個我
クオリティの低いソーシャルゲームは、予期しない展開が随時訪れる。
まさに今がその時であり、授業を全て消化した僕達は桜子にグラウンドへと連れられて、途中の質問を全く聞いてくれない説明をされたのだ。
「――ということでー、放課後ライブの出場権を賭けてー私達ごぼうさんチームは、あっちのぶたさん組とフットサル対決をするよー」
「どういうことだ……?」
アイスクの世界観を許容しきれていないのは僕だけでなく、無理矢理体操服へと着替えさせられたリターニャとディオネもそうであろう。
「サークル対抗戦ってこういうことなの? アイドル活動の場をめぐる戦いは解るけど、何もスポーツを持ち込まなくてもいいんじゃない」
「フットサルですか……わたくし、魔法に頼ってばかりなので運動はちょっと……」
慣れないゲームシステムに困惑の色を隠せない。
「もしかして、別のサッカーゲームのデザインやプログラムを転用しているのかも……」
「そんなこともあるの?」と、リターニャは投げやりに訊く。
「同メーカーのゲームであれば、使い回しは珍しくないさ」
僕がディレクターとして担当した案件の仕様書で、見たことがあった。バトル中のグラフィックは○○の使い回しになるので、そちらのプレイ動画をご参照ください、といった感じで……。
「低予算のプロジェクトですと、そうせざるを得なくなるのですね。けど、これはあまりにも露骨なのです」
「全くだ。ゲームキャラクター側からすれば、七面倒なこった。アイドル養成と体育会系を混ぜるとはね。どうするか……ディオネの魔法で、フットサル場を全部燃やして乗り切るか?」
軽いジョークであったものの、ディオネは一点を見つめ思い悩んでしまった……。
こんな感じで、僕達が小さな円陣を組んで話していたところ、桜子が話しかけてきた。
「おー、やる気マンマンだねー。試合の作戦会議をしているのねーあたしも混ぜてよー」
「違うけど……桜子、もう一度サークル対抗戦について確認させてくれ。サークルは言わばアイドルグループとしての所属チームみたいなもので、サークル単位でライブ活動をしているってことだな」
「そーだよー」
「で、僕が顧問をやっている(ことになっている)ごぼうさんチームは、桜子とリターニャ、ディオネの三人だけか?」
「メンバーはもっといるんだけどねー。今日はみんなバイトだったから、大至急リターニャとディオネを連れてきたのー」
「なるほど。で、これからこのグラウンドでするサークル対抗戦の相手はぶたさんチームか」
「正確にはぶたさん組だねー」
どうしてサークルの名前をチームか組で統一していないのさ……それ以前に何だそのネーミングセンスは……というツッコミを我慢して、話を続けた。
「顧問の僕は何をすればいい?」
「作戦の指示出し! 頼んだよー」
僕の返答を待たず、桜子はリターニャとディオネの二人を引きずるようにフットサルコートまで連れていく。
グラウンドにはちゃんと整備された芝生のコートとゴールネットがあり、観戦で来たらしい多くの女子学生が取り囲んでいる。
「ごぼうさんチームが来たよー」
「金森さーん、がんばれー!」
桜子への声援が多く、盛り上がっている様子だった。僕はコートの端に居させてもらい、センターサークル付近で準備体操をして待ち構えていた相手チーム……ぶたさん組を観察した。
相手も三人であるが、やはりアイドル養成学校の生徒らしく、ルックスとスタイルは良い。ぶたさん組の割に、全然豚要素のないサークルチームだった。
「今日はよろしくねー。お互いにベストを尽くそうねー」
桜子から握手を求めると、ぶたさん組の中で一番背が高く、骨太な子が応じた。
「待ってたしん! あなた達が、桜子率いるごぼうさんチームだしんね! 私がぶたさん組のリーダー、モノクロちゃんだしん!」
「あははー、ありがとー」
桜子と相手のリーダーがガッチリと握手を組んだが、リターニャとディオネは一歩引いて警戒した。
「この子の語尾、何なのよ……酷いわ」
「言葉が悪いかもしれませんが、苛立ちが募りますねえ。ミシンと言う時も、ミシンだしんって言うのでしょうか……」
現実世界にいるソプラノハゲダルマ(と一部で呼ばれている芸人)がモチーフになっていることを知らない二人でも、激しい嫌悪感は伝わったようだ。アイスクのプロデューサーはテレビっ子だと察する。
「ごぼうさんチームはマオ先生が顧問でついているのか。良いコーチだけど、私達も負けるつもりは無いからな」
と言って出てきたのは、ショートヘアーの小柄な子であった。
「申し遅れた。私はぶたさん組所属の総長だ。で、こっちの無口な奴がKIROだ」
「……どうも」
ぶたさん組の残り一人のメンバーは、ガリガリに痩せている病弱そうな女の子であり、これで完全に《あの》大サーカスがモデルになっていると確信した。
「みんな個性的なメンバーね! ライブでは絶対に人気の出るグループに違いないけど、今日の放課後ライブ出場権は渡さないよー」
「望むところだしん!」と桜子に対して叫ぶモノクロは、より一層甲高い声を出した。絶対に寄せてきただろ。
「リーダーでないのに、何故総長……?」
「あっちの子、やつれた顔をしていますよ。何か大病でも患ったのでしょうか?」
元ネタを知らない二人は、ぶたさん組の設定を訝っている。説明してやってもいいが、特段重要な真実でないので補足はしなかった。
「各サークルの出場メンバーが揃いましたので、早速試合を始めたいと思います」
と、女子生徒の観衆から押されるように出てきた審判らしき人物が告げた。
「ごぼうさんチームとぶたさん組のフットサル対決の審判はこの私、二年一組の担任……姫野が務めます」
「ほう、先生がちゃんとジャッジしてくれるのね」
意外と公正な試合ができることに、リターニャは感心した。
「ええ。ルールも説明しますと、少人数の試合になるので……通常のフットサルコートよりもプレイエリアとゴールが小さくなり、キーパー無し、オフサイド無しになります。試合時間も短期決戦の七分でお願いします。同点の場合は、二分の延長戦が設けられます」
三対三のミニゲームになるので、オリジナルのルールが適用されるらしい。
キーパーがないとなれば、ロングシュートを多用するべきか……と、ゲームメイクを考えていたところ、すぐに笛が鳴った。
「キックオフです!」
「もう!?」
審判の姫野先生がメチャクチャ時間を巻いているせいで、桜子達は不意をつかれた。
「あー! 速攻はずるいよー!」
「ずるくないしん!」
ぶたさん組の総長から蹴り上がったボールが桜子の頭上を飛び、モノクロへと渡り……ミドル位置からのシュート動作に入った。
「させないわ!」
しかし、遅れて追走したリターニャが間に合い、スライディングでモノクロのシュートを止める。リターニャの脛に跳ね返ったボールは不幸にも、モノクロの顔面に直撃し場外へと出ていった。
「痛いしん! 痛いのはドッキリだけにしてほしいしん!」
悶絶するモノクロを見て、完全に現実世界のソプラノハゲダルマに則った汚いAIが実装されていることを確信した。
ごぼうさんチームのキックイン(サッカーで言うスローイン)になり、サイドライン際まで来たリターニャが僕に目線を送った。
「キックインからの直接シュートは認められていないから、ディオネか桜子のヘッドに合わせよう」
「オッケー……マオはフットサルに詳しいの?」
「部活でサッカーをやっていたからね。なんとなくは……」
「あら、そうだったの。折角だから今の日本代表が弱い理由についても経験者の立場から訊きたかったけど、また後にしておくわ」
急展開でもリターニャは余談を言える冷静さを欠かさない。彼女らしさがある。
「ディオネ、桜子! 反応してよっ!」
リターニャの右足で蹴られたボールはシュート性の速いものであり、ぶたさん組のメンバーをすり抜け……ディオネは無理な体勢で蹴ろうとして空振りしたが……その後ろで待ち構えていた桜子の頭に合わさり、相手側のネットを揺らした。
「先制点はごぼうさんチームだー!」
歓声と共に桜子は拳を突き上げ、リターニャとハイタッチを交わす。
「ありがと、リターニャ!」
「その調子でお願いね。ディオネもゴールに向かって、続けて動くことよ」
「はいっ!」
この三人より団結力を感じ、その後の試合展開においても僕の指示から器用に対応してくれた。
「少人数のフットサルではデュエルが得点に直結する! 一対一は積極的に仕掛けてもいいが、止められた時のフォローを忘れずに!」
「解りました!」
桜子が強引に運んだドリブルをカットされても、ディオネが回りこみ速攻を阻止してくれて、
「ボールを持っていない人間は、空いたスペースに走れ! 狭いコートを最大限に活かすように意識しよう!」
「オッケー」
オフザボールの戦術を体感してくれた桜子は、他の二人がボールを運んでいる時でも精力的に走り回った。
相手側のマークをずらし、噛み合う攻撃ができた結果……四分ほど経過したところで四対一とリードしていた。
「……強い」
「なかなかやるな。戦略が本格的だ。KIROだけでなく、私も体力を使わせているし……」
ここまでのレベルを想定していなかったぶたさん組は、息を切らせて困惑していた。例のモノクロも、地団駄を踏んで判りやすい悔しがり方をしている。
「あなたは有能ね。客観的にシナリオの良し悪しを判断できるように、こうしたゲームも俯瞰で正しい指令を送れるのね」
ボールが場外へと大きく出たタイミングで、リターニャが再度僕に話しかけ、桜子もダッシュで来た。
「やっぱりマオ先生は凄いよー。あたし達をちゃんとまとめてくれるんだもんー」
プレイ中は躍動している桜子であるが、その言葉は依然として感情が薄い。
これでは、良くない。主人公崇拝主義に正しい喜怒哀楽を奪われているのだから。
「……これは僕の力じゃない。桜子自身の力だ」
「そんなことないよー。マオ先生の凄さが――」
決まった台詞だけを言って、楽しいか?
荒療治であったとしても、僕は直接的な言葉を選んだ。
「……え?」
何を言っているの、と桜子はポカンとしている。自分自身がゲーム世界の登場人物だという自覚がない限り、意味不明であるだろう。
「指定された一人の異性を喜び組のように讃え、崇め祭ることで麻痺していないか?」
「あの……何を……」
「いいんだ。その疑問は正しい。訳の分からないことのように聞こえるのが正しいし、僕が真実を告げたところで、きみは笑って否定をするだろう。だから僕は多くのことを語れないし、この世界の仔細を伝えても意味がないと思っている。だけど、これだけは気付いて欲しい――」
――金森桜子には、心から人生を楽しもうとする意志を持とうとする《本当の意志》が、絶対にある……!
無根拠の希望であっても可能性がゼロだと断言できないこの世界では、僕は大口を叩ける。そして、彼女を強引に諭す言葉を使っても構わないと、リターニャの満足気な笑みで語られている。
「……な、何ですかあれは!?」
茫然としたままの桜子は、ディオネの声でびっくりして振り返った。またしてもアイスクの無秩序なストーリーラインに導かれていくことを、相手チームのゴールネットの背後に現れたドラゴンが明確に示している。
「グオオオオオオオオオオッッ!」
コバルトブルーの鱗に覆われたドラゴンは地響きがするほどの唸り声を上げて、強靭な爪でゴールボストを数秒でペシャンコにした。突然の破壊活動に観客はもちろんのこと、審判とぶたさん組の三人も散るように逃げていった。
「突然なんだしん!? ドッキリにしてはやり過ぎだしん!」
(彼女のモデルになっている芸人は)ドッキリ慣れしているが、モノクロは顔面蒼白で走って消えた。ある意味で色違いというツッコミが成立する瞬間だな、と思った僕には余裕があった。
『緊急連絡! 緊急連絡です!』
校内放送のアナウンスが流れ、昭和の戦争を思い出させるような長いサイレン音が鳴りわたる。
『幻術サークルで管理している幻獣が逃げ出し、フットサル場で暴走しています! 近くにいる生徒達はただちに避難してください! 繰り返します……』
学園アイドル系のゲームでも、魔法の概念があるようだ。何でもアリだなと思っていると、リターニャとディオネはそれぞれが本来装備していた武器……剣と杖を出現させた。
「恰好は体操着姿のままだけど、騎士のアビリティは忘れていないわ」
「わたくし達の本領発揮ということで、頑張ります!」
サークル対抗戦のフットサルが中断した今、剣と魔法の世界としてドラゴンと戦うことが優先される。
「あなたもこのつまらない世界で躍動しましょ、桜子」
「……え? あ、あたしが……?」
リターニャに手を握られた桜子は、彼女に、僕に試されているのだ。
――金森桜子の個我が、目覚めるかどうかを。
「マオからも言ってくれたじゃない。流されるままの人生で楽しいの、って。しょうもないアイドル養成学校でくだらない戦いをして、顧問に対し媚び諂うだけの毎日で満足しているの、ってね」
リターニャの思想は危ういが、空想世界に閉ざされたキャラクターの倦怠を吹き飛ばすには充分な力がある。
「さっき廊下でお話した時のように、桜子さんは心から笑った方が魅力的なのです。だまされたと思って、一回頭の中をからっぽにしてみてはいかがでしょうか」
そして、シナリオという名の桎梏から解放された喜びを知ったディオネも、柔らかい口調で指南した。
「巨大なドラゴンが現れたように、ここは何でも叶えられる……蓋然性に満ちた世界だからこそ、楽しく生きてもらえなきゃ困るんだ。桜子……この二人は元々、きみのように世界への疑念を忘れずにいた、犠牲者だった」
抽象的な言い回しだったことを僕は反省し、言葉を選びなおした。
「……要は、つまらない日々を過ごしていたんだ。そして、僕もそうだった。我慢し続けて、大切な感情を心の奥底で澱む泥沼に沈め、これでいいって自分に言い聞かせていたのさ」
だが、喋れば喋るほど具体性が薄まっていく。もどかしさを感じ、もっと単純な一言を探した結果――。
「自分のしたいことをすればいい」
「したいこと……?」
ドラゴンの口から吐かれた火球がフットサル場に着弾し、その衝撃で桜子の髪が横になびく。
「きみはアイドルになりたかったからこの学校に来たのではなく、この学校にいるからアイドルを目指さなければならない、と感じているはずだ」
「……!」
ハッとしたように、桜子の目が見開かれた。
「アイドルとしての無邪気な振舞いや、アイドル同士の稚拙な戦いにくだらないと思ったら、くだらないと言えばいいのさ。そして、後先考えず自分のしたいことをやるだけで、気持ちは楽になる」
「そっか…あたし、我慢していたのね」
桜子は初めて《考えてくれた》。
アイスクのプロデューサー乃至ディレクターから指定された台詞や設定から、初めて逃れられた。その事実は、彼女の瞳で蠢いていた澱みが消えたことで明らかになった。
「という訳で、あなたに自由の素晴らしさを見せてあげるわ」
ステインのない白い歯を見せたリターニャは駆け出し、オーラを纏った剣でドラゴンに攻撃する。
「出来るかどうかでなく、大切なのはやろうとする気概であります。自分を変えたいと思うのなら、わたくし達と共に抗いましょう」
ディオネも得意の火焔魔法で、ドラゴンが放った火球を相殺させる。
「このドラゴンも結局は、別のソシャゲ―の使い回しなんでしょ!」
「安易にファンタジーの要素を混ぜるなんて、キャラクターとユーザーを置いてけぼりにするだけですよ!」
物理的な攻撃に留まらず、二人は不満や怒りを爆発させるように悪態をついた。
「こ、こんなドラゴンとあたしが戦えるのかな」
「僕の力とかそういう問題でなく、自力で成し遂げられるはずだ」
小刻みに震えていた桜子の背中に手を添えると、ほどなくして震えが止まった。
「僕が背中を押してあげようか?」
「うん……」
「でも、押したら後はきみ自身の力で走り続けるんだ。僕ができるのは、きみの一歩目を見守ってやれることだけさ」
「――うんっ!」
二回目の返事には力強さがあり、僕を安心させた彼女は前へと踏み出した。
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