第20話 ルカとのデート
ローマ駅の構内にある派出所で、婦人警官に簡単に盗難の状況を説明し、
その場で盗難届を作ってもらった。
とても簡単な手続きだった。
ルカは婦人警官がA4に印刷した盗難届を手渡してくれた。
「もうわかっていると思うけど、財布が出てくる可能性はないからね。
この届けは帰国してからの、旅行保険の手続きのためのものだよ」
「ええ、それはフロントでもう聞いたわ。しょうがないわね」
パスポートが返ってきただけ、ありがたいと思わなくてはいけない。
これも旅の経験だ。そう思ってもう忘れることにした。
しかしルカには一本とられたな。彼がなんだか、頼り甲斐あるいい男に見えて来る。
ロベルトは夕方五時、システィーナ通りのラグリオンホテルという所で
私たちを待っているということだった。
「今日はアメリカから大事な客が来ているらしくて、三十分ぐらいしか時間を空けられない
そうだけど、いいよね」
「ええ、もちろんよ。私にはもう今日しかないわけだし」
明日になれば私は飛行機でひとっ飛び、日本の日常生活に戻るわけだ。
「さて、夕方までには少し時間があるな。どこに行きたい?」
「そうねえ、まだトレヴィの泉には行ってなかった」
「じゃ、行ってみるか」
マー君に会いに来たはずなのに、今ではこのルカの方が、自分に馴染んでいる。
彼のベスパの後ろに乗り、小さな箱のような車や乱暴なバスをくるり、くるりとかわしながら、
ローマの街を疾走する。
ああ、いいなあ。これが外国に来たっていう開放感なのね。
有名なトレヴィの泉は、茶色い建物に囲まれた広場にある、泉自体は大きいが、思ったより狭苦しいところだった。
そう感じるのは、泉を取り囲んでたくさんの観光客が押し合い圧し合いしているからかもしれなかった。
「ここでコインを投げるのは知っているよな」
「ええ、ガイドブックに書いてあったような気がするけど・・・」
読んだ気がするが正直うろ覚えだった。
「一枚投げると、またローマに来ることができる。二枚投げると、好きな人と一緒にいられる、だよ。
だから三枚投げろよ。そしたらまたローマに来られるし、好きな人とも結ばれるよ」
「そうね」
財布の中にはちょうど、50セント玉が三つあった。硬貨は日本円に換金できないのだから、
ここで使ってしまおう。
私は後ろ向きになって三枚のコインを泉に投げた。
「じゃ、俺はローマに住んでいるから、好きな人と一緒にいられるように
二枚投げるとするか」
ルカも泉にコインを投げた。
「ローマに来るのも、好きな人と一緒にいられるのもいいけど、
報われない恋の相手を忘れるのも大事だよな。」
とぽつんと言った。
それから私たちはロベルトとの約束の時間が来るまで、泉の近くの
土産物屋を散策した。経営者に中国人が多いのが目に付いたが、ルカによると
これはもう、ヨーロッパの観光地全体に見られる傾向なのだそうだ。
当地の土産物も、メイド・イン・チャイナのシールが貼ってある。
「そろそろ時間だ」
私たちはベスパを停めた場所へ戻り、システィーナ通りへと向かった。
有名ホテルが立ち並ぶこの通りの道路は広く、周囲の建物はひときわ豪奢だ。
ルカは街路樹に寄せてベスパを駐車すると、飾りの付いた燕尾服を着たドアマンに、
手をあげて挨拶した。
本当に私たちが、こんな高級そうなホテルに入ってもいいのかな・・・。気後れする私の腕を取り、ルカは堂々とホテルに入って行った。
ドアマンが何も言わないのだから、いいのよね。
ホテルのフロントは広く、臙脂色の絨毯が敷き詰められている。
高い天井、巨大なシャンデリア ・・ そして奥の喫茶室は重そうな緞帳で仕切られている。
ここのインテリアの趣味は、ロベルトの屋敷と似ているみたい。
そう思うと、体が緊張してきた。
ロベルトに会いたいと言ったのは私だけど、本当に会ってどうしよう。
不機嫌かもしれない、ひどい言葉を投げつけられるかもしれない。
心の中に広がる不安を見透かしたように、ルカは私の肩を抱いた。
「心配なんかないよ。俺がいるんだから」
「あなた、本当に頼りになるのね」
「もう、何度言ったらわかるんだ」
彼は私の頬にぱっとキスした。
「ロベルトはとてもいい人だよ。君だってきっとファンになる」
そう言って、黒い制服を着たウエイトレスが指し示す小部屋へ
私を引っ張り込んだ。
(続く)
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