第2話 コロッセオに近いホテルへ

小さな広告会社に勤めている私と文子は、普段、職場では何から何まで自分たちでこなさなくてはならない。私たちは自嘲的に、お互いを「男前な女」と呼び合っていた。営業からデザインまで、仕事のためなら徹夜も辞さない私たちだったが、唯一の不安は「嫁にいけるか」。それは、私たちの心の中に常にある不安だったが、日頃はできるだけ目を逸らせようとしていた。しかし定年間際の経理課長が、毎日ぼやくように私たちに、

「あんたたちを嫁に貰うような男はいるのかねぇ。ヒモみたいなのにひっかかっちゃだめだよ」

などと言うのでいらいらして、

「それなら課長、誰かいい人紹介してくれますか」

と言い返すと、彼は老眼鏡を鼻の上でいじりながら、

「あんたたちみたいなの、紹介できますかいな。良妻賢母になる保証がなければ、人に結婚相手の紹介なんてできしません」

と意地悪そうに笑うのが常だった。


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 私がローマで宿泊するホテルは、日本からネットで予約を取った小さなホテルで、コロッセオに近い。どのホテルがいいか迷ったとき、マー君が薦めてくれたのがここだった。周囲の治安がよい上に安く、泊まった人がよかったと言っていたから、ということだ。彼と一刻も早く会いたいのは、やまやまだけれど、あいにく、彼は学校の研修でフィレンツェへ行っている。帰りは今夜遅くになるが、今夜中にきっと訪ねて来てくれると約束した。


 実物のマー君に会うのは七ヶ月ぶりだ ・・・ そう思うと心がわくわくする。私たちは国際電話やスカイプで、週に一度は話せる機会を作っていたが、時差や私の仕事上、それがかなわないときもあった。

 それでも、私の恋の炎は消えなかった。彼とはいつか、一緒に暮らせるかもしれない、と望みをかけていたから。何事も強く信じれば叶うものなの。それに私の仕事も忙しく、帰りは終電も珍しくなかったので、例え近くに住んでいたとしても、それほどしょっちゅう会うことはできなかったはずだ。


 私は宿泊ホテルにまず荷物を置き、一休みしてから近隣を散策することにした。

 私が着く日はちょうど、マー君は迎えに来られないのは納得していたが、大きなスーツケースを引いて、でこぼこした石畳をふらふらと足をとられながら歩くとき、本当なら彼に空港まで迎えに来てほしかった、と心から思った。私だって仕事が休める日を最大限に利用しようと思ったら、この日到着するしか、なかったのだし。休みが取りにくいのが、悲しい日本の社会人なのだ。


 コロッセオに近い私のホテルは、ごみごみした下街の一角を少し入ったところにあった。ローマの通りはどこもガタガタの石畳で、その上あちこちにゴミや犬の糞が落ちている。そこに、スピードを上げたスクーターや、小型車が飛び込んで来るので、まっすぐ歩くのも難しいほどだが、いったんホテルの表門をくぐってしまえば、そこは閑静な住宅と、適度に手入れされた庭があった。決して新しくも高価でもない内装や調度品だったが、清潔でアットホームな雰囲気に、好感を覚えた。


(続く)

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