第27話 影法師(ナニカ)

「…ちょっと?」

「え?」

急に…と私は感じたのだが、まず初めに身体に強くぶつかってくる風に気づいた。そしていつの間にか俯いていたらしく、目の前、眼下には濃い灰色をした水が広がっていた。

…そう、どうやらまた例の夢に来てしまったらしい。

…らしいのだが、今までと明らかに違うのは、初っ端からいきなり声を掛けられた事だった。前回の、そのままの続きらしい。

「ちょっとー?」

と、声の主は前回までと同じように、私の肩に手”らしき”ものを乗せたままだったが、先ほどの口調よりも若干の苛立ちが見え隠れしていた。まぁしかし、本気でというよりも、気心の知れた間柄にありがちな、良くある類のものだった。

「無視しないでよー?」

そのあまりにも拍子抜けな、馴れ馴れしい態度に自然と緊張がほぐれたのか、私は思わずクスリと苦笑を漏らしつつ振り返ってみた。

「…え」

と、その声の主の姿を見て、まず思わずそう声を漏らさずを得なかった。

主は女の子だった。…まぁそれは振り返らずとも声から分かっていたので、それには驚きはしなかったが、この夢に来て初めて言葉の分かる者が現れたとはいえ、それでもやはり異様な身なりをしていた。

まず目を惹いたのは、全体的に”真っ黒”の点だった。真っ黒といっても単純に黒一色というわけでは無い。何と形容すればいいのか…第一印象で思い浮かべたのは『影みたい…』というものだった。勿論今までこの夢を何度も経験してきたので、目に映る色彩が灰色の濃淡でしか無かったので、今更黒一色の者が現れても驚くに値しないと言われそうだが、この”影”みたいという印象、その印象を受けたと同時に、得体の知れない”不気味さ”…いや、”不自然さ”を覚えたのだった。

とはいっても”異形”というわけでは無い。少なくとも恐怖は感じなかった。その訳を言うためにも、それを順に説明してみようと思う。

”彼女”は…少女だった。年齢はどれほどだろう…パッと見では小学生程に見えた。服装はその”影”な見た目にも関わらず、”何故か”真っ白な、純白な、そして新な半袖のAラインワンピースだった。それが何故か分かったと同時に、ここでまた不思議な気分になった。

…あれ、あの服どこかで…

と、すっかり私は好奇心に流されるままに、しげしげと遠慮なく少女の姿を舐め回すように眺め続けていた。

視線が顔に差し掛かったが、これまたどこかで見た事のある様な麦わら帽子を目深に被っていたので、顔がどんな形状なのか判断つきかねていたが、少なくとも分かるのは、その部分、顔面部分はより一層”影”が濃いというだけだった。

とその時

「…ふふ」と少女が笑った。”真っ暗”な顔の下の一部分に動きが見えたかと思うと、夜空に弦月が浮かび上がっているかの様に見える様な、そんな見た目の白い部分が顕となった。どうやら口が開いたらしい。笑顔の様だった。

私はふとその声で我にかえると、自分の夢、この異質な空間にいることすら忘れて、現実世界にいる時の様に変に律儀に少し照れ臭く笑いながら話しかけた。

「あ…ご、ごめんなさい、そのー…マジマジと見ちゃって」

と私が言うと、「え?」と少女は弦月の端々を気持ち下に落として見せつつ声を漏らしたが、また元の位置まで上げると笑い交じりに答えた。

「あははは!いいのいいの!…そりゃそうよねぇ」

と少女はワンピースの裾を掴むと、その場で一回転して見せた。それと同時にワンピースがフワッと横に広がり、呑気な感想だがとても綺麗だった。

一回転してまた正面に戻ると、今度は愉快な調子になりながら言った。

「いきなり前触れも無く背後から話しかけられたら、どんな人だってまずその相手の観察から始めるもの」

そう話しながら、少女はふと私の脇に歩み寄ると、先程の私の様に城壁の隙間か眼下に広がる水を見下ろしだした。

続きがあると思い何も言わずにいたのだが、少女はそのまま黙って見下ろしていたので、私も仕方なくそれに倣うことにした。

夢だと気付いた瞬間に、未だに正体の掴めない少女との遭遇があったために今の今までロクにキチンと見渡していなかったのだが、こうして改めて見渡してみると、周囲の景色にも前回との違いが現れているのに気付いた。

前回までは乳白色の靄が掛かっていて、水の向こう側までは見えなかったのだが、今回はすっかり靄が晴れておりハッキリと周囲の状況が掴めた。

対岸が見えた。それも今私のいる位置から見てふた方向左右に。

こうして視界が開けた事によって、前回にあくまで推測の域を出ていなかった事実、今いるのが”岩山”ではなく”島”だというのが証明された。

と同時に、左右に分かれた、その間をやはりそれなりの幅を持った水辺によって区切られたそれぞれの対岸が、これらはまた此方と違って、奥まで地平が広がっているところを見ると、彼方は二つとも大陸らしいと見受けられた。

これまた自分の夢ながら興味深い景色だった。

それぞれ対岸の方にもお城…いや、お城を模したというのか、高層建築が見えているのだが、こちらと違っていくつも乱立していた。十ではきかない程の数だ。形状こそ片や東洋風、片や西洋風だったが、それを除けば二つに共通していた。

遠目だし、そこまでまだハッキリとは断言できそうも無いが、どうやらそれらはまだ新しいものらしい。思わず今いる自分のいるお城を振り返って見直したのだが、如何にも古びた、苔生した、そこら中ひび割れだらけでロクに手入れのされてない感の否めない外観と比べると、明らかに彼方さんのは如何にも新しげだった。

ただ建物の高さ自体は、どうやら私の今いるお城の方がだいぶ高いらしい。が、精々こちらが誇れるとしたらその点のみだった。

これこそ双眼鏡でも無いと確実には分からないが、ただ何やら賑やかな物音、ドンチャンしている風な音が風に乗ってこちらにまで届いていた。

どうやらこれまたこちらと違って、向こうは活気があるようだった。「…ふふ」

と、私がここまで分析をするのを待っていたかの様に、絶妙なタイミングで、景色を見つめたまま口を開いた。

「いい景色よね?」

「…ふふ」

と、ここにきて前回の終わりの部分を思い出した私は、思わず吹き出しつつ返した。

「それ…こないだも同じ事言ってなかった?」

と我知らず何だか自然と馴れ馴れしく返してしまったが、それに対して何のリアクションもせず、むしろそれが当たり前、普段通りだと言いたげな調子で、少女は私に顔を向けて同じく笑みを零しつつ返した。

「ふふ、そうよー?だって…前はあなた、キチンと応えてくれなかったじゃない」

私も同様に少女の顔を見た。相変わらず深い影に満ちていて判然とはしなかったが、それでも何となく、初めて見た時よりもハッキリと顔が分かるような気がしてきていた。

「ふふ、そうね…」

と私は微笑みつつまた外に目を向けると、

「ねぇ?」と肩を軽く何度か叩いてきながら声を掛けてきたので「何?」とすっかり打ち解けた調子で振り向くと、ホッペに何やら当たった。

それは人差し指だった。少女が私が振り返るのを想定して、人差し指をほっぺが来る位置で待ち構えていたのだ。

「あははは!」

と少女は手を引っ込めると明るい笑い声を上げた。

それを見た私は、指されたほっぺを軽く摩りつつ、

「もう…子供なんだから」

と呆れ笑いを浮かべつつ言うと、ハタと一旦笑顔を引っ込めたが、それはほんの一瞬の事で、少女はまた明るく笑い声を上げた。

そしてそのまま何の前触れも無くトコトコと歩き出したので、「ちょ、ちょっと…」と私も慌てて後を追った。


「急に歩き出さないでよ…」

と少女の横に並んで声を掛けると「あはは、ごめーん」と、まるで悪びれるつもりが無いのが丸わかりな返しをしてきたので、

「もーう…」

とまた呆れつつも笑顔で漏らした。

…が、ここにきてふと急に我に返った。そして、今の異様な事態を改めてハッキリと認識し始めた。

…で、この子…一体誰…なんだろ?いや…”何なんだろう”?

城壁上部をゆっくりとしたペースで歩きつつ、目だけで隣の、どこか不思議と懐かしさの込み上げてくる姿をした少女を覗き見ていたのだが、クスッと一度微笑んだかと思うと、少女はそのまま正面を向いたまま口を開いた。

「…ふふ、何か言いたげ…いや、聞きたげね?」

「え?あ…」

相手は見るからに年下の少女だというのに、何故かそんな相手をしている気にはなれず、若干オドオドしながら返した。

「え、えぇ…ねぇ?」

「んー?」

「一体あなたは…」

とここでふと私は足を止めた。それと同時に、何歩か前に行った少女も立ち止まるとこちらを振り返った。

…何となく微笑んできてるように”見えた”。というのも、若干影が強まっているらしく、さっきまでと違ってまた判別が難しくなっていたからだ。

ここにきて”不気味さ”がジワジワと増してきていたが、それでも何とか臆病を押し殺しつつ重たい口を開いた。

「あなたは…誰なの?」

「…」

最初の方でも言ったが、前回と同様に髪がなびかなかったので気付かなかったが、二人でこうして黙ってしまうと、辺りはビュービューという風の切る音で支配された。

少女の顔部分は真っ暗になってしまっていた。口元を閉じてしまっているからだろう。恐らく一、二分ほどは経っていたのかも知れないが、不思議と長くは感じなかった。

と、ふと少女の口元が何となく緩んだかと思うと、トコトコと私に近寄ってきた。

あまりに突然だったので、身構える余裕も無かった。

私が腕を伸ばせば届くくらいの位置辺りで止まると、今度はわかりやすく口元を開けてニヤケて見せると愉快げに言った。

「…ふふ、”琴音”、もう気付いているでしょ?」

「…え?」

いきなり名前を呼ばれたので、思わず短く声を漏らした私には気を止める様子を見せずに、スキップをするかのように軽い足取りで先ほど辺りの立ち位置に戻ると振り返った。

「琴音、足元を見てみて?何かに気付かない?」

「え…?」

無邪気な口調ではあったのだが、どこか説得力のある声圧のせいか、戸惑いつつも問われるままに身の周りを見渡した。

初めは何のヒントもないと思っていたので、すぐに分かるとは思っていなかったが、何となく足元に注意を向けられた気がしたので、その通りに目を落とすと、「…え?」と思わずまた違う意味で声を漏らした。

何とそこには、当然あるはずの私の影が無かった。

いくら曇天下だとはいえ、光がゼロではない以上、微量であっても影が出来て当然だと思うのだが、繰り返すが其処には無かった。

今振り返ればある意味夢ではあるんだし、今までの出来事を思い返せば其処まで反応する事かと思わないでもないけれど、しかしそれでも事実として心底驚いていた私は、ジッと足元に目を落としたままでいたが、そんな私の様子を見てクスッと一度笑ったので、自分でも分かるほどに目をまん丸に見開きつつ顔を上げた。

それを待っていたのか、途端に少女は可愛らしく両腕を後ろに回し、少し前かがみになって見せて、そして…多分上目遣いをしているのだろう、下からこちらを見上げるようにしつつ微笑み混じり…いや、それに若干の子供特有のイタズラっぽさを交えつつ言い放った。

「ふふ…そう、私はあなたが普段呼んでいるところの…”ナニカ”よ。そして…琴音、”あなた自身”…の”陰”ってとこかしら?」



三巻へ続く

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

朽ち果つ廃墟の片隅で 二巻 遮那 @shana-oh

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ