デシジョン
片手間の戦闘が完全に終わったと知り得たのは、森を抜けてからであった。帯状の荒野を挟んで、田舎の町が見えている。田舎と称したように、広大な農地に簡素な造りの民家くらいの特徴しかなかった。
「あの町……ではなく、僕が田舎の村と設定した舞台だったな。確か、村に入ってすぐに村長さんに呼ばれて――」
「村を襲う魔物を退治してくれ、って懇願されるシナリオね」
ファンタジー系のソーシャルゲームであれば、必ずあると言っても過言ではないほど多用されているイベントだった。勇者としての働きを見せて、村の民など大勢から感謝させて名誉を得るやり口は、ユーザーの快感を引き出すことに適している。
「既存のストーリーラインでは、マオと私の二人で魔物を倒し……その魔物を操っていた黒幕の獣使いもやっつけて、村の外れにある牢屋に幽閉されている村の自衛部隊を救出する流れで間違いないわよね?」
「その通りだ。僕はそこまで主人公に活躍させたくはなかったんだけどね。他のキャラクターを共闘という形で動かすのがシナリオの魅せ方であって――」
僕の考えを否定したクライアントの悪口を言いかけたが、冷静になって止めた。
「グチグチ文句を言っている場合じゃないな。すまない」
「いいのよ。あなたが抱えている不満は痛いほど共感できるわ」
「きみは物分かりが良い騎士だ。その器の大きさや物事に対する多面的な思考力があれば、『あの子』ともきっと上手くやっていけただろうに……」
――あの子。
そう……この先のメインクエストで、僕は一人のキャラクターをないがしろにしてしまったのだ。大人の事情だからという言い訳でまかり通るのであるが、未だに僕自身が納得していない。
「そう言ってくれると嬉しいわ。私だって、本来であれば仲良くできた相手と引き裂かれてしまったら、そりゃ悲しいもの。引き裂かれた理由がレアキャラかそうでないか、という違いだったらなおさらね」
憂うような表情で遠くを見つめる彼女の横顔を窺い、村の入口手前で足を止めた。
「この村で発生するメインクエストが、望まれない分岐点ね。あなたは既に薄々理解しているはず。これから先、リライトで何を変えるべきかを……」
僕をリライターと呼んだリターニャに、何かを期待されている。
そして、その期待は僕にとっての希望だと予感していた。
この村は本来、ユーデリカの村と呼ばれるはずだった。
「あなたが書いたシナリオが削減されて、ストーリーの掘り下げが無くなったからでしょ」
小鳥のさえずりがうっすらと響く村へと入り、人影のない殺風景な田舎の様子にリターニャは警戒しながら歩いている。
「ああ。だからここは名前を捨てられ、単純な田舎の村になってしまった」
「となれば、ここの村長や村人……自衛部隊も名前を失ってしまっているわね」
畦道を通り、民家のあるエリアへと着いたがここにも人はいない。村を襲う魔物に怯え、皆が家の中で怯えているからだった。
「確か……『どうしてこの村、人が全くいないのかしら』と私が言う台詞をトリガーに、村長と出会うイベントが発生したわよね」
「そういうストーリーラインを用意したからな」
未来のシナリオを熟知していた僕達は、予知能力者のように先の出来事を復習していた。
「その後、あなたは戦いを強いられる。主人公は『自分の力を示してやる!』と意気込んでいても、それはゲーム内で言わされている意志であって、ユーザーの選択は除外されている……」
「で、都合よくやってきた魔物を退治し、僕等はあの丘にある牢屋へ行き、村長から役立たずだと蔑まされた自衛部隊を助ける……そして、その中に魔法使いの『ディオネ・ブレア』がいるのだが――」
「あなたにとって思い入れのあるキャラクターもまた名前を奪われ、『村の魔法使い:有難うございます、勇者様! 力無きわたくし達自衛部隊にとっても、勇者様は偉大な英雄となりました』の台詞だけを残し、後は一切登場しなくなったわ」
それが大人の事情なのね、とリターニャは忌々しく吐き捨てた時、数人の村人に囲まれながら歩いてくる老人が視界に入った。イベントの起点になっている長老だった。
「待ちなさいよ……もう長老がやって来るの? 既存のシナリオ通り進んでいないわよ」「恐らく、リターニャがさっき、『どうしてこの村、人が全くいないのかしら』と言ったことだけに反応してフラグが立って、長老が登場したんだよ」
「出来の悪い人工知能ね。まあ、私も人間じゃないんだけど」
辛辣と自虐を織り交ぜた彼女の言葉は、深みがあった。ソーシャルゲームにおける自由意志を奪われているのは、ユーザーだけでなくキャラクターも同じだった。
「これはこれは……! こんな辺鄙な村に勇者様が現れるなんて、素晴らしい奇跡ですな」
大仰な口調で僕の来訪を喜ぶ村長は小走りで近づき、取り巻きの村人は祈るような仕草でその場に跪いた。
「安っぽい奇跡ね。マオが用意したシナリオだから当然の結果じゃないの」
「そちらは……ビタードフォルテ騎士団長でありますな。ご足労いただき感謝しますぞ。早速で恐縮ですが、村長の私からお願いしたいことがあって……」
「私とマオに魔物と戦えって言うんでしょ。断るわ。大事な仲間になっていたはずの魔法使いを助け、彼女達自衛部隊を活躍させたいからね」
僕が本来望んでいたストーリーラインを、リターニャが代弁してくれている。
「この田舎の村を襲う魔物達を退治してもらいたいのです。一応、剣士や魔法使いで構成された自衛部隊もいるのですが……彼等は弱く、魔物を操る獣使いに囚われており、不甲斐ない有様でありますな」
「あの子達は弱くないわ。主人公を極端に崇拝するソーシャルゲームの犠牲者になっただけよ」
「勇者様の力ならばきっと……御一人でも魔物を倒せると信じております」
「ずっと無視なのね。既定の台詞以外のレスポンスができない悲しいモブキャラね」
悲しいのは僕もだった。全くもって説得が通用しないシナリオの強制力に、苛立ちを隠せない。
「――村長! また魔物が現れました! 民家を襲っています!」
遠くから慌ててやって来た村人がそう叫ぶと、頭を抱える村長は改めて頭を下げた。
「救世主がいない限り、この村は終わりです……! どうか勇者様の力添えを!」
「……マオ!」
我慢の限界を超えたリターニャは、縋るような目線を僕に向けた。視界にはソーシャルゲームにありがちな選択画面が出現し、
《やってやるぜ!》
《自信はないけど……》
拒否権のない無意味な二択が僕に与えられている。どちらを選択しても魔物との戦闘が始まり、主人公至上主義の強引なシナリオが垂れ流されるに違いなかった。
「この世界を創ったあなたなら、未来を変えられるチャンスはあるわ! つまらないシナリオの強制力を超克するリライターの可能性に……私は賭けているのよっ!」
彼女に促されなくても、それは僕がずっと前から待望していることだった。
リターニャ達がいるこの世界に僕が呼ばれたのは、キャラクターのキャラクターによるキャラクターのためのシナリオへ書き直すことだ!
「……ああ。課金ユーザーを獲得するためだけのスカスカな物語に付き合わせてしまって、申し訳なかった」
彼女の喚起は僕に思い出させたのだ。シナリオをソーシャルゲームの消耗品として扱わず、楽しい物語で寄り添うキャラクターみんなの幸福を――。
僕は剣を手に取り、『リライター』としての大きな一歩を踏み出した。
本来であれば敵や魔物を倒すための武器は時に、新たな物語を紡ぐ道具として生かされ、鋼鉄の刃は僕とリターニャを苦しめていた『二択』を叩き斬った!
「僕達よりも活かしたいキャラがいるからこそ、ポッと出の主人公が出しゃばって英雄を気取るような真似はしなくないね」
空間上に浮いていた選択肢は想像以上に脆く、固まったペンキの塗装がパラパラと落ちるように崩れ、儚い紙吹雪越しで村長に向かって『僕自身が思う生きた言葉』を告げることができた。
「ゆ……勇者様……どうして……?」
皴の目立つ顔面を硬直させている村長は、怯えているようにも見えた。
「強制的に進行するストーリーラインなんてつまらないじゃない、ってことよ」
常軌を逸した(この世界に呼ばれた時から既に常軌を逸しているが)僕の破壊行為にリターニャは満足したようで、声を弾ませている。
「期待していた通りだわ。あなたは三流シナリオライターで燻っていいはずがない、強いクリエイター様よ! さあ、ここからは私達の自由意志によって語り継がれるストーリーラインの橋渡しが始まるわ!」
この時、叶わない願いを叶えてくれた彼女に対して感謝の思いでいっぱいだったが、変えられる世界に立ち会えた今、一刻も早くリライトシナリオの行動に移していきたいという欲求が先行し、
「僕があなた方村の住人をすぐに助けなくても大丈夫です。低年齢向けゲームの都合上、虐殺は起こり得ないので……この村を本来守ってきた自衛部隊に、本来の役目を与えてきます」
村長や村人達にとって意味不明な根拠を残し、僕とリターニャは丘の牢屋へと走っていく。聞いたことの無い不気味な獣の鳴き声が微かに聞こえてくるが、まだ間に合うと僕は確信している。
何故なら、僕がいまこの世界のシナリオを書き直しているからだ!
「一般的なRPGであれば、立派な背徳行為ね。勇者様が逃げて村の部隊に助けを求めているなんて」
「でも、常識的な思考だとそうなるんじゃない。テロリストと戦う妄想をする思春期の学生は大抵の場合、警察に頼らず自分だけで解決するのと同じように、ファンタジーはあくまでも非現実の夢物語なのさ」
ゲームにおけるシナリオで、それぞれが思っていることを語り合える余裕があった。
「それも判るけど、ファンタジーの主人公の性格を思慮深く設定すると物語の見せ場がなくなるって……識者から悪口を言われそうだわ。難しいわね、シナリオライターの仕事って」
寂しげに声を落とすリターニャに、僕は心配されていた。
「僕もそういったデメリットは覚悟している。であるにしても、今のソーシャルゲームで非現実としての面白味や柔軟性が著しく削られている事実に、より危機感を抱くべきさ。勇者が集落を救うヒーローになるのがテンプレとして使い古されていて、その勇者は決まって無根拠の正義で熱く語ったり、努力をせずとも……人によっては課金が一種の努力と考える場合もあるけど……他のキャラクターから崇拝され、快感を得られるストーリーは今や当たり前になっている」
「由々しき事態ね。昔みたいに、努力第一の地道な成り上がりはユーザーに評価されないのかしら」
「……リターニャにとっての昔もあるの?」
「うーん、何かあるみたい。マオのいる現実の過去を生きていないキャラクターなのにね」
曖昧な自意識に困り、彼女は苦笑いを浮かべた。宝石のように輝かせる髪がなびいて頬に張り付いている。疾走しながら、彼女はどんな動作をしても絵になると思えた一方で……。
どうして彼女……リターニャ・ガードレッドは僕と同じ視点で話せるのだろう?
いや、それどころか……通常の人間以上に、人間味のある言葉を使えている。
まあ、僕が書いたキャラクターの一人だから、僕の一部としての思考が働いているというメカニズムが有力、なのか?
いずれにせよ、解明の難しい世界だ。
「あら……何か困ったことでも?」
眉間に皺を寄せていた僕に、リターニャが気にかけた。
「人知を超えた現象に、僕なりの解釈が行き届いていないことが多くてね」
「少しずつ整理していけば問題ないわ。大事なのは過程でなく結果よ。あなたの書いたレヴァルシアの白兎のシナリオをリライトできる可能性がある以上、それに向かって動くことに集中しましょ」
もっともな話であり、僕は頷いた。
だが、この世界におけるリライトで……結局どうなるんだ?
「きみの言う通りだが、主人公になった僕が新たな物語を歩むリライト行為で、現実にどう影響することになるの? 突然シナリオを変わって、現実のプレイヤーやゲーム会社のクライアントはパニックにならない?」
「安心して。ある程度の見当はついているけど、後になったらちゃんと説明するから。『クローラー』である私の機能がどこまで確かなのか、時間と確証をもらえればマオが喜ぶ『改変プログラム』を教えられるわ」
クローラー……改変プログラム。
興味深いワードが出てきたが、把握しようとすると逆に混乱してしまう恐れがあるから、今は彼女に従い、自分が望む主人公としての立ち回りに集中しよう。
僕が思うに、彼女は僕以上の『何か』を知り得ている。
だから、僕は彼女を強く信頼して、先へと突き進む。それでいい。
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