第20話 (休題)とあるネット討論番組からの抜粋 Ⅱ

討論『年末 オーソドックス・スペシャル』

一応副題には”戦後日本を問う”と銘打たれていた。

長テーブルを挟んで四人、そして上座に司会者兼パネリストの代表である木嶋の計五人という、この番組にしては少数の出演者数でのスタートだ。

まず初めに木嶋が毎度の如く軽く名前を読み上げて、それからまず手始めに、議題に沿ったそれぞれの想いなり考えを軽く述べて貰うところから始めた。

まずはこれも”オーソドックス・スペシャル”では恒例となった神谷さんによる、問題提起から始まった。

…と、前回に見た時も思ったのだが、ここに来てますます、ホッペがこけて、顔色も色白く、時折見せる例の好々爺然とした笑顔にも力が入ってない様に見受けられた。私自身、コンクールが忙しくて、その後も中々数寄屋に行くことも出来なく、結局それからは今年中にまた神谷さんと顔を直接合わせる事は叶わなかったのだが、こうして画面越しでも目に見えて弱っている様に見える姿は、こう言うと失礼に当たるかも知れないが、とても胸がキュッと締められる様な、痛々しい思いに襲われるのだった。そんな神谷さんの異変に初めて気付いてからというものの、何度か義一に聞いてみようとも思ったのだが、何だかこちらから言い出せずに今日までなってしまった。今モニター越しに見る神谷さんは、いくら冬とはいえスタジオ内にいるというのに、首元には厚手のネックウォーマーをして、手袋を履いて、ジャケットの下には何やら厚手の物を挟んでいる様だった。一人だけ暖かい飲み物を飲んでいた。

だが、そんな見た目であるにも関わらず、ますますというか舌鋒に鋭さが増しているように感じられた。

…この話をしている時に、聞いておられる方でふと、神谷さんにまた別の変化が見られる事にお気づきだろうか?

そう、勿論最低限のマナーは守っているのだが、言い方が難しいのだが、最近の神谷さんはどこか子供の様な、無邪気なユーモラスを交えつつ、それをまた意識的にしつつ話している様に見えた。これは私と直接会話していた時には感じなかった事だった。

これは私が見るに、神谷さんの唯一無二にして、本人が「尊敬している」と公言して憚らない、あの”落語の師匠”の死をキッカケにしている様だった。一口に言えば、肩の荷が降りて力が抜けている様に見受けられた。

さて、神谷さんはいつもの様に問題提起を話し始めたが、その前に木嶋に「戦後日本とは、戦後右派と戦後左派の争いの歴史でもある」と言っていたのを引き受けたので、神谷さんの”保守論”、そしてそこから見る現状認識の話に終始した。

この中で、ふと今の政治状況にも触れたのだが、その訳は…いや、今は控えておこう。それだけで話がいっぱいになってしまう。

取り敢えず今軽く言えるとしたらこうだ。私は当然と言ってはいけないのだろうが、政治理論や政治の歴史には大いに関心があるのだが、そこまで”現実”政治には関心がなく、オーソドックスの中での特集でも、その手のものは読み飛ばしてしまっていたのだが、それでも覚えている。それは…今年に入って最初の号の特集に、『政権交代万歳』といった様な記事が表紙に踊っていたのだった。これだけだと何でそんな大騒ぎをするのか分からないと思うが、何を隠そう、今年の初めに政権を奪還した新総理というのが、神谷さんの薫陶を受けていた人だったからだ。

名前は岸辺純三。歳はこの年で還暦になったばかりの、政治家にしてはまだ若い議員だ。実は一度、数年前に総理をしていたのだが、閣僚の不祥事というよくありがちなスキャンダルで、一年と保たずに辞めてしまっていた。奇跡的な復帰を果たしたという事だ。

話が長くなって恐縮だが、ここだけではなく、後々に彼も物語にちょくちょく直接的にも間接的にも関わってくるので、今しばらく紹介するのを我慢して聞いて欲しい。

岸辺はいわゆる右派から絶大な支持を得ていた。というのも、頻繁に「日本が云々」「日本の伝統が云々」極め付けは、「皇室を尊重している云々」とよく公言していたからだった。神谷さん自体は、過去の雑誌内での発言を見る限り、他の右派とは違って一定の距離を置いていたようだ。それが何故神谷さんの薫陶を受けるようになり、そして総理職に復帰した時に特集まで組む様になったのか?

それは、先ほど述べた一年弱で総理を辞めたことと関連がある。

これはのちに義一と武史から聞いた話だが、スキャンダルで追い込まれていた時、今までワラワラと岸辺の周りに集まっていた右派の知識人たちが一斉に引き、あろうことか他の左派と変らぬ調子で避難を始めたらしい。それを見た神谷さんが、それはあんまりだろうと、退陣して独りになった岸辺をオーソドックスの集まりに呼んで、そこに集うみんなと共に数年間じっくりと勉強会を開催していたらしい。だからある意味で岸辺という男は、実質オーソドックスグループで、それでいて神谷さんの弟子とも言えなくもないのだ。実際、今も岸辺の方からたまに連絡が来て、食事でもと誘われるらしいが、総理になってからは、神谷さんは自分からは近寄らない様にしているらしい。…この”近寄らない”ということ、それに先ほど話した、他の右派と違って初めから岸辺と距離を置いていたという点、これは後々に大きな意味を持ってくるので、この件については是非しっかり頭の隅に置いていて欲しい。

…とまぁ、長々と今この場にいない人に関して話してしまったが、今回の討論でもある意味で話題の中心になっていたので、便宜上前情報として触れずには居れなかった。話を戻すとしよう。


神谷さんが述べた後、ここでの座り順は年齢順というので、神谷さんの向かいに座っていた浜岡が口を開いた。

…いきなり浜岡と言われても、頭の上にハテナマークが浮かんでいる方が大多数だと思うが、彼は文芸批評家にして、雑誌オーソドックスの編集長を勤めている方だ。その為か、まずこの『オーソドックス・スペシャル』には欠かさずに出席している。以前にも軽く触れたが、確認の意味も込めて言うと、年齢は先ほど話した岸辺と同じ還暦で、その割には真っ黒な髪が豊富にあり、真ん中分けにしていたが、癖っ毛のせいか所々外に跳ねていた。

浜岡「今神谷先生の話を聞きながら、普段から雑誌内で話していることを思い出したんで、それを今フリップに書き出してみたんで…ちょっと見てくれますか?」

木嶋「はい、どうぞ」

許可を貰った浜崎は、手元に伏せておいていたフリップをおもむろに持ち上げた。そこには如何にも今書きました感の溢れる、手書きの羅列が載っていた。

浜岡「まぁ戦後保守ってことが出たんで、ことさら新しくはないですが、視聴者の為って意味も込めて話そうと思います。戦後保守の定義ですね。まず第一は『親米保守』。アメリカに従属すれば良いという”従属根性”ですね。まぁ冷戦の時はそれで良かったんでしょうけれど、それを今なお続けているという点。次、第二の点は『改革保守』。これはもうここ二十年ばかり延々と続けられている、”改革”騒ぎですね。これは残念ながら、岸辺総理も例に漏れないのですけど、何だか明治維新に引っ掛けて、維新のことを改革することと意味を履き違えているんですが、まぁこれに関しても我々の雑誌はもう何度も議論を重ねているので、今日も議論になるかも知れませんが、もし興味を持たれたら我々の雑誌をお読み下さい」

木嶋「はい(笑)皆さん、どうぞご購入ください」

これを聞いた時、瞬時に寛治を思い出したのは言うまでもない。

浜岡「(笑)で、えぇっと…第三はまぁ『経済保守』とここでは書いてますが、要は戦後の高度成長期を礼賛して、それを懐かしみ、例えば日本を取り戻すと言う時に思い描いているイメージが、この時だけという浅はかな成金趣味に陥った輩どものことですね」

ふんふん…

一同「笑い」

浜岡「まぁこれはある意味戦後日本を考える上で一番分かりやすいところかとも思います。戦後日本は軽武装で商人国家を目指してきた訳ですが、でまぁ『戦争には負けたけど、経済ではアメリカに勝ったんだ!』、『JAPAN as No. 1』ってな本が外国人に書かれて、それで気を大きくした日本人…まぁ繰り返しますが、成金趣味に堕した訳ですね。この点に関しては、経済学、いや、そんなせせこましいことじゃなくて、経済思想的な観点からの話にもなりそうなので、それはこの後の若い二人にじっくりと話して頂こうと思います」とここでふとカメラが、明るく笑い声を上げている武史と、”例のあの人”が優しげに笑うのを映し取ったので、私は一瞬モニターの前でビクッとしてしまった。

…本当にいるんだ。

浜岡「で、えぇっと…発言が長くなって恐縮ですが、第四としては『反共産主義、反左翼保守』。これはいわゆる世間的に認知されている括弧つきの保守の姿そのものですね。自分自身には何も確固たるブレない思想信条が無いのにも関わらず、取り敢えず反対陣営に反対していれば良しとしている…ここに書いましたが、『右翼小児病患者』ですね」

木嶋「苦笑」

一同「爆笑」

浜岡「えー…これはそんな小児病の方と関連があるんですが、第五、『皇室保守』。皇室を盲目的に愛護すれば良しとする『中今主義』です」

木嶋「んー…」

中今かぁ…

一同「爆笑」

浜岡「勿論皇室は日本特有の伝統そのものであり、それを大事にしようと思うのは保守的な態度と言えなくもないんですが、戦後の天皇制度のあり方ですね、明らかに、まぁこれは明治以来変質してきた訳ですけど、取り分け戦後、尚更に何というか…一口に言えば”薄められてしまっている”そんな状態なのは…誰も否定は出来ない事であろうと思います。…あ、いや、このチャンネルに集う人々、それに木嶋さんは反論があると思いますけれど」

木嶋「あ、いや…”今は”はい、大丈夫です。続きをどうぞ(苦笑)」

…ふふ、嫌そうな顔をしてるなぁ

一同「笑」

浜岡「そうですか?(笑)えぇっと…そもそも右派の方々と言うのは、その時代の流れの中で変質してきた皇室、皇統の事について、何だか金科玉条の如くに思い込むがあまりに、その事について議論すらしてきませんでした。不敬だとか言ってですね。そもそも明治以前は、天皇ご自身も含めて、側近たちやその他の周りの者たちと、我々の存在とはいかなるものか、どのような想いを込めて後世まで引き継いできたのか、その流れを途絶えさせまいと、その為にキチンと議論して来たはずなんですね。それをまぁ、こんな話を我々オーソドックスが議論をすると、右派から総バッシングを受けると(笑)」

一同「笑」

浜岡「でまぁ、ここに書いた中今主義についても軽く触れると、これは要はこんな具合の言説です。『天皇が過去ずっとおわして来たのだから、未来も明るい』といった、あまりに幼稚で稚拙な信仰に近い信条…いや、信条とも言えないものですね。『天皇陛下万歳』と言っていれば全て片がつくみたいな。まぁ今はその事については後に置いとくとして…さて、これでやっとクダラナイ私の発言も最後です。最後、これは天皇論ともある種関連してますけど、第五は『風土論保守』です。これも本当に多いんですが、要は、キリスト教やイスラム教などの一神教の事をロクに勉強したり調べたりもしないくせに、何だか思いこみに基づいて神道を持ち出して『一神教は戦争や殺戮ばかりして野蛮だけれど、我らが多神教は大らかで平和的で良い』などという、あまりに単純な考えに埋没している者共の事です」

一同「爆笑」

木嶋「苦笑」

浜岡「そうは言ってもですね、良くも悪くも、いや、勿論私も良いとは思いませんけれど、実際まだ力が弱って来てるとはいえ、今もなお世界は、アメリカやイギリスを初めとするヨーロッパなどのキリスト教圏の影響に振り回せれている訳です。だったら、何も別に一緒になって一神教に改宗しろなんて暴論は言わないですが、せめて相手がどんな意図を持って行動しているのかを知るためにも、そんな偏狭な考えを持たずに、もう少し一神教についての理解を深めてみようとしても良いんじゃないか?…とまぁ、最後に私の意見を軽く述べさせて貰って、長い発言を終えようと思います」

木嶋「…はい、ありがとうございます。では…ここから発言して頂くお二方は揃って初登場となります。では中山さん(武史のこと)、よろしくお願いします」

おっ。

武史(ここでは便宜上この標記にしておく)「はい、えぇっと…初めまして、と言えば良いんですかね?…はは、はい、中山と言います。京都にある”とある旧帝大”で准教授をしています。えー…神谷先生の出しておられるオーソドックスで書かせて貰ってます。先生との繋がりとしてはですね、私の大学時代の先生、師匠が佐々木宗輔という人でして、来年に定年退職する…これって、クリスマスかなんかの放送ですよね?…あ、はい、良かったです。その来年定年を迎えられる師匠の、そのまた師匠が神谷先生なんですね。その繋がりで、私がまだ大学院生だったときから目をかけて頂いてまして、それ以来ずっとの付き合いとなっています。で、えぇっと…テーマは戦後日本、それと一緒に戦後保守とはって事なんですけれど、まぁ一応ー…今言いました様に、僕はオーソドックスに書かせて貰っているので、勿論保守を目指している…んですけど、で、保守について僕がどんなイメージを持ってるかと言うと、簡単に言うと『経験を積んだ大人の知恵』みたいな…そんなイメージなんですね」

んー…なるほど…

武史「で、そうなりたいと。私はまだそう歳をまだ取ってもいないのでして、そのー…まだ『保守見習い』なんですね。もう少し歳を取らないとなれないなと。人間社会というのは言うまでも無く複雑で、でもその中で生きる人間の能力、知性、理性というのには限界があるから、それでも色々と試行錯誤をして経験を積んで、後で歳を取ってから思い返して、『あー、アレってそういう事だったんだ』って分かる、思い至ることがあるんですね。その”知恵”を身に付けたい、それに尽きるんですね」

うんうん

武史「でー…それで言うとですね、実際保守と言われている、国内外の立派な先人たちというのは、もう…卓越している。その人らの書物を読んだ時、一度ではとてもじゃないけれど理解をし切れない。月日が経った後になってまた読み返すと、また新たな発見があるみたいな、そんな超一流の人しかいないんですね」

うんうん!

私はパソコンの前で、一人で何度も強く頷いた。

ここ一年弱の間に、義一から借りた、義一たちの思う、多ジャンルに及ぶ保守思想家の本を何冊も読み漁っていた時期だったので、尚更に頷ける箇所がほとんどだった。

武史「めちゃくちゃ頭が良くて、知識や知恵がジャンルを横断するかの様に多岐に渡っていて、でまた表現力が豊かだと。これが保守だとするとですね、なんか今の日本において、自分が保守だと言ってる人が多すぎる!」

ふふふ

一同「あははは」

武史「本当にまぁ、この多すぎるっていうのが問題で。なんかそのー…靖国参拝した程度のことで保守だとかですね、天皇万歳って口にしてる程度で保守とかですね、反左翼だから保守だとか、そのー…その程度の奴らというのは保守ではなく、ただの”馬鹿”なんですよね」

あははは

一同「爆笑」

木嶋「笑」

武史「でー…単純な理屈を繰り返すー…『マッチョで自己愛過剰な馬鹿』がですねー…保守と世間的に呼ばれているのが、そのー…僕は一応保守になりたいと思っているので、そのー…そういう人たちが保守と呼ばれているそれ自体が…嫌だと。まぁそんな感じですね」

木嶋「…はい、ありがとうございました。いや、初登場とは思えない程に、グサッグサッと鋭く言ってくれたと思います。では最後…」

ごくっ

と私はこの時点で生唾を飲みつつ見守った。

とその時、カメラがスッと切り替わったかと思うと、画面いっぱいに一人の男性が現れた。

顔つきは女性を思わせるほどの中性的な顔つきで、目は少し垂れ気味の二重、鼻筋は品良くスッと通っており、鼻自体は小さめ、唇は薄く、長髪は気持ち低めの位置で纏めたポニーテールにしていて、伸ばしかけの前髪も、無理にまとめず、あえて後れ毛として残していた。後は絵里に誕生日にプレゼントして貰ったであろう、私も見た事のあるメガネの一つを掛けていた。とまぁ、その髪型のせいで他の人と比べても浮いていたのだが、それ以上に服装の点でもっと浮いていた。武史、浜崎、木嶋はスーツ姿、神谷さんもジャケットを羽織っていたというのに、彼は冬というのもあるのだろうが、体型の線が出る程の細めのセーターを着ているのみだった。それは濃いグレーのアラン模様のセーターで、普段からよく見る姿だった。要は普段着だった。

さて…前回から妙に引き延ばしてきたが、こんな引っ張るまでもなく、この男性の正体はもうお分かりだろう。

…そう、まさしく、正真正銘に義一だった。疑いようも無い。他人の空似や、同一同名などからくる勘違いなどでもない。何しろ、繰り返す様だが普段着だからだ。

義一は照れた時の癖、頭を掻きつつ、口元は緩めながら口を開いた。

義一「はい、えぇっと…望月です。初めまして…で良いんですよね?武史…あ、いや、中山さんもそうしてたんで。…はい、で、ですねー…今下に僕の紹介テロップが出てると思うんですが…」

確かに。今私が見ている画面には、義一の胸あたりにテロップが出ており、そこに紹介文が書かれていた。これは今までも、神谷さんや他の人も同様に出ていた物だった。過去の討論中も、何かにつけて不定期にテロップが出ていた。…のだが、見るからに義一の紹介文は他の人と比べて圧倒的に文章量が少なかった。『昭和何年何月何日生まれで何処何処の大学卒業』…後はただ『雑誌オーソドックスに、その黎明期から寄稿をしている』その一文だけだった。それに名前の横がただの空欄になっていた。とても珍しい…というか初めて見た。その欄は通常はいわゆる肩書きが書かれていて、神谷さんなら”評論家”、浜崎なら”文芸批評家”、武史なら”大学准教授”とあるのだが、繰り返すが義一の横は空欄だった。

義一「まぁこちらのスタッフさんと事前に打ち合わせした時も、色々と困っちゃいましたよ…お互いに。『何て紹介文をテロップに出せば良いですか?』だなんて聞かれても、僕としては…そんなこと考えたことも無かったんで、困ってしまいましてねー…でまぁすべてお任せということで、今頃苦心の末の完成品が出ていると思うんですけれど」

…ふふ、”らしい”なぁー。開口一番がソレなの?義一さん?

武史「おいおい…。義一、初登場だっていうんで自己紹介しなきゃって時に、開口一番それかよ?…って、あ、すみません。普段から下の名前を呼び捨てあってるんで」

木嶋「あはは。いやいや、良いですよ。普段通りで」

武史「あ、そうですか?だってよ、義一?」

義一「そうですか?じゃあ、お言葉に甘えて…。こほん、えぇっと…あ、そうだ、僕とオーソドックスの話から始めた方が良いですよね?僕は武史みたいに、いわゆるアカデミックな学者では無いので、ちょっと変わったキッカケだったんです。僕に年上のある従兄弟がいましてね、彼が神谷先生がまだ大学で教鞭をとられていた、その最後の年の生徒だったんです。それでー…従兄弟が今もですけれど卒業後も神谷先生と繋がりを保っていて、それである時ふといきなり彼が、まだ高校生だった僕を先生の元に連れて行ったんです。自分で言うのもなんですが…『面白い奴がいるんで、連れてきました』てな具合で」

神谷「あはは、そうそう」

義一「でまぁ、そこから今に至るまで二十年近くの付き合いをさせて頂いています。まぁそうですねー…見ている方からしたら、僕のような者は得体の知れない胡散臭い奴としか思えないでしょうから…」

ふふ

一同「あはは」

木嶋「苦笑」

義一「まぁそうですね…オーソドックスにしか寄稿したり書いたりしてないですが、まぁ著述家とでも思ってください。…さて、こんな自己紹介にもなっていない紹介はこの辺で勝手に終わらせて頂いてっと…戦後日本ですか」

ゴク…

ここから本題というので、番組を見始めたときから手元にメモ用紙を置き、実際にメモを取っていたのだが、ここにきてまた一段と心して義一の言葉を待った。義一も手元に目を落としている。自分の取ったメモを見ているのだろう。

義一「そうですねー…いやぁ、武史があらかた喋っちゃったからなぁー…僕の分まで」

武史「あはは、悪い悪い」

一同「笑」

義一「まったく…まぁ武史を含めて、先生を初め皆さんがあらかた話されて、その内容には何の反論もないので、僕からは付け加えるという形で短く話そうと思います。というのは…武史、彼が言ったように僕も保守を目指している、保守見習いの一人だと自覚、自認しているわけですが、確かに今の日本で保守と名乗っている人が多過ぎますよね?そのー…『アメリカだとかの大国相手には浅ましくペコペコ頭を下げる事大主義者のくせに、中国とか南北朝鮮などの自分よりも下だと勝手に思い込んでいる相手に対しては嵩にかかった態度を取るようなマッチョで、正直そこまで本当は日本古来の伝統芸能だとかに興味が無いくせに、自信がない自分を誤魔化したいが為に良くもわからずに陶酔する”フリだけの”自己愛過剰な、恥も外聞も無く自己礼賛に明け暮れる愚かで救いようの無い馬鹿』っていうのが、繰り返し言うように、武史が言った、世間一般の保守に対するイメージなわけですけれど」

武史「おいおい…俺…あ、いや、僕はそこまでは言ってないぞ?(笑)」

義一「え?そうだっけ?」

あははは

一同「あははは」

木嶋「苦笑」

義一「それではまぁ、これは僕個人の見解って事で良いです。…さて、今までの話に一つ付け加えたいと思うんですが、保守とは『経験を積んだ大人の知恵』…この定義から発展させると、簡単に言ってしまえば、保守というのは老人のものであるべきなんですよ…あ、すいません(笑)」

神谷「何で謝るんだい?何も言ってないじゃないか?(笑)」

一同「笑」

義一「笑。…でまぁ、若い時というのはイケイケドンドンで、新しいモノを追い求め続ける、いわゆる革新的なのがまぁ本来だとは思います。若気の至りって奴ですね。それが何故か、どういう訳だかこの国では、年寄りの方が変に若作りをして『革新だ!』『外へ打って出ろ!』だとか、白髪頭が騒いでいる訳ですよ。『最近の若者は元気がない』って言ってるのを聞いたりしますけど、年寄りが元気を出すなと」

一同「笑」

義一「そもそもまぁ…さっき浜岡さんが述べられた、経済保守のような発言に聞こえてしまうかも知れないので、浜崎さんの論に全面的に賛成してる分言いにくいんですが、そもそも若者に元気がない理由の一つが、この二十年以上続くデフレ不況によって、所得がどんどん減っていく事で貧乏になっていってるのがあるんですね。その被害というのは、元を辿れば今の年寄りたちが目の前に提示された馬鹿げた経済政策に無思慮に乗っかって、それを反省することもなく延々と賛成して続けてきた結果が今な訳ですよ。年寄りは良いですよ?自分の親たち、戦前生まれの人間たちが必死になって死と隣り合わせの状況の中で頑張ってきたその遺産を、そのまま受け継げば良かったんですから。それを徒に、道楽息子よろしくその遺産を全て食い潰した後で、自分たちは余生を過ごす分だけの小銭があるからいいものの、これから生きる為に稼がなくちゃいけない若い世代は、こんな所得が減っていく一方のデフレな世の中で、その小銭ですら貯められない現実がある…その事実を無視して『若者には元気が無くていかん。我々が若い時には…』だなどと嘯くわけですね。自分が若い時に、今の若者ほどの苦労をしていないというのに」

…うん

一同「あぁ…」

義一「まぁ今はそれぞれの思うところを話す場なので、取り敢えず後はのちの議論に任せるとして、今とある言葉を思い出したので、それを最後に僕の発言を取り敢えず終えようと思います。ちょっとうろ覚えなんですが、小林秀雄だか山本夏彦だかが言ったっていうんですがね?それはこんなセリフでした。『最近の若者は…ってセリフはよく聞く。何しろこのセリフは、古代エジプトの遺跡から見つかった文章にも出てくる程で、大昔から人間は変わらないって事なのだろう。だが、今問題なのは若者だけではない。そう、今は年寄りらしい年寄りを見なくなった。まったく最近の年寄りは…である』」


ここでまたひと笑いがあった後、それからは議論のためにと、以前私が数寄屋に行ってた裏で出演していたテレビ番組で、話していた、イギリスの保守思想の流れから汲み取った神谷さん流の保守思想の三原則『哲学的観点からの可繆主義、社会学的観点からの社会有機体論、政治学的観点からの漸進主義』、この三点の認識を共有しているかの確認をしてから、そこから具体論へと討論は推移していった。

神谷「…でまぁ、よく右派の方から聞くのは、妙に家族というのを賛美するんですね。いや、家族がダメだなんて言いたいんじゃないですよ?こういうこと言うと、すぐに何だか『あいつは反家族主義者か!』ってレッテルを貼られるんで辟易するんですけれど…(笑い)まぁそれはともかく、まぁ私自身が保守の定義の中で”社会有機体論”を言ったもんだから、今こうして家族論になってる訳だけれど、でもこの家族を有機体の最小単位と見做す…いや、結果的にはそれで良いんですがね、その結論が出るまでのプロセス、どのような思想信条の元、そこに辿り着いたのか、これはかなり重要なことだと思いますね。そもそも家族ったって、そこにはいくら血の繋がった親子とはいえ、その間には世代間格差があり、それだけではないけれど、そこからも生じる内部矛盾…それが存在する事をはっきりと認識して、日々の生活の中で解釈していかなければならない訳です。…まぁこう言うと、何だか小難しくて大変なように聞こえますけれどね、昔の慣習に基づいて、それに準じて生きていた人間たちというのは、自覚的か無自覚かは別にして、こういうもんだと素直に受け入れ、そしてその矛盾葛藤を何というか…人間として生まれてしまった避けがたい”運命”として受け入れていたと思うんですよ」

うんうん

一同「頷く」

神谷「で、そこで肝心なのは、昔の人々というのは、それらを楽しんで面白がっていた。この面白がるというのがとても大事な事で、これが武史くんがちょっと言った『大人の知恵』だと思うんですよね。それが今や変に合理的になった現代人というのは運命なんてものがあるのを一切信じなくなってますからね、『自分は生まれながらに自由だ!』『たまたま思いついたけれど、今この瞬間では新奇で面白そうだから、取り敢えずやってみるか!』とまぁ、そんなのばっかりな訳です。で、ええっと…家族話に戻すと、今の現代人は家族程度の束縛ですら耐えられなくなっている、まるで甘やかされて育った子供たちが自由になりたいと駄々を捏ね続けているみたいな訳ですが」

義一「spoiled childrenですね?『甘やかされた子供たち』。スペインの、20世紀を代表する保守思想家にして哲学者のホセ・オルテガ・イ・ガセット、『大衆の反逆』ですね?」

神谷「そうそう。もうね、そんな七面倒な慣習だとか伝統だとか、そんなものは自分を縛るものだと全てをかなぐり捨てたいって、何の考えもないくせに主張する。別にそれを捨てたからといって、その後にやりたい事も無いというのに。…あ、いや、話を戻すと、戦後社会における右派も左派も、家族に話にしろ何だか表面上の事しか話してこなかった様に思うんですよ」

浜岡「今先生の話を聞いていて思い出したんですが、昔福田恆存が、『右派であれ左派であれ、現実という臭いものに蓋をして天下国家を語っている』と。自分や家族、そういった一番身近な矛盾については蓋をしている、そう言っていた訳です。ずっと右派も左派も、戦後ずっと自己欺瞞をしてきたという事なんですよね」

うんうん

一同「その通りですね」

木嶋「ま、まぁ言われるところは分かりますけれどね?そのー…家族には勿論良い面もある訳ですよ。そのー…さっき浜岡さんが言われたそのフリップに該当するから、またガツンと言われそうだけれど、基本的にこの日本という国は、神武天皇以来、家族の様な国家、西洋みたいに理念などを立てて、社会契約論的に作ってきた国家ではない、自然国家ですからね」

んー…?

義一「まぁ…分からなくもないんですけれど、それはあまりにも話を単純化しすぎでは?社会契約論…まぁ凡そホッブス辺りからそんな話が出てき始める訳ですけれど、何もホッブス達の理論に従って国を作った訳ではなく、以前からずっとあった国家というものは、どういう理論体系を持ってすれば解釈し理解が出来るのか、あの当時、ルネッサンスという時代の後期あたりから、中世まで続いてきた、いや、これが伝統だと守り続けてきたキリスト教の伝統が、合理主義というものが出てきたのと同時に、徐々に薄れてきて、”終わりの始まり”の様なことが、ホッブスの時代から始まるわけです。それを敏感に感じ取ったホッブスが、このままでナァナァでいたら、今の国家が根っこから崩れて無くなってしまう、その恐怖感があったから、『リバイアサン』という大著を記したわけですよ。木嶋さん、社会契約論がどうのこうの、僕はこのチャンネルの一視聴者として良く見させて貰ってますがね?あなたは良く今話されたことを言いますが、そもそもそれらの著作を読んだことがありますか?例えば、今僕が自分でたまたま例に出したので敢えて触れれば…そう、ホッブスの『リバイアサン』を読めば、すぐに分かることです。アレは確かに全体の三分の一、その前半部分は国家について論じてますよ。『万人の万人に対する闘争』などが有名ですね。自然状態、人間はそのまま個人では生きていけないから、個人個人で契約を交わし、共同体を作り、それの延長で国家が出来上がる。ついでに触れれば、何故国民が国家に従い税金も納めなければならないのか?それは、国家が国民の生命と財産を守る、守ってくれるという契約があるからと説明してます。しかし、後の後半部分は、ずっと延々とキリスト教の解釈、聖書の解釈に尽きてます。それだけ、どれだけその当時から社会の大きな基盤であるキリスト教が崩れかかっている、その状態をどう判断し解釈し認識しなければならないのか、その書を読めばその苦悩が痛いほどに分かります。何が言いたいのかというと、ホッブスは何も一からこの理論を作り上げた訳ではなく、その時、そしてそれ以前の社会や歴史を見つめた時に、そこに何か今を救う上でのヒントがないかと必死に追い求めて、その結果として、あの理論体系が出来上がった訳で、何もゼロから作った訳ではないんです。その理論自体に問題がないかと言われたら、それはそれで議論すれば良いんですけれど」

…うんうん、まさしくその通り。…ていうか、テンションこそ妙に高めだけれど、相変わらずブレないなぁ

義一の言葉を聞いた木嶋は、アタフタとして見せつつ、苦笑いを浮かべながら口を開いた

木嶋「あ、いや、まぁ…」

神谷「…ふふ、義一くん、今日は僕が無理言って一緒に共演してくれて嬉しいんだけれど、そんないきなりガツンと言わないであげておくれよ(笑)」

義一「あ、いやー…すみません。若輩が長々と話しすぎました」

一同「あははは」

神谷「あはは、何も謝らなくても(笑)あ、いや、今義一くんの話を引き継ぎたかったんだけれどね、それは…家族の話ですがね?いや、ある事を思い出したんですよ。今の様な家族の解体というのは今に始まった事ではなく、十九世紀以降、資本主義がここまで進むと、必然的にというか、今まで家庭内にいた女までが外に働きに出てくる訳です。もう既に今から少なく見積もっても百年前から今と同じ様な事に、全世界的になっていった訳です。その流れの中で、働きに出てきた…いわゆるOLですね、彼女らが今でもそうなのかなぁー…主婦をバカにする様な態度を取り始めていた頃だったんです。その時に、保守思想家にして著名なミステリー作家だったチェスタートンが、こんな事を言うんです。『よく働きに出ている女達は、家事だとかを毎日繰り返している主婦達をバカにして下に見ている。でも馬鹿にするのはおかしい。毎日毎日同じ事を繰り返せるのは、エネルギーが有り余ってるから繰り返せるのだ。それを証拠に子供達を見てみなさい。子供達は毎日毎日、大人から見たら単純に見える事を、何度も何度も飽く事なく繰り返しているではないか。あれほどエネルギッシュに。新しい事に一々目移りするのは、その人に生きる活力がないから、何か刺激になる物はないかと辺りをうろつき彷徨っているだけだ。尊敬されるべきは子供達と主婦だ』といった調子の事を書いてるんですね。だから…まぁ私はもうじき死ぬ身だし、だから敢えてこう言っても、別にそれによって非難が来ても構わないから言ってしまえば、今現代で家庭に入りたがらない女どもというのは、昔と比べても活力を失って、よっぽど弱ってしまっているんじゃないですかね?」

なるほど…最近私もチェスタートンを借りて読んではいたけれど、この部分は読み飛ばしてしまっていたか、今初めて気づいたなぁ。んー…流石に面白い観点だ。


普段は、京都人でもないのに”はんなり”としか表現のしようのない様子でいる義一が、こうして熱っぽく話している姿を見て、良い意味で裏切られた新しい一面を発見出来て面白く、そして義一を含むオーソドックスの面々の語り口やその内容がまた、紙面で見るのとはまた違ってすんなりと頭に入ってく様な感覚を覚えて、それがまた面白かった。


武史「えぇっとー…今まで家族についてだとかの具体論で来てたんですけれど、ここでちょっとまた抽象論に戻る様な話をさせてもらいます。えぇっと…先ほど先生が、チェスタートンを引いて、人間の活力について話されましたけれど、これはー…今日の議題の一つである、保守とは何かにかなり関係があると思います。というのも…先生がさっき話された保守の三大定義の一つ…その一番目に挙げられた『懐疑主義』ですね。これは活力と関係が深い様に思います。でー…人間というのは不完全なシロモノなので、其れ等の説は”仮説”に終わってしまうのが大方な訳ですけれど、だからこそ人間は…延々と議論をしていく訳ですね」

神谷・義一「…ああ、なるほど」

武史「ですがー…僕の言う戦後保守、バカ保守の連中というのはですね、必ず『理屈じゃなくて実行だ!行動だ!』『対案を出せ!』『議論だけしてても仕方ない』と言うんですね。でもー…先程来名前が挙がっている立派な保守思想家である小林秀雄なんかは、これに対して批判しています。『何をバカな事を言ってるんだ。大事なのは飽くなき批評精神なのであって、何でそのあとに実行、実力行使の段階が来るんだ?飽くなく批評を続けていく、その活力こそが大事なんだ』と。バカ保守に典型的な、すぐに実行だとか、デモなんかに参加する様な奴を見て、元気が良さそうに一見見えるんですが、実は逆だと」

一同「笑」

木嶋「苦笑」

…ふふ。

ここで私が思わず笑みを零したのは、このチャンネルの代表である木嶋、彼がこの局とは別に、とある有名な右派の政治団体で幹事長を務めていて、何かあるたびに街宣でデモ活動をしていたのを知っていたからだった。武史からの痛烈にして、私個人の感想を述べれば胸のすく様なセリフだった。

ここで一つ私個人の考えを述べさせて頂ければ、そもそもデモ自体に何か意味があるとは思えない。…いや、よく日本で見る様なレベルではと補足をさせて頂く。というのも、海外、特に欧州やアメリカだとかの先進国でも、今のご時世など特にそこら中で大規模なデモが行われている訳だが、それは少なくとも数万人規模で、警官隊とぶつかって死ぬ可能性があるのを知りつつも、どう考えてもおかしいと思う事に関して訴える”最後の”手段として、デモをするのだ。これには賛成だ。だが、日本の場合は、警察官に先導されつつ、行儀よく隊列を組み、口先で『〇〇はんたーい』と練り歩くのみだ。しかも多くても五十人を超えることは稀。…いや、一応表現の自由が約束されているし、それは社会一般観念にもなっているから、それに関して勝手にやれば良いと思わないでもない。しかし…いわゆる左派がするのは別に構わないが、自称保守を標榜する輩が、自分がいかにも国士だと言いたげに、得意満面な顔で通りをデモ行進するのには反吐が出るのだ。

今武史が言ったような事は、漠然と私も考えていた事で、ニュアンスは違うだろうが、デモ行進してさも何か行動していると勘違いしている右派が、大抵神谷さん達の様な保守派に対して、『あいつらは何も行動していない』『アレコレと批判するのみで対案を出さない』と、こんなくだらない批判をしてくるのだ。なので本来は勝手にしろと言いたいところなのだが、武史や義一と同じように、『あんな連中と私たちを一緒にしないでくれ』と、この討論を見て益々その考えを深めたのだった。

…と、私の感想を長く述べすぎた。話を戻そう。

武史「確かに学者でも、馬鹿げた議論を繰り返す奴らがいるのは確かなので、そう言いたい気持ちは分かりますがね」

一同「あはは」

武史「分かるんですが、それでも活力を保ちつつ議論や批評を続けていかなくてはいけない…んですが、僕は初めに言ったように『保守見習い』ですからねぇ…あまりくだらない議論を聞かされると『もういいよ、じゃあ』ってちゃぶ台を引っくり返して帰りたくなっちゃうんですけれどね」

一同「笑」

神谷「今武史くんが言った事は重要でね、そもそも政治というのは、その時の思いつきの不完全な政策論を云々と話し合う、そんなくだらない事ではなくて、政治の本質というのは『批評』なんだと」

義一・武史「そうですね」

うんうん

神谷「特に今みたいな民主主義において、この場のような議論する場所が一番政治には大事なんですよね。何も民主主義というのは、今は期日前投票なんかがあったりするから、その限りじゃないけど、日曜日の朝に投票場に行って一票を投じる…ズバッと言ってしまえば、こんなのはどうでもいい事であって、一番大事なのは、投票する前に、こうして家族内でも、友達でも、近所の人や職場の人なんかと車座になって、アレコレと社会や人生について語り合ったとき初めて、色んな考えが自分の中に生成されて、それでようやく何が正しくて悪いのかって判断が出来る様になる訳ですよ。『言論とは政治だ』というこの原則を、戦後特に忘れ去られてしまってるんですね」



義一「まぁ…武史の『バカ保守論』に繋げて、ふと話したいと思ったんですが…」

一同「笑」

武史「爆笑」

義一「保守というのは歴史が大事って言って、歴史に学べってよく言うんですけれど、それというのは、何も昔の立派な人たちが何をしたってだけじゃなく、その滑稽にすら見える失敗談が大事だったりする訳ですよ。その時代に生まれてしまった運命を引き受けて、なんとかしようと足掻くんですが、結局は無駄骨に終わり、どうにもならずに失意のまま死んでいく…。そんな歴史を見て、今生きる我々というのは、『昔から人間の愚かさは変わらないなぁ』と思うのと同時に、見方からしたら滑稽にすら見える程の悪戦苦闘ぶりを見て、『なるほどなぁ、昔の偉人達も無理だと知りつつ頑張ってきたのだから、その歴史の流れ上にいる僕達も足掻いてみようかな?』って思えるのが、保守だと思うんですね」

一同「頷く」

このとき私は、まだ義一と再会したばかりの、あの宝箱の中での会話を思い出して、懐かしさのようなものを覚えつつ聞き惚れていた。

義一「でもここでやっかいなのが…武史の言う『バカ保守』なんですね。例えば南京大虐殺が本当にあったかどうか、そんな事ばかりに目くじらをたてるようにして熱くなったりしますけれど、本来の保守の態度はそんな些細な事では無いはずなんですよ」

一同「頷く」

木嶋「苦笑」

義一「それと同時に、日露戦争の日本軍は素晴らしかったとか、そういう歴史の、本人達が思う良い面しか見ようとせずに、どんな国だって歴史を紐解けば悪い面もあるのが当たり前なんですが、それには一切触れない…臭いものに蓋を被せるんです」

一同「あははは」

義一「例えば、明治以降だって日本というのは戦後と同じように西洋に被れて、当時だって”モガ、モボ”、ようはモダンガールとモダンボーイの略ですが、そんな軽薄な日本人が戦前の時点で溢れかえっていた訳です。何も戦後に限った話では無い。なのにバカ保守達というのは、その事実には目を瞑り、ひたすらに戦後の日本を批判するのに終始してます。今の社会状況というのは、何も戦後に始まったわけではなく、仕方なかったとはいえ、明治維新のやり方に無理があったのは疑い様の無い事実なわけですから、まずそこから話を始めないと、どこにも行けないと思うんですよね」

うんうん

一同「頷く」

義一「…って、また長々と話しすぎてまた逸れちゃいましたが、何が言いたかったのかというと、何も過去の些細な出来事を拾いあげてきて、『こんな事があったから、日本は素晴らしいんだ』と、また武史理論を引用すると、自己愛過剰な態度をとる、そんなのは保守でも何でもなく、ただの馬鹿だという事ですね」



武史「まぁ…義一がすっかり僕の理論だと言い張るんで、じゃあそれならと、むしろ今回はこれにこだわって言えば…やはり馬鹿保守ですね。まぁ何度も議論に上がってますが、所詮左翼への反発でしか無い。それでですね、今まで馬鹿保守と言いすぎたので、敢えて馬鹿左翼も取り上げてみるとですね、まず自虐史観ですね。次に小賢しい理屈、で後は空虚な理想主義…。そうすると、馬鹿保守というのはですね、この三つをひっくり返しているだけなんですね。自虐的な歴史観が嫌だから自己愛的な歴史観になると…」

うん

一同「うんうん」

武史「で、左翼的な小賢しい理屈が嫌だから、安易に実力行使を唱える…」

義一「感情論だね」

武史「そうそう、感情論に流される…。でー…左翼的な理想主義が嫌だからってんで、ベタベタの現実主義に陥ると。アメリカの様な強国に従属すると」

義一「もちろん、現実主義それ自体は、いわゆる本来の意味での保守思想からしたら正統なものですよね。まぁこの場にはいないし、これを聞いたら本人は嫌な顔をするかも知れませんが、僕達の仲間の一人であるワシントン在住の佐藤寛治さんなんかは、この代表例の様に見えますね。寛治さん自身は自分が保守ではなく”リアリスト”だと言ってますが、影響を受けている人々を全部羅列してみても、どう考えても保守…いや、正統な保守なんですが。ってまぁそれは置いといて、そもそも現実感の無い理想などは空虚でしか無いのと同時に、理想の無い現実なんかは、味気の無い、何の為に生きてるのか、その生きがいを感じないままに生きながらにして錆び付いていくしかない様な人生にしかならない…こんな事は、本来いちいち言わなくても、分かっていなければいけない事だと思いますね」

…といった具合に、沈黙が流れることは一瞬たりとてなく、自己紹介時に見られた…特に義一に見られたある種の遠慮のある緊張感はとっくに消えうせて、忌憚ない議論が目の前で繰り広げられた。

お陰様でというか、これは毎度のことではあるのだが、すっかりメモ帳がビッシリと文字で埋められて、遠目から見たら真っ黒に見える程だった。

書き込めるスペースが無くなりかけたその時、三時間という、数字だけ聞くと長そうに思えるが、実際はあっという間に感じる程に時間が過ぎ去り、そして残り十分という所で、司会の木嶋が神谷さんに話を振った。

「…さて、残り十分なんですけれど、あと何か言いたい方など…先生などどうですか?」

神谷「んー…まぁ、話があっちへ飛んだりこっちへ飛んだり、中には他人のお座敷で『馬鹿、馬鹿』と連呼される様な場面もあって、もしかしたら番組の視聴者の殆どが嫌な思いをしたかも知れないので、ここは私が代表して、若者、前途ある期待の若者二人に代わって謝ります(笑)」ぺこり

義一・武史「(笑)」ぺこり

神谷「あははは。さて、そうだなぁ…まぁ色々と今の日本の危機的な状況について触れたりもしたわけだけど、ふと今思い出した言葉を引用しようかな?…戦前の日本にも紹介されてたというんで、あれは…ニーチェの弟子と自称していた、オットー・ヴァイニンガーね。十六、七、八から娼窟に入り浸ってた様な奴なんですが、突如として『女ほど薄汚いものはない』と言い出すんですね。最後は二十代半ばで自殺しちゃうんですが、その前にあれは…『性と性格』って名前だったかな?そんな内容の書物を書き上げるんですが、それを昔に読みましてね。で、その本は最後の一ページが凄いんですが…こう締めくくるんですよ。『私が男女の交接をするなと言うと、世の人々は、そんな事だと人類が滅びるじゃないかと文句を言う奴らがいる』最後の一行、『…人類が滅びてどこが悪いんだい?』」

あぁ…

一同「爆笑」

神谷「あははは。何もね、別に人類滅べと叫びたいわけではないんですよ?ですけれどね、ただ『生きたい!』だとか、『滅びたくない!』って所から始めると、何をしてでも生き残ろうっていう卑しい精神に堕落してしまうと言いたいわけで」

なるほど…

「『人類滅びて何処が悪い?』これぐらいの気構えを持って日々生活していれば、今よりずっと神経が研ぎ澄まされて、少しは真面目に世の中、社会のことを考える人が増えるんじゃないか?…とまぁ、相変わらず今日も日本に対して批判的な、絶望的な事を言い振り撒いて、視聴者からまた批判のメールが木嶋さんの元に来るかも知れませんが(笑)」

木嶋「いえいえ、うちの視聴者は先生を始めとするオーソドックスの方々の話を、きちんと素直に受け入れてくれてますよ」

神谷「どうだか…(笑)」

木嶋「(苦笑)。まぁ今日も年末スペシャルという名に恥じないほどに、濃密な討論が出来たと思います。そして何よりも、話や噂では聞いていた、先生の秘蔵っ子の二人に出演して頂けて、それだけでも今日は有意義だったと思います」

義一・武史「(笑)」ぺこり

木嶋「二人とも初登場にして、私個人としても初めてお目にかかるんですが、それなのに次から次へとガツンガツンと言ってもらいまして、私としても刺激を受けました」

義一・中山「あははは」

木嶋「というわけで、次の放送は来年の三が日以降となりますが、皆さんもお身体などにお気をつけになって新年をお迎えください。今日は皆さん、ありがとうございました」

一同「ありがとうございました」

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