第26話 数寄屋 c

毎度の通りに、マスターが腕によりを掛けた料理、私達それぞれの好物の品々を摂りつつ、雑談に花を咲かせた。

食事もあらかた済み、フッと気の抜けた雰囲気の中、義一の側に置かれた紙袋に目を向けつつ口を開いた。

「…あぁ、だから浜岡さんは途中から席を外してたんですね?」

「え?…あ、あぁ」

と浜岡も同じ様に紙袋に目を向けると、表情も穏やかに答えた。

「そうそう。さっきママに教えてもらってね、元々その予定ではあったんだけど、私の知り合いの雑誌編集者が来たってんで、それでちょっと席を外してたんだよ。で、この刷り上がったばかりの義一くんの本を、持ってきて貰ったってわけさ」

「なるほどー」


それからは、これまたいつも通りに空いたお皿をママとマスターが分担しつつ片して部屋を出て行った後、おもむろに義一はまたテープレコーダの電源を入れ、それをテーブルの真ん中に置いた。

この間誰も声を発しなかったが、ほぼ同時にメモ用に使っていた紙を皆してテーブルに戻したので、私もそれに倣った。

どうやらこれから後半戦がスタートするってことらしい。

私個人としては、まだまだ話を聴き足りなかった感があったので、願ったり叶ったりだった。

…この話を聞いておられる皆さんは、どうだか分からないけれども。「あ、そういえば、話が逆戻りする様ですけれど」

と前置きを置いてから、編集長の義一が口火を切った。

「せっかくこの場に島谷さんがいらっしゃるので、先ほどチラッと触れておられた、ガン保険の話をもう少し詳しく聞きたいなと思うのですけれど…」

「あはは!はい」

「あれはー…ヒドい話だと思うんですよね。日本は今回のFTA交渉を上手く取り纏めるためって言い訳をしつつ、アメリカのとの事前協議で既に沢山の分野で譲歩してるんですよね?今回の保険話もその一環な訳ですけれど、アレは元々国が管理していたというのもあって、今だに筆頭株主は日本政府で、要は税金を使って株を持ってるって現状です。さっき島谷さんがおっしゃってた様に、アメリカ側は新たなガン保険の様なものを日本側が作るのは罷りならんと思っているし、実際に公式に公に『仮に作ったとしても、日本政府がこれを認可するのは許さない』と高官が話している訳です。これって…おかしいですよね?主に日本側がって意味ですが…」

「…」

義一が話している間、他の皆と同様に島谷もニコニコ顔をしまい込みつつメモを取っていたが、話し終えると、それなりに真面目な顔つきではあったが、それでも元からの顔つきだから仕方ないのか、パッと見笑みを浮かべている様に見える表情で口を開いた。

慌てて付け加えさせて頂くと、別にその様な島谷に対して反感があるわけではない。むしろ、聞く側に緊張を与えないという意味で良い点だと思っている。

「んー…ふふ、そう、今編集長が言われましたけれど、アメリカにとっては何もおかしくないんですね。当たり前ですけれどね。思い出すのは九四年から九六年に掛けて”日米保険協議”というものがありましたよね?この中で日本側とアメリカ側であるUSTRの担当官とで話し合って、話がまとまりだしたその時、アメリカ最大の保険会社”AIG”の代表が日本に乗り込んできてですね、で、どっかのホテルをワンフロア貸し切ったと言われてますが、貸し切っていきなり指揮をとってですね、ギシギシと日本政府に圧力をかけていったんですね。今までの交渉を後から来たくせにご破算にしてしまったんです。で、自分たちのやっているガン保険をですね、もう数年独占させてもらう様に要求しまして、それで今日があるわけです。今回も全く同じ轍を踏んでるんですが、とある国内最大手の経済新聞の記者が『今回のこのガン保険の話は、FTA交渉に影響があるんでしょうか?』と聞いたところ、アメリカのUSTR側は『全くありません。これからも今まで通り日本側の保険なりを含む金融の解放を求めていく』と答えてるんですね。日本は”これまで通り”ますますガタガタとやられていく事になるかと思います」

「いやぁー、具体的なお話をありがとうございました。で、ですね、ついでと言っては何ですが、もう一つ聞きたいことがありましてー…」

「あはは!何でしょう?」

と島谷は、照れを一切隠そうともしないで明るく笑いながら返した。

「ふふ、それはですねぇ…いや、私たちは普段から付き合いがあるので知ってる、もしくは知ってるつもりなんですが、今こんな事態ですから改めてお聞きしたいと思って聞くのですが…九十年代、バブルが弾けた後ですね、世の中で”グローバルスタンダード”という話が出始めて、もうそこかしこでこの単語が連呼されてました。そんな風に、右も左も盛り上がっているそんな時に、もうその時に島谷さんは”グローバルスタンダード”に対する批判本を書かれてまして、この胡散臭さについて誰よりも真っ先に書かれていたと思うんです。で、ですね、遅ればせながら僕や中山さん、まだそんな日が経って無いのもあって、自分たちで言うのは恥ずかしいのですが、そこそこに同意してくれる、その様な本を書いてもキチンと読んでくれる人々が、細々とはいえ増えては来ているのですけど、九十年代の後半というのは、本当に島谷さんと、後はここにおられる中では神谷先生くらいしかそういうことを言ってなかったと思うんですね」

「私の事はいいよー」

と神谷さんは、急に名前を出された途端に照れて見せていた。

「ふふ。で、ですね、何故島谷さんはそういった問題意識、関心を抱けたんでしょうか?」

「んー…あはは!」

と島谷も神谷さんとは別の様子で思い切り照れていたが、その照れ笑いのまますぐに答えた。

「えぇーっと…ふふ、今編集長が触れられた様に、僕以外にも神谷先生が批判されていたので、僕なんかに聞くよりも先生が話される方が有益だと思いますが…あはは、あ、そうですか?ではお言葉に甘えて…。んー…しつこい様ですが、そもそも僕は神谷先生との付き合いがもう結構長いので、その間で色々と勉強させて頂いたから問題意識を持てたというのが一つあります。九十年代どころか、七十年代辺りから、それこそ味方がほとんどいない中で言論を張り続けておられたのは、神谷先生、そしてその周囲の人々のみだったんですね。ですからその質問に僕が勝手に答えるのは、ちょっと…難しいというのは分かってくださいね?読者の皆さん。…ぷ、あははは!さて、その上で話させて頂きますが、そうですねぇー…そもそもですね、僕みたいなフリーのジャーナリストに聞くべき質問では無いんですね。たまたま当たったんですよ」

とここまで言うと、島谷は一度ビールを一口飲んでから話を続けた。

「あるビジネス誌からですね『お前、ちょっと今世間を賑わしているグローバルスタンダードってヤツを、取材してこいや』と言われましてね、アハ、取材をしたり話を直接聞いたりしたら、なんかー…しつこい様ですけれど、神谷先生との普段の付き合いもあったのかも知れませんが、当時報道されている事とまったく違うなって印象を持ったんです。それは何故かと言うと、『この世の中にはグローバルスタンダードってものがあって、それを日本が採用してこなかったから、バブル崩壊後の経済の低迷を招いたんだ。だから今こそグローバルスタンダードを日本社会に取り入れなければならないんだ』ってな話を、政、官、財と皆して繰り返し一生懸命に言っていました。読者の皆さん、これは年齢にもよるでしょうが、お忘れかも知れませんが九十八年、正月の大企業の社長による年頭挨拶、その殆どの社長達が『グローバルスタンダードが云々カンヌン…』って喋ってたんですね。…バカみたいでした、ハッキリ言って」

「はぁー…」

私は島谷の話を聞きながら、当事者でも無いのに片手をおでこに当てつつ声を漏らした。

「その頃からなんですね…」

「アハ、そうなんだよぉー。んー…で、ですね、この一年後には、このグローバルスタンダードについて、グレン福島っていう日系人でUSTRの中の人によって暴露されまして…和製英語だったんです」

「…え?」

「あはは、つまりグローバルスタンダードっていうのは、全く”グローバル”には通用していない、通用しない考え方だったんです。で、その後で僕はコレについての本を書き始めたんですが、もう当時はなんでも書けそうな気がしました。…あまりにも胡散臭くて。えぇー…アメリカというのはですね、それまでですね“de facto”って言われてたんです」

島谷がこう言った途端、義一が私の紙の余白部分にスペルを書いてくれた。

「まぁこれはラテン語でして、要は”事実”って意味ですが、いわゆるスタンダードを立てないで、実力でどんどん市場を奪っていくのがやり方なんだって言われてきました。事実…もちろんカッコ付きなんですが、事実の方が勝つからスタンダードなんか立てなくても勝手に規格なんてものなども自然とアメリカ式になっていくんだと、そう考えてたんですね。ところが、どっかの国みたいに属国よろしく、アメリカのやる事なす事全てに盲目的に従っちゃう島国…まぁ日本の事ですが」

「あははは」

「他の国はもう少し立派…というかまともな国なので、なんとかしてそんな事に対して足払いをかけたいというので、ヨーロッパの大陸諸国とイギリスが、独自の共通ルールを作って、『俺たちが作ったルールに従わなければ、市場に入ってきてはいかんぞ!』といった事をやろうとしたんです。既にアメリカの一強時代は始まってたんですが、それでも流石のアメリカも頭を散々悩まして、それで結局どうしたかというと…ふふ」

と島谷はここで一人思わず吹き出して見せてから続けて言った。

「ヨーロッパの、そういう規格を決める機関を次々と乗っ取っていったんです」

「はぁー」

「物凄いやり方ですよね?アメリカというのは、少しでも自分の気にくわない事をする奴がいたり、起きたりした時は、普通なら、道徳的に考えたら出来ないような、普通思いついても実際にはやらないような事を平気でしてきた国なんだと、それを日本の皆さんに紹介したほうがいいと考えて、それで本を書きました。んー…自分の本ながら、今読み返すのも辛いくらいに舌烈ですけれど、でもまぁ情熱だけはこもっていたと思います」

「ふふ、ありがとうございました」

と義一は返した。

「いやぁ…いや、もちろん僕も島谷さんのその本を読ませて頂きましたが、そのー…何というか、日本人は本当にそういった”大義名分”に弱い…というか、あまりにも何も考えないままに拙速に飛びついちゃうんですねぇ」

「うーん」

「”グローバルスタンダード”だとか、”開国”だとか、その意味が何なのかロクに考えないんですねぇ…。アメリカ…だけでは無いですが、先ほどの中山さんの話にも絡みますが、国際法がどうであろうと、どの国もその時の状況に応じて、何が国益なのかをきちんと考えた上で、平気で今まで取りまとめてきた事も蔑ろにしたりすると…よく言われる”公正”だとか何だとかは気にもしていないというのに、この我が日本だけは、良く言って”お人好し”、普通に言えば何も考えない”ただのバカ”なんですよねぇ…」

「うん…」

「好き好んで騙されに行くんですよねぇ…」

「いや、本当そうで」

と、ここで武史が話を引き継いだ。

「私と編集長でしょっちゅう話してる事なんですが…もうズバッといってしまうと、日本人というのは心理的な葛藤というのが一番気持ちが悪いんだと。アメリカだとか他の国、他者が大義名分を出してきたのにタダ乗りしていれば、頭の片隅で変だと、納得いかない点があったとしても、その他者と対立や軋轢にストレスを感じるよりは、丸損する事が目に見える、国益を損ない未来に禍根を残すのだとしても、飲み込んで信じてしまおう…いや、少なくとも”信じたふり”をしようと。これを”和”などという、一般的には美徳とされていますが、この言葉で自分のそんな怠惰を誤魔化す…それに躍起になってきたのが、近代の日本人じゃないですかねぇ」

「ふふ、いや、本当にその通りだと思います」

と神谷さんが笑顔で同意を示した。私も及ばずながらウンウンと力強く頷いた。

「和というのは、表立って言われ出したのは恐らく聖徳太子の”十七条憲法”の第一条、和(やわらぎ)を以て貴しと為し云々の箇所だと思うのですが、これは当時の物部氏と蘇我氏の、神道と仏教を巡っての争いで世が荒れ果てたから、それを是正したいという気持ちの上で出てきてる事で、何も日本人の特質だからどうのという、いわゆる右翼の連中が言ってるような世迷言では無いんですが…って、今こんな事を話したいのではなくて、もしこの”和”が日本の特質で誇るべきものだとしても、その意味内容が示すのが、ただの事なかれ主義だとしたら、そんな”和”を貴ぶなんて考え方は、少なくとも悪習としか思えませんね。現に、その”和”、事なかれ主義が蔓延しているせいで、今の日本があるんですから」

「うん」

「あはは」と島谷が笑う中、今回は裏方に徹していた浜岡が、これまた笑顔…というかイタズラっぽく笑いながら言った。

「まぁ…ただそれは、いわゆる戦後保守、勿論自称保守の方々なんですが、こんな点で余計に”左翼”呼ばわりされるんでしょうね」

「あははは」

「ふふ」と私も笑みをこぼす中、ふと、三田にある有名私立大学で講演した寛治の話を思い出していた。昔マッカーサーがアメリカに戻っての議会で『日本は成熟していない十二歳の子供に過ぎない』と言ったのと、今のアメリカの高官クラスが『左は五歳児で、右は九歳児でしかない』と言ったのを聞いたって話だ。


議論はまた今回のFTAに戻ってきて、ここでまた島谷が、膨大な資料の中に目を落としつつ口を開いた。

「そもそも今回の大義名分、建前が自由貿易って事になっていて、それがさも日本の国益になるかのごとき議論をしてるんですが…そうなのでしょうか?初めてこの話が出てきた時に、加盟によってどれほどのGDP押し上げ率があるのかって話が出ました。で、それがいくつかというと…結局十年で2兆円しか無いって事が分かりました。これだけ聞くと大きく見えますが、年間にして国民一人当たりで計算すると、一年間にたったの二千円くらいの上乗せ効果しかありません。さて、これはパーセントにすると0.54なんですが…アメリカの方はどうなんでしょう?日本の計算は、某有名証券会社の名前が冠された研究所に所属している経済学者が試算したんですが、アメリカでもシンクタンクの内部の学者が計算しています。で、ですね、その学者が出した指標はどの程度かというと…何と、GDP押し上げ効果が、たったの0.07しか無いんですよ」

「え…?」

「つまり、日本も大して得しませんが、アメリカはもっと得しないんですよ。まぁ、僕もこの数値を見た時一瞬驚きましたが、考えてみたら当たり前なんです。何せ、今少なくとも先進国間での関税というのは、もう既に底打ちに近い状態になっていまして、実質自由貿易は完成されてしまってるんですね。…さて、アメリカはこんな得にならない、儲からない事をわざわざ何故するのか…?これは今回の雑誌の議論の場ではこれ以上話しませんが、これに疑問を感じた読者の方々は、ここにおられる望月編集長、中山さん、そしてついでに僕の本なんかを思考の一つの手段に使って読んでいただいて、考えて見てほしいと思います」

「ふふ、ありがとうございます。…琴音ちゃん?」

「え?」

と、明らかに議論が終わる雰囲気だったのに急に話しかけられたので、少しきょどりつつも返事をした。

「何?」

「ん、あ、いやね…せっかくだから、琴音ちゃん、君の意見も最後に聞きたいなぁーって思ってね?そのー…雑誌とか関係なしに」

それを聞いた私は、おずおずと周囲を見渡すと、神谷さんはじめとして、皆してこちらに黙って微笑みをくれてきていた。

それを見た私は「私なんか…」と、恐縮しつつボソッと呟いたが、それでも流れそうになかったので、覚悟を決めて私は一度、一同をまっすぐに見渡してから、最後に武史の目の前に置かれた一冊の本に目を落とした。それは義一の処女作だった。

「武史さん…それ、ちょっと借りてもいい?」

と私が聞くと、一瞬何の事かと目を丸くさせて見せたが、

「はい、どうぞ」と笑顔で快く貸してくれた。

「ありがとう」とお礼を言いつつソレを受け取ると、ペラペラとページをめくっていき、一番最後辺りで止めた。

そして私はまた一度顔を上げて見回してから、ページに目を戻して口を開いた。

「私なんかがアレコレと何か言う資格があるとは到底思えませんけど…それでも今までの議論を聞いてきた中での感想を話せと言われたら…別に顔を合わしているからとか、それだから気を使ってってことではなく、何の疑問もなく納得して聞けました」

「ふふ、ありがとう」

「なので、そんな点からしても何も言う事なんて無いんですが、それでも何か言いたい事があるとしたら…今回の義一さんの本のあとがきに書かれている話です」

と私が言うと、貸している武史と、そもそも手元に持っていない義一を除く他の面々が、おもむろにあとがき部分を探し始めた。

探し終えたのを確認して、それからまた話を続けた。

「そこには、義一さん自身も、今の私とは別に、『アレコレと長々と書いてきましたが、自分ごとき、何か書き添える事など持ち合わせていません』などと、”変”に謙遜して書かれていますが…」

「あははは」

「…ふふ、琴音ちゃーん…」

「ふふ、で、ですね、その後でこう書かれてるんです。そのまま読みますね…『…ですから、自分ごとき何かを偉そうに話すような事など無いのですが、その代わりに過去の政治家で、今のように、全体主義的に、その場の思いつき、気分、空気に流されるままに議論が抽象的に為されていくのに対して、敢然と反対の演説をした有名な方がいます。それは斎藤隆夫先生です。彼は1940年に『反軍演説』と呼ばれるものをしました。当時は支那事変、日中戦争が泥沼化しようとしている中で、軍部の批判をして、参議院議員を辞めさせられた方です。そのような目にあった、そのような目に合うのを当然知りつつも、それでも勇敢にも演説をした偉大な政治家の反軍演説、粛軍演説を、”反FTA演説”として読み替えて終わりの言葉としたいと思います…』」

とここまで読むと、別に自分がするわけでも無いのに、喉を潤す意味で一口アイスティーを飲んでから静かに続けた。

「『我々が国家競争に向かうに当たりまして、徹頭徹尾、自国本位であらねばならぬ。自国の力を養成し、自国の力を強化する、これより他に、国家の向かうべき道は無いのであります』」

「…」

「『この現実を無視して、徒に”開国”の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く自由貿易、曰く経済連携、曰く農業再生、曰くアジアの成長を取り込む、かくの如き雲を掴むような文字を並べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るような事が有りますならば、現在の政治家は、その死をもってしても、その罪を滅ぼすことは出来ない』」

「…」

話し終えると、室内はシーンと静まり返っていた。

私も何度も読み返した箇所だと言うのに、実際に口に出して読んだのはこれが初めてだったせいか、自分の口でとはいえ義一の文章に圧倒されてしまい、本に目を落としていた。

どれ程経ったか、「ふふ」と微笑む声が聞こえたので顔を上げると、その主は神谷さんだった。こちらに柔らかな笑みを向けてきていた。その視界には当然、真横に座る義一も入っているだろう。

と、目が合うとニコッと一度目を細めてから神谷さんが話しかけてきた。

「いや、琴音ちゃん、ありがとう。…ふふ、義一くんの本の中の数ある部分で、その箇所を引用してくれるとは…流石だねぇ」

「え、あ、いや…」

「ふふ、私も義一くんのこのFTA批判の本では、勿論他のどのページにしても興味深く読ませて貰ったんだけれど…これを、反軍演説を引用して見せて、そしてそれをこうして見事なモノに読み替えて締めてみせるというのは、んー…処女作には有るまじき完成度だと思うよ」

「あ、いや、先生、そんな…」

と、ついさっき褒められてアタフタした私の様に、義一もしどろもどろに反応して見せていたが、それを見た、神谷さんを含めた他の一同が声を上げて明るく笑うのだった。

それを受けた私と義一は、隣同士顔を見合わせたが、その直後にはクスッと一度笑みをこぼし、それから一同に混ざって笑い合うのだった。


場が収まると、ここで一度今回のFTAの議論は終わりを告げて、せっかく…というか、話しぶりでは元々の予定だったらしいが、雑談交じりに義一の本にも軽く触れることとなった。

初めのうちは、義一が照れつつも自分の本の中身について話していたが、これは以前に宝箱で聞いたのと大差なかったので端折らせて頂く。

「うん、義一くんありがとう」

義一が話し終えると、神谷さんは笑顔で口を開いた。

「でもまぁ、義一くんの事だから、この間話してくれたり、普段からの会話からだとか、今出版されている本の中身を見るに、今もらったばかりだから分からないけれど、恐らく良い本だとは思うけれどねぇ…」

とこのようなことをボソボソと言いつつ、不意に手にその刷り上がったばかりの本を手に取ると、悪戯っぽい笑みを浮かべつつ言った。

「…言論界は、この本を無視するだろうね」

「ふふ」

と途端に義一も、その言葉を受けて途端に明るい笑みを零したが、ここで口を挟んだのは浜岡だった。こちらも変わらぬ笑顔だ。

「あはは。でも先生?実はここにいる義一くんは、実は今、二、三十代の若者から絶大な支持を得てるんですよ」

「へぇー、そうなの?」

「はい。ほら先生、去年の年末、初めて義一くんが公の場に出てきたじゃないですか?そこでの立ち居振る舞い、言論の中身などで、その時点でネットの中では『義一って何者なんだ?』ってな具合に盛り上がってたんですが」

「あはは」

と当人である義一は浜岡の言葉にウケていた。

「それでこないだの全国放送での露出…そこには武史くんも出てたけれど、この二人が揃ってまた話題性が強まった感があるんです」

「は、浜岡さん…」

と、義一は苦笑交じりに口を挟んだ。もう一人である武史も、ただ黙って苦笑いだ。

「僕たちの事はこの辺にして…」

「あはは、ごめんごめん」

「なるほどねぇ…」

と神谷さんは、今度はまるで孫を見るかの様な柔和な笑みを浮かべて、義一と武史を交互に見ていた。

しかしふと何か思いついた様子を見せると、また先ほどの様な笑みを浮かべて義一に話しかけた。

「でも義一くん、まだこの本が二冊目だとはいえ二ヶ月後に今度は、また畑違いなこの様な本を出すという、出版のペースとしてはかなりハイペースだと思うけれど…私も自分で言うのもおかしいけれど筆が早くて…時々自分で恥ずかしく思うことがあるんだけれど…君は恥ずかしくなかった?」

「あははは」

「ふふふ」

と私も含む一同で明るく笑い合った後、義一は笑みを絶やさぬままに答えた。

「あはは、そうですねぇ…。でもまぁ、今先生が言われましたけれど、言うほど私は今回この本を出すにあたって、前回の本とそれほど別のことをしているという気がしなかったんですよ」

「なるほどねぇ。…あ、一つまた余計なことを思い出したけれど…」と神谷さんは、ふと手元の紙に何かを書き込みつつ言った。

「あれは…琴音ちゃんにも少し言ったかなぁ?でも…これは多分言ってなかっただろうからこの場を借りて、その時の事に付け加えさせて頂く体で話すと…攘夷の”攘”って漢字があるよね?」

「はい」

と、明らかに私に向けて話しかけてきていたので、素直にすぐに返事をした。

すると神谷さんはニコッと一度微笑んでから先を続けた。

「これは手偏なんだけれど、”譲”、つまり言偏の方と同じで元々は”ゆずる”って意味らしいんだね」

「へぇ」

私はこの二つの漢字を書いて見比べつつ声を漏らした。

「攘夷って時に使う攘は、今も義一くんが話してくれた様に”追い払う”って意味なんだけれど、戦後日本人にとっての”じょうい”っていうのは、東の方の野蛮人に自らを”譲る”、”譲夷”になってしまったんだろうねぇ」

「あぁ…本当ですね」

「うんうん」

「だから、気持ち的には言偏から手偏に戻せって感じだね」

と神谷さんは笑みを零しつつそう言うと、義一の新刊をまた手に持ち、その帯に書いてある字を読み上げた。

「副題は…『プラグマティズムからナショナリズムへ』か…。ふふ、中々良い副題だと思うけれど…」

と今度は目次を開いて見ながら続けた。

「このプラグマティズム、今回義一くんが取り上げた、伊藤仁斎、荻生徂徠、会沢正志斎、そして福沢諭吉と、この四人に共通しているのがそれなんだよね」

「はい、その通りです」

「プラグマ…ティズム?」

とメモを取りつつそう呟くと、義一がこちらに顔を向けて、普段通りの若干の”教師モード”を表情に滲ませつつ、しかし柔和な笑みを浮かべて言った。

「そう、プラグマティズム。これはそうだねぇ…元々ギリシャ語の”Pragma”からきてて、意味としては”事象”ってぐらいだけれど、このプラグマティズム自体は一般に”実用主義”と訳されているんだ」

「そう」

と義一の言葉を引き継いで、また神谷さんが口を開いた。

「ただ一般にはそうなんだけれど、でもただ単に役に立つ事をやれとか、そんな俗っぽい話なんかじゃなくて、人間の感じ方、考え方、振舞い方、それが日々の実践…この本になぞらえて言えば、仁斎の言う”活物”ね」

「そう、活物ですね」

「活物…」

「そう。”活ける物”って意味だね。活き活きと活動しているという、そういう現実の中で物事の考え方などが養われていく…これがまぁプラグマティズムなんだよ」

「ほー…」

「人間というのは社会的動物であり、また歴史的動物な訳だよね?過去を覚えていない、過去を喪失している人間というのは、言い方が悪けれど人格崩壊者って事になる訳で」

「はい」

「これは勿論国家にも当てはめられるんだけれど、活物、活ける物としての人間を考えると、歴史、つまり先祖だとか伝統だとかを考えていくと、どうしても国というものが出てくる。これがつまり、この本の副題のもう片方、ナショナリズムって事なんだね」

「はい、おっしゃる通りだと思います。で、ですね…って」

と、ここで義一は、私を含む一同を眺め回すと、照れ臭げに

「こんなに僕と先生ばかりが喋ってて良いんですかね…?」

と言うと、「あははは」という島谷さんの豪快な笑い声に始まり、皆して笑顔で構わないといった様な言葉で返した。

それを、これまた照れながらも受けた神谷さんが、その照れ笑いのまま口を開いた。

「少し今までの議論とズレるかもしれないけれど、ふと諭吉が面白いことを言ってたのを思い出したから、それを述べさせてもらおうかな?福沢諭吉が大事にしていた言葉に”通義”というのがあってね」

「通義…」

「そう、”義”を通すって書くんだけれど、まぁ…社会に通用している正義って意味かな?もっと簡単に言えば”常識”って事だと思うけれど」

ここで、意図した訳ではないだろうが、今回の議論の中心的な論点に戻ってきたので、ますます腑に落ちる思いがした。

「もう一つ諭吉が言ってた中で印象的なのが”気風”ね。『文明とは、国民の気風である』とね」

「国民の気風…」

「これらの言葉は、仁斎と同じものだね?」

と神谷さんが聞くと、義一はすぐさま笑顔で応じた。

「はい。まぁ仁斎は”気”って言ってたんですけれど、私が取り上げた、諭吉を含む全員が同じ様な事を言ってたんですよねぇ」

「そうなんだよ。諭吉を読んでいてもね、別に仁斎がどうのとか名前は出てこないんだけれども、あの当時の広い意味、広義における知識人たちにとっては”常識”だったんだろうね」

「そうだったんでしょうね」

義一は我が意を得たりといった様子で、腕を組み大きく頷きつつ返した。

「それを明治以降、特に戦後日本人、知識人からスッポリ抜け落ちて、福沢諭吉をいわゆる”西洋派”、”開国派”だなんて読み間違えるんだからねぇ…本当に、何をそんなに勉強してたのか」

「ふふ、本当ですね」

「あははは」

「確かに…」

とここで笑顔のままの義一が話を受け継いだ。

「勿論尊王攘夷論者にもイかれた連中はいて、諭吉は水戸藩の奴らに命を狙われていたのは事実で、『イかれた攘夷はダメだ』と言ってるんですが、彼は同時に『攘夷にも見所がある』と言ってます。西洋が迫ってきてるという危機感の中で団結した、あのエネルギー、あれは素晴らしかった。諭吉はそう言った後で何て付け加えるかというと、『あの攘夷運動を起こした”気”、この気を使えば文明開化が出来る、この気を使って近代国家を作ろうじゃないか』と言うんですね。で、この危機感の中で国民を束ねようとする”気”…これがいわゆる先程来議論になっている、これがナショナリズムなんですよね」

「うんうん」

他の人、特に一般人が聞いてどう思うかはともかく、当時の私は至極その通りだと、別に今に始まった事ではない、それも皆さんはご承知だと思うが、しきりに頷きつつメモを取りつつ聞き入っていた。

「福沢諭吉って人は一般に”啓蒙派”って事になっていて、確かに”学問のすゝめ”というのを書き著しているし、実際に学問を勧めてはいますが、彼が勧めている学問というのは、何も今時でいうところの狭い意味ではなく、『日本人は学問をして”自立”…”自律”しなくてはいけない。国のために自分の頭で考える、一人一人がそうすれば日本の独立が保たれる。『もし他国が無礼な事をしてきたならば、此れを以て打ち払て可なり』と、『遠慮に及ばざる事なり』」

「ふふ…」

今の話は、勿論今年の初めに初めて神谷さんと宝箱で遭遇した時にも聞いた話だったので新鮮味はなかったが、でも中々に濃い内容なので、久しぶりというのもあって思わず笑みを零してしまった。

ここからはまた神谷さんに主導権が移り、滔々と話し始めた。

「思想の次元に戻すと、元々江戸時代、江戸幕府の公式の学問で朱子学というのがあって、この朱子学の場合、その当時ヨーロッパでも芽吹き始めていた”合理主義”的な考えがあって、今まで我々で話し合った、語り合ってきた”気”とは別の、”理”、合理の理ね、この世を支配するのは”理”であるべきだと、理にそぐわない気というのは無くさなければならない、とまぁこんな体系的なものなんだよね」

「はい」

「合理主義って言えば…」

とここで、今まで静かにしていた武史がふと口を挟んだ。顔にはニヤケ顔が浮かんでいる。

「話を折るようですが、ふとニーチェが面白い事を言ってるのを思い出しました。『この世で一番”不合理”なものがある。…それは”合理主義”だ』ってね」

「あははは」

「…ふふ」

武史が妙に芝居かかって言ったのもあるが、如何にもニーチェらしい物言いに、そこまでまだ深く読み込んでいなかった私だったが、これまたふふっと笑みを漏らすのだった。

一同も武史の発言に明るく笑いつつ、その明るい雰囲気のまま神谷さんが発言を続けた。

「これは今にも通じていて、朱子学は中国由来なわけだけど、戦後はアメリカ由来のチャチな合理主義が入って…いや、朱子学の時と同じで自ら進んで受け入れていったんだけど、それがずっといい事だという風にしてきて今日があるんだねぇ…」

「うーん…あっ」

と、先ほどから実はどこか引っかかる所があり、それが何処なのか自分でもはっきりと目星がついていなかったのだが、ここにきて、ようやくその正体が分かったので、表面上では口を挟むべきではないと思いつつも、根っからの”なんでちゃん”としては黙っておれず、そのまま口にしてみることにした。

「でもさ、そのー…」

とタメ口気味になってしまったが、元々義一に話しかけるつもりだったので、そのまま隣の義一に顔を向けてから話を続けた。

「あ、いや、今までの話になんの疑問もないんだけれど…さ?義一さん、あなたは自分の口では別に言ってないけれど、結構”理”を大事にしているよね?何せ…絵里さんに聞いた事だけれど、大学時代に周りに『理性の怪物』って付けられたくらいだもん」

「理性の怪物?」

「絵里さん?」

武史、島谷がそれぞれ各様の反応を示す中、「こ、琴音ちゃーん」と、義一は心の底から照れ臭そうに、いつも以上に頭を乱暴に掻いて見せていた。

これは長い付き合いの私だから分かる。何も知らない人が見ると、苛立ちを抑える、もしくは見せんがための行動に見えなくもないだろうが、義一は、私が今言ったような事で苛立つほど、本人には言ってあげないが器が小さくないのだ。だから、これはただ単純に”参った”というのが本当のところだろう。

ただ笑っていた浜岡も混じり、理性の怪物、そして絵里について説明するために、ちょっとの間のインターバルが設けられた。

絵里に関しては、まず私が説明すると、その後を引き継いだ武史が「要は義一の”コレ”ですよ」と小指を立てて見せつつ言った。

「あぁ、なるほどー」と特に初耳だったらしい島谷が感心した風に見せると、「おいおい武史…」と、義一は心からウンザリだと言いたげな表情を浮かべていた。私はどんな顔を見せるのか多大な関心を持って見たのだが、そこには一切の照れが見えなかったのだった。

「いやぁ…」

と不意に義一が、話を無理やり戻そうとするがごとく、長めに声を漏らすと、今度は本当に照れ臭そうに笑みを零しつつ私に目を向けながら言った。

「流石琴音ちゃん、中々に痛いところを突いてくるねぇ」

「ふふ、本当だね」

とここで何故か神谷さんも義一に乗っかってきた。

すると義一は途端に慌て気味に「いやいや、先生は別に…」とフォローを入れようとしていたが、神谷さんが手を前に突き出し制したので、義一は口をつぐんだ。

それを確認した神谷さんは一度ニコッと義一に笑みをくれ、そして私に視線を移すと同じようにニコッと笑ってから口を開いた。

「ふふ、確かに…琴音ちゃん、君は本当に、ここにいる義一くんだけではなく、私たちの話も良く聞いてくれてるんだねぇ。それが今の発言からもよく分かるよ」

「え、あ、いやぁ…」

「ふふ。さて…義一くんがそう呼ばれているっていうのは、実は私は知ってたんだよ。何せ…本人に教えて貰ってたからね」

「ふーん…」

と私が視線だけ隣に向けると、相変わらず義一は照れ笑いを浮かべていた。

やっぱり…知ってたのね。

この時の私の頭には、絵里と三人で初めて行った、例のファミレスでの情景が蘇っていた。

「その教授を私は知らなかったけれど、中々にいいあだ名だよね。まさに義一くんを言い表している。…ふふ、義一くん、誤解がないとは思うけれど敢えて言えば、別にこれは悪口では無いし、何か言いたいわけでは無いからね?」

「ふふ、承知しています」

「うんうん。さてと、琴音ちゃん、今君はズバリ義一くんの話をしてくれたけれど、実は何を隠そう、私自身も理性に侵されているというのを白状しなくてはならない」

「…」

何か返そうと思ったが言葉が見当たらず、ただ黙って神谷さんの続きを待った。

神谷さんも義一同様に照れ笑いを浮かべつつ、時折頭を撫でて見せながら話を続けた。

「今日もそうだし、今までの話を覚えてくれていたら分かると思うけれど、散々”理性”や、もっと言って”合理主義”を批判してきたんだけれど、結局そう言ってる自分自身が中々合理から抜け出れないんだ」

「…」

聞きつつふと周囲を見回すと、義一含む他の四人も何だかバツが悪そうな苦笑を浮かべていた。

「これは私個人の事だけれど、私はずっと若い頃からいわゆる西洋の思想について研究、勉強してきたせいでね、気づいた頃には、西洋人以上に西洋化してしまっていたんだ。考え方がね?」

「西洋化…」

「そう。私はいわゆる宗教家では無いから、西洋の精神の根底にあるキリスト教に対して門外漢だし、洗礼を受けるつもりもなかったから、結局西洋化しているといっても、それすら中途半端になってしまっているんだ」

ここまで言うと、神谷さんは一瞬日本酒に手が伸びたが、ほんの手前で止めると、その脇にあったお冷に手を伸ばし、それを一口飲んでから先を続けた。

「まぁ今や西洋人も悪い意味で無宗教化してしまってるんだけれど…っていや、それはともかく、んー…いざこの様な鋭い疑問を提示されると答えに窮する、その時点で偽物じゃないかって思われそうだけれど…」

「あっ!そんな事は…」

自分では勿論純粋に疑問に思ったから聞いて見たのは事実だが、ここまで深刻な話になるとは露ほどにも思っていなかった私は、少しオドオドしながらそう返したが、神谷さんは力無げにニコッと笑ってから先を続けた。

「ふふ、ありがとう琴音ちゃん。君は”本当に”優しいね。んー…さて、それでも折角の重大な質問、なんとか説明するとしよう。…私みたいな凡人の事を話すよりも、偉大な先人たちの話を引き合いに出した方がいいだろう。…ゴホン、いわゆる合理主義というのはデカルトから始まったと言われているけど、何もデカルト自身も、今言われる様な唯物論、精神などの形而上の価値を認めない様なものではなく、目に見えないもの、価値を定める絶対的なもの、それを神と呼ぼうが呼び名はなんでも良いが、それを求めて最後はそれらしいものに出会うのだけれど、そのデカルトの信奉者、通称デカルト派というのか、彼らはデカルトの考えを単純化して解釈し、今言った唯物論に流れていくんだ」

「…」

いきなりとても難しい話が始まったので面を食らった心情だったのは事実だが、それでも何とか我ながらついて行っていた。これも今までに、義一から本を借りたり、それについて何度も語り合ったり議論してきたお陰だろう。

「それに反発して、私が思う保守主義の黎明と考える一人、イタリア人のジャンバッティスタ・ヴィーコ 、彼がそのデカルト主義者達、その思想である合理主義を批判したんだ」

「…はい」

「彼は彼らについて中々に面白く、的確な物言いをしているんだけれど、それはこんなだったんだ。『彼ら合理主義者は、何でもかんでも”単純化”する恐ろしい人たちだ』とね」

「…あぁー」

「あはは」

「ふふ」

「そう、つまり、これは皆が一応私の考えに同意してくれてるから、そこは端折って言うけれど、まず保守思想というものは”合理主義批判”から始まったものと考えて良いと思う」

「はい」

「ふふ、よし。さて…話が急に逸れるようだけれど、琴音ちゃん、義一くんに聞いたら、最近は、私たちが考える保守思想家の本を手当り次第に読んでるって聞いたけれど…」

「は、はい…難しいところも勿論あるんですけれど…」

と私は流石に軽口で滔々と話す気は起きなかったが、しかしそれでも普段思っていることでもあったので、それをスラスラと淀みなく言った。

「んー…でも、それでも何というか、私なんかが言うのも何ですけれど、普段から義一さんと付き合ってるって点があるかも知れませんが、読む度にすんなりと頭に入ってくるような気がしています。…はい」

と最後の方で神谷さんの好奇に満ちた視線に耐えられなくなり、若干目を伏せつつそう言い切ると、「あはは、そうかい?」と途端に笑顔で返してくれるのだった。

「あはは、いやぁ、何が言いたかったかって言うとね?それに限らず、そのー…それに合わせて私の本も読んでくれてるって聞いたものだから」

「え?あ、はい。勿論です」

と私がさも当然、自然だといった調子で返すと、神谷さんは頻りに頭を撫でて見せつつ照れながら返した。

「んー…ふふ、勿論って…琴音ちゃん?別に私の本なんか読まなくても、それだけの過去の偉い人たちの本を読んでるのだったら、無理して私のなんか読まなくても良いんだよ?」

「へ?あ、そ、そんなぁ…」

と急に何故か自虐気味な事を言い出したので、こんな時の言い返しのストックを持ち合わせていなかった私はオドオドするのみだったが、私以外の一同は慣れっこといった調子で「あははは」と明るく笑うのだった。

私も失礼がない程度に合わせるように「ふふ」と笑みを浮かべてみると、それを見た神谷さんはこれまた何故か優しげな微笑を浮かべて話を続けた。

「さて、何の話…あ、そうそう。それで何が言いたいのかというとね、ようやくだけれど…ふふ、私が言い始めたって言われてるんだけれど、本当は二十世紀最大の保守政治哲学者、オークショットの説を引用して、そこから所謂保守の三原則というのを言い出したんだけれど」

「はい、存じてます」

覚えておられるだろうか…?いや、別に覚えてなくても構わないのだが、以前チラッと、そう、初めて数寄屋でこの場にいる武史と面識を持った時に、ふと軽くだが、保守についての話をしたのだった。その後も約束通り、義一から保守と称される人々の著作は読んできたのだが、その中でも難しい部類に入るのが、神谷さんの出されたオークショットの著作だった。義一の解説付きとはいえ、それでも難しかったが、その流れでというか、神谷さんが今から二十年ほど前に出された本に、それら保守思想家を紹介するという体のがあり、それの中にオークショットも含まれており、それもまた原著の読解の手助けになったのだった。

神谷さんは「ふふ」とまた小さく笑うと話を進めた。

「で、その三原則の中でオークショットが言ってた中に、英語で”fallible”と言うんだけれど、これは日本語にしたら”可繆性”といって、つまり『人間というのは不完全なものなのだから、その時その場の気分で思い付いた理屈だとか理論なんかに自ら埋没するな。”爾自らを疑え”というのがあるんだけれど…」

「はい」

いつだったか、テレビに出ていた神谷さんが話していたそのままだった。

「合理を信奉している、所謂合理主義者というのは、自覚しているか無自覚かはともかく、少なくとも話しぶりを聞く限りでは人間の可謬性を認めてないようなんだね。何せ、理性というものがこの世には既にあって、それに人間は合わせて生きていけるはずだ、もしくは生きているはずだなんぞという、私からしたら人間に対する過剰期待をして判断を誤っている…。だって、そうでしょう?私もそれなりに長く生きてきて、勉強なり、本を読んだり、直接いろんな人と会ってきたけれど…当然私自身を含めて、理性的な、合理な人間になんか出会った事が今までに無いからね」

「はい…あ、そこで…」

と私はここでふと武史の方に視線を流しつつ

「武史さんが引用した言葉がここに繋がるんですね?『この世で一番”不合理”なものがある。…それは”合理主義”だ』と言ったニーチェに」

と言うと、その途端に「あはは」と、今まで静かに私と神谷さんの会話を聞いていた他の一同が笑みを零した。

神谷さんも笑みを浮かべつつ返した。

「そうそう、その通り。そもそも人間なんて合理的に、理性的に動かないんだから、そこに合理主義を持ってきたって無理が出るのは火を見るよりも明らか…でもね?かといってじゃあ、『人間なんてその程度のものなんだから、じゃあいっそそんな片意地貼って、頭でアレコレと考えるよりも、その場限りの思いつきのままに生きてれば良いのか』というと、それはまた違うと私は思うんだ」

「はい」

「あまりにも理性というものに信頼を置きすぎるのも害があるし、かといって無駄だと理性をかなぐり捨てて感情のままに思い付くままに生きるのも害がある…。ということは、要はバランスが大事なんだね」

「はい…そうだと思います」

「うん、ありがとう。でね、義一くんとかとの会話の中でしたかも知れないけれど、そのバランスを取るための、サーカスで言えば、綱渡りをする曲芸師がバランスを取るために手に持っている棒、それが伝統だったり、もっと言えば保守だと思うんだね」

神谷さんが言った通り、保守がどうのというのは後から出た話しだったが、あの義一との再会以来、ずっとこの”バランス”について、アレコレと教わってきたんだというのを、この時改めてハタと気付いて、先程よりも我が意を得たりといった調子で「はい」と短く返した。

神谷さんは「ふふ」とまた小さく微笑んでいたが、ふと何かに気づいた様子を見せると、照れ臭そうに頭を撫でながら言った。

「あー…って、なんだかいつもの調子で話が大きく逸れちゃったけれど、要は何が言いたかったかっていうとね琴音ちゃん?確かに義一くんは、私が言うのもなんだけれど”理性の怪物”であるのはそうなんだ…」

「せ、先生ー…」

義一は苦笑いだ。

「あはは。そうなんだけれどね、でも、慌てて付け加えると、あくまで私個人の見方だけれどもね、さっき言った事に付け加えると、今の世の中、今に限ったことでは無いけど、変に理性信仰をしている一方と、ハナからそんなのは自分とは関係ないと考えなしに生きている一方、その両極端、いや、端と端にあるように見えて、実は根底、つまりどちらも”人間性”に対する楽観的な見方をしているという点では同じだと思うんだけれど…」

「はい」

この時、以前この場で義一が荀子を持ち出して”性悪説”について軽く話していたのを思い出していた。

「義一くんは違う…と私は見ているんだ。義一くんは自分があまりに理性的に物事を考え過ぎる、余りに理屈っぽく考えてしまうというのを恥を持って自覚していて、それをどうにか極端に触れないようにバランスをどう取ればいいのか、それを今の今まで悩み考え抜いてきた…この行為そのものが保守だと、私は言いたいなぁ」

「…先生?」

と義一が、珍しく神谷さんに対してジト目を向けつつ、

「僕がこの場にいるのを忘れてるんじゃないでしょうね?」

と口を尖らすようにしながら言うと、神谷さんは「あははは」と何の言い訳をするのでもなく明るい笑い声をあげるのみだった。

何も返されなかったので、義一はやれやれと苦笑まじりに頭を掻くのみで、それを見て私も思わず微笑むのだった。

と、ここでふと義一が、恥ずかしいのを誤魔化すためなのかどうかはともかく口を挟んだ。

「でまぁ、先生が色々と理性の悪い面というか世間一般に誤解されている点を述べて頂いたので、僕はちょっと違う視点、付け加えるのも含めて今度僕の出した本になぞらえて話させてもらいましょう。確かに朱子学では理性信仰、いわゆる合理主義的な傾向が強く…というのも、合理”主義”というくらいのもので、英語で言うと”rationalism”ですが、そもそもこの”ism”という言葉、これには今一般に捉えられているような、一つの主義に凝り固まるような、そんな意味では元々無かった訳ですが、それでも一般論に沿って言えば、合理という絶対的なものがあって、それに付き従うみたいな事になってる近代の状態ですね。今日の議題であった経済の話、自由貿易の話に沿って言えば、自由貿易というのは経済学の世界、経済学の考える”理”の中では正しい、”いつでも”正しいのかも知れないけれど、現実の世界では、自由貿易が正しい場合と、そうでない場合、保護を強めたほうが良い場合だってあるはず…そうでしょ?」と最後に私個人に語りかけてきたような様子を見せたので、私もすぐに「うん」と同意を示した。

「要はバランスだよね?」と、チラッと神谷さんの方に視線を流しつつ言うと、神谷さんは何も言わず静かにニコッと笑うのみだった。義一も笑みを一度浮かべてから話を続けた。

「そう、その通り。バランスが大事なんだよ。僕、もしくは敢えて僕たちと言わせてもらうけれど、何も理性を頭ごなしに否定する訳じゃない。”理性的”でなければいけないとは思うけれど、何も理性が全て正しいとは一ミリも考えていない。理性が大事だと思いつつも、その理性に己自身が埋没しないように、そのバランスをどう取るのか、とても難しいことだけれどもそれがとても大事だと思う…たださっきの先生の話の繰り返しになっちゃったけれど、要はそういうことなんだよ。でね、また話が逸れちゃったけれど、仁斎たちはあの当時から僕らの言ったような事は分かってて、合理主義を否定はしたんだけれど、”理”、”道理”の重要性は何度も説いているんだ。要は『状況によって”道理”も変わる』…まぁ、そんな当たり前、常識的な事を説いたんだね」

「うん、その通りだと思うよ」

「ふふ。でね、仁斎が言った言葉が凄くてね、『活道理』…って琴音ちゃん、君には既に何度か話したね?…うん、ふふ、そう、まぁ繰り返しになるけど、”理”は理でも、合理主義者がいうところの凝り固まった物なんかではなく、現実の中で、実践の中で生きていく、活きていくような”理”が大事なんだと言っていて、さっきチラッと出した例をまた引き合いに出せば、『いつでも自由貿易が正しい』という風な、どんな状況下でも正しいという風なものを仁斎は『死道理』と呼んでいて、活道理は良いけれど、死道理はダメだと言っていたんだ。これが面白いんだけれど、先ほど先生がふと上げられたヴィーコ、彼も大体仁斎と同時代人だけれど、合理主義を批判する中で同じことを言ってるんですよね」

「あぁー」

「そうそう」

と神谷さんが笑みを浮かべつつここで口を挟んだ。

「しかも面白いのが、二人とも同時代人とはいえ、片やイタリア、片や東方の小さな島国で生きていて、なんの接点も無かったというのに、同じような結論に達したんだからねぇ」

「古今東西問わず、バランス感覚の優れた人の辿り着く場所は同じだということですよね」

「なるほど…」

ようやくという感は否めなかったが、ここにきて私の初めの質問に戻ってきたので、何とも言えない気持ちのすくような心持ちになりつつ聞いていた。

と、ここでふと武史が何か思い出したような様子を見せると、またニヤケながらボソッと言った。

「そういえば、チェスタートンがこんなことを言っていたのを思い出しましたよ。『狂人とは、理性をなくした人の事を言うのでは無い。狂人とは、理性以外の全てをなくした人の事を言う』」


武史の言葉を受けて、私も含めてまた和かな雰囲気が場を包んだが、その中で神谷さんが何だか悪戯っぽい笑みを浮かべつつ、時折義一に視線を流しながら私に話しかけた。

「でね、琴音ちゃん、もう一つ、さっき言いかけた事に戻らさせて貰うとね?この義一青年の前で若干悔しいのはねぇ…私は彼よりも四十以上歳上なんだけれども、さっき言った通り、私はヨーロッパから勉強に入ったんだよ。でね、いわゆる保守思想家、保守主義者から感銘を受けて色々と学ばせて貰ったんだけれども、その中で、今義一くんに話して貰った”活道理”、これもね、西洋保守思想の考えの中に”vital reason”、日本語に訳すと”生理性”となると思うんだかけれどもコレだとか、または”生の哲学”とか言ってたヴィルヘルム・ディルタイだとか、そこから入ったもんで、私が仁斎などを知ったのはもうずっと後になってからなんだよ…。ふふ、何が言いたいのかというとね、義一くんはこうして、何も今までだって一つも彼に対して何も教えたり、そんな大仰なことなんか一つもしていなかったんだけれども、こうして自ら周りに何を言われるでもなく、私よりも圧倒的に早い時期に、西洋的理性への考えから脱出を図るべく、こうして仁斎らに代表される国学に足を踏み出す…これが自分勝手な言い方だけれど、私はとても嬉しいんだよ」

「せ、先生…」

と先ほど目の前で褒められた時とはまた別な反応を示しつつ、それでも義一がやはり照れて見せると「あははは」とまた、これまた先程とはまた違った風に、にこやかに皆して笑い合うのだった。


…今更ではあるが、キリがないのでこの辺りで切り上げさせて頂こう。この後もずっとこんな調子で議論、会話が弾んだのだが、今回はここで終わりにする。

どこか機会があれば触れることもあるだろう。


さて、まだまだ会話に熱の冷めやらぬといった雰囲気だったが、ふと義一が時計を覗き込み、今日の会のお開きを宣言した。

その時私も何気なく腕時計に目を落としたが、時刻は夜の十一時を指し示していた。

これも毎度のように、ママ達がタクシーを呼んでくれていたので、来るまでの間、お店の喫茶店部分で皆でたむろして待っていた。

その間も会話が途切れる事は無かったが、お店の前に車が停まった気配がすると、それぞれ皆に今日お邪魔した事をお詫びしつつお礼を言って、その対応に対して一同それぞれから各様の冷やかし、笑顔を受け取り、義一と二人で帰りのタクシーに乗り込んだ。


「今日はどうだった、琴音ちゃん?」

と乗ってすぐに義一が話しかけてきた。

「今日は、雑誌の企画って事での来店だったわけだけど」

「うん」

相変わらずこの近辺は、街灯が少ないせいもあって、すぐ傍にいるはずの義一の顔が全く見えなかったが、それでもそちらの方に顔を向けつつ笑顔で答えた。

「凄く面白かった。…まぁ、毎度そうだけれど」

「あはは。それは良かった」

そう返す義一の方を見ても表情までは分からなかったが、それでも暗闇の中でボーッと見慣れたあの照れ笑いが目の当たりに浮かぶようだった。

「でも…」

と私が口を開いた。

「何だかホッとしたよ」

「え?何が?」

「だって…」

と私はワンクッション置いてから、

「今日の神谷先生、とっても溌剌としてたじゃない?義一さん、あなたに教えられてから何度か先生の昔の映像を見たりしてたけれど、その当時と変わらない様子だったもの」

と言うと、義一も答えるまで数秒ほど間を空けた。

…これは勿論、私がしたような無意味なものでない事くらいはすぐに察した。

「そうだねぇー…今日の先生、確かにここ最近では見せない程に、明るく振舞っていたね」

と、明るめではあったが、これは私だからなのか、どこか無理してる感を感じ取った私は、すぐにその旨を伝えることにした。

「…なーんか、歯に物が挟まったような言い方だね?」

と私が言うと、「あはは」と一度笑いはしたが、また少しばかりの間を置いて、それからは少し哀愁混じりの声音で口を開いた。

「んー…まぁね。今回の雑誌内恒例である対談、議論ていう企画だったわけだけど、僕が初めて編集長になって初めての仕事だというので、無理を承知で先生に出てもらうように頼んだんだ。…琴音ちゃん、君も知っての通り、先生はあの健康状態の悪さでしょ?今日はお酒のお代わりもされてなかったし。それを押して出てもらって、しかもあれだけ往年のように振舞っていただいて…とても嬉しく感謝の念に堪えないのは勿論だけれど、んー…なんかね…」

義一の言った『なんかね…』のセリフ、この何の変哲も無い台詞の中に、どれほどの感情が入っているのか、これがまた自分の事のように覚えた気持ちになって、「うん…」と私も小さく、しみじみとついつい返すのだった。

それからは、義一の新著について、貰った事についての感謝に始まり、地元に着くまでアレコレとお喋りをし合ったのだが、顔が見えずとも、義一の心がどこか上の空であるのを、言葉の端々から感じていたのだった。


「じゃあね、義一さん」

「うん、お休み」

普段通りに自宅前でタクシーを止めて貰い、そして一度降りてから義一と挨拶を交わし、家に入ろうとしたその時

「…あ、そういえば」と声が聞こえたので、振り返り「何?どうしたの?」と思わず振り返り声を掛けると、義一は何故か照れた時にする例の頭を掻く仕草をして見せつつ聞いてきた。

「うん、琴音ちゃんって…ラジオとか聞く?」




1940-02-02(昭和15年)斎藤隆夫 所謂『反軍演説』より抜粋


「…この歴史上の事実を基礎として、我々が国家競争に向うに当りまして、徹頭徹尾自国本位であらねばならぬ。自国の力を養成し、自国の力を強化する、これより他に国家の向うべき途はないのであります。

かの欧米のキリスト教国、これをご覧なさい。彼らは内にあっては十字架の前に頭を下げておりますけれども、ひとたび国際問題に直面致しますと、キリストの信条も慈善博愛も一切蹴散らかしてしまって、弱肉強食の修羅道に向って猛進をする。これが即ち人類の歴史であり、奪うことの出来ない現実であるのであります。

この現実を無視して、ただいたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、かくのごとき雲を掴むような文字を列べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことかありましたならば現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない。…」

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