喪失
「どうして、僕の名前を知っている?」
攻撃される前もそうであったが、創始者はフルネームで僕のことを知っていた。
その時点で、創始者は少なくてもゲーム内にいる本来のキャラではないことが明らかになっている。つまり……。
「そういうことなのよ、マオ……あの創始者……いや、レギュレーターが誰なのか、もう答えは出ているわ」
斜めに傾いた墓碑に身体を預け、ゆっくりと立ち上がったリターニャがそう答えた。
「じゃあ、僕の推測は正しかったのか? この世界のシナリオ制作はヴァニティが携わっていた……その案件は八代ディレクターのチームが担当していた……だから……」
痛みを堪え、狐の仮面で素顔を隠す創始者もといレギュレーターと向かい合った。
「……いや、八代さんがこんなことをする理由がない。キャラクターを大切にするシナリオリライトを批難するような人ではない……」
創始者は黙り続けていたが、その沈黙がイエスだと言っているように僕は思えた。
ダメだ……解らないことだらけだ。
何でこんなことに?
僕はただ……目の前にいる報わないキャラクターを救いたいだけなのに!
「あんたは一体誰なんだ? 何故レギュレーターという途を選んだ!? 僕と同じく、次元を超えてシナリオを干渉できる力があって……どうして僕を潰そうとしている!?」
様々な不安が絡み合うストーリーの渦に飲み込まれて、負けまいと声を張り上げた。虚勢だと相手に知られても、そうしないと委縮してしまう気がした。
「僕はこんなゲームを認めない! 無辜の人達を滅多矢鱈に殺して『これが深いストーリーなんだろ』と誇示するシナリオライターこそ一度死んでくれって大声で言ってやるよ! 自己陶酔のシナリオで殺される日葵の気持ちを、きっとあんたは全く考えていなんだろうな!」
「導師さん……」
日葵にとってシナリオライターの概念が無いから、恐らく意味は通じていないはずだが……それでも僕が訴えたい大筋のことは伝わり、悲しそうな目を向けてくれた。
「何か言えよ! どんなにお前が頑張っても、所詮は負けイベントだから無駄だって言い捨てろよ! それであんたは満足なんだろ! ソーシャルゲームのシナリオに独自性を求めて出る杭を打つのがあんたの仕事なんだろ!」
「ああ……そうだ。これは負けイベント。舞於がどんなに努力しても日葵ちゃんは救えないし、このシナリオは変えられないの」
挑発に近い訴えを続け、ようやく創始者の声を聞けた。
ただ……口調が変わった?
「レギュレーターの役割について……そちらの二人から聞いたようだけど、名前の意味を考えてことはある?」
「急に饒舌になったな。レギュレーターの名前ね……まあ、レギュレーション(規則)から来ているのだろう」
「そう……平準化よ。ソーシャルゲームのシナリオは一定のルールを守って書かれるのが常……よって、クライアント側の要望と想定されるユーザーのニーズに応えるべく、定形化されたストーリーを嵌め込んでいくのが理想なの」
「あんたは……そうか、僕と同じ。現実世界でシナリオライターをやっているのか」
創始者に成り代わって僕の行く手を阻むレギュレーターの内在が、徐々に僕の理解に及ぶ。
でも、何か引っかかる。この言い方……僕の呼び方……何だ?
もっと気付くべき大きなことを見逃しているような……モヤモヤとした感じが……。
「私は舞於のようなシナリオライターは、邪魔なの。時に評価されるかもしれないけど、所詮は尖った使いづらい人材に過ぎない」
「偏った考え方をしていないか? だから、シナリオが流し読みされるソーシャルゲームが量産されるんだ。僕が一石を投じないと、この業界は反知性に塗れ、キャラクターは消耗品として扱わるだけなんだ」
「それがどうしたの? 当たり前のことじゃないの。ソーシャルゲームは旬のモノよ。ごく一部でロングヒットの可能性はあるけど、結局は飽きが来るじゃない。キャラクターを大事に扱うためにシナリオを多様化されるなんて、無駄な工数が増えるだけ」
もっと現実的なことを考えなさいよ、と呆れたように語る創始者の表情は依然として仮面に隠れているが、ある程度想像できた。
「シナリオライターは商業用のシナリオを書ければいいの。余計なことをすれば、クライアントが嫌な顔をするってことを舞於も知っているはずよ」
「――」
――僕は愚かだった。レギュレーターの正体を見抜くまで、これだけの時間を要したことを猛省した。
「マオ……どうやら、気付いたようね。あなたと対峙している相手が、誰なのか」
僕が受けた衝撃を、リターニャは簡単に読み取ったに違いない。もしも鏡があったなら、そこにはこの世の地獄を見て絶望したような男がいるだろう。
「そうか。リターニャ……君の不安は的中していたのか」
「ええ。マオを傷つけたくなくって……そうであると思いたくなくって……断言を避けていたの」
彼女は優しく、聡明だから迷っていたのだ。
敵であるレギュレーターの正体が、僕と親しい関係である人物だということを知ってしまい……困惑していた。
「……うっ……」
そのリターニャに抱えられていたディオネが意識を取り戻し、口で呼吸をし始めた。
「良かった、何とか生きているようね」
「わ、わたくし……気を失って……?」
「ええ。あの化け物……いや、マオの知り合いが得た闇の力にやられたわ」
「……そ、そんな!? レギュレーターが、マオ様の知人……?」
僕も同じ気持ちだ、ディオネ。こんなの、おかしい……。
「どうして? 君は僕の理解者だと思っていたのに」
僕は再び、レギュレーターに話しかけた。
本当のことを言えば、話したくなかったが……。
「理解者だと思っていたのは、あなたの一方通行だったってことだよ。私はそう思っていなかった。それだけの話」
「そんな冷たい言い方――」
「ずっと我慢してた。でも、限界だったの。私もシナリオを改変する力を得て、マオがリライトしている事実に気付いて……あなたが言った通り、私は別の途を選んだ。だって、あなたをずっと憎んでいたから」
「憎む? どうして?」
「どうしても何もないじゃない!」
心の底から吐き出した悲痛な叫びは、《彼女》本来の声音で発せられており、素顔を隠す必要性がなくなったことを示すように、狐の仮面を投げ捨て……。
――光を喪失した双眸から涙を流す《音羽瑞嘉》は、僕への敵意を鋭い眼差しで現す。彼女の左手には、先程僕と会話していた時に使っていたであろうスマートフォンがあった。
「舞於は私より先にディレクターに昇格し、会社から評価された……でも、私は納得していない! 私だって一緒に頑張ってきたのに……どうしてはこっちの台詞だよ!」
「瑞嘉……」
まさか、彼女からこんなにも憎まれているとは思わなかったのだ。裏切られた気分を味わい、言葉に詰まってしまう。
「レギュレーターってまさか……先程、マオ様と電話で話していた仕事仲間の人だったのですか!?」
想像外の出来事にディオネも驚いているが、唯一察知していたリターニャは静かに溜息をつき、彼女へ説明をする。
「あの電話で……おかしいって思ったの。さらば魔法少女の光についてミズカが話している時、アイドルスクールのことを言っていたの、覚えている?」
――アイドルスクールと同時期にリリースしたんだけど、そっちより全然売れたよ。
そう。瑞嘉はアイドルスクールが全然売れていなかったゲームだと認識して話していた。
だが……現実では僕のシナリオリライトによって、アイドルスクールはリリース開始から人気のゲームという風に改変されているのだ。
瑞嘉は電話で僕に嘘をついていた。ビジネスパートナー乃至友達として自然な会話をしていたつもりだったが、本能的な記憶に関しては本音が出ていた。
「……あっ! ミズカさん……改変プログラムが適用される前の世界を知っていたのですか!」
「そういうことよ。マオと同じく、リライトによる記憶改竄の影響を受けていなかったのね」
「ミズカさんも……現実世界から干渉できる能力を持っているのに、改変プログラムの行使を拒否し、マオ様を阻む存在になってしまった……」
同じシナリオライターでありながら、方向性の不一致で望まれない戦いを引き起こす。僕達の知られざる軋轢を知ってしまったディオネは蒼褪める。
「改変プログラム、ね。アイドルスクールでは私が追加したシナリオを上手く修正して改変プログラムを適用させたようだけど、二度は見逃さないよ」
「やっぱりアイスクで幻獣を登場させたのも、ミズカ……あなたが仕組んだことだったのね」
やられたものだわ、とリターニャは舌打ちをして言った。
「まあね。舞於が目的とする未来乃至過去改変プログラムの適用前後での違いとか、もう少し見極めたかったから、一度は様子見だったの」
「プログラムの正式名称を知っているの? その辺りも詳しいのね」とリターニャが返すと、
「そりゃそうだよ。だって、元々は舞於が昔、書いた小説の設定としてあったんだから」
「……そうなの?」
語源まで把握していなかったリターニャが、少し当惑した様子で僕の方を見た。
「未来乃至過去改変プログラムは、初めて聞いた言葉じゃなかった。瑞嘉の言う通り、僕が書いたSF小説で登場したタイムマシンみたいなものだった」
「あなたは大学生の時から、創作意欲があったよね。自分自身は苦手だと感じ、長編小説はその一本だけだったけど、オリジナルの物語を書きたい意志はあった……」
瑞嘉からあなたと呼ばれるのは初めてのことかもしれなく、彼女との隔たりを感じさせられる。
「その小説の主人公も、このゲームと同じ女の子だったのね。それは何で?」
「何で? 瑞嘉、どういうことだ? 今更な話じゃないか」
「過去の話として片づけられないの。あなたが書いた小説の《稚拙さ》が、今になって影響していると言いたいの」
僕は彼女に咎められているという事実がまだ認めがたく、思うように頭が働かない。
冷静でいようと努めても、責められたくない臆病な心が僕を混乱させていく。
「キャラクターを大事にする物語の創り方は時に皆を幸せにするかもしれない。でも、それこそご都合主義に則った甘い理想であって、犠牲はつきものなの」
「では、水上日葵は創始者に成り代わった瑞嘉に殺されてもいいのか」
「うん。そもそも、このメインシナリオは私が書いたからね。八代さんのチームで人が足りない時に、私が代役としてプロットから考案したの」
「……なるほどね」
瑞嘉の意志が一貫していることを、リターニャが看取した。
「つまり、ミズカは自分が書いたシナリオだからこそ、マオに邪魔されたくないって思っているのね」
「そうよ。あなた……リターニャちゃんね。舞於が手掛けたレヴァルシアの白兎におけるキャラクター……あなたが抱えているディオネちゃんもそうね」
「だから何? 所詮は空想的人物だから、何を言っても無駄かしら」
「それは偏見ね。ただ、《舞於によって創られた》キャラだから、私と考え方が反するとは思っているよ」
「ミズカは随分、マオを敵視しているのね。私にとっては理解不能よ」
「理解不能?」と、瑞嘉は鸚鵡返しをしつつ、彼女が手にした闇の力を掌の上に再び集め始めた。
「マオはよくやってくれているわ。ソーシャルゲームの悪しき風習に歯止めをかけるために、キャラクター重視のシナリオリライトに奮闘している。薄っぺらいストーリーラインの改善に貢献している者を咎めていいはずが――」
リターニャに全部喋らせず、瑞嘉が闇の波動で跳ねのけた。自動車に衝突したほどの勢いで、リターニャは後方へ飛んでいく。その場に取り残されたディオネは直撃を避けたが、体力の消耗が激しく膝をついた。
「やめろ!」
感情的に反応した僕は杖を振り、雷撃を瑞嘉に向かって放つ。
……力の差は明確だった。瑞嘉の数メートル前で波打つ黒い影に簡単に阻まれ、無駄に魔導を消耗した。
「どうしてこんなことを……」
「どうして? 相変わらずあなた、物わかりが悪いのね。決まっているじゃない。舞於のシナリオは《稚拙》だからだよ」
有無を言わさず、視圏が黒に塗られた。
「……っ!」
背中を強く打ち、呼吸がままならない。瞬時に永久塋域の端まで追い出されたらしい。
「導師さん!」
僕の意識だけでなく、日葵が呼ぶ声も遠のく。
負けイベントの運命に抗えず、ここで終わるのか……?
「諦めてよ。主人公の気持ちになってシナリオを書けてないんだから、無理だよ」
澱む影の内側から顔を出す悪魔のような顔をする瑞嘉は、一定の歩調で近づいてくる。
「そんな訳がない! 誰よりも僕はキャラクターの思いを汲み取って……」
「じゃあ、どうして舞於が演じている導師は、創始者である私に一方的にやられているの? 雷撃の魔導がどうして私に通用していないの? リライトでどうにかなるんじゃないの?」
「それは……」
答えられなかった。
欺瞞でも何でもなく、主人公になって新たな選択肢をとればリライトできると信じていた。
しかし、架空世界でも現実の壁が……僕の進む道を塞いだ。
「もう解ったでしょ。シナリオライターに必要な能力が欠けているの。自分が未熟であり、間違った価値観を懐いていることを舞於は気付いていないの。それがどんなに愚かなのか、今この時に知ってもらいたいの!」
僕が……間違っている?
「ミズカの言うことを認めないで、マオ! あなたは……」
どこかで生存しているリターニャが、何かを言っている。
その何かは……解らない。頭が混乱している。
「いいや、あなたは認めるべきよ。シナリオライターはあくまで、クライアントからお金をもらって働いているのであって、自己顕示欲を動力に物語を書くべきではないの。大人になれない子供はいつか、クライアントから信用を失って仕事を失くすの」
今まで僕が積み重ねてきたものが、いとも簡単に崩れ落ちていく。
「諦めてよ、舞於。この業界には、あなたのように反旗を翻す異端者は邪魔なのっ……!」
この世の果てを思わせる永久塋域に差す満月の仄かな光が、瑞嘉の頬をつたう涙を煌かせた。
そのワンシーンを最期に、僕が担っていた導師は闇に完全に飲まれ、不快な打撲音と随伴する痛みを味わいながら意識が途切れる。
僕が縋っていたシナリオ論は、全くの見当違いだったのか?
瑞嘉が書いたシナリオをリライトできなかったのは、彼女の方が正しいことを示す証左だったのでは?
僕は、価値のないシナリオライターなのか?
僕は、主人公の感情を解っているようで解っていなかった子供なのか?
僕は、主人公の魅力を引き出せずに弱いまま敗北してしまうのか?
僕は、自己満足をキャラクターに押付けていただけなのか?
僕は……。
何が正しくて、何が間違っているか見失った日。僕は光を失った。
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