独我

 やはり自分語りは得意ではないと感じたのは、手汗をビッショリとかいていたからだった。心的負担が厖大である回想は避けたいが避け難く、瑞嘉との関係を考え直すためには必要なことであった。

「瑞嘉にはきっと、僕よりもライターとして優秀でありたい……強いプライドがあったんだ。それを僕が、傷つけてしまった……」


 ――舞於は私より先にディレクターに昇格し、会社から評価された……でも、私は納得していない! 私だって一緒に頑張ってきたのに……どうしてはこっちの台詞だよ!


 瑞嘉の心から迸った叫びは鋭いナイフのごとく、今でも僕の心臓に突き刺さっている。

「マオは何も悪くないわ。あなたがシナリオライターの仕事を片手間に行い妥協していたのであれば、ミズカは怒る権利はあるだろうけど……」

 夕暮れの海岸へ僕の意識が移り、時間が経過しても依然として沈まない赤い太陽を背景に佇むリターニャの目を見た。

「確かに僕は妥協をしなかった。自分が大事だと思うシナリオ論をずっと守ってきた。だけど、それで僕が瑞嘉より質の高いシナリオを書けていたかどうか……それこそ、ヴァニティ側で社員の評価が正しく為されていたかどうか、瑞嘉が不信に思い、裏切られた感情に繋がったのさ」

「そ、そうでしょうか……? マオ様のシナリオが間違っていたとは、わたくしには到底思えません。だって、レヴァルシアの白兎でわたくしを救うシナリオへとリライトしてくれたじゃありませんか。低レアキャラに幸福を与えてくれたのは、誰だったのでしょうか?」

 ディオネの反駁は経験論に基づくものであり、間違っていない。

 だのに、僕は首を横に振った。

「僕のシナリオリライトはゲーム会社乃至クライアントとユーザーの要求事項を無視した、自己満足を目的としていた。もちろん、僕はそう思っていなかったさ。キャラクターを活かすシナリオを制作できれば、自然と他者のニーズを満たす……クオリティを保障したストーリーができると信じていた。でも、さらば魔法少女の光で露呈したのは……不完全な主人公の形成だった」

「不完全な……」

 僕の自信喪失の根幹を読み取ったディオネは反芻し、黙った。

「瑞嘉が僕のシナリオを否定する根拠は、主人公への感情移入なのさ。強制イベントの書き換えができなかったのは、さらば魔法少女の光における主人公……導師である女の子の行動意識や立場を完全に理解していなかったからだ。周囲のキャラクターを含め、主人公にも気を遣っていたつもりであったが、僕はあの時から成長していなかった」

「あの時、ですか?」

「僕が初めて長編小説を書いた時……それも主人公は女の子だった。瑞嘉から、年齢に合わない言動だと指摘されたのは僕の文学センスが偏っていたからであり、小説家としてもシナリオライターとしても通用しない創作はいつかこうして、自分自身を苦しめる結果になるのさ」

「そ、そんなことありません!」

「同情は無用だ、ディオネ。僕がネガティブになっているのは『私ってブスだよねー』と言って『そんなことない可愛いよ』の賛辞を待っている女と同じ手口を利用していることと同義でなく、瑞嘉の言っていることは正しいから僕が書いたシナリオが間違っていると証明されたんだ」

 悪辣な表現を用いてディオネを突き放そうとしたが、彼女は首を横に振って頑なに拒否する。

「嫌ですよ、そんなの。マオ様がここで諦めることなど、わたくしもリターニャ様も不服です。マオ様のシナリオは現に、わたくし達をを幸せにして……そう、《気付いて》いないのですか?」

「……気付いていない? どういうことだ?」

 漠然としたディオネの投げかけに僕は、頭の上で疑問符を並べた。

「まだ自分を過小評価する気かしら? マオのやってきたことが間違っていなかったことも、こうやって証明されているじゃないの」

 微笑を浮かべるリターニャが裸足で砂を蹴ると、キラキラとした粒子のカーテンが舞うように見えた。

「私という存在が、トキセ・マオの存在証明に足り得るわ」

「哲学的に語らず、もっと端的に教えてくれ。二人は僕のどこに期待しているのさ?」

「決まっているじゃない。空想的キャラクターであった私達に独立した『自我』を備えてくれたのは、紛れもないあなたの創造力であり、私達キャラクターをずっと守ってきてくれた献身力でもあるのよ」

「独立した自我……」

「そう……私はマオのおかげでソーシャルゲーム特有の一方通行なコミュニケートから脱し、ライターが想定する私から越えた私になれた……あっは!」

 何の脈略もなく奇妙な笑い声を発したリターニャは、寄ってくる小波を手で掬い、海水を僕にかけた。

「ディオネもやりなさいよ! 案外楽しいわよ!」

「はいっ!」

 ピチャピチャと可愛らしい足音を立てて駆けるディオネも、僕に向かって水攻めしてくる。このシチュエーションは普通であれば、水着姿の美女二人に囲まれて弄ばれ……大多数の男から羨ましがられるだろうが……。

 

「……ちょっと待て。二人はどうして《水着》でいるんだ?」


 その遅すぎた質問を合図に、二人はやれやれと言わんばかりに肩をすくめた。

「今世紀最大の鈍感かしらね」

「全くもって、そうであります」 

 卑下されるのも無理はない。この黄昏の海岸で再会してからずっと……リターニャとディオネが広い面積の肌を露出していたことに言及せず、騎士の鎧とは真逆である純白のビキニが殊の外似合っているとリターニャを褒める訳でもなく、トロピカルな色合いのパレオで下半身を隠すディオネの恥じらいを可愛いと言葉で伝える訳でもなく、異性の気配りを忘れた数秒前の僕が言表した起因は――。

 

 ――二人が水着でいるシナリオを設定した覚えはなく、衣服のデザインが無い以上有り得ないことだった。

 

「非常につまならい態度を取ったことには、深く反省するさ。でも、どうしても拭い去れない疑問が頭の中を支配しているんだ」

「もう答えは出ているわよ。マオの創造外にある私達は、を獲得したからって言ったじゃない」

 ……まさか!?

「二人は最早……キャラクターやレギュレーターの枠を超えたっていうのか!? だとしたら、完全なる《人間》じゃないか!」

「決めつけるのはまだ早いわ。私とディオネが人間として生を享けたなら、わざわざスマートフォンで現実世界にいるあなたと連絡を取る必要はなく、肉体を得て死へと進む存在になるはずなの。でも、そうはできないみたい」

「ですが、わたくし達が外界の設定書に束縛されたキャラクターでいることから離れ、真なる《主観》を得ることは不可能だと言い切れる証拠もないとリターニャ様はおっしゃるのですね」

 彼女達が語る言葉は確かに、一般的なソーシャルゲームで登場するキャラクターの語彙とは一線を画していた。

「ええ。ディオネも同意してくれるかしら。この鼎談に三つの主観が間違いなく含有されていて、トライアングルの内界ではありとあらゆる先入観を除外する律令が自主的に制定された……人間としての国家が生まれていることを……」

「解ります。この心で感じております。私が生きて、思想していることを第三者の眼によって浮き彫りにされているのであります。そこに映るわたくしは……この夕陽に負けない彩光を纏い、この焔色の髪よりも燃える情熱で邁進しています」

 哲学者が三度の飯より好むような抽象癖を吸収し、僕を置いてけぼりにしていると思ったら、水飛沫をあげながら二人で僕を抱き寄せた。

 肌と肌が触れ合い、肉体の熱が心音と混淆して互いの生命を共有する感覚に、長く忘れていた特別な情念が引き出されていく。

「と、観念小説みたいな思弁を利用して私達が結局伝えたかったこと、解ったかしら」

「リターニャとディオネは誰からも言わされていない立場で、自らの意志で自分に似合う水着をセレクトし……僕を励まそうとする思慮深さを知ってもらいたい、と……」

 架空世界であるゲームから生まれた女騎士と魔法使いは、今まさに……シナリオライターが設えた監獄から脱出し、そのシナリオライターに寄り添う仲間に成り得た。

「思慮深さってマオは言ったけど、恋情に変わりつつ……あるのかもしれないわ」

「生真面目な騎士が恋、か……ともすれば、本気で僕が書いた設定からの逸脱を試みているようだな」

「難しいバランスね。主人公を守護する騎士に恋慕は不要だと冷酷に決めつける私もいれば、マオにとっての特別な女性でいたい私もいるの」

 思うに、こういう葛藤を生ませる力が……シナリオの価値じゃないかしら、とリターニャは舌を出してウインクをした。

「今時のアイドルみたいな動作もするんだね」

「ええ。これもマオが想定していなかった私。だから、私は自我を獲得したと証明し得るわ」

「――わたくしも、自分の感情に揺り動かされて……マオ様に抱かれているのであります」

 背の低いディオネは僕を見上げ、その潤いのある瞳には見惚れて茫としていた僕の滑稽な顔が映し出されていた。

「もっと自信を持ってください、マオ様。リライトについてマオ様が疑問に……不安に思っているのは誰も成し遂げたことがないからであって、誰かがすべきことについてミズカさんを含む……多くのライターやディレクターが目を背けてきたのです。ですが、マオ様は逃げませんでした。世に蔓延るソーシャルゲームの平凡なシナリオで消耗されていくキャラクターを救う努力を……してくれました」


 ――その努力を無価値だと言い放てる理由など、何処にもありません!


 力強く断言する彼女に、陰鬱な気持ちが引き剥がされ……眼前で波打つ夕暮れの海に全てを委ねるような解放感を覚えた。

あの時……瑞嘉に負けた僕は、自分が間違っていたと思っていた。キャラクターの知情意ばかり固執して、結局は主人公もといユーザーの感情を無視し、独りよがりのシナリオになっていると悔やんでいた。

「主人公の立場を正確に描いていないのはあなたでなく、ミズカなのよ。間違いないの。でも、その間違いないことをあなたの欠落した自信が否定しているのだわ」

「何事もトライアル&エラーの精神が肝要なのであります。一度や二度失敗しても、何故失敗したのかを冷静になって考えてみてば、物事は意外と単純であったりもしますよ」


 見失っていたのは、瑞嘉に限らなかった。

 僕もまた、シナリオライターに必要な客観性が足らなかった。


「さらば魔法少女の光で再度対決しても、また痛い目に遭うかもしれないが……」

「何度やられても、構わないわ。マオがリライトしたい思いが潰えなければ、いくらだって試せるし、いつか日葵が生存するルートに突入するに違いないわ」

「わたくしは無力ですが、三人で協力すれば何か変わる未来があるかもしれません」

 二人の決意は曲げようもない強いものであり、僕が感化されるに充分な熱量を伴っている。

「……解った。僕はもう一度、キャラクターを最重視するシナリオを書きに行く。水上日葵を救い、創始者である瑞嘉が展開する負けイベントの呪縛から解放してみせる!」

「あら、やっと気概を取り戻せたようね」

 ホッとした様子を見せたリターニャはしゃがみ、低い海面に浮かんでいたヒトデをつまんだ。

「シナリオリライターとレギュレーターの輝かしい未来を占う星は、これかもしれないわ」

「ついでに、さらば魔法少女の光で運命と戦う導師の女の子が何をするべきか、訊いてくれないだろうか」

「そこまでの他力本願は生憎、受け付けてはいませんですって」

 ニヤリと笑うリターニャはそのままヒトデを放り、ディオネの頭頂部に乗っけた。

「ひゃっ! 子供みたいな悪戯は止めてくださいー! ヌルヌルしますー!」

「あっは! いいじゃないの。海岸で戯れる萌えキャラって、大抵はナマコとかの軟体動物でエロスを表現するってことよ」

「ええっー!?」

 慌てふためくディオネで可笑しがるリターニャ……まさに、活き活きとしたキャラクターのシナリオがそこにあり、めいめいの人格と舞台設定に適応したストーリーラインが構築されていた。

 僕もこんなにのびのびと……人間らしく、キャラクターだけでなく成り代わっている主人公の女の子も動かせたら……瑞嘉に追及された欠点も補えるのかもしれない。

 そのように考察できた自分は確かに立ち直っていることを自覚し、同時に……リライトにおける一つの転回が……見えた。

、か。つまり……それって」

 そこいらへんから集めたヒトデを投げつけるリターニャと逃げ惑うディオネは僕の頓悟をスルーしているようだが、エネルギッシュに今を生きる二人のおかげで打開策を得られた。

 

 シナリオライターとしてありとあらゆる可能性を模索した結果、得られたものとは?

 自らのシナリオを守るレギュレーター……音羽瑞嘉を上回るリライトとは?

 主人公を含めたキャラクターを尊重し、彼女達が報われるためには何を考えるべきか?


 数々の課題は一見すると難しそうであるが、難しくしているのは僕自身の問題であり、僕を恨み続けていた瑞嘉との関係を修復する手立てもまた、シナリオライターの仕事を本気で取り組むことで解決できると信じてやまない。


「……明日からまた仕事だから、さらば魔法少女の光へすぐにでも移りたいんだけど」

「その前に、レヴァルシアのイベントを消化していきなさいよ」

「あっ、バレーボールも用意してありますよー」

 児戯を堪能している二人を促そうとしたが、逆に水をかけられて……一緒になってビーチバレーで半時間程遊んでしまった。

「ミズカの暗黒魔導(?)に打ち勝つ、炎のスパイクなんてどうかしら?」

「あっちの世界ではリターニャ様、槍使いでありますよ」

「あらま……じゃあ、ディオネの回転レシーブから始まる連携とか」

「わたくし、そんなに万能ではありませんので……」

「僕の雷とか強化できればな。導師のパワーアップ手段があれば……」

「時間差攻撃と雷撃を組み合わせるのはどう?」

「何でもかんでもバレーと繋げるのは止めようか」

 対瑞嘉乃至創始者戦に向けて冗談半分で話す二人と、距離が縮まった感じがする。

状況こそ芳しくないが、僕の過去を打ち明けたことで互いに理解し合い、敵として現れた瑞嘉とも向き合える。


「打開策は……主人公でいる僕と……囚われの身である彼女も、利用できるかもな」


「ほう……」と、リターニャはスパイクを空振りしてから意味有り気に頷いた。数瞬遅れて、彼女の頭にバレーボールが当たる。

「前から思ったけど、リターニャはドジッ娘要素もあるの?」

「不本意だけど、そのようね……」

「残念がる必要もないさ。それもまた、心奪う魅力となる」

「……褒められている、と見做していいのね」

 リターニャは砂地に埋もれたバレーボールを片手で掴み、僕に渡す。

「いつか、あなたに恋のスパイクをぶつけてあげるわ……という台詞は寒いかしら?」

「寒いな」「寒いですね」と二人でそっけなく返事をすると、

「……ふん」

「拗ねるリターニャ様も可愛いですー」

 いじめる側といじめられる側の立場が逆転したが、足元にあったナマコを持つリターニャが一言。「これをディオネの水着の隙間に入れてあげることで、なかなか面白いストーリーラインが開拓されると思うの」

「ごめんなさいですー!」

 すぐにまた、ディオネは翻弄される側になってしまった。

 

 水上日葵もまた、彼女達みたく明るい笑顔を振りまくキャラクターで居させてあげたいと思う。

 だから……少しの間、申し訳ないが負けイベントを回避するために……僕のシナリオリライトにおけるキーパーソンになってもらおう。

 

 待っていろ、瑞嘉。

 僕はきみに謝るべきであるが、僕が思索したシナリオの価値も教えてあげなければ……仕事仲間として……そして、昔からの友達を続けてやっていけないであろう。

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