ミューズ・リライター

春里 亮介

ミューズ・リライター

プロローグ

プロローグ

「舞於(まお)は仕事と家庭、どちらを優先するのかな」

 ヴァニティのリラックスルームで音羽(おとわ)瑞嘉(みずか)と二人きりになっていた時。バランスボールに腰かけていた彼女から、急に訊かれた質問だった。

「急にどうしたのさ。まるで、僕達が倦怠期を迎えた夫婦みたいなことを言うじゃないか」

「もしもの話だよ。舞於が結婚して子供ができたら、仕事に対する情熱は少しばかり失うのかなって」

 結婚、か。

 大学卒業して半年。社会人として働きだした立場である今の僕にとって、その二文字は構想外にあった。

 なぜなら……ディレクター兼ライターの仕事に対して満足しておらず、プライベートより優先するべき課題があるからだった。

「どうだろうね。そもそも結婚する余裕すらなさそうだけど」

「そっか。仕事、忙しそうだもんね」

 僕達は同じ会社の同じ部署、同じチームで働いているから、瑞嘉は僕の心境を察してくれた。

「ああ。昼休憩もこんな中途半端な時間しか取れない」

 革製のソファーに横たわっている僕は目線だけ動かし、腕時計の短針が二と三の間で彷徨っているところを確認し、実際にブレているのは腕時計ではなく僕の方だと気付いたのも同時だったと思う。

「瑞嘉も最近、忙しそうじゃないか。月曜日に僕が頼んだプロット案、ボリュームが相当あって大変じゃない?」

「まあね。多少苦戦しているけど、もっと苦労しているディレクターさんの要望であれば応えるのがライターとしての役目だよ」

 うつ伏せになって腹にバランスボールを押し付けるような形で脱力していた瑞嘉は、体勢を崩して前方へ転がり落ちた。艶のある黒髪を乱し、舌を出して苦笑いをする彼女の相貌は実年齢より若く、僕と同級生であるはずなのに妹のような無邪気さを見せてくれている。

「私がドジしたんだから笑ってよ。それとも笑えないほど落ち込んでいるの?」

「落ち込んでいる? 僕が……?」

「そうだよ。八代さんから聞いたよ。舞於が提案した新規ソーシャルゲーム……学園モノだっけ? クライアントからしっかりダメ出しされたってことじゃない」

 一瞬すっとぼけたふりをしてみたが、どうやら全てを見抜かれている。八代ディレクターから僕の仕事ぶりが伝わっていたか。

「ああ。他のゲームにない新しいストーリーを用意しても『世界観が複雑すぎる』とか『売れているあのゲームみたくしてくれませんか』って言われる体たらくだった」

 屈辱的なプレゼンの結果について数時間前、訪問した客先に直接言われた僕はずっと暗い顔をしているに違いない。

「この会社……ヴァニティのシナリオ制作部はコンテンツマーケティングやメディア事業部と比べて負担が大きい気がするよね」

「そんなことない。どの事業も大変で責任のある仕事に変わりない」

 本当に? と言わんばかりに瑞嘉は首をかしげた。彼女はシナリオ制作部とコンテンツマーケティング部の仕事を兼任しているので、たぶん客観的な比較ができているだろうから僕の否定を否定されたことは正しい。

 ヴァニティは元々、インターネット事業をメインにしていたベンチャー企業だった。

サイトの運営代行や流行りのコンテンツマーケティングにいち早く着手したことで売り上げを順調に伸ばしていったが、同業他社が増えてきたことで新たな事業……シナリオ制作部門を立ち上げた経緯がある。

 シナリオ制作部門は、これも流行りであるソーシャルゲームの増加に伴い、需要が拡大するシナリオの制作代行や企画提案を軸とする。スマホゲーそのものを開発するのではなく、ゲームの企画やシナリオを提供するマーケティングといえるだろう。

 そのシナリオ制作部門のディレクター兼ライターである僕は、クライアントであるゲーム会社と日々折衝をして……工程の調整によって自らシナリオを制作する時もあるが……自分が思い描く理想のシナリオをクライアントに理解してもらえないことは少なくない。

「まあ……コンテンツマーケティングもソーシャルゲームも、考え方によっては似たような問題に直面しているかもな。ライター側の仕事をしているから、瑞嘉は芸能関連のネット記事がいかに適当なのか、知っているだろ」

「うん。コピペだけ避けたような、芸能人の薄い情報を並べたつまらない素人報道……って舞於がよく言うやつだね」

 コンテンツもゲームも、数が増えれば結局は個性を失ってしまう。したがって、ライターのモチベーションを維持し続けるのは難しく、僕のように類を見ない新たな基軸のシナリオをユーザーへ届けたくても、クライアント側は望んでいないのだ。

「シナリオライターって自分のしたい物語を書ける訳じゃないんだな」

「しょうがないじゃん。一定数のユーザーが読みたくなるようなシナリオのパターンは決まっている訳だし」

 常に前向きでいる瑞嘉は、大人な考えで割り切っていた。でも、僕にとって簡単ではない。

「でも、やっぱり悔しいよ。僕がライターを担当した『レヴァルシアの白兎』も……キャラクター重視のプロットを用意したのに、クライアントは何て言ったと思う?」

「声優側の予算がかさむから、もっとシナリオを短くしてください、とか?」

「それも指摘事項の一つだったけどさ。もっと衝撃だったのが……『主人公の強さを目立たせたいから周りのキャラクターを戦わせないでください』って……」

「わお」

 瑞嘉がおどけた調子でリアクションをしてくれなかったら、拳を床に叩きつけていたのかもしれない。

「僕が気に入った……活躍させたいヒロインは時に、モブキャラとして扱われてしまうことだって珍しくない。だけど、それではキャラクターは死んだも同然だ」

 僕がシナリオに求めていることは……キャラクターを大事にすることだった。

「舞於はホント、真面目だねえ。ユーザーやクライアントの希望だけでなく、自分が書いたキャラクターにも気を遣っているなんて」

 くすくすと笑う瑞嘉に褒めてもらって気が楽になったが、ディレクターの任務を遂行する立場としては余計な志向じゃないか、と自分自身を戒める声が脳内で響いていた。


 休憩後も思うように仕事が捗らず、定時を過ぎて僕はすぐに会社を出た。帰りの電車内でスマホを片手に、SNSでレヴァルシアの白兎と検索をかけた。すると、ユーザー側の本音を載せたつぶやきが流れてきた。


『キャラのデザインは良いのに、シナリオが単調で飽きる』

『典型的なガチャゲーじゃない? 低レアキャラを有効活用できないんだし』

『この主人公、出しゃばり過ぎ。俺tueeeってまだ流行ってんのかよ』


 ほら見たことか、とクライアントに言いたくなった。あんたが余計な修正を要求したから、戸惑っているユーザーもいるじゃないか。

 良いシナリオは、一人一人のキャラクターを活かすことなんだ。どうして解ってくれないんだ!

 本来であればクライアントに突きつける叫びは、臆病な僕の心奥に閉じ込められたままでいる。身を蓋もない言い方をすれば、僕は御客様からシナリオ制作という仕事をいただいている下請けであり、ユーザーとキャラクターとクライアント……どの意見を最優先するべきか始めから判り切っていることだった。


 帰宅し、即座にベッドに飛び込んだ。長らく天日干ししていない布団の冷たい感触に包まれた僕は、

「大変なのは僕だけじゃない。シナリオライターだけの仕事ができず、コンテンツマーケティング部のライティングも兼任している瑞嘉も、思い通りにいかない不満に我慢しているんだ」

 自分に言い聞かせるように、労働とはこういうことだと諭した。

けれども、それが大人になることなんだと納得しようとすればするほど、僕が書いてきた愛しいキャラクターが物語の影に追いやられる……そんなイメージが色濃くなり、

「……ディオネ、ごめんね。僕はきみのストーリーラインを守れなかった。どうか許して欲しい」

 目を瞑り、懺悔するように……不本意に削除されたシナリオの被害者へ謝罪の念を告げた。


 ――僕は、クライアントの言いなりになるだけのディレクターでいいのか? キャラクター側が望んでいるシナリオを書けないライターで満足しているのか?

 

 悩み続ける僕の自問自答に、誰かが答えてくれたら……。

 こんなに苦しむのであれば、始めからシナリオライターにならない方が幸せだったのかもしれない。

 天井の電灯を漠然と見つめたまま、胸ポケットで振動しているスマホを掴んだ。どうせ良い話でない仕事関連のメール通知だろうな、と溜息をつきながら画面を確認すると、想定外のメッセージが表示されていた。

 

《レヴァルシアの白兎|リターニャ:私が答えてあげるわ》

 

「……何だこれは? ってか、レヴァルシアの白兎を――」

 そもそもこのスマホにインストールしていたか、と言う前に白一色の眩い光に視界を奪われた。

あまりにも突然の出来事に直面すると驚きは時間差でやってくるのかな、と思えた僕は意外と冷静でいたらしい。

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