第一章 リライター 《レヴァルシアの白兎Ⅰ》
チュートリアル
「……ここは……どこだ?」
目に映る光景は緑色を中心とした色彩が加えられ、森の中にいる自分の状況を理解させられた。
理解させられたという言い方をしたのは、『どうして』という疑問を拭い捨てるような運命の強制力が働いている気がして……。
周辺を探るように観察すると、もう少しだけ現在位置の情報を掴めた。
背後には水たまりを少し大きくした程度の湖(いや、池だろうか?)があり、その湖を挟んだ反対側には頼りない小路が伸びていた。
「よかった……あなたをゲーム内に連れて来られて」
冷たい空気を鋭く切り裂くような声音がして、傍にいた人物を視界にとらえた。
安堵の表情を浮かべている相手は……見覚えのある女騎士だった。
「……きみは、リターニャか?」
「そうよ。この世界、レヴァルシアの白兎のヒロインとしてあなたに書いてもらったリターニャ・ガードレッドよ」
「そうか」
一旦黙った僕は、彼女の身形を熟視した。
オパールの輝きに劣らない、青白い髪。
戦場に降り立つ覚悟を備えた、真摯な瞳。
巨大な獣を切り裂くのに相応な、大剣。
華奢な身体を守る、白金の鎧。
どの特徴も、誰でもない僕が与えたものだった。レヴァルシアの白兎に登場するヒロイン、リターニャ・ガードレッドが今、実際……実際に?
「これは夢?」
「夢じゃないわ。私がマオに『リライト』してもらいたいシナリオがあるから、スマートフォンを介してあなたを呼んだの。ええ……あなたに会えたのは奇蹟だわ」
感慨深く語るリターニャに手を握られた。彼女の体温を直接感じられる……。
「だとしたら、本当に自分が作ったソーシャルゲームの世界に入ったとでも?」
「間違いないわ」
「で、僕がリターニャに連れて来られたのは、リライトだと言っていたが――」
状況把握に努めようとしたが、樹々の奥から何か迫って来る音が聞こえ、警戒するリターニャの強い目力に言葉を止められた。
「悪いけど、立ち止まって話す時間はあまり無いわ。こっちへ走りましょ」
想像以上の腕力で引っ張られ、リターニャに小路へと誘導された。その際、湖の水面に反射して映し出されていた自分の恰好を、少しだけ確認できた。
リターニャと似たような装備……鎧と剣を身に付けている戦士が僕だった。
「僕は……主人公、いや……この世界の勇者でいるのか」
「少しずつ状況を理解してもらっているかしら。それと捕捉で、このゲームのあらすじについて思い出してみてはどう?」
軽快に走るリターニャは涼しい顔で提案してくれた。確かに、ここが本当の本当にソーシャルゲームの世界であるならば、制作に携わった者の記憶よりあらすじを語れるはずであり、実際に語り得た。
《レヴァルシアの白兎 あらすじ》
――これは、魔法と剣による争いが絶えない世界の話。
かつて、平和に包まれていた浮遊大陸・レヴァルシアは、突如として起きた天変地異によって……全知全能の守り神だとされていた白兎を失ってしまった。
それから、めいめいの国家は協力を放棄し、途轍もない強制力に支配されたかのように戦争を始めたのだった。
白兎がいない今のレヴァルシアを首都・ビタードフォルテの兵力で統括することが難しくなり、ビタードフォルテ騎士団長であるリターニャ・ガードレッドはやむを得ず……白兎の代理となる勇者を探す旅に出かけた。
大陸中を捜索し、一縷の望みに縋ったリターニャの思いは通じ、大陸の南東にある小さな村でついに白兎の力を有する勇者と出会ったのだが、平和を厭う各国家の刺客がすでに迫っていたのだった……。
「なるほどね……状況はこうだ。ビタードフォルテ騎士団長のきみが主人公である僕のもとにやって来て、レヴァルシアを救ってくれと頼まれた。しかし、首都・ビタードフォルテの統括を望まない他の国家の敵が、僕を狙っているという訳だな」
薄暗い森の小路を走り続けているものの、僕と違ってリターニャは一切息切れしていない。
「流石はこの世界を創ったライターさんね」
「リターニャは僕に書かれたメタ的発想……フィクション性を客観的に認識しているの?」
「ええ。私がキャラクターの一員であることは自覚しているわ。でも、ここは私にとっての現実であり、大切な物語だと断言し得るのよ」
現にこうして話しているリターニャの自我がどうなっているのか、とても気になるところだった。ここがゲームの世界……だとしたら、戦いにも巻き込まれることに……。
予知していた危機は存外早めに訪れた。
進行方向に澱む闇から斧を持った人影、いや……獣のシルエットが三体ほど現れる。
「……あれは!?」
僕達は足を止め、不気味な呻き声をあげる未知なる敵と睨み合う。
「グルルル……」
その獣達の特徴を、何て言えばいいのだろう。四足歩行でいる熊の手足を人間に寄せた感じか?
ただ、その手足が妙に長く、不格好なスタイルになっている。短い手足に斧は似合うが、これでは非常にバランスが悪い。
「フィアーザ国の獣兵隊ね。あのオークは……マオ以外のディレクターが設定したものかしら。あまりピンと来ていない顔をしているようだけど」
「恐らくは、ね。改めて実物を見ると、センスのない敵デザインだと思ったよ」
僕がメタ的批判を口にすると、リターニャは微笑を浮かべた。
「同感だわ。私があなたによって創られたキャラで、心から感謝しているわよ」
喋りながら自然な動作で剣を構えるリターニャは、迷わずオーク達に向かって突進する。動きが鈍磨な獣とは違い、彼女の素早さはフィギュアスケーターのような美しさも兼ね備えており、一閃の剣戟で一体のオークを倒した。
「あなたもその剣で戦いなさい。仮にも勇者なのだから!」
彼女に促されて柄を握り、鋼の刀身を太陽の光に晒した。片手で扱うには少々重く、人外の魔物を切れるのかどうか不安になってしまう。
「これは……チュートリアルみたいなものか」
「あなたは、初めての戦闘に惑うような人じゃないはず。この先のシナリオを思い浮かべてみて。そうすれば自然と……自分のするべきことが身体に伝わってくるわ」
リターニャは大剣を下ろし、樹に隠れて残り二体のオークと距離を取った。この始末を僕に委ねたのだ。
――この先のシナリオ……ああ、そうか。
ソーシャルゲームにおける初めての戦闘に、苦戦する敵など用意するはずもない。各コマンドの操作説明を流れ作業で進めれば、楽に勝利できるはずだ。
「グアアアアアアッ!」
大きな歩調で迫ってくる二体のオークに、落ち着いて対処できる心持ちになった。斜めに振り下ろされた斧を見切り、軽々と避けてから無駄のない動きで斬撃を加えた。
剣の重さはさほど感じなく、力無く地面に伏せた敵達は短時間で勇者としての力を体得したことの証であった。
「……倒せた」
「流石勇者様ね……と褒めるのも悪くないけど、マオの使命は勇者として世界を救うことではないの」
倒した三体のオークはほどなくして光の砂に変化し、森の隙間を縫うように吹く冷たい風に流されていった。
「どうやら、ここは夢でもなく僕が知っている現実でもない……ソーシャルゲームの世界だということを再認識したさ」
「聡明で助かるわ」
「……で、先程の話の続きだが、シナリオのリライトが……」
僕がレヴァルシアの白兎に招待された理由について、今一度確認をしたく思う。
リターニャは頷き、重要な言葉を声に出す間の取り方で僕にこう伝えてくれた。
「私達キャラクターが望むべきストーリーラインに書き換えること。それがあなたの役割であり、希望でもあり、『リライター』としての使命であるのよ」
「……!」
まさか、彼女は僕の苦悩を知っていたのか?
「そんなに驚くことかしら? 私達キャラクターとあなた自身が前から求めていたことじゃない」
「や……こんな形でシナリオと向き合うなんて、夢でも叶わないことだよ」
「じゃ、その夢でも叶わないことを私と一緒に叶えましょう」
泰然と約束を取り付けるリターニャは、再び歩みを進めた。
「この先も単調なエンカウントが続くから油断しないで。まあ、油断さえしなければ倒せる敵だから問題ないけどね。所詮はユーザーにゲームの操作手順を教える段階だから」
「あ、ああ……」
僕が知っていた『レヴァルシアの白兎』のリターニャ・ガードレッドは、どんな状況でも主観だけで考えるのではなく、物事を俯瞰する力を有していた。
ビタードフォルテ騎士団長の名に恥じない精神的な強さを間近で感じ、頼もしい彼女の背中についていく。
その後も未来を知っていたかのように、同じような敵……オークが二度出現し、二度とも僕とリターニャの剣で両断された。主人公乃至勇者である自分の戦い方をシナリオ文章に置き換えると、身体が全自動で動かされて驚異的な身体能力を発揮するイメージのようだ。
「ちなみに、モンスターを倒した時に得られるギルとかは?」
「可視化されてないけど、あなたの腰にある多次元式サイドポーチへ入金されているわ。能力値を上げるアイテムも同様ね」
「現状、僕の攻撃手段は剣のみだけど、リターニャは魔法を最初から使える設定だったね」
「雷属性のね」
走りながら彼女は左手から稲妻を四散させ、僕達を追跡していた残りの敵を吹っ飛ばした。
「最初から魔法を使ってくれた方が楽に済んだのに」
「マオが書いたシナリオの強制力が働いているのよ。面倒にしているのはあなた……いや、紋切り型のソーシャルゲームが元凶ってことにしておくわ」
スマホゲーにありがちな話の作り方に、リターニャは辟易していた。
「あなたに文句を言うのは間違っていることくらい、判っているわよ。反知性に浸食された今のソーシャルゲームは、シナリオの価値よりもキャラクターデザインや……そのキャラクターの強さに直結するガチャが重視されているのでしょ。そんな時代になったのだから、ゲーム会社はシナリオの価値基準を見誤っているのね」
「リターニャ……きみはゲーム外の現実を知り過ぎてしまったのか」
多分ね、と消え入るような声で彼女は呟いた。
僕が与えたキャラクター設定によると、リターニャは二十一歳であるはずだったが、ほんの一瞬……一回り年を取ったような彼女の疲れを読み取れた。
「やっぱり僕が間違っていたんだ。クライアントの要求に頷いているだけでは、キャラクターを幸せにできない。主人公もといユーザーの傲慢な欲求を満たすためのシナリオは、商業的には成功してもライターとキャラクターは報われないよ」
敵の気配が消え、疾走からゆったりとした歩きで移動する僕は俯き、
「ごめん、リターニャ」
情けない声で謝った。
「勇者らしくない落ち込み方ね。背筋を伸ばして前を向きなさい。あなたが大変なのは、これからなのよ」
「大変なのはこれから……」
抑揚のある話し方で僕を叱り、意味深なことをリターニャは伝えてくれたのだった。何が大変になるのか、すぐに判明することだったのだ。
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