未来乃至過去改変プログラム
丘の上まで登り、村全体を見渡せる高さまで来た。魔物は……鈍磨な動きでじわりじわりと移動しているが、人のいる民家からまだ遠くにいた。まだ大丈夫だろう。
「これが牢屋ね。長い間使われていないという設定だったわね」
枯れた蔦に覆われているコンクリートの外壁より、長年放置されていることが判った。ただし、入口を封鎖していた鎖が切られている。
「行こう、リターニャ」
「ええ」
怖がっている暇はない。牢屋の内部へ足を踏み入れ、鉄格子で区切られている各部屋を確認したが誰もいない。
「もぬけの殻だな。場所を間違えた? それとも、僕がリライトで未来を変えようとしたから……?」
タイムトラベルでありがちな改変が既に起きているのではと僕は訝ったが、リターニャが首を振って手招きした。
「ここに階段があるわ。それと、物音が……」
地下牢への階段が暗い陰影に隠れていた。僕が応じると、リターニャを先頭に慎重に一歩ずつ降りていく。
……いた。
「敵は……二人。魔物使いという設定だったけど、派手な杖も持っているわ。魔法も使えそうかしら」
壁に背をつけて様子を窺う。地下牢は大きな一つの部屋になっており、村の自衛部隊がまとめて収容されていた。その見張り人として、黒いマントを身に付けた二人の男が鉄格子の前にいるようだ。
「彼等自身にも戦う力はある。だから、あの自衛部隊を平伏せて捕まえられたんだ」
「森の中でエンカウントしたオークと違って、弱い相手ではなさそうね。どうしましょうねえ、マオ」
言葉とは裏腹に、リターニャは嬉しそうに笑っていた。ここでも僕の意外性溢れる行動……つまり、リターニャというキャラクターが望む新たなシナリオを要求しているのだろう。
「正義を貫くなら、ここは堂々と姿を現して正面から戦うのが良いだろうね。王道だし」
「なら、邪道は?」
「僕等に背を向けている敵への不意打ちかな。さあ、リターニャはどっちがお好み?」
「面白い方を選ぶわ」
選ぶわ、と言い切る前に彼女の魔法が発動していた。
掌から迸らせた雷光が一直線に伸び、二人の魔物使いを貫通した。痙攣しながら倒れた魔物使い達を目撃した自衛部隊は、
「な、何だ一体!?」
「誰かが……助けてくれたのか!」
突然の出来事に慌てている。気絶した魔物使いの懐から鍵を奪った僕は、手早く鉄格子の扉を開いた。それでようやく、囚われていた自衛部隊から歓喜の声が漏れた。
「ありがとうございますっ! あなたはもしかして……勇者様なのでは?」
「そちらの女性は……その鎧の紋章……ビタードフォルテの騎士団!?」
「よかったっ! 村の外から助けに来てくれたのですね!」
自衛部隊は十代から二十代の男女が多くおり、装備を奪われた状態でいたようだ。
「反対側の牢屋の鍵も開けておいたわ。あっちにはこの人達の武器が集められているわよ」
リターニャの計らいを察し、僕は詳しい状況説明を省いたお願いを自衛部隊にしなければならない。
「お願いします、この村を救ってください。この敵が呼び寄せた魔物が村を襲い始めています! 僕はあなた達の力を必要としています! だからここまで来たんです!」
早口で言うと自衛部隊は顔色を暗くしたが、すぐに一人ずつ元気ある声を出した。
「……村が!? それはまずい!」
「折角勇者様に助けてもらったんだ! 俺達の村は俺達自身で守ってやる!」
「村長達に役立たずだと失望されっぱなしじゃ、合わす顔もないからな」
それぞれが奪われた武器や防具を回収し、地上へと出ていく。勇敢なる者達を戦わせることで、シナリオ内の存在意義が獲得される……だから僕は彼等を送り出した。
――そして、あの子も。
「……マオ! ディオネもいるわよっ!」
リターニャが先に見つけた相手は、ずっと前から僕を見つめて、立ち尽くしていた。
情熱の薔薇にも負けない、赤く燃える焔色の髪。
幼い顔立ちであるものの、生きる意志を強く感じさせる大きな瞳。
僕が書いたシナリオに存在し、不遇な形で出番を失ったディオネ・ブレアがそこにいる。
「本当に……本当に感謝しているのであります、マオ様。そして、リターニャ様」
白く透き通った彼女の肌は、明かりの乏しい牢屋の中を照らしてくれるようだった。
「きみもまた、リターニャと同様に……レヴァルシアの白兎のシナリオを全て把握……自覚しているのか」
「はい……何も出来なかった自衛部隊の一員として、名前も与えられず……その後もカードキャラクターの一人にはなるものの、低レアキャラとして誰にも使われない人生を送っていたことも覚えているのであります」
昔話をしみじみと語るように話すディオネに、僕は改めてシナリオライターの責務を重く感じた。
「辛い思いをさせたな。僕が力不足なライターだったから、ディオネの良さや個別のシナリオも全部消えてしまった……」
「大丈夫です。マオ様はもう、謝らなくていいんですよ。こうしてマオ様とリターニャ様に会える新しいストーリーラインの上に立てただけ、わたくしは幸せです」
恨まれることも覚悟していたが、杞憂だった。
彼女は聖人のように、過ちを犯した僕を許してくれた。
「やっぱりあなたは健気ね。こんなにも愛しい魔法使いの女の子が、現実ではユーザーの記憶に残らない低レアキャラになっているなんて有り得ないわ」
「リターニャ様もわたしくのことを気遣ってくれるのですね」
「当たり前よ。私もあなたも、大切にさせるべきキャラクターだわ」
互いに支え合うように、この世界の登場人物は微笑んでいる。
メタ的要素が多く絡む懸念……換言すると『自分がソーシャルゲーム内の空想人物』であることを認知した時……キャラクターは自分はシナリオによって不幸にされていると感じるのだ。
僕が知らないだけで、シナリオへの苦言を呈するキャラクターは他のソーシャルゲームにもいるのだろうか?
だとすれば、彼女達を生み出したシナリオライターやディレクター……クライアントを含むゲーム会社側は、とんでもない数の被害者に対する贖罪が必要となる。
非現実な憶測に、僕は背筋を凍らせた。キャラクターの生の声を聞いて、激しく後悔した。
……でも、後ろを振り向いている暇はない。僕には超越的なリライト能力が与えられている。この力を無駄にしたくない。これ以上、彼女達を苦しめたくないんだ!
「……待って。あの魔物使い、意識を取り戻したようね」
小声でそう言ったリターニャは、むくりと起き上がった魔物使いを睨みつけている。安心できない状況に、僕は剣を構えるつもりだったが……。
「――ここはお任せください、マオ様」
ディオネが前に出て、僕を守るように両腕を大きく広げた。
「無力なキャラクターだと思われたくはありません。星二つ程度の魔法使いを戦闘で使う意味はないと見做されてしまうのは、非常に不本意です」
「いいのか? 相手は二人だ。下手したら大きなケガを負うぞ」
「そこはマオ様の創造力……リライトによる補強を信じています」
彼女からの信頼を得て、簡単なことに気付いた。
ここは僕が書いた世界だ。僕自身が思い描くストーリーラインを信じれば、必然的に物語は改善される。
「……くそっ! どうして俺達の居場所を突き止めたんだ!?」
「とにかく、自衛部隊の小娘一人に負けるわけにはいかないっ! やるぞっ!」
一方で、シナリオが改変されていることを知る由もない魔法使いは、僕達の不可解な行動に焦っている。聞き取れない変わった言語の呪文を唱え、それぞれが自身の前方に出現させた火の玉を膨張させていく。
「ディオネ!」
僕とリターニャが同時に叫ぶと、彼女は深く息を吸ってから返答した。
「御心配なく。マオ様が信じたわたくしの雄姿は、この時、この瞬間へと確かに実現されます」
それは、敵の魔法とは比較にならない、甚大な火の海だった――。
「……凄いわ」
感嘆の声を漏らしたリターニャの瞳が、炯々として光を増す。
ディオネが放った攻撃魔法で、対面の牢屋もろとも魔物使い達を焼きつくした。
「……バカな……」
「つ、強すぎる……」
為す術もなく、二人の魔物使いは再び地に伏した。小物感溢れる捨て台詞を最後に……。
「どうでしょう、マオ様。お役に立てましたでしょうか」
「ああ、充分だ。ディオネは低レアキャラなんかじゃない。主人公と女騎士にとって、貴重な戦力だと断言できる」
僕の返答に、彼女は莞爾として答えてくれた。
僕がきみを不遇にさせない。主人公が必要だと思えるキャラクターにしてみせる。
そう願うシナリオリライトは、すぐに良い結果をもたらしてくれたようだ。
地上に出て丘から街を見下ろすと、あちこちに散らばっていた自衛部隊が拳を突き上げて、僕達に向かってこう叫んでくれた。
「もう大丈夫だ、勇者様! 魔物は皆、俺達が倒した!」
「この村を守ったぞ! 助けてくれてありがとな!」
彼等にも、満足のゆくシナリオを与えられたようだ。ホッと一安心したのは僕だけでなく、リターニャとディオネもだった。
「主人公至上主義のシナリオを見事に打ち壊したわね。これで一件落着かしら」
「良かったです……皆さんが必要とされる人になれて」
これが僕の望むシナリオだったけど、一つ心残りはある。
「何もしない主人公だな、ってユーザーから思われそうだな」
「仕方ないことよ。ユーザー自身、現実で何もしない人間が多そうじゃないの」
辛辣な意見はさておき、ディオネにも会えて……レヴァルシアの白兎における負い目は取り除かれた。
「リターニャ様。わたくし達、これから……」
「そうね。一応ここの世界に残る選択肢もあるけど、やっぱりね……」
「ええ……わたくしもレヴァルシアの白兎におけるキャラクターであり『クローラー』でもありますからね」
と、二人が神妙そうな様子でひそひそと話し合っている。
「どうしたんだ? 僕が介入したことでのリライトに問題が?」
「じゃないけど、そうね……まあ、とりあえずはマオのいるそっちの世界で、リライト後の『変化』を確認してもらった方が早いかしら」
そうリターニャに薦められると、僕の身体が突然発光し、ふわふわと漂う光の粒子が次々と出てくる。
「これは……まさか、現実回帰の兆候?」
「あなたはリライターとしての使命を果たしたわ。私達のための物語を考えて、実現してくれたことの証ね」
「現実世界へ戻るのか? そしたら僕等は離れ離れに――」
「ならないわ。次元を超えた絆で繋がっているもの」
ハッキリとした口調で言ったリターニャは、僕の手を握ってくれた。空いた逆の手はディオネが取った。
「また会えます。マオ様には負担が大きくなることをお願いするかもしれませんが、わたくし達のように報われないキャラクターを少しでも減らすために――」
ディオネが僕に何かを告げる前に、視界は眩いばかりの白一色に包まれ……。
――僕の部屋の、天井だ。
すんなりと現実に戻って来られた。
「夢、だった可能性も?」
手許にあったスマートフォンの画面を見ると、時刻は午後十時二分。帰宅しておよそ一時間ほど。ちょっとした仮眠で見る夢にしては、とても濃い内容であったが。
「……評判、確かめてみるか」
確認したが、やはりスマホ内にはレヴァルシアの白兎をインストールしていなかったので、デスクへと移動してノートパソコンで調べた。
まあ、ツイッターでいっか。それか攻略サイトでも……。
「……あれ?」
エゴサーチして数分で、首を傾げる結果を得られた。レヴァルシアの白兎に対するSNS上の評判は、
『各キャラが活躍するイベントシナリオが豊富で楽しい!』
『ディオネちゃん、ちょーかわいいよー。《リリース初日》からやってるプレイヤーだけど、ずっと彼女がお気に入りだねー』
『女騎士リターニャも献身的で良いキャラだよね。量産型の女騎士じゃなくって、主人公と対等の立場でやっていけるような新しいタイプのヒロインかな』
シナリオのほか、各キャラの魅力も判ってもらえており、ダウンロードランキングでもかなり上位に食い込んでいた。その点においては、確かにシナリオが良い方向に書き変わっていると見受けられるのだが……。
「リリース初日からディオネがお気に入り? それって、つまり……」
僕が想像していたリライトとは違っていたようだ。
――シナリオリライトは、世界的な歴史の改竄に等しかった。
「そういうことよ。私達以外、リライトの事実を認知していないの」
「……おおっ!?」
リターニャの声が僕を驚かせた。どこから……どこにいる?
「ここよ、ここ。あなたのスマートフォンから呼んでいるわ」
裏返しで置いていたスマートフォンをひっくり返すと、リターニャとディオネが画面に映っていた。そういえば、レヴァルシアの白兎へ行くきっかけもスマートフォンの通知だったな。
「また会えるって、こういう形なのか……」
「便利でしょ。データ通信量はかからないから、心配しないでね」
「低速制限の不安より、確認するべきことがあるんだけどさ」
掴みどころのない会話に、画面上のディオネが口元を手で隠して笑っていた。
「不思議な感じですね。電子空間内にいるわたくし達と、こうして会話できるなんて」
「僕もそう思う。リライトの結果含め……異常なことだらけだ」
「あ、『未来乃至過去改変プログラム』による影響を確認していただけました?」
「……え?」
ディオネが言った長い単語は、何故か一度でハッキリと記憶された。
――いや、僕は知っている。
前からそれを、知っていた。
「ディオネ、どうしてその言葉を……?」
「私達はマオの一部みたいなものよ。マオが知ったこと、学んだことを共有しても変じゃないわ、みたいな解釈でいいんじゃない」
代わりにリターニャが答え、改めてリライトの詳細について話してくれた。
「でね、リライトの仕組みをまとめると、あなたはリライターとしてソーシャルゲームの世界内へ侵入し、主人公の役割を演じながらシナリオを書き替えるような行動を取った……それが現実世界への結果として『リライト後のシナリオが始めからあったように』過去からの改竄がされるの」
「僕のリライトが、未来乃至過去改変プログラムが適用される引き金になった、と?」
「その通り! ま、名称が長いから改変プログラムって省略しているんだけどね。だから、あなたが担当したシナリオがアップデートで改善されたということでなく、始めからあなたが書いたシナリオが好評だったと認知されているはずだわ」
ハキハキと喋る講師のように解説するリターニャに、僕はまた驚かされた。
――昔の僕が生み出した拙い創作物が、その名称通り……未来と過去を変えるトリガーになっていた。世界は無限の可能性で溢れている、紛れもない証拠だった。
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