第22話 曇天下

ボヤァ…

と、何とも表現が難しいが、まず気付いたのは視界がボヤけているという事だった。ただボヤけている中でも、色盲になった訳ではなかったので、辛うじて身の回りの景色が、基本灰色で占められているのは気づけた。そう…もうお気づきだろう。私もこの時点で、今がどこで、どういう状況下にいるのかすぐに察せた。

と、その前に、どうでもいいことを言えば、確かに私は実際に最近視力の低下を感じる事があった。こう言うのは恥ずかしいのだが、どうもこの歳になって、ついにというか、今までずっと本の虫で、おそらくこの時点で千冊を軽く超える書籍を読んできたツケが請求されようとしていた。そろそろ、私の身の回りでは紫以来の眼鏡キャラに片足を踏み入れようとしている事に、ほんの少しばかり覚悟をしている今日この頃だった。

…って、本当にどうでもいいことを話してしまった。話を戻そう。

そうは言ってもまだ眼鏡がいる程ではないはずなのに、視界はボヤけていたのだが、そう意識したからか分からないが、徐々に普段通りの視力に戻っていった。そして目の前に現れたのは…そう、そこら中が破れに破れて、元の金銀細工の部分もすっかり煤けてしまい、本来の姿を知ってるが上に余計に無残な姿を晒している、とても”ガッカリ”な祭壇画だった。…言うまでもなく、また私はあの夢を訪れた様だ。

一応礼拝堂のはずだが、相変わらず埃っぽい匂いは変わらずに辺りを立ち込めていた。前回の香炉から漏れ出ていた乳香の匂いはすっかり消え失せてしまっていた。

「はぁ…」

と、これもいつも通りというか、キチンと音が生きているのかを確認する上でも試しに声を出してみると、どうやら大丈夫のようだった。

とこの時に、ふと私は思わず辺りをキョロキョロと見渡した。

何故なら…そう、前回の夢の終わりで、この夢を見て初めてナニモノかに話しかけれられたから、すぐさま自分以外に誰かいないか確認したくなったのだ。何せ、例の謎の修道服を着込んだ集団以外に動くモノを見た事は無かったし、そのモノ達も、口(?)からおそらく発せられていたであろう言葉らしきものは、風の吹く、空気の流れる音としか私の耳では認識出来なかったのが、それが突然、私にも分かる言語で、しかも話しかけられたとあれば、その正体について興味を持つなという方が無理がある。

それに私は生粋の”なんでちゃん”だ。恐怖心よりも好奇心が圧倒的に頭を占めていた。

それ故に、他のあのモノ達にもしかしたら見つかる心配があるとも思ったのだが、それでも思い切って大声を出してみる事にした。

「すみませーん!誰かー?誰かいませんかー?」

いませんかー…いませんかー…いませんかー…

どこをどう反射したのか、私の声がヤマビコのように繰り返し聞こえてくるのみで、それに対する返答の言葉は無かった。

その反響音も収まると、また辺りを静寂が支配した。

私はフゥッと一度ため息をついたのだが、ここでふと、何だか”例の”気配がすぐ近くにいる様な感覚を覚えた。

その例のモノとは…覚えておられるだろうか?この夢を見始めた時に一度だけボソッと言ったのを。

それは…最近は現実の世界では、しこりの様に相変わらず胸の奥に存在感だけは示していたが、それでも息苦しくなるほどに主張を強めるには至っていない…そう、”どす黒く、形の捉えようが無く、それでいて普段から違和を覚えさせるほどの重量と存在感を表しているナニカ”が、この夢の中では随時ますますその力を強めていたと言ったのを。

慣れというのは恐ろしいもので、もうそれが”普通”になってしまった今となっては、苦しくなる様な事もここ暫く無いせいで、現実においては特に気にする事も少なくなっていた。

ただ…その時に同時に言ったと思うが、力が強まっているのはその通りなのだが、この夢の中だと、息苦しくなったり身体が重く感じる事は一切なく、むしろ軽やかに清々しく思えるほどであった。

…と同時に、それは現実世界ではずっと胸の中に留まっていたはずの”ナニカ”が、この夢の中では外に出ていることを意味していた。その証拠に、どうにも証明のしようはないが、繰り返しになるが、目には見えなくともずっと側にいる様な気配はずっとヒシヒシと感じていたのだった。

「はぁ…」

とまたわざと音を出しつつため息をつき、見窄らしい祭壇画を眺めていたのだが、ここでふと、祭壇画の後ろの方に、上り階段があるのが見えた。

前回の時にも言った通り、蝋燭台があるにはあるのだが、蝋燭そのものが刺さっていないせいで用を足していなく、辺りは相変わらず私の手元のカンテラの明かりと、小さな縦長の窓からの微光くらいしか光源が無いというのもあって、確かに分かり辛いといえば分かり辛い…のだが、それでも…

…ん?あんな所に…階段なんて…あった、かな?

と疑問に思わずには居れなかった。

…居れなかったのだが、それでもいつまでもこの”惨めな”空間に長居は無用だと、ようやく違う所に行けると思った私は、若干足取りも軽く、早速その階段を上り始めた。

相も変わらずに真っ暗なせいで、いくら試しにカンテラを高く掲げて見ても、階段の上部までは光が全く届かなかった。

やれやれ…。まぁ、あの礼拝堂に行くまでも、それ以前も当て所なく延々と歩いたり上ったりして来たのだから、今更アレコレ言うこともないか…

と、自分的には大人な感想を覚えつつ、夢だからか疲れを覚える事もなく変わらぬペースで上り続けていた。

とその時、ふと急に…と私は感じたのだが、目の前に木戸が現れた。まず私はカンテラを使って観察をした。

これはまた随分と年季の入ってそうな木戸だった。相変わらず私以外の配色は灰色の濃淡のみだったので、何とも判断が難しいが、長い月日の試練を掻い潜って来てそうなシロモノだった。取っ手は一応ついており、それは金属の輪っかの様な形状をしていた。それを木戸本体にぶつける事によって、インターフォンがわりになる様な、そんな物だった。

…とまぁ、これ以上に何か真新しい発見も無さそうだったのでいつまでもじっとしてても仕方ないと、私は思い切ってその金属の輪に手をかけて見た。

すると、予想に反して簡単にその取っ手は右回りして、しかも押し戸だったらしく、勢いのあまりにそのまま押して開け放ってしまった。

「うっ…」

と私は思わず呻き声に似た声をあげた。何故なら開けた瞬間に目の前がホワイトアウトしたからだ。今まで暗い中にいたせいもあるだろうが、どうやら明るい場所が目の前に広がっているらしい。

なかなか目が効く様になるまで時間が掛かったが、そんな中でも聴覚などの他の感覚は生きていたので、それに神経を研ぎ澄まさせた。

まずすぐに気付いたのは、猛烈な風だった。ビュービューと、鼓膜を叩いてくるかの様に感じられるほどに吹いていて、それらの風が私全身を絶えず打ち、そして過ぎ去って行くのを肌で感じていた。

ようやく目が慣れてくると、まぁその前から察していたことではあったが、それでも現実に目の前に広がると驚いた。

どうやら私は、外に出たらしい。

…こう改めて口にするのは馬鹿みたいだが、それでも実際にそう思ったのだから仕方ない。

こんな所でカッコ付けていても仕方ないだろう。

さて、まだ内側にいた私は、思い切って外に出て見た。そしてまず周りを見渡して、今まで自分がどこに居て、そしてどこに出たのかを瞬時に把握した。…把握したのと同時にまた改めて驚いた。

…説明するので少しお待ち頂きたい。まぁ…出来るかどうかは微妙だが、それでも頑張ってしてみよう。

まず見渡して目に入ってきたのは、空一面を覆う雲だった。曇天だ。今にも雨を降らせそうな気配を匂わせる程に濃い灰色で、雲の下がモコモコとしていたのだが、それでも…まぁ自分の夢ゆえか、実際には雨が降らない事を、この時の私は知っていたのだった。

外に出ても灰色一色、それに曇天…現実には私は結構曇り日が好きなのだが、この時ばかりは流石に気が滅入ってしまった。

…と、ふとこの時に、これだけの風が吹いているのに、自分の長い髪がそれほどには乱されない事実に、そのご都合的な事実に気づいて一人自嘲気味に笑っていたのだが、不意に手元のカンテラのことが心配になり、風から守る様に身体を盾にして眺めた。見てみると、ユラユラといつも以上に炎が揺れていたが、何となく、消える事は無いというのがすぐに分かった。安心した。

何しろ、当然ここに来るまでに何度も挫けそうになったり、ウンザリしてきたその時に、当然喋ったりは、そこは夢だというのに妙にリアルでしなかったが、それでも何度も励ましてくれてたので、今このカンテラを失うわけにはいかなかったのだった。

この時で言えば、唯一灰色以外の色彩を放っているのが、自分以外ではこのカンテラの炎だけだったので、これのお陰でまだ必要以上に気が滅入るのを防いでくれていた。

空の次に見たのは、点々とある塔の様なものだった。高いものから低いもの、太いものから細いものと、多種多様な塔が天に向かってまっすぐ立っていた。まだ目を凝らさなくては見えないほどの距離にそれらはあったが、それでもやはりというか、御多分に漏れずに、どの塔も所々にヒビが入っていたり、灰色だから本物かイミテーションか判断がつきかねたが、恐らく本物だろう、蔦と草が絡み付いて本体が見えない程の物もあった。時代を感じた。

私に今いる位置からは、その程度しか取り敢えず見えなかったが、それでも、そんな少ない手がかりのみでも、この時点でこの場所がどういった所なのか察していた。

それは置いといて、今度は視線を身近に戻した。そして辺りを見渡すと、すぐにまた自分のいる場所が知れた。

どうやら城壁部分の上部に設けられている回廊にいる様だ。

これに関しては別に彷徨かなくてもすぐに分かった。何故なら、のこぎり型狭間が延々とあったからだった。…こう言われても困る方もいるだろうが、要は、城壁って言われたら誰でもすぐに思い浮かべる、上部のあの凸凹の事だ。

この回廊は幅が五メートルほどで、片方は拓けているのだが、もう片方は目の前に岩壁が迫っていた。手で触れられる程だ。

…と、ここまで先延ばしにする必要は無かったかも知れない。

もう皆お分かりだろうが、そう、この場所は…典型的な中世のお城の様だ。少なくともその形式だった。

…いや、典型的とも言えないかも知れない。何故なら…すぐそこに岩壁が見えていた時点ですぐに分かったが、どうやらこのお城は、元からある岩山の形状を利用して建てられたものの様だ。

…確かに、その気配はずっと中で過ごしていてあった。

やけに外からの自然光が入ってこない作り、あの大広間は別だが、あの礼拝堂にしても、見窄らしいとはいえ小ぢんまり感が否めなかった。”ミニチュア”といった趣だった。それに…あの礼拝堂に関していえば、前回だか触れた様に、数え切れないほどにあった太い列柱群…あれは今思えば、この岩山に合わせて無理に作ったのを何とか補強しようとした苦肉の策の果てだったのだろう。努力の結果と言うわけだ。

…さて、外に出てから内側ばかり見ていたので、今度は外側、先程来の強風の吹いてくる方向、その拓けている方を見ようと、城壁のすぐそばまで向かい、それから凸凹の隙間から外を眺めた。

そして…眺めた途端に、今回一番に驚いた。

見渡すばかりの水が眼下に広がっていた。それと同時に、この時初めて、今いる所が意外に高いというのを知った。

…いや、そんな事よりも、空が曇天なせいか水面も暗かったが、時折白い波が起きているのが確認出来た。

少し靄が掛かっていて、キチンとは見えなかったが、それでも対岸らしきものも見えた。

それらの情報を、景色を眺めつつまとめた結果、最初の推測が少しズレているのに気づいた。

それは…今いるこのお城というのは、何も単純…いや単純でも無いのだが、岩山に沿って作られたものとばかり思っていたのだが、そうではなく、そもそもこのお城は、まだ海なのか湖なのかまではハッキリとしないが、そのどちらかの中の小島にあり、その小島全体を覆う様に、地形に合わせて建築されているという事実だった。

単なる岩山などではなく、島だったのだ。

「はぁ…」

とその事実を知った後でまた改めて眼下の水面を眺めつつため息を漏らしたが、これは例の礼拝堂にいた時とは全く違う類いのものだった。

感嘆のため息を漏らしつつ、灰色一色とはいえ景色に見とれていたので、それまで背後に突如として出現した気配に気付かなかった。

そして、ソレは不意に私の肩に手の様なもの(?)を置いたので、あまりにも想定外の出来事に私は振り返ることが出来ずに、そのままの体勢で固まってしまった。

どれほど経っただろうか、視線は眼下の水面に向けたままだったが、ずっと肩に置かれたままの、手の様な感触はずっと感じていた…と、その時、突然少し愉快げに、背後から聞き覚えのある声で話しかけられたのだった。

「…ふふ、良い景色よね?」

「…え?」

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