第14話 バチカンの鐘
住宅地を抜けると、広い高台に出た。
ここからローマ市内が見渡せる。
相変わらず灰色に煙る、茶色い建物。
その中に点在する悠久の歴史。怒り、悲しみ、失望、そして恋 ・・・ ずっとずっと昔から、人は同じような感情を抱いて暮らしてきたのだろうな。
「ごめん」
ルカは私がよほど落ち込んでいると思ったのだろうか、妙に神妙に声をかけた。
「ええ、そんなの、いいのよ」
そうだ、ひょっとして私は、心の奥底でわかっていたのかもしれない。
こういう結末を迎えることが。
自分とマー君の間に、未来なんてない。
「あの大きな建物は何?」
私は丘の上から西の方角にある、大きなドームを指さした。
「あれがバチカン王国のサン・ピエトロ寺院だよ。行ってみるなら、案内するよ。といっても、中にある博物館を見るんなら、入り口にいる専門ガイドのツアーに参加したほうがいいよ。一回の見学で効率よく見学するなら、彼らのツアーに参加するのが一番だ。なにしろ見るものがたくさんありすぎるからね」
そう言えば、ルカは昨夜寝ていないのだ。
そんな状態なのに、私の観光の心配までしてくれるなんて、なんておせっかいでいい奴なんだろう。
「いいわ、入り口まで案内して。それから先は、ツアーガイドを見つけて、お願いするから」
ルカは私に耳をよせ、小声でつぶやいた。
「中は広くて迷路みたいなんだ。そこで日本女性をナンパして、いきなり良からぬことをする奴もいる。だから、ちゃんとしたガイドツアーに入ることが大事だよ。俺が入り口までついて行って、手続きまでしてやるよ」
「あなたって、ほんとに親切」
「素敵な君のためだからね」
・・・・・
バチカン王国見学は、半日しかいられなくて残念すぎるぐらいだった。
キリスト教の歴史のすべてが、世界中からこの一か所に集められているといっても、過言ではないのだ。
ルカの言った通り、見どころがありすぎる。
しかしこんなに短い滞在で、急ぎ足でもカトリックの総本山を見ることができたことは収穫だった。
中でもガイドツアーの最後に訪れた、システィーナ礼拝堂は圧巻だった。
ミケランジェロが「最後の審判」の壁画を描いた大広間の中に、たくさんのツーリストが押し合い圧し合いしている。
ここに入る前、ガイドからは中では決して話さないようにと注意されてはいたが、
これだけ多くの人が一堂に集まっていながら、誰一人も声を出さない。ただひたすら静かに壁画と天井を見守っていた。信じられないほど厳かで神聖な、とても心が休まる空間。
日暮れ頃、バチカン王国を去るときには、心が洗われたようなすっきりとした気分になっていた。
悠久の歴史に触れると、今の自分の苦しみや動揺が、ほんのちっぽけなものに感じられた。
「・・・ ああ、ちっちゃい、ちっちゃい」
日本語でぶつぶつつぶやきながら、満員のバスを乗り継ぎ、ホテルに戻ってきた。
もうマー君には連絡しないつもりだった。相手が男とはいえ、あれは立派な浮気だ。
他に好きな人ができたのなら、はっきり言えばいいのに。どうして昨夜は何も言ってくれなかったのだろう。
こんな状況は、私には受け入れられない。そしてなぜかフェードアウトした私に、彼も内心ほっとするだろう。
でもあちらから連絡してきたら、どうしよう。
ホテルの玄関を入ると、フロントには小柄な女性の姿が見えた。
ルカがいなかったことにほっとしながらも、少しがっかりしている自分がいた。
「まあルカも、今頃、家で休んでいるわね・・・」
私も疲れた。今夜はゆっくり寝て、明日は一人で最後のローマ観光をしよう。
そう思ってフロントの傍を通り過ぎようとしたとき、誰かに腕をつかまれた。
(続く)
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