エピローグ

エピローグ

 ラップトップを置きっぱなしにしていた丸テーブルの席に戻り、暫し茫然としていた。


 ――僕は、夢を見過ぎていたのだろうか?

 

 日曜日の昼間、ルーティンになっているカフェでの作業中……疲れが極限まで達した僕はトイレへ行くルートから外れ、掃除用具入れになだれ込み気絶していた際に見た夢である可能性もゼロではない。

 だが、この茫然は自失と結び付く四字熟語にはならず、僕の心は満たされている。

 全てをやり遂げた充実感の余韻に浸っている、という解釈が正しいのだ。

 もう一度立ち上がり、洗面台で顔を洗ってから気を引き締めて、テキストファイルが開かれている画面と向かい合った。

 僕は成し遂げた。無理かと思っていた強制イベントのシナリオも更新し得た。

 今後も、リターニャ達と一緒に価値の失われたゲームシナリオの改善に務めていくだろう。

 でも……残念なことに未来乃至過去改変プログラムを伴うリライトの報酬はない。無給の仕事である。

 そして、土岐瀬舞於はリライターであり、現実を生きるシナリオライター兼ディレクター。

 だから、休日とか関係なく他のライターが納品してくれた作品をチェックしたり、クライアント側との折衝をしたり、人手が足りていない分のシナリオライティングを担当する。そうでないと、経済的にどうしようもないから。僕は会社の歯車だから。

 とは言っても、前のように腐ってはいなかった。

 僕が思い描くシナリオへと強引に……世界ごとリライトする力があれば、いつかソーシャルゲーム業界はそこらの文学に劣らない読物として評価される日が来る。

 ユーザーの承認欲求を満たす消耗品という扱いから逸脱した……キャラクター達の邁進が加速し、読み飛ばされるシナリオは一つもない究極の物語が世界へ知れ渡る日においても、小数点以下の微々たる変動であるが蓋然性(プロバビリティ)は上昇したに違いない。

 できる……書けるんだ。

 クライアントからの指示に従うのが嫌ならば、ソシャゲー業界の流行を変えてしまえばいい。

 希望を抱ける今、キーボードを打つ手が非常に軽い。

 タイピングされる一字一字が僕の血となり骨となる……言わば僕の生き方を示せる、ヒロイックな仕事を誇りに思う。

 

「――真面目なのね。もう通常業務?」


 静電気に触れたような仕草で手を止め、見上げると……右手にドリップコーヒー、左手に文庫本を所持している瑞嘉が目の前にいた。

「相席、よろしいでしょうか」

「どうぞ」

「じゃ、図々しく座るの」

「どうして僕が此処にいると?」

「休日は駅前のカフェで過ごすって、前々から舞於が言ってたじゃない」

「そっか」

「そうなの」

 現実では会社以来で会ったことになる相手は、かつての距離感で僕に接してくれた。

ラップトップを閉じ、コーヒーカップを置けるスペースを作る。瑞嘉は文庫本だけテーブルに置いた。

「意外だった?」と、主語不在の構文を与えられた。

「……ショックだった」と、僕も最大限まで削った言葉で返した。

「私がソーシャルゲームの世界に行けた時……既に舞於が学園モノの……アイドルスクールで何か物語を変えようとしているって知ったから、真っ先に止めようと思ったの」

「僕のシナリオ論、瑞嘉は今まで穏やかに聞いていたが、心の底では嘲笑っていた訳か」

「……そうね。本当にごめんね。過去の私は馬鹿だったの」

「いいんだ。僕は怒っていない。むしろ嬉しいのさ。だって、リターニャ達に呼ばれ、リライターとしての力を得なかったら、瑞嘉は僕を今でも恨んでいたことになり、僕だけがのうのうと生きている世界線になっていたからね」

「舞於は優しいの。いっそのこと、私を罵倒してくれてもいいのに」

 コーヒーカップを見つめ、手を動かさずに瑞嘉は話を続けた。

「でも、そんな優しさに甘やかされてもいいのかな」

 ノーメイクで外出してきた彼女の顔は、より幼く見える。

 あの時……大学のサークルで……そして、食堂で……執筆した小説のことや読書のこと……とりとめのないことを語り合った想出の中の彼女と一致した音羽瑞嘉が、もどかしそうにしながら、

「舞於は、私のこと、好きなの?」

 異国の言語を話すような口調で、僕を驚かせた。

「いや……そうじゃないの。私が、その、舞於のこと……好きなの」

「ど、どうしたのさ突然」

「違うの。いや、違くないの。私も嬉しいの。舞於が会社で偉い立場になって、私だってもっと努力してるのって言いたくなるけど……嫉妬の裏でずっと消え去れない感情があって……」

「……困っているのか。瑞嘉の言いたいこと、何となく解る気がするけど……早急に気持ちを整理しようとしなくてもいいよ」

 あたふたしている彼女に対し、僕は落ち着かせるようにした。

 そうでもしないと、僕が動揺してしまう。

「僕等の関係は平穏そうに見えて、実は複雑だった。それをもっと複雑な世界舞台で解決したから、まだ感情はバラバラに散らばっているのさ」

「そう、なのね」

「それに……瑞嘉と比較するのもなんだけど、リターニャからも同じようなことを告白されたんだ」

「え? リターニャちゃんが? 舞於のこと、好きだって?」

 

 ――主人公を守護する騎士に恋慕は不要だと冷酷に決めつける私もいれば、マオにとっての特別な女性でいたい私もいるの。

 

 デフォルトの立場であった慇懃実直な女騎士から、新たな意志が芽生えていたリターニャの戸惑いも、僕はしっかり覚えていた。

「……好きって言ったかどうかは、覚えていないな」

 でも、自分が愛されていることをひけらかしている気がして、わざと記憶を曖昧にさせた。

「はいはい、要はモテ自慢なの」と、瑞嘉の声は冷たかった。

「バッサリとした解釈は止めていただきたい。そういえば、瑞嘉はもう世界改変の影響を確認した?」

 結局、瑞嘉に思惑を読み取られてしまった。むず痒さをどうにかして緩和したく、話を強引に切り替えた。

「さらば魔法少女の光における認識の変化、でしょ。もちろんなの」

 間を置かず、早口で言った瑞嘉にラップトップを奪われ、パチパチとキーボードの快音を鳴らし、画面を見せられた。

「この記事、舞於も見た?」

「ああ。まさか……ネットニュースで取り上げられるほどの評判になるとはね」

 現実世界に帰ってきてからすぐに、『さらば魔法少女の光』を検索にかけた。キーワードを追加しないとユーザーからの評価は解らないかと思ったがその必要はなく、トップで出てきたネットニュースで瑞嘉の改心が報われたことを証明したのだ。

 

 ●  ●  ●

 

《話題沸騰! さらば魔法少女の光が魅せる文学的世界観とは?》

 

 今年よりK社からリリースされたソーシャルゲームが、ネット上で高い評価を受けている。SNSや掲示板では『今までにない世界観』『ノベルゲームよりも練られた重厚なシナリオ』『Y・K氏の小説を読んでいるような満足感』などポジティブな感想が多く、プレイヤーを楽しませる要素が凝縮しているほか、独創的な色合いになっていることが窺える。

 

 『さらば魔法少女の光』というゲームタイトルを見る限りだと、流行りの魔法少女モノや殺戮描写の多いダークファンタジーなど、ある程度の推測はつきそうだ。実際、メインストーリーは魔法少女との協力を決断する導師の旅立ちで始まるが、幼い少女が世界を支配する敵と戦うものの、容赦なく殺されるシナリオが目立ち、既存アニメの二番煎じや既視感といったマイナス的な印象を受ける。

 

 ただ、このゲームは突然方向性を変えた。

 陰鬱な世界で魔法少女達が敵を倒した後のストーリーが、全くの別物だったのだ。

 

 世界を支配していた『創始者』が転生し、魔法少女達の仲間になると、今度は平和な世界における語らいが始まる。言わば、鬱ゲーから日常ゲーへの路線変更という思い切ったストーリーをソーシャルゲームへ導入したのだ。


 加えて、その日常パートにおけるシナリオのボリュームが大きく、洗練された文体でキャラクター達が対話を繰り広げる。ほのぼのとしたピクニックで楽しい時間を過ごす魔法少女達は一方で、ファンタジーとは何か……世界内で死ぬこととは……幻想や死生観などに触れた深みのある会話も織り交ぜながら、自己の存在を顧みるシーンも少なくない。


 魔法少女の死闘に寄り添っていたプレイヤーは間違いなく、突然の平和な世界と文学的なシナリオに戸惑っていたことであろう。とんでもない方向転換に、シナリオライターが過労で逃げて全く別のジャンルの小説家を雇ったのではという憶測も出ている。

 

 ところが、面白いことに……さらば魔法少女の光における文学的世界観がネット上で広まってから、ユーザー数は着実に増加した。先月のダウンロードランキングではついに一桁台まで来て、更なる人気拡大も期待されている。


 普通に考えれば、若者向けのゲームには自然主義に属する純文学はマッチせず、企画段階で却下されるであろうし、そんなゲームがヒットするはずもない。

 しかし、さらば魔法少女の光は多くのプレイヤーに愛され、従来の年代層に限らず幅広く支持されるゲームになった。

 

 この現象は恐らく、スマートフォンの普及に伴いソーシャルゲームが増殖しつつある反面、それまで軽視されていたシナリオの文章表現に新たな試みや変化を求める声が大きくなっている背景と関連しているのでは……と個人的な見解を述べたいところだが、キャラクターデザインが重視されるソシャゲーでそのような流行は正直考えにくい。

 

 さらば魔法少女の光に秘めるポテンシャルとビッグヒットは偶然の賜物なのか……それとも、ソーシャルゲームにおける流行の兆候なのか……今後も目を離せないことは確かである。

 

 ●  ●  ●

 

 記事のサムネイルで使われている画像には、導師の女の子と……セーラー服を着た水上日葵の二人が眼を瞑り、抱き合っていた。

「導師の顔デザも変わっていないか?」

「うん。どことなく、舞於に似ているような……舞於の顔をそのままアニメチックにしたら、こんな感じになるの」

「何にせよ、瑞嘉が書いたシナリオが文学的にも高評価で良かったな」

「でも、ライターの名前は出ないから、不服なの」

「リライトは仕方ないさ。ゲリラ活動を行うゴーストライターみたいなものさ。流行のきっかけは作ったから、後は現実で……ヴァニティで名前を堂々と名乗れるほど実力のあるライターになって、活躍しようよ」

「夢があるのね」

「夢を叶えるためには、休日の稼働も厭わない。クリエイティブ系のワークであれば、猶更ね」

「おおっ、意識高いの」

 揶揄うように拍手をする瑞嘉は、もう一度ラップトップの画面を見て、ショットカットキーを使ってウィンドウを切り替えた。

「もしかして、私がこの前提出したカードシナリオもチェックしてた?」

「まあね」

「訂正する必要はありそう?」

「キャラの口調もしっかり守っているし、プロット通り丁寧に描写してくれているからこのまま納品するよ。ありがとね」

「どういたしまして」

 持っていたカップをテーブルに置き、砂糖とミルクを入れ、スプーンでかき回さずに一口つけた。

 甘い味に満足した瑞嘉は、両腕を真上に挙げて伸びをした。

「これからもよろしくね、私の信頼できる上司さん」

「何を言っているんだ。瑞嘉も頑張れば、僕と同じディレクターになるんだ。というより、仕事量が多いから一刻も早く昇格してもらわないと困る」

「じゃ、舞於に追いついて、頑張って追い抜くよ」

「追い抜く? マネージャーまで目指すのか?」

「それも選択肢の一つだけど、シナリオライターを続けながら……舞於と一緒にリライターでゲームの世界に干渉しながら……また小説家を目指そうと思うの」

 瑞嘉は吹っ切れた。清々しい心持ちで、大胆な生き方を選択した彼女の姿は、今までで一番綺麗に見えた。

「舞於も小説、書いてみたら? シナリオライターでは表現技法が限られるから……そうね、いっそのことリライトの世界干渉でシナリオを完全なる小説形式にさせる、というやり方も悪くないの」

「随分やる気に満ちているな」

「いいじゃん別に。それとも、リライトで個人の創作目的で滅多矢鱈に楽しく書き換えちゃダメかな? やり過ぎ?」

 本来、この力は不憫なキャラクターの救済措置のために生まれたものだから……あまり濫用するのは……と諭すのは無粋だった。

 皆が楽しければ、それでいい。

「それがいいさ。瑞嘉は妹みたく、いつだって天真爛漫に笑っていてくれ」

「あっは。私が妹なのね。じゃあ、妹の妹である日葵ちゃんも、舞於の妹なの」

「日葵が良いと言うなら、そういう風にしておこう」


「無論、良いに決まっているよ。土岐瀬さん――いや、舞於おにいちゃん」


「――ん?」

 ついさっきまで、あの世界で耳にしていた《彼女》の声音が、遠い昔の想出を記憶のテープで巻き戻して再生したような……強烈なノスタルジーが僕の心を満たした。

「日葵……」

「日葵ちゃん……私の傍にまだ、居てくれるのね」

 文庫本のページに挟まれていたスマートフォンが静かに振動し、見覚えのあるネモフィラの花畑をバックに水上日葵の微笑みが映し出されていた。

「さっきはありがと。ガードレッドさんとディオネさんの計らいで、私もクローラーの権限をもらったのね。これからも一緒に、いろんなゲームの世界に行って粛正するのね」


「――仲間が増えたことだし、もっと頑張るわ」


 そして、僕のスマートフォンからも、二人の呼び声があった。

 

「――出来ないことはありません。変えようとする努力と……次元と存在カテゴリーの枠組みを超越した共存意欲があれば……幸せの扉が開かれるのであります」


 生きていることを強く現すかのように、テーブルに置いたスマートフォンは鼓動を続ける。

「ねえ、舞於。私達が今、経験していることって本当に現実なの?」

 画面内にいる日葵に手を振りながら、瑞嘉が意味深長な質問をした。

「現実に決まっている。日葵も……リターニャも、ディオネも……『実際に存在している仲間』であることを疑うのなら、夢であるかもしれないが……」

「じゃ、現実なの。みんな、直向きに……束縛されていない自由意志があるからなの」

 僕の答えに納得してくれた。僕自身もその答えが世界の真理だと思っている。

 

 空想のキャラクターを尊重し、幸福を与えるシナリオの究極は、こういう形で辿りつくと僕は悟った。

 共存……共存在……実存協同……様々な表現がされると思うが、要は《一緒に生きる》物語こそ僕達が求めていた未来であり、シナリオライターのつまらない懊悩を捨て去る方途となる。


 僕からこれからも、書き続ける。

 課金を目的に片手間で創られたシナリオを否定し、《価値のある》ストーリーラインを与えていく。

 時に傲慢であるかもしれない。ゲーム世界の《神》にでもなったつもりかと、今後もリライトを妨害する存在が出てくるかもしれない。

 だが、僕がやっていることは間違っていないと主張する。ソーシャルマーケティングから逸脱した創作活動であっても、経済では語り得ない利益を得ているのはリライターだけでなく、キャラクターも……《幸福》という形になって贈られるからだ。


 僕は神ではない。不完全なシナリオライター乃至リライターにできることは、キャラクター達に慈悲を与える以外に何がある?


「舞於……あなたは優しい女神ミューズなの。キャラクターも、私にも正しき道を教えてくれたのね」

 瑞嘉の言葉には、否定したい思いもあった。僕はいつまでも女の子では居られない。現実では安月給で働く成人男性だ。

「その肩書き、ミズカのネーミングセンスが光っているわね。私も気に入ったわ。《ミューズ・リライター》トキセ・マオって今後は名乗りなさいよ」

 リターニャの提案には流石に、黙って流せなかった。

「恥ずかしいな……」

「じゃあ、ミューズのトキセですって名乗るのは?」

「言い方の問題でないのですが」

「マオ様、可愛いから女神でもいいのです」「別のゲームでも舞於おにいちゃん、女装するのね」

 皆からクスクスと笑われ、逆紅一点の立場だと反論も難しいと諦めた僕は、楽しい時間を過ごしたいと思える純粋無垢な感情を大事にした。


 その意志こそ《女神(ミューズ)》と呼ばれる所以だと気付くのも同時であったが、彼女達から慕われる一つのファクターだと思えば、悪い気はしなかったのも事実であり、全知全能の《神》から抜け出せた喜びもあり、斯くして僕は明るい未来のシナリオを手に入れたのだった。

            (了)

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ミューズ・リライター 春里 亮介 @harusatoryosuke

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