出していることに気付く。

大人になり、楽しいときほど、ぞわりと感じることが多くなっている。

きっときぃちゃんは、こんな時間を持てないでいる。持てないままだ。

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