第5話 大広間

…ッタ…スタッ…スタッ…

…ん?

気付くと私は暗闇の中を、一定の速度を保ちつつ歩いていた。

…いや、真っ暗などではない。手元にある例のカンテラが足元をボーッとオレンジ色の柔らかい光で照らしていた。

…あぁ、来たか。

私は一度足を止めて、後ろを振り返って見た。そこは前方と変わらぬ暗闇が広がっていて、試しにカンテラを高く掲げてみたが何の変化も無かった。相変わらず何者かの気配は感じていたが、前回にみた夢の時に出会った、名も知らぬ骸の姿は確認できなかった。

暗闇というのもあるだろうが、仮に明るくても、何だかもう既に消えて無くなっているのではないかという、根拠は無いが確信に近い自信があった。

「…はぁ」

私は音が聞こえるのか確かめるためにも、声に出してため息を吐いてみた。しっかりと聴覚は生きていた。

嗅覚は先程からこの暗闇の中で一番に機能していた。前回までと変わらぬ埃っぽい匂いだ。しかし埃っぽいと言っても、むせたり咳き込む気配は無かった。

「さて…」

と私は寂しさを誤魔化すように声に一々出してまた新たに歩を進めた。

普通に考えたら暗闇の中で余所見をあちこちにしていれば方向感覚を失いそうなものだが、不思議とそれには困らなかった。

まぁこれが夢だといえばそれまでなのだが。


それからどれくらい歩いただろうか?

時折側を何者かが走りすぎて言ったるする気配を、ソレが起こしているであろう風によって察していたのだが、それ以外は何も起きない状態が続いた。前回のような骸にも、一度も出会えずじまいだ。

ただただ手元のカンテラだけが、飽きもせず煌々と静かに何も言わずに光を放ち続けている。燃費がどの程度なのか、夢の中だというのに、そんな変にリアリティのある心配をしてみたりしたが、すぐにその心配はいらないと”感じた”。…感じたとしか言えないのだから仕方ない。ただ、何だか前にも思った事で繰り返しになるが、このカンテラからは、勿論おとぎ話の様に突然顔が現れて話し出したりはしないが、それでも漠然と意思の様なものを持っているように”感じる”。この退屈な”散歩”に挫けそうになる度に、その光を見ると、何だか励まされているようで、それでまた前に足を踏み出せるのだった。

とその時

「…あれ?」

急に目の前に、緑色に発光する、よくあるタイプの非常灯のような明かりが見えた。

その柔い明かりの下には、その柔い光に浮かび上がるように、あの初めの部屋にあったような、赤く錆びたような扉がデンと現れたのだ。

余所見せずにただ前だけを見て歩いていたのだから、突然そんなものが目の前に現れるなんて現象は、不可思議でしかなく、常識的には説明がつかない事なのだが、しつこいようだが、夢だという事でただ納得する他になかった。

大体十メートルほどだろうか、その手前で立ち止まり、突然現れた懐かしい赤錆びた扉を眺めていた。

ここがまた変にリアリティがある所で、現実の世界と同じように、心臓が早く鼓動を打っているのが分かった。

私自身の夢にも関わらず、どんな事が起きるのだろうかと若干…いや、かなりビクつきながら、すり足でゆっくりと慎重に近付いた。

手の届くところまで来ると、一度上から下までそのドアを見渡してみた。最初の部屋のドアもそんなにじっくりと眺めた訳ではないから、勿論自信などは無いはずなのだが、アレとコレが同じ種類の代物だという事が分かった。

何度か顔を上下に動かし眺めていたが、これ以上していてもラチがあかないという事で、まだ内心ではビクついていたが、それを何とか抑えつつ、これまた錆び付いているせいか表面がボロボロの取っ手に手を掛けた。そしてゆっくりと回してみると…

何と、一度めにして開いた。

…何でそんなに驚いているのか、ここまで私の夢の話なんかに付き合ってくれた方なら、もう察しているだろう。

そう、初めの部屋にあったあの扉は、二、三度この夢に訪れなければ開かなかったからだ。

私は一度めに開いた事で待ち惚けを食らわないで済むと、胸の”半分は”喜んだが、もう半分はただただ得体の知れない”不安”が満ちるのだった。さっきも言ったように、仮に前回と同じだとすれば、一度めで開く事は無いだろうとたかを括っていただけに、これは驚くべき事だったのだ。

ここが私のヘタレな所なのだろうが、私がこの扉の前でまた足止めを食らう所でこの夢が終わるものだと思っていたから、折角開いたドアをそのまま開ける勇気が湧いてこないのだった。

私は取っ手に手を掛けたまま、指一本分ほど開いた扉の前で固まっていた。

…あ、そうだ。

と私は思い出し、他力本願だが手元のカンテラの光に勇気を貰おうと見てみると、これは現実に話したらバカバカしい事この上ない事だが、…いや、今までもそうだったのだが、心なしかカンテラの方も”緊張”しているように”見えた”。

このような事は初めてだった。

私は思わずカンテラを少し持ち上げ、顔の近くに寄せた。

カンテラは言うまでもなく火による明かりだから、そんなに近くに寄せたら熱くて仕方ないのが普通なのだろうが、このカンテラからはそのような猛烈な熱さは感じない。熱が出ているには出ているのだが、例えるなら羽毛布団を頭まで被って、それによって顔に感じる暖かさといった所なのだ。…分かり辛い喩えだろうが、要はとても心地の良いものだということだ。

カンテラの中身の火は、周りを隙間なく耐熱性のガラスで覆われているから、本来はあり得ないと思うのだが、火が風にでも吹かれているかの様に、あちこちと不規則に揺れていた。

それを見ていた私はまた少し不安の度を増したのだが、とその時、フッと一瞬強めに光ったかと思うと、今までよりもほんの少しだけ、光度が強まった様に見えた。オレンジ色の光に、少し黄色が混ざってきた様にも見える。

相変わらずゆらゆらと揺れるのは変わらないが、それでも私には充分だった。

「…ふふ」

とその時何だか急に”懐かしい”感覚を覚え、思わず笑みが溢れた。

私はすぐその後、今まで扉の取っ手をつかんでいた手で思わず口に手を当てた。

…人間として生きている限り、思わず笑ってしまう事など何の珍しい事では無いのだが、この時ばかりは自分で自分を不思議に思った。原因は、一緒に憶えた”懐かしさ”だった。

…?何なのかしら、この感覚は…?

私は首を大きく傾げて考えたが、特に何もその原因に思い至る事はなく、考えても仕方ないと、一層心が軽くなった事を喜びつつ、また取っ手に手を掛けて、ゆっくりだったが確実な意志を持って扉を押して、今までいた空間におさらばした。


…!

扉をくぐった次の瞬間、強い光を当てられたかの様に目の前がホワイトアウトして、その眩しさにしばらく目が開けられなかったが、その後ゆっくりと目を開けると、どうやら今までいた所と比べたら、遥かに光が満ちていた。カンテラの光が必要ないほどだ。

ようやく視覚がまともに機能する様になったと本来なら喜ぶべきなのだろうが、正直目の前に広がっていた光景に、驚愕するとともに、何だか…気持ちがどんよりとさせられた。

まず何故驚愕させられたか?

それは、今までに見たことの無いような、ゴシック建築様式で凝らされた空間が広がっていたからだった。

…いや、これは私の夢なのだから、イメージの力で現実に見たことの無いものが出現する事はありえる事だとは言っても、それは元の物をそれこそ想像力で膨らませたり縮めたりしての結果な訳だが、起きてる世界でそんなに見たこと無いのに、ここまで現実に沿った物が現れたのは、どう考えてもいくら夢でも説明がつかない。

…まぁ未だに謎だが、結局は意識的には覚えていないだけで、実際は何かの拍子に目に入ったのだろう。

それはさておき、私は相変わらず扉の前で立ち止まっていたが、この場合は仕方ないだろう。取り敢えず動かずに、目で取れる情報を片っ端から取っていくのに専念した。

まず目を惹いたのは天井だ。天井は典型的なゴシック様式の尖頭アーチ型で、それが隙間を作らんばかりにばかりに広がっていて、夢だというのも忘れてただただ見惚れてしまった。視線を下に戻すと、それらを支える為か、列柱もいくつも並んで立っていた。尖頭アーチの端と列柱の間には、葉形模様の装飾が施されていた。

ふとこの時、今更ながら何処に光源があるのか疑問に思い始めた。見た感じ、現代にある様な電化製品がある様には思えない雰囲気だったし、そもそもこの場には似つかわしくなかった。

しかしその疑問もすぐに解消された。こんな事を言っても分からないだろうが、私の通う学園の校庭ほどもありそうなこの部屋の壁の至るところに、縦に長い控えめな窓がいくつもあって、そこからおそらく外だろう、自然光が差し込んできていた。その中の一つが歩いて数歩の所にあったので、ようやく私は重たい足を前に踏み出し近づいた。

その時に初めて気づいたが、この窓にはステンドグラスがはめられていた。…こう言うと、このゴシックの雰囲気なども話したから、まるでヨーロッパの教会にある様な、様々な色彩で彩られた物を想像するだろうが、実際は違った。細かく趣向は凝らされていたが、何の色付けもされていないガラスで、下手に細工しているせいで曇りガラスの様な効果を発揮し、私の身体の幅程しかない窓からは外を見る事は叶わなかった。

さてもう一つ、何故気持ちがどんよりとさせられたかについてだ。

何も外の景色が見えなかったせいでは無い。もっと根本的な事だった。

それは…ここに出てから目の前の景色が灰色一色しか無いということだ。先ほど私は視覚が回復したと言った。実際回復しているのには違いない筈なのだが、どうやら突然私の目が灰色しか感知出来なくなった訳ではなく、そもそも色合いがそれに統一されてしまっているらしい。それを証拠に、この灰色の景色の中で、唯一多様な色を放っているのは、私自身と身に付けている物、そして…手元で灯を放つカンテラがあったからだ。思わず自分の身体とカンテラを確認して、それで安心したという次第だ。

…と、色々描写してみたが、後は特段触れるものは無い。

天井はそんなのだし、仮初めでもステンドグラスがあって雰囲気は良いには良いのだが、全てが灰色に見えるという理由も手伝って感動は半分以下に抑えられてしまい、その感動も慣れていってしまうと、どんよりとした気持ちが優って心を占め始めるのだった。

このまま呆けていてはやられてしまうと、何処かの世界遺産に来た気持ちで部屋の中をグルグルと回った。しかしこのだだ広い空間には、何も物が置かれていなかった。

その分ますます広さを思い知らされていたのだが、部屋の隅に階段らしきものと、屈めば入れそうな程に大きいかまどを見つけたその時、

コツ…コツ…コツ…

と突然足音が聞こえてきた。どうやらすぐ近くの階段を降りて来るらしい。足音は徐々に大きくなっていった。

私はこの夢を見てから初めて自分以外のあからさまな”人”の気配に驚き、少しの間、蛇に睨まれたネズミの様に微動だに出来なかったが、次の瞬間、私は足音をなるべく立てない様に駆け出し、出てきた扉の近くまで行き、その側の列柱の一つの影に身を隠した。

ちょうどその時、その足音の持ち主はこの大広間に降り立った様だ。足音が止んだ。

私は扉を開けるときとは比べ物にならないくらいにドキドキしていた。鼓膜で隔てた内側で、心臓が脈打つ音が大きく聞こえた。外に漏れていないか心配になる程だ。

ザッ…ザッ…ザッ…

何やら掃いている音がしてきた。箒の擦れる様な音が、この広い空間にこだまする。

しばらく、まるで人が出しているとは思えない程に規則正しく鳴り響く音に耳を傾けていたが、次第に恐怖よりも好奇心が勝ち、覚悟を決めてそっと柱の陰から顔を覗かせた。

音の持ち主はカマドの前でホウキを持ち、何かを掃いていた。どうやらカマドの掃除をしているらしい。

…いや、そんな事は音から大体察せられたのだが、何よりも驚いたのは、その者そのものに対してだった。

その者は全身を修道服の”様な”者に身を包んでいて、まさしくこの空間に馴染んでいた。…いや、だったら何も驚く事はないと思われるだろう。…そう、勿論これが理由では無い。というのも、この者は、周りの風景と同じで、灰色一色だったからだ。

おそらくあの者も私と同じ様に人間だと思われるのだが、前にも話した様に、私自身は色合いを残しているのに、すっかり周りの風景に溶け込んでいた。これはゴシック建築と修道服の組み合わせ以上に、学の無い私にとってはもっと馴染んで見えた。修道服の様なと言ったのも、この色合いのせいだ。

そのせいか、次第にその者が何だか人間でなく思えてきて、いや、むしろ”有機体”にすら思えなくなり、すっかりまた好奇心よりも恐怖心に占められていき、顔を引っ込め、その場にしゃがみ込み、膝を抱える様にして、両腕に顔を埋めるのだった。

その間も、耳には規則正しい一定のリズムを刻むホウキで掃く音が聞こえていたが、ふとその時、目を瞑っていたにも関わらず、徐々に視界が狭まっていくのを覚えた。

それに対して私は心から安堵した。

何故なら、これは夢から現実に戻っていく時の現象だったからだ。

それと同時に音も徐々に遠ざかっていった。

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