第17話 告白 上
「じゃあ、ごゆっくりね?」
と里美が私たち五人分の飲み物を置くと、一度ニコッと笑みを浮かべてから階下に降りて行った。
あの観劇から少しばかりの月日が経った十一月の初旬。土曜日の放課後。この週の土曜日もたまたま皆が空いていたので、こうして例の御苑近くの喫茶店に来ていた。まぁ、学園のOBである里美が出て来た時点で、お分かりかと思う。
「さて…」
とおもむろに紫は立ち上がると、一同をぐるっと見渡してから、片手に持った、名前を言おうとすると舌が攣りそうになるような、如何にもガーリーな飲み物の入ったグラスを軽く掲げると、乾杯の音頭を取った。
「じゃあみんな…今日までお疲れー!」
「お疲れー」
カツーン。
毎度の恒例行事と化したグラスのぶつけ合いを済ませると、それぞれが一度一口分飲み物を啜ると、皆して同様に一息を吐いた。
「やっと終わったわねぇ」
とまず裕美が、如何にも疲労困憊といった体でボヤいた。
「ウンウン」
と藤花がストローを咥えたまま頷いていた。
そんな二人の様子を見て、私は私で目の前に座る律と視線を合わせると、律の方でもこちらを見て来ていて、それからは二人して自然と笑みを零し合った。
とここで、紫が苦笑まじりにグラスの中をストローでかき混ぜながら言った。
「まぁ…試験自体はたったの三日間だけれど、疲れるっちゃあ疲れるわね」
そう、この日がたまたま私含めた五人が暇だったと話したと思うが、それもそのはず、今日までの三日間が中間テスト期間だったのだ。
だからさっきは、試験について『お疲れー』と乾杯をし合ったのだった。
「でも紫はさぁー?」
とここで裕美が紫に、何だか恨めしそうな表情を向けつつ声を掛けた。
「別にいいじゃん…どうせまた今回の試験も好成績なんでしょ?」
「…ふふ、どうせって何よー?」
そう返す紫の顔は、流石に苦笑いだった。
…そう。まぁ今まで話の流れとは関連していなかったから、触れることも無かったのだが、ついでだし、”こう見えても”少なくとも私も学生の本分を疎かにしてないことを証明する意味でも触れようと思う。
結論から言えば、今裕美がからかい気味に触れたように、学期内で三学期を除いて二回ずつ行われる定期試験で、紫は総合成績で一学年に二百人ほど生徒がいる中で、毎回トップ五位以内に入っていた。これは当然、私たちの中では圧倒的に成績がずば抜けている。私を含めた他の四人も、言い訳じみるがそれなりに成績は中の上か、上の下くらい、具体的には皆そろって取り敢えずは百位以内には滑り込んでいたのだが、紫と違って皆それぞれに得意不得意な科目にバラツキがあり、取る点数も得意科目は満点近く、苦手なのは中には赤点ギリギリのもあったりと、何だか両極端なせいで、全体的にはパッとしないのだった。
まぁここでは大雑把に説明するために、本来は文系、理系という分け方は、以前に義一達と数寄屋で会話したように何の意味も無いのだが、この場だけ便宜的に使わせて頂くと、意外に思われるかも知れないが、私と藤花は主に理系の科目で得点を稼ぎ、裕美と律は文系科目で稼いでいた。中学一年の頃などは、初めての中間試験の結果を知って、物理学者の父を持っているのに、”理系”の成績がそれ程振るわなかった律を、ついついからかってしまったりしてしまった。今思えば…というか、ついつい口を滑らせてしまったと瞬時のその場で反省をしたのだが、藤花のフォロー、それに「ふふ、よく言われる」と照れ臭そうに笑いつつ律が返してくれたので、その場は無事通過となった。今その時の事を思い出しても、一人でついつい顔を顰めてしまう。
まぁそんな他人の事はこれくらいにして私個人で言うと、文系でも英語や国語などは得意だったが、何よりも社会科全般の成績が毎回振るわないのだった。まぁ一口に言えば、いわゆる暗記モノが苦手なのだ。
…ここで、これまでの私の話を聞いてくれた人には、こう突っ込まれるかも知れない。『あれ?普段あれだけ歴史や何やらを義一とかと話したり、それの関連で色んな書物を読んだりしているんじゃないのか?』と。それは中々痛い指摘で、初めの頃は私自身不思議に思っていたのだが、最近になって、何となく説明らしい理屈を思いつけた。それは、義一や他の人々と会話を楽しむためや、自分自身の知識欲を満たすためにアレコレと学ぶのは好きなのだが、どうやらいわゆる”試験勉強”という、皆横並びで『よーい、どん』と競走”させられる”というのが、そもそもの点で私自身が気づかないところで”気にくわない”らしい。
…分かり辛いかも知れないが、要は『さぁ、今から試験勉強をするぞ』と思ってから取り掛かろうとすると、自分ではそれなりに覚えようと集中しているつもりなのだが、どうやら普段のピアノや読書の時ほどには出来ていないらしく、それでいわゆる文系にありがちな”暗記モノ”には滅法弱いのだった。まぁでも、私自身はそれについて、それほど変に劣等感は持たない。というか持てなかった。落ち込んだり悩むよりも、『あれだけ普段から歴史についての文献を読み込んでいて、そこに書かれている内容も正確に覚えられるほどに、自分で言うのも何だが記憶力には自信があるのに、何故か学校の試験では良い成績が取れない』という事実が、他人事のようだがとても面白く、それをまた恥ずかしげも無く義一に話したりするのだった。
…ここでお分かりだと思うが、長々と分かり辛い”自己分析”を述べたが、正直に白状すれば、その内容の半分以上は義一由来のものだった。義一は義一で、私が言うのも何だが、いわゆる世間にありがちなモノを測る尺度を”あえて”持っていなかったので、そんな私の試験結果を一緒になって面白がってくれた。
因みに、思った通りというか想像通りというか、私から見るとこれほどにキレッキレな頭脳を持っている義一でも、中高の成績は真ん中くらいだったらしい。本人の弁をそのまま言えば『試験勉強は途中で飽きちゃうから』だった。
まぁそれはともかく、たまに試験初日の一、二週間前などは、前にも軽く触れたように私たち五人が揃って試験勉強をしたりするのだが、当然のようにその中心には紫がいた。勿論皆それぞれに得意科目があるので、それを補い合えば良いと思われるかも知れないが、私自身他人の事を言えないが、皆人に教えるのが下手くそだった。そんな中、教え方が上手かったのが紫だったのだ。だから中心になるのも必然だった。授業をとったノートなども、そもそも字が綺麗というのもあって見やすく、それにどれだけ救われたか分からなかった。
…と、コホン。大分話過ぎてしまったが、自分で話していてなんだが、最近紫の話に触れていなかったと思っていた矢先だったので、良い機会だからと、紫の長所を長めに述べてみた。話を戻そう。
「まぁ…今回も”そこそこ”じゃない?」
と紫が何気ない感じでボソッと言うと、「やな感じー」と裕美はジト目を向けつつもニヤケつつ言った。
そんな二人のやり取りを見て一頻り笑い合った後、試験関連の話を軽くして、それからは不意に流れが文化祭の思い出話に向かった。
前にも軽く触れたように、文化祭後の一、二週間ほどは周りが騒がしかったが、それでも徐々に収まっていって、今では以前とそれ程には変わらない毎日を過ごしていた。とはいっても、確かに他クラスの子や先輩、後輩に声を掛けられることはままあったが。
「確かにー」
と藤花は詳細は分からないが南国系のフルーツを絞ったジュースを一口飲んでから言った。
「なんか今もたまに話しかけられるから、まぁその時はどうしたら良いのか今だに戸惑うけれどね」
「そりゃそうだよねぇー…で?」
と相槌を打っていた紫は、ふと斜め前に座る律に顔を向けると、ニターッと笑顔を浮かべて話しかけた。
「今のような現状になった事について、律はどう思っているの?そのー…藤花の保護者として」
「ほ、保護者?」
と律が呆気にとられてキョトンとしながらボソッと漏らした。その横で藤花は苦笑いを浮かべている。が、当事者にも関わらず、途端に藤花も紫のようにニターッと意地悪い笑みを浮かべると、律に声を掛けた。
「律って私の保護者だったの?」
「い、いや、違うでしょ」
と律は戸惑いを隠さぬままそう返し、ふとここで私に困りげな視線を向けてきたが、私は私で今の状態を楽しんでいたので、律からの”救難信号”は無視して、ただ微笑みを返すのみに留まった。
それを見て観念したか、律は一度深くため息をつくと、視線を藤花に向けつつ、顔は紫に向けて返した。
「まぁ…藤花が変に目立っちゃったりするのは、そのー…友達として心配にはなるけれど…今回は、仕方ないとは…思う。そもそも、藤花自身が了承して引き受けたんだし、私が後からとやかく言うこともないよ」
「ふふ」
と律の発言を聞いた直後、藤花は何だか照れ臭そうにしつつ、それを誤魔化すかのように一度ニコッと笑ってから「ありがとうね」と返していた。
そんな二人の様子を眺めつつ、他の三人で顔を見合わせながら笑い合っていたのだが、ここでふとまた紫が何かを思い出した風な様子を見せて、またニヤケ面を晒しながら口を開いた。
「…って、律…あなた今悪目立ちがどうのって言ってたけれど…あなたも普段から相当目立っている事について、自覚はあるの?」
「…え?」
と律は、これまた身の覚えのない話を振られて、先ほどのようにまた鳩が豆鉄砲を食ったような表情を見せた。今日は律にしては珍しく表情が豊かだ。
「どういう意味?」
と律が聞き返す中、まだ悪ノリの引かない私も紫に乗っかることにした。
「そうなんだー。…あ、確かに、律も今はもうバレー部の部長兼キャプテンに就任したし、文化祭での試合でも大活躍だったもんねぇ」
と私がニヤケつつそう声を掛けると、「い、いやぁー…うん」と律が戸惑いげに、同意とも否定とも取れるような曖昧な反応を示していた。
そんな律の様子を微笑ましく思いつつ、ふと紫の方を向くと、何故か紫は今度は私に薄眼を使いつつ口元を緩めて見つめてきていた。
そして私と目があうと、やれやれと言いたげな溜息を大げさに吐いて見せると、そのまま私に声を掛けた。
「はぁ…琴音、あなた…何であなたがそんな他人事のような態度を取ってるのよ?」
「え?だって…」
何で急にこっちに矛先が向いたのか理解が追いつかない私は、心底不思議に思いつつ、
「他人事でしょ?…って、律には悪いけれど」
と律に視線を飛ばしつつ返すと、紫は一度何故か裕美と藤花に視線を配ってから続けた。
「いやいや。まぁ確かに、今あなたが言ったような事は、律が目立っている理由の一つではあるんだけれど…それともう一つあるのよ。それはね…」
とここで今度は悪戯っ子な笑みを零しながら続けた。
「普段の律と琴音、あなた達がしょっちゅう一緒に過ごしている事も、目立っている原因なのよ」
「ねぇー?」とここで急に裕美と藤花も加わって、三人で同調して見せていた。が、「ねぇー?」と言われただけでは、一体どういう意味か分からないと、私と律はただお互いに顔を見合わせる他に無かった。
「何が『ねぇー?』なのよ?どういう意味?」
と私が苦笑まじりに聞くと、その直後に律も続いた。
「それって…琴音のせいで、私が悪目立ちをしてるって事?」
「え?」と私はすかさず律の顔を見たが、その顔には今度は意地悪な笑みが浮かんでいた。本当に今日は良く表情が変わる。
「ちょっと律、それってどういう意味よー?」
「ふふ、ごめん」
と律が静かな笑みを浮かべつつ返してきたが、そんな私達の様子を見ていた裕美がニヤケつつ口を開いた。
「まぁ、琴音のせいっていうのはそうなんだけれど…」
「…ちょっと裕美?」
と私はすかさずジト目を向けたが、それには構わず裕美はそのまま続けた。
「勿論、律、あなたも責任が半分あるのよ?」
「…ん?どういう意味?」
と律は先ほどと変わらぬ反応で返した。
すると、今度は裕美の後を引き受ける形で不意に紫が口火を切った。
「実はね…琴音と律、あなた達は今結構何かにつけて行動を一緒にすることが多いでしょ?」
「んー…まぁ、ね?」
「うん…楽だし」
と私と律が確認し合うと、紫はその返答に一度笑みを零してから続けた。
「でね?ほら、あなた達、同学年の中でも背が高い方でしょ?で、しかもあなた達二人は背筋をピンと伸ばしてスッと歩いている。…ふふ、あなた達を前にして言うのも何なんだけれど、まぁまずは琴音。あなたはほら…言わずもがな”姫”でしょ?」
「言わずもがなって何よ…」
本当は私自身も飽き飽きとしてはいるのだが、こうして勝手なことを言われると、突っ込まざるを得ない。
「姫なんて呼んでるの、あなた達だけじゃない」
と私がウンザリな心境を思い切り表に出しながら言ったが、それでも紫は一向だにしない。
「まぁほら、私なんかは良くね、クラスメイトのみんなから色々と話しかけられるのよ。『宮脇さんて、一組の望月さんや富田さんと良くお喋りしてるけれど、仲良いの?』ってな具合にね」
「私もあるよ」
と藤花もすかさず同意を示した。裕美は黙って一人ニヤケつつ、ただ頷いている。
「それってさぁ…私が始業式で晒し者になったからでしょ?」
私は負けじと、何やら話の流れ的に不穏な空気を感じて、それを何とか回避しようと足掻いていた。だが紫の追撃は止まらない。
「いやいや、それも一種の拍車を掛ける事にはなったけれど、それ以前からよ。まぁ勿論私達クラスの全員って訳じゃないけれど、それでも何度も聞かれるから、『何でそんなに琴音と律のコンビが気になるの?』って聞いたのよ。そしたらね…何やら興奮した感じでツラツラと語り出したのよ」
コホンとここで紫は調子を整えるためか咳払いを一度し、それからまた意地悪げな笑みを浮かべつつ言った。
「まず琴音。さっきあなたは『姫さま呼びしてるの私達だけ』みたいなことを言ってたけれど、あながちそれは正しくないのよ。…あ、待って!まだ反論は受け付けてないから。…ふふ。私なんかは言われてやっと気づいたけれど…あなたって普段歩く時、まるで一本の細い白線の上でも歩くように、左右にあまりブレないらしいのよ。それが何だか上品で”お嬢様”っぽいって言ってたよ」
最後の方で何だか吹き出しそうになるのを我慢するかの様に言ったので、私は不満を見せつつ
「本当にその子達、”お嬢様”だなんて言ってた?」と問いただすと、「言ってた、言ってた」とここでまた三人の”二組グループ”が笑顔で同調し合っていた。
まぁ一組の私としては、その場に居合わせなかっただけに何とも否定のしようがなく、何となく律に視線を向けると、心なしか愉快げに口元を緩めているのに気づいた。
…あなただって、当事者なんだけれど?
と心の中でツッコミを入れている間、紫がまだ懲りずに先を続けた。
「それでね、歩いている時でもたまにそうしているらしいんだけれど、ただ立っている時でも、両手を身体のヘソの前辺りで前で軽く重ねてたりしてるんだって。カバンも前で両手で持ったりと…それがさ、また彼らに言わせればエレガントで良いんだってさ」
とまたニヤニヤしながら言い終えたので、「ちょっとー、良い加減にしなさいよ?」と私は小言で返したが、ふと自分でも不思議に思い、そこまで細かく知らない間に、知らない人に観察されていたという、後から考えれば中々に引く様な事実にも関わらず、この時はその場で普段の様子を思い浮かべていた。
「私って普段、どんな風でいるっけ?…って」
と私は三人にまたジト目を流しつつ、しかし口元は緩みつつ言った。
「もーう、急に変なことを言い出すから、自分でも訳が分からなくなっちゃいそうだわ…。一々動きがどうかと考えちゃって、終いには挙動不審になりそう」
「あはは!…って律?」
と今度は藤花が隣に座る律に意地悪げな笑みを向けつつ言った。
「あなたも他人事じゃないんだからねぇ?」
「…えぇー」
と律にしては珍しく、ウンザリそうな苦い表情を浮かべつつ漏らした。
と、ここで藤花がチラッと紫に視線を向けると、合点したといった感じで、また滔々と言葉を続けた。
「そうだよ律ー?…まぁここにいる姫ほどじゃないけれども、それでもあなたの事も大体似たようなことを聞いてね。まぁ片や黒髮ロング、片や黒髮ベリーショートっていう相反する見た目なんだけれど、まぁ端折って結論言えば、あなた達二人が並んで歩いていると、見栄えが良くて、よく目立つって事らしいわ」
「事らしいわって言われても…ねぇ?」
と私は何だか反論する気も失せてしまい、ただもう力無く笑みを漏らしながら律に言うと、「うん…」と律も同様な反応をするに留まっていた。
そんな”一組”の様子を尻目に、いや肴にして、”二組”は一頻り笑い合うのだった。
「…あ、そういえば…」
長々と続いた、私と律にしてみれば何も得しない話がやっと終わったと思ったその時、ふと一人ボソッと漏らしたかと思うと、裕美が一冊のパンフレットをおもむろにカバンから取り出しつつ言った。
「みんなに前に話した、琴音と一緒に観に行った劇のパンフレット…頼まれたから一応持って来たよ」
「お、待ってました」
と藤花は明るく声を上げると、そのままテーブルの周りを整理しだしたので、それにつられるように私を含む他の三人も加わった。
グラスを直に置いていたので若干湿っていた部分は裕美自身が軽くナプキンで拭き取ると、そこにパンフレットを置いた。
それは劇を見る前に、物販スペースで絵里と三人で揃って買ったモノだった。表紙は質素な造りで、色合いもクリーム色と焦げ茶色の二色しかなかった。中央部分を占めて描かれていたのは銅版画で、主人公のノーラと思しき中年の女性が、何故か片手にタンバリンを持って踊っているかの様なのだが、顔の表情は曇っていた。それも二色で表現されており、何か示唆的なものを見るものに印象付ける類のものだった。
中身は単純なもので、出演者の顔写真と、原作のあらすじ、それを受けてどうこの劇では解釈をしたか、勿論詳細は書かれていなかったが、それでもヒントの様なものだけ示されていた。この出演者の欄を見たならば、すぐに絵里は有希に気付いたのだろう。
ワイワイ言いながら、紫たちに質問をされるたびに、裕美と手分けして答えていった。
あらかた劇についての感想を述べ終わった後で、今度は百合子の話になった。
「へぇ、絵里さん繋がりでねぇ」
と紫がポロッと漏らすと、裕美はふと意地悪げに目を細めつつ私に視線を向けてきながら答えた。
「まぁ、そう私は聞いていたんだけれど…さっきも言ったように、楽屋でのこの子と百合子さん、それに脚本家の人との会話などを聞いていたら、何だか絵里さんを介してというよりも、琴音自身がもう既に”当事者感”が出ていたのよ」
「あはは、当事者感?」
と藤花が明るく笑いつつそう聞き返すと、裕美も一緒に同様の笑みを浮かべて返した。
「うん。なんつーか…もう長い事付き合いがあるような感じでねぇー?」
と裕美は最後に意味深に笑いつつ、語尾を上げながら言い終えた。
「あ、そうなんだ?」
と藤花も私に顔を向けながら言った後で、「そこんところ、どうなの?」と紫も追撃してきた。直接は見ていないが、何となく律が黙って頷いている気配も感じていた。
「あはは…」と私は取り敢えず、肯定とも否定とも取れるような曖昧な返事をした。別に正直、義一だけ避けて軽く触れても良かったかも知れないが、先ほどの会話に疲れてしまい、こうした反応に留めておいた。
「何よ、意味深ねぇー」
と紫が焦ったそうに言うと、「そうだそうだ」と藤花も追随した。
それでも私が何も言わないでいると、「…ま」と裕美が一度ため息交じりに声を漏らし、そしてテーブルに肘をつきつつ隣の私に薄眼を使ってきながら言った。
「肝心なところはこうして誤魔化されるんだけれど…琴音、本当にこれまでも色んなことで驚かされてきたけれど…アンタって何者なの?」
「…」
”アンタって何者なの?”
このセリフ…実は裕美から聞かれたのはこれが初めてでは無かった。とは言っても、前回言われたのはつい最近の事だ。あの観劇の帰りのことだった。
劇自体は十時に終わり、何やかんやと楽屋で関係者の方々とお喋りしていたら、百合子とマサに挨拶して劇場を出たのは、もう十一時を何分か過ぎていた頃だった。池袋から地元の駅まで、裕美と絵里とでまだ劇の感想なり、そして百合子、それに勿論有希についての話をした。…うん、この時は有希の事についての内容に終始していたかも知れない。二人は別れ際に連絡先を交換していた。
地元の駅に着くと、しばらくして絵里と別れて、そこから裕美と二人で帰り道を歩いたのだが、ふとこの時に、今藤花達の前で言ったような事を聞かれたのだった。それで今みたいに私が返事を渋っていると、これまた同じように言われたのだった。『アンタって何者なの?』と。
…もしかしたら、これまで延々と私の話を聞いてくれて、それでまた私の性格を熟知してくれている方なら、こう言われる人もいるかも知れない。『そんな事を言われて、またどこかで本性をバラしてしまったんじゃないか、相手にまた変に奇異に映ったんじゃないかと無駄に気にして、落ち込んだりしなかったのか?』と。
…ふふ、確かに、特に小学生の頃の私だったらそう考えたかも知れない。だが、この「アンタって何者?」というセリフ…実は私自身がある人に投げかけたことのあるモノだったのだ。
もうお気づきだろう、そう、義一に対して小学生の私が言い放ったセリフだった。
それに対して義一は、自分の事だというのに悩んで見せて、それから自嘲気味に笑いつつ『確かに、僕って何者なんだろう?』と答えたのを、大分前だが覚えておられる方もいるかも知れない。
まぁとにかく、そんな事もあってか、観劇後の時にそう言われた時、まず胸に去来したのは懐かしさだった。それでまた直後にその出来事を思い出し、思わずクスッと笑ってから義一と同じ様に、返したのだった。「本当…私って何者なんだろうね?」と。
私の場合は何だか照れ笑いになってしまったが、それを受けた裕美もそこまで本気の問いかけでは無かったので、「何よそれー…私に聞かないでよ」と苦笑交じりに返してきてその場は収まった。
話がまた大きく逸れたが、今もこうして喫茶店内で、律たちの前でまた同様の問いを掛けられても、私が返せる答えはただ一つしかなかった。
「…ふふ、私って何者なんだろう?」
あれから暫く経ってからの十一月下旬。今日は第三日曜日だ。裕美と共に絵里のマンションの前に来ている。
「暇だったら来ない?先輩…あ、こないだのね?あの人が何だかこの日がオフだっていうんで、ついでに私に家に行きたいって言うもんだからさ、もし良かったらあなた達もどう?先輩も良いって言ってるし」
と言うので、私も裕美もたまたまこの日が空いていたから、喜んでお呼ばれに預かることにした。
…とここで一つ聞かれてもいないのに言い訳をさせて頂きたいと思う。それは…『最近は師匠の元でピアノの練習をしていないのか?』という疑問に対してだ。まぁ言い訳というか事実を言うと、コンクール後、そして文化祭後も、以前と変わらぬペースで師匠の元に出向いてレッスンを受けていた。それだけは一応私自身の名誉の為に触れておく。まぁ、コンクールに出る様な、その手の予定は今の所ないので、それ以前の、私たちのペースに戻って練習している感じだった。因みに裕美もそうだ。今も変わらず地元のクラブで練習に励んでいる。話を戻そう。
私と裕美はいつもの場所で待ち合わせをして、それから絵里の部屋に着いたのは昼の一時過ぎだった。入ると既に有希が来ていて、何やらDVDラックや、その脇の本棚を興味深げに眺めている所だった。
私たちから声を掛けて挨拶をすると、それに対して有希も明るく返してくれた。
「琴音ちゃん、裕美ちゃん、こんにちわ」と名前呼びでだ。
直接は聞かなかったが、恐らく私たちが来る前に絵里が教えていたのだろう。まぁ違うとしたら、それは恐ろしく有希の記憶力がいいという事だ。
「こないだは劇を観に来てくれて、ありがとね?」
「いえいえ、こちらこそです」
と挨拶を交わしている間、絵里が普段通りにお茶の準備をしてくれていたらしく、テーブルの上に茶器を置きながら私たちを呼び寄せた。
呼ばれるがままに行き、そして私と裕美は定位置に座った。向かい合わせだ。と、有希は側で立ったまま、何やら考え込んでいたが、コクっと一度頷くと、私から見て斜め右に座った。
それを見た絵里も、その向かいに座ると、一度私たちさん人の顔を眺めてから、おもむろにカップを手に取ると有希に声を掛けた。
「ほら、先輩も」
「え?え、えぇ」
と一瞬戸惑って見せたが、次の瞬間には何やら思い出し笑いをしつつ返した。
それを受けて絵里も一度ニコッと笑みをこぼすと、若干カップを高く掲げて音頭を取った。
「さてと。今日は珍しいお客さんも来てるという事で…先輩、お久しぶりですという事で…かんぱーい」
「かんぱーい」「ふふ、かんぱーい」
カツーン。
私たち四人は揃って一口分口に含んでから、ほぼ同時にカップをテーブルに置いた。
ふう…と四人が揃って一息を吐いたが、ふとここで、乾杯時にも一人笑みを零していた有希が、また吹き出しつつ口を開いた。
「…ふふ、絵里…あなた今だに昔と変わらずにお茶の席でも乾杯をするのね?」
「え、えぇ、まぁー…そうですね」
と絵里は何だか照れ臭そうに頭を掻きつつ答えた。
「あの演劇部での感じが抜けなくて…」
「あはは!私もだよ」
と有希は満面の笑みを浮かべつつ返した。
「私も所属してる劇団の中だとか、こないだみたいに別の劇に出た時なんかも、他の演者を巻き込んで乾杯するもの」
「ふふ…」
そんな二人の様子が何だか微笑ましく、思わず笑みを零してから話しかけた。
「そんな昔からしてたんですね?」
「そうよー?」
と有希は相変わらずの笑顔を私に向けてきつつ言った。
「誰がやりだしたのか分からないんだけれど、何だか我が部の伝統みたいになっててね、打ち上げの時に主にやってたんだけれど、癖になっちゃったみたいで、それ以外の時でもついついやっちゃってたなぁ」
「あはは、私もですよ」
と絵里も愉快げに返した。
「あ、そういえば…いつからだったか、一緒に二人でお茶してた時に、急に百合子さんが乾杯をせがんできたの。その時は、ただただ驚いたんだけれど…その原因は…絵里、あなたねー?」
と有希が呆れつつ笑いながら聞くと、「えぇ、まぁ…かもです」と絵里は照れ臭そうに返すのだった。
「ふーん、絵里さんの乾杯グセは、そこからだったんだね?」
とここで不意に裕美が誰に言うでもなくポロっと言うと
「まぁねー」と、絵里と有希が示し合わせたわけでも無いだろうに、ほぼ同時にそう明るく返すのだった。
それからは、有希が持ってきてくれたという、羊羹や葛切りなどがセットになったお土産の和菓子を絵里がお皿に盛り付けて、それをテーブルまで持ってきて置き、それらを食べながら、有希が頻りに私たち三人の関係性について質問してくるので、三人で分担しつつ答えていった。
そんな中、一図書館司書が、特に小学生の私に構いっぱなしだったという事実を聞いて、一頻り絵里をからかってから、
「しっかし、絵里が図書館の司書になるだなんてねぇ」
とシミジミと思い深げに言う有希の様子が印象的だった。
私たち三人の馴れ初めについて話が終わるとその時、有希がハッとした面持ちで口を開いた。
「そういえばさ、絵里?」
「何ですか?」
と絵里が聞き返すと、有希はふと本棚の方に視線を向けて言った。
「さっきあそこで物色してたらさ…」
「勝手に物色しないで下さい」
と瞬時に絵里が突っ込んでいたが、それには構わずに続けて言った。
「あそこにアルバムを見つけたんだけれど…折角だし、ちょっと見せてよ?」
「え?んー…」
と絵里は一瞬躊躇って見せたが、すぐに一度息をフッと吐いてから「分かりましたよ…よいしょっと」
といかにも重たげに腰を上げると、ノソノソとした足取りで本棚の前に行った。
「言い出したら聞かないんだからなぁー…昔から先輩は」
「あはは!ごめんねぇ」
「全く…っと」
絵里は一冊のアルバムを取り出すと、それを持って戻ってきた。それは以前に私も裕美も見せてもらったのと同じものだった。
「ありがとー」
と有希が絵里からアルバムを受け取る間、私と裕美で少しだけテーブルの上のものを整理した。
「あ、二人ともごめんねぇー?よいしょっと…」
と有希はテーブルの上にアルバムを置くと、それを何も前置きを置かずにすぐさま一ページ目から開いた。
「懐かしいー!」
と有希は一ページ目にして途端に明るく声を上げた。
「先輩、シーーーっ!」
とすかさず絵里が唇に指を当てつつ言うと
「ごめんごめん」
と有希はウィンクしながら平謝りをしていた。
そんな二人の様子を見つつ、私と裕美は顔を合わせて笑うのだった。
そこには以前と変わらない…って当たり前だが、一ページ目から学園時代の、揃って二人が写ってる写真がいくつも収納されていた。
有希は一つ一つの写真を一々凝視して、吟味し、それから私と裕美に解説を入れてくれた。とても細かかった。と、その説明を聞いている時ふと、絵里もそういえば事細やかに説明してくれたことを思い出し、何だか思わず吹き出し笑いをしてしまった。この時裕美も笑みを浮かべていたので、聞いてはいないが恐らく私と同じだっただろう。
絵里も加わり、演劇部時代の思い出話に花が咲いていたその時、不意に有希は頭を上げた。
それからふと絵里の頭を見たかと思うと、苦笑いを浮かべて、写真と見比べつつ声をかけた。
「しっかし絵里…何であなた、そんな髪型にしてるの?この頃はこんなに可愛かったのに」
「え?」
と突然髪型に触れられたせいか、頭のキノコヘアーを軽く摩りつつ声を漏らした。
「今もこの頃と顔は別段変わらないんだしさぁ…」
と有希はまた写真と今の絵里を見比べつつ言った。
「この頃の髪型にすれば、かなりの美人として通ると思うのに…勿体無い」
「勿体無いですよねー?」
とここで急に、今まで大人しかった裕美が勢いよく話に割って入って行った。
「せっかくこんなに美人さんなのに」
「ちょ、ちょっと裕美ちゃん…?」
と慌てて絵里が制しようとしていたが遅かった。
有希はいきなりの裕美の勢いに驚いていた様子だったが、その言葉を聞くとニヤッと笑い、そして斜め向かいに座る裕美に若干身体を寄せると、視線だけ絵里に向けつつ言った。
「だよねぇー?せっかくの和美人さんが台無しだよ。まぁ…そのマッシュルームが、若干市松人形に見えなくも無いけれど…もっと横を伸ばせば。前髪はパッツンだし」
と有希は自分のサイドの髪を軽く持ち上げて見せながら言った。
因みにというか、有希の髪型は真ん中分けのロングヘアーだ。前に持ってきている髪は、胸よりも下まで長かった。雑談の中で言うには、
「髪は簡単に切れないのよ。いつどんな役が来るか分からないし、それに合わせて髪型を変えるから、なるべく長髪のままでいた方が良いの。まぁ最悪、ウィッグをすれば良いんだけれどね?」との事だった。
今有希が絵里の頭を称して、市松人形に見えなくもないと言ったが、確かに今の絵里の頭は、気持ちサイドが伸びてきていて、若干キノコらしさが無くなっていた。
「何ですかそれー?…でもまぁ、そっか…市松人形かぁ」
と絵里は一人で言ちながら、指先でサイドの髪をクルッと弄っていた。
「そろそろ切ろうと思ってたけれど…サイドだけ少し伸ばしてみようかな?」
「あはは!…そういえば絵里、あなた司書をしつつも、今も日舞をしてるんでしょ?」
「え?あ、はい…まぁ」
と絵里は何故か言いづらそうにしつつ返した。
「だったら、市松人形風の髪型もいいかもよ?着物にも似合うだろうし」
「ふふ、どんな理屈ですか?」
「あはは!…って、話が逸れちゃった」
と有希は急に我に返った風を見せると、軽く薄目にしながら焦ったそうに言った。
「だからー…何で絵里は今、そんなおかっぱ頭にしているのよ?」
「そうそう!」
とここで不意に裕美が食い気味に話に割って入っていった。
その勢いに押され気味な表情を有希が浮かべて、絵里が裕美を見ていたが、それには構わず続けた。
「前々から気になってて、何だか今まで聞けずじまいだったけれど、初めて喋った時から思ってたの」
あぁ…まだ絵里に聞いてなかったんだ。てっきり、私の知らないところで聞いてると思ってた。
「…あはは、気になるよねー?」
「はい!」
と何だかここにきて急に裕美と有希は意気投合し出した。
「そんな大した理由は無いんだけれど…」
とそんな二人の様子を苦笑まじりに眺めつつ、そのままゆっくりと、以前に私に話してくれた通りの話をした。大学での一コマだ。
全て聞き終えると、有希が「なるほどねぇ」とまず声を漏らした。
「要は思いつきだったのね?で、勢いでやっちゃったと」
「あはは、まぁ…そうです」
と絵里が照れ笑いで返していると、ふと裕美が腕を組みつつ感慨深げに
「ふーん、なるほど…」
と漏らしていたが、不意にニヤケ面を作るとそのまま続けた。
「…ってかさ、やっぱり絵里さんってモテてたんだねぇ」
「や、やっぱりって裕美ちゃん…」
と絵里が苦笑いで返すと、「そりゃそうよ」と有希がすかさず反応した。
「ほら、この写真を見てよ?まぁ女子校だったからアレだけれど、恐らく共学だったら、そりゃモテてただろうねぇ」
と最後に悪戯小僧よろしく笑みを浮かべながら言い終えると、
「ちょっと先輩、からかわないで下さいよぉ」
とすっかりタジタジになりながら返していた。
そんな絵里の様子を見て、私たち三人は顔を見合わせつつ笑い合うのだった。
「…でさー?」
と有希は一度紅茶をすすり一息入れてから言った。
「さっきの話で、あなたのその髪型の遠因になって、しかも司書になるように薦めてきた色男は誰なの?」
「え?」
「あ、気になるー」
と裕美がまた前のめり気味になりつつ食らいついた。私は先ほどから変わらずに、ただ微笑みを湛えつつ、絵里の様子を肴に紅茶を啜っていた。
「い、色男って…」
と絵里は苦笑気味に返していた。が、ここで話を流されると瞬時に判断した有希は、逃すまいと追い込みをかけるように言った。
「ほらー、誤魔化さないでよー?…変に躊躇して伸ばすと、余計に意味深に見えるよ?」
と思いっきりニヤケて見せつつ言うと、とうとう観念したといった風を見せて、絵里は一度大きくため息をついてから言った。
「はぁー…本当先輩は変な所も変わらないんだからなぁ…。まぁ…その男は、私の大学時代の一年先輩なんですけれどね?…そうです。歳は有希先輩と同い年ですよ。後は…」
とここで絵里はふと私に流し目を向けつつ続けた。
「そこにいる琴音ちゃん、彼女の叔父さんでもあります」
「へぇー、この子の?」
と有希が好奇心満々といった調子で私に事をジロジロと見てきていたが、ふとここで裕美が何かを思い出したように「あっ」と声を漏らすと言った。
「…あ、こないだ、ここで花火大会を見た時に来ていた、あの人の事ね?」
「…ふふ、今気づいた?」
と私が応じると、「花火大会?」とすかさず有希が食らいついた。
その反応を見た絵里は、やれやれとため息交じりに、去年の夏の出来事を話した。
聞き終えた有希は、またニヤケながら絵里に声をかけた。
「…なーんだ、やっぱり絵里の色男じゃない?」
すると絵里は苦笑まじりに、しかしジト目を容赦無く向けながら答えた。
「…先輩、ちゃんと私の話を聞いてました?そこにいる琴音ちゃんが、勝手にアヤツを招待したんですよ」
「その割には、愉快げに話してたじゃない?」
と有希がめげる事なく、いや気にする節も見せずにニヤケ顔を続投したまま言うと、「はぁ…」と力無く笑みを零しつつ溜息をつくのだった。
「そういえば…」とここで裕美もテンション高めに口を開いた。
「あの時撮った写真…私のスマホに入ってますよ?見ます?」
そう裕美が聞くと、「あ、見るー」と有希も裕美に合わせてなのか、”女学生風”に答えた。
裕美はニコッと一度笑ってから、足元に置いていた自分のミニバッグからスマホを取り出し、軽く操作をしてから有希に手渡した。
「どれどれ…」
おそらく気を使ってくれたのだろう、有希は自分だけ見ようとはせずに、テーブルの上に置いて皆が見えるようにした。
なので私も若干中腰になりモニターを覗き込むと、そこには、ベランダに出した椅子に座り、片手にお酒を持ちながら、外を眺めつつ談笑している浴衣の男女の姿があった。義一と絵里だ。部屋から漏れる明かりしか無かったせいで、あまりハッキリとまでは写っていなかったが、それがむしろ顔の表情を際立たせるのに貢献していて、二人の微笑みがしかと写っていた。
因みに、右端に帯が若干写っていたが、それはどうやら私の物のようだった。
「ひ、裕美ちゃん…これって…?」
絵里自身も初めて見たらしく、明らかに戸惑って見せていた。
私も意外…というか、今まで知らなかったので、絵里の代わりに聞いてみることにした。
「裕美、いつの間にこんなの撮ってたの?」
と私が聞くと、裕美も私と同じ体勢を取っていたが、「ふっふーん」と得意げに鼻で大きく息を吐いてから答えた。
「だって、あの時、ベランダの一角だけが何だか良い雰囲気になってたからさぁ…絵里さんには悪いと思ったけれど、良いシーンだなって思って、ついつい撮っちゃったの。…絵里さん、ゴメンね?」
と最後に裕美は顔の前に両手を合わせてジェスチャーをした。
「もーう…しょうがないなぁ」
と怒る気力もないのか、ただただ呆れたといった調子で苦笑するのみだった。
「はい、裕美ちゃん、ありがとう」と有希は笑顔で裕美にスマホを返すと、また絵里に話しかけた。
「なかなかに良い男じゃない?座ったところしか見てないけれど、今時あんなに浴衣の似合う男っていないよ?」
「まぁ…」
とさっきから呆れ笑いっぱなしの絵里だったが、ここでふとテーブルに肘をつき、有希から顔を背けるようにしながら、視線を遠くに飛ばしつつボソッと言った。
「ギーさんのそういう”姿”の良さは認めるけれど…って何ですか?」
絵里の言葉を聞いた瞬間、有希、それに私と裕美がほぼ同時にフッと微笑ましげに笑ったのに気づいたのか、三人に向けてまたジト目を向けてきた。
すると私たちは予め決めてたわけでもないのに、皆同じ気持ちだったのか、お互いに一度顔を見合わせると頷きあい、そして絵里に声を揃えるようにして返すのだった。
「何でもありませーん」
「…まぁこの辺で勘弁してやるか!」
と有希は急に明るげな様子を見せると声を発したが、その直後にはまた今度はイヤラシげな視線を絵里に流しつつ続けた。
「今日のところはね」
「はいはい、先輩ありがとうございますぅ」
と絵里も力無げな笑みを零しつつも、口調はしっかりとおちゃらけ成分を盛り込みつつ返した。
そんな返しに、有希だけでなく私と裕美も一緒になって笑顔を見せたが、ふと有希が本棚とDVDラックの方を見つつ言った。
「そういえばさ、絵里、あなたは確かに昔から本をたくさん読んでいたし、それ繋がりなのか今は図書館司書をしている訳で、それはそれで納得がいくんだけれど…昔、学生時代、あんなに昔の映画とか観てたっけ?」
「え?あ、いや、まぁ…そうなんですけれど…」
と絵里はまたバツが悪いといった笑みを零しつつ、有希から視線を逸らし、逆に私に視線を向けてきた。
「何?また何か訳があるの?」
と有希がまた好奇心旺盛に身を乗り出すが如くに聞くと、もうヤケだと言わんばかりに、ため息交じりにだったが答えた。
「まぁ…ついさっき漸く離れられた所なんですけれど…これも例の色男、ギーさんが関係してるんですよ」
「あらそうなんだー?」
と、絵里とは対照的に、目をキラキラとさせながら有希が返した。
…いや、有希だけではない。気づけば裕美も全く同じ態度をとっていた。
そっか、この話も裕美は知らないのね…。
と私は呑気な感想を覚えつつ、この急場をどう絵里が忍ぶのか、当人には悪いが先程から面白く”観劇”していた。
絵里はしかしここで不意にある事に気付いたらしく、ここでこそ自分の名誉の回復の時だと言わんばかりに、若干意気揚々と訳を話し始めた。
内容は私に語ってくれた内容と同じだ。覚えておられるだろうか?そう、『色気とは何か?』という話になって、それを絵里と私で議論をしていた時に、絵里が話してくれたエピソードだった。
まぁこの出来事についてだけ掻い摘んで言うと、大学時代、講義と講義の間の時間帯に、義一が女の子に告白されているのを、たまたま絵里が遭遇したという話だ。その女の子というのが昔に仲良くしていた友達だというのも興味深い。結局義一は断ったというか、ズバッと言えばフったのだが、その内容というのが中々にヒドイ。女の子が何でダメかの理由を聞いた時に、そう、義一は簡単に言えば
「僕のタイプは色気がある女性なんだけれど、あなたからは何も感じないからダメ」と、これはあまりにも縮め過ぎではあるが、内容としてはこの通りだ。当然相手の女性は怒り狂ってその場を去ったのだが、それを一部始終見ていた絵里が義一に「こんなことしてると、その内背後から刺されるよ」的な忠告を施した…とまぁ、そんな話だ。
…話は戻るが、絵里が何に気付いて若干持ち直したのか、もうお分かりだろう?そう、まぁこれは私の推測だが、いかにその”色男”が実は、女心など一切分からない唐変木だというのを話せる機会を得られたからだろう。それを証拠に、絵里は義一がフる場面を少し強調しつつ話していた。
それを初めのうちは面白げに聞いていた有希と裕美だったが、しかし例の場面に差し掛かると、二人揃って苦笑いを浮かべていた。
絵里はそんな二人の様子を見て、はたから見ててもやっといつもの調子が戻ってきている様に見受けられた。
興が乗ったのか、そのまま色気とは何かについての義一の持論、その流れで自分も昔の映画にハマってしまった話までし終えた。
一連の話を聞き終えると、まず裕美は紅茶をすすりつつ私や有希の顔を覗く様に見てきていた。有希も一口紅茶を啜っていたが、急にここで「ふふっ」と吹き出す様に笑うと、その笑顔のまま絵里に話しかけた。
「まぁ確かに、絵里が言う様に、ちょっとその”ギーさん”は女心に疎そうね?」
「えぇ、そりゃあもう」
と絵里が力強く瞬時に返したが、それを制するかの如く間をおく事なく有希は言った。
「でもさー…まぁ写真で見た感じとかでの想像、イメージとはかけ離れているけれど、でも、それ以上にとても面白い人だね」
「え…」
そう有希に言われた直後の絵里の表情は、何とも表現しがたい。笑顔は笑顔なのだが、口に片方の端を若干持ち上げて、ピクッピクとさせている…としか言いようがなかった。
「確かにー」
と裕美は何故か私に視線を向けつつも同調して見せた。
「凄く変わっているけれど、とても面白い人だねぇ…琴音、アンタの伯父さんって」
「え、えぇ…でしょ?」
急に話を振ってきたので、それを想定していなかった私は思わずキョドりつつ返した。
「うん。だって、今絵里さんが話してくれたエピソードも、若干引かないでも無いけど、でも何だか色々と一々口にする理屈が面白くてさ。色気についての話だって、普通ここまで深く考えないよ」
「ウンウン、そうだよねー」
と今度は有希から裕美に同調した。
「しかも何だか面白い上に…いや、面白いからか、何だかスッと納得出来ちゃう感じだものねぇー?いやぁ…流石絵里が気にいるだけの男なわけだ」
「あ、いやだからそれは…」
有希と裕美の反応が想定外だったのだろう、それはまぁ私から見てもそうなのだが、タジタジになっている絵里に対して、畳み掛けるように有希は笑顔で言った。
「確かにさっき軽く流してたけれど、相談にも乗ってくれるんでしょ?こんな面白い、普通の人がしないような見方を披露してくれつつ」
「え、あ、いや、まぁ…」
「それに、自分の発言をコロコロと変えない感じじゃない?話を聞いてる限りでは」
「まぁ…はい、それは…そうです」
何だか側から見てると、諭されているように見えなくも無い。
「そういう人って、ちょっとやそっとじゃブレないから、信用に値して見えて、相談しやすくもあるよねぇ」
「…それは認めます」
今何が目の前で繰り広げられているのか分からなかったが、面白かったのは事実だったので、時折裕美と顔を見合わせつつ観劇していた。「で、こうしてそのギーさんに影響されて、素直に趣味が変わったり増えたりしてる訳だ」
「まぁ…認めたくはないですけれどね」
と絵里はここで抵抗らしきものをして見せたが、とても弱弱しいものだった。
「…まぁ絵里の本心としては、女心、女なりの機微が分からないのには呆れつつも、たまに相談に乗ってくれたり、こうして普通の人からは得られない経験を与えてくれる…そんなギーさんの事が…」
最後に向かうに連れて、有希が徐々に表情をニヤケ面に変化させつつ言葉を紡いだが、次の瞬間「わぁーーー!」と絵里が大声を上げた。
「絵里さん、シーーーーーっ」
私と裕美、そして有希までが加わって、皆同様に唇に指を当てるポーズを示した。
それを見た絵里はすぐに冷静を取り戻し、「ご、ごめん…」と一人恥ずかしげに頭を掻いていた。が、すぐに薄目を使いつつ、声も極端に小声になりつつ言った。
「せ、先輩!いきなり何を言い出すんですか?」
「…」
有希はそれにはすぐに答えずに、おもむろに今日初めて柔和な微笑を顔に湛えてジッと絵里を見たかと思うと、すぐにまた今度は悪戯小僧よろしく笑顔を浮かべて返すのだった。
「ふふ、絵里、ごめんね?”今日のところは”本当にこれでお終いにするから」
有希が言った通り、今度は話題がガラッと変わって、有希の今までの舞台遍歴に移った。この話もとても興味深くて面白かったのだが、そろそろ余裕が無くなってきたので、また何かの機会があったら、そこで改めて触れてみたいと思う。
そんなこんなの話をしていると、ふと外から”夕焼け小焼け”が流れてきた。区役所が放送する、五時になったという合図だった。
エコー気味の音楽が鳴り終わると、私と裕美はふと時計を見て確認し、お互いに顔を見合わせるとコクっと頷き、そして絵里と有希に向かって、そろそろ帰る旨を伝えた。
「じゃあ気をつけて帰ってね?」
「うん」「うん」
絵里の部屋のある六階、全員でエレベーターホールにいる。
絵里と有希がわざわざ見送りに出てくれた。二人ともサンダル姿だ。有希はこの日は絵里の所に泊まるというので、学生時代を思い出してワクワクすると、私と裕美が玄関で靴を履いてる時に話してくれた。
「ね、絵里?学生気分で今日は夜通し、恋話でもしましょうね?」
とニヤケつつ言う有希に対して
「勘弁してください…」
と力無く笑う絵里が印象的だった。私たちが去った後も、絵里の受難は終わらない事が示唆された。
「じゃあまたねー」
「またね二人とも、今日は楽しかったよ」
絵里、有希の順に声を掛けられながらエレベータに乗り込むと、また私と裕美で挨拶を返し、”閉めるボタン”を押した。そして下に降りる間際、扉に取り付けられている縦長の細い窓から二人が見えなくなるまで手を振ったのだった。
絵里たちも笑顔で振り返してくれた。
「あーあ、今日も楽しかったね」
帰り道、裕美が中空に向かって言葉を飛ばすように言った。
「そうね」
と私も、何となく裕美が見ていそうな雲の一つに視線を投げつつ返した。
十一月の夕方五時。まだ日は完全には沈まず、西の空にはまだ陽光の残滓を残していたが、それでもやはり徐々に暗くなる時間帯が早まってきているのを感じた。普通にしてる限りではそうでもないが、それでも時折吹く風からは、すぐそこに冬が来ていると気付かされた。
あるT字路に着くと、おもむろに顔を見合わせた。しばらく何も言葉をお互いに発しなかったが、「ちょっと行こうか?」と裕美が笑みを零しつつ言うので、「えぇ」と私も同様にボソッと零した。
それからは、どちらからともなく、家とは反対方向に舵を切って歩いて行った。その道は地元の駅前まで続いている。
歩きながらもそれについては触れなかったが、お互いに確認しなくても意図が同じなのは察せられた。これは裕美との仲だから出来るワザなのだろう。折角絵里のところで楽しいお喋りをした後なのに、そのまま直帰するのも忍びなかった、まぁそういう事だった。
私たち二人はよくこの手の事をした。これといった地元の駅前に用事がなくてもだ。
「あの花火大会の時にも思ったけれど…」
裕美は正面を向きつつ、横から見てもニヤケてるのが分かる程に口元を緩めつつ言った。
「やっぱ絵里さんって…アンタの叔父さんの事、好きだよねー?」
そう言い終えると、そのニヤケ面をこちらに向けていたので、
「…ふふ、うん、私も絵里さんが義一さんの事を好きなのは確実だと思うんだけれど…正直、義一さんの気持ちがよく分からないのよねぇ」
と私もつられるように答えた。
それから少しの間、一緒になって笑っていたのだが、ふと急に裕美が苦笑いを浮かべながら言った。
「…ふふ、まぁあの花火大会の後とか、それからも何度か聞かされていたけれど、やっぱ慣れないわぁ…。アンタのその、自分の叔父さんを”名前呼び”するのに」
そう言われた私は、もう既に何度も言われていた事だったので、こちらも苦笑を浮かべつつ返した。
「って言われてもなぁー…もう何年もこの呼び方で定着しちゃってるから、今更変えられないよ」
それを聞くと、裕美は途端にまた明るく笑顔を作り返した。
「あはは、まぁ別に変わってて面白いから良いんだけれどね」
とそんな話の流れから、色々と義一と絵里の間柄について、この場に当人たちがいない事をいいことに、好き勝手に推測したりしてお喋りし合いながら歩いていた。今だに裕美はアレ以来まだ義一と会ってなかったので、まだ一回しか会合の機会を得てなかったのだが、二人きりの時に、話の流れ的に義一に掠りそうになった時などで軽く紹介していたので、裕美の中ではすっかり、私のバイアス、フィルター越しという偏った見方によるものだが、義一のイメージが出来ていたようだった。それを証拠に、こうして私と会話が出来る程だった。
とまぁ、何やかんやそうして歩いていると、駅前のロータリーまで出た。以前にも触れたように、私が小学校に入るか入らないかくらいから駅前の再開発が進み、そして数年後の今となってはすっかり様変わりをしていた。駅ビルも改装されて”今時”になっていたが、それよりも目立つのは、その駅の正面玄関の真正面に、大規模な商業施設が出来たことだった。都心部にあるようなチェーン店の洋服屋だとか雑貨屋とかで内部は犇めき合い、一階部分の広いスペースを全部占有しているスーパーマーケットには、毎日のようにお母さんが買い物に来ていた。
私と裕美でその脇を歩いていた時、ふと私は何気なく、その商業施設に併設されるように建っていた、例のマンションをふと見上げた。高校に上がったら、私が一人暮らしをする予定になっているマンションだった。今いる位置が丁度西日を背後にしている構図になっていたので、建物の外壁は真っ暗に見えていたが、所々ポツポツと明かりが点在して灯っていた。まだ出来て三年ちょっとだと思うが、既に何世帯か生活しているらしい。…って当たり前か。人が聞くと自虐に聞こえるかも知れないが、私としてはある種の誇りを持って言えば、一応都内とはいえいい具合に田舎っぽいこの地元、そんな地域の駅前という立地なのだが、それでもやはり需要はあるらしい。
…まぁ何か言いたいわけではない。話を戻そう。
ちなみに裕美にはまだ私が高校に上がってから一人暮らしをする事は話していない。裕美に対してまだなくらいだから、当然他の三人にもだ。まぁ深い理由はない。大して急いで話す事でもないと判断してのことだった。実際に一人暮らしを始めてからでも遅くはないだろう。
「…ん?琴音、どうしたの?」
と裕美が、不思議そうにこちらを見てきつつ言った。私がジッと空に向かってそびえるマンションを眺めていたからだろう。
「…ふふ、何でもない」
と私は誤魔化すように笑みを作りつつ、少し先に歩いていた裕美のそばに駆け寄った。
「変な琴音。…って、いつも変だけれど」
「ん?何か言った?」
「何でもなーい」
それから私と裕美は、いわゆる”いつもの”調子で軽口を言い合いながら、フラフラと駅前を歩いていた。
とその時、「お、琴音ー?それに裕美じゃねぇか?」と不意に名前を呼びかけられた。
二人してその方向を見ると、まぁ改めて言う事も無い…当然ヒロだった。ヒロはユニフォーム姿で、大きな野球バッグとバットケースを肩に提げて、駅ビルの正面口から出てくるところだった。
「ゲッ…」
と私が”わざと”声を漏らし、それに合わせて顔も作ると、途端にヒロも調子を合わせてきた。
「…おい、聞こえてんぞ?何だよ会って早々”ゲッ”ってリアクションは…」
「ふふ」
と裕美が私の隣で笑みを零していたが、それに気づいたヒロは自然な笑みを浮かべつつ裕美に声をかけた。
「おう裕美、こんにちはだな」
「ふふ、うん、こんにち…って」
とここで裕美は不意に空を見上げて、ジッと見つめたかと思うと顔を戻しながら悪戯っぽい笑みを浮かべつつ
「ヒロくん…それを言うなら今晩はじゃない?」
と返した。
するとヒロはすぐに表情を、私に向けてきたのと同じのに戻しつつ返した。
「おいおい裕美、お前…何だか琴音に似てきたなぁ…チンチクリン具合が」
「あ、ヒロ、ちょっと今なんて…」
と私がすかさずツッコミを入れようとしたその時、隣で裕美がウンザリげな表情を浮かべながら、私に薄眼を向けてきつつ返した。
「えぇー、やめてよぉー」
「あははは!」
「ふふ」
裕美とヒロが明るく笑い声を上げるので、すっかりタイミングを見失った私も、仕方ないと一緒になって笑うのだった。
「ごめーん、昌弘くーん!何だか中が混んでてさ…」
とここで急にヒロに向かって駆け寄る者がいた。その子は休日だというのに学校指定のブレザーを身に付けていたが、洒落っ気たっぷりに可愛らしく着崩していた。ここまで言えば分かるだろう、そう、ヒロと一緒に文化祭に来ていた千華だった。
「あーあ…って、あ…」
と、ふとここで私たち二人のことに気付いたらしく、先ほどまで”キャピキャピ”していたのを抑えると、キョトン顔でこちらを不思議そうに眺めてきた。
ここで何となく、こちらから話しかけた方が良いだろうと、私は私なりに何でこの場に千華がいるのかを不思議に思ったが声を掛けた。
「あ、え、えぇっと…こないだヒロとかと一緒に文化祭に来てくれたよね?んーっと…わざわざ来てくれてありがとう」
と何だか見え透いた言葉を投げかけてしまい、途中から自分で恥ずかしくなってしまっていたが、何とか最後まで言い切った。
それを聞いてもまだ暫くはキョトン顔を収めなかったが、それでもふとまた”可愛い子”風の雰囲気をバッと身体の周囲に纏うと笑顔で返してきた。
「…う、うん!あの時は楽しかったねぇー、何と言っても、最後のあの演奏、正直私はああいう音楽は普段全然聞かないんだけれど、でも何だか感動しちゃった!」
「…ふふ、ありがとう」
と私がお礼を返していると、ここでふとヒロが私と千華にジト目で視線を配った後で、苦笑まじりに言った。
「お前らさ…さては、お互いに相手の名前を思い出せてないな?」
…鋭い。
「んー…」と私は照れ隠しにホッペを掻くのみだった。
確かに今ヒロが指摘した通り、私はこの時は実際思い出せてなかった。すごく言い方が悪いのを承知の上で言うが、記憶力が良いと自負している私でも、なかなか興味を持てない相手の名前を覚えるのは至難の技なのだった。確かに文化祭で初めて見た時が、一人称が”千華”の時点でキャラが立っていたので、それなりに興味は湧いていたのだが、他人事のようで恐縮だが、こうして思い出せなかったという事は、まぁその程度だったのだろう。
でもそれはおあいこだ。千華も私と同じようなリアクションを取っていたからだ。
「しょうがねぇなぁ…っと」
ヒロはため息まじりに漏らしたが、ふと人通りの多い周りを見渡し、そして次にすぐ近くの先に時計が乗っかっていたポールの方を見ると、私たちに声をかけた。
「いつまでもここにいたら人の邪魔だからよー、取り敢えずあそこに行こうぜ?」
ヒロの提案に乗り、ポールの下まで四人で行った。
と行くまでのこの時、ふと裕美がさっきから一度も声を発していないのに気付き、不意に顔を覗いたが、その時の裕美の表情は何とも言えない静かなものだった。
その時ふと心配に思って声を掛けようとしたのだが、ヒロがこの時に、改めて自己紹介をしあうように言ったので、ヒロに言われる筋合いはないと内心ムッとしたが、言ってることは正鵠を射ていたので、やれやれと紹介をしあったのだった。
千華にまずしてもらい、それから私がし終えると、「琴音ちゃんね、うん、よろしく!」と明るく返してきた。
が、ふとその流れで裕美とも紹介をし合ったその時、ふとまた何か不穏な空気が二人の間に流れるのを感じた。それを感じた瞬間、それに自分で驚いてしまった。何故なら、冷静に側から二人の様子を見ている限りでは、何も不穏感が生まれる余地など見えなかったからだ。二人とも和かに名前を名乗りあっていた。…しかし、やはり何度考えても、肌で感じたこの空気感は、気のせいなどではない…理由は説明できないが、その皮膚感覚だけは確かだった。
そんな私の胸の内は当然他所に、こうして改めてお互いに顔と名前を覚えたのだったが、今思えば不思議なのだが、何故だかこの時には連絡先を交換する流れにはならなかった。…まぁ、それだけだ。
「でさ…?」
そんな胸の中のモヤモヤをさておき、私はそれよりも先に気になっていた疑問を解消することにした。
「二人は何だか今さっき駅から出てきたようだけれど、どこか行ってたの?」
と二人を眺めつつ聞くと、ヒロと千華は一度顔を見合わせて、それからまたこっちに顔を戻すと、ヒロが笑顔を浮かべて答えた。
「あぁ、まぁな。今日はちょっと豊島区にある他校と練習試合をしてきたんだよ。それでその帰りさ。で…」
とここで千華の方をチラッと見つつ続けた。
「で、ここにいる倉田が俺らの部のマネージャーだからよ、こうして一緒に帰ってきたって訳さ」
「ねぇー?」
と間をおく事なく千華が合いの手を入れると、ここで不意に今まで静かだった裕美が口を開いた。表情には意地悪さを見せている。
「だったら、他の部員は?姿が見えないけれど、何で二人だけなの?」
…まるで”なんでちゃん”みたいね
などという、今思えば見当違いな感想を覚えていたが、そんなのんきな私を他所に会話は進んでいった。
「フッフー」
とここで何故か千華は意味深な笑みを浮かべると、一歩ほど裕美に近づいて言った。
「何故だか知りたい?それはね…」
とここで語尾を伸ばすと、ピョンっと身軽に後ろに下がり、そして何と急に恋人同士の様にヒロの腕に飛びついたのだった。
これには裕美も目を丸くしていたが、流石の私も千華の行動にとても驚いてしまった。
そんな私達の様子を愉快げに見てきながら、笑顔で千華は続けた。
「他のみんなは先に帰ったよー?で、残った私と昌弘君で、時間が余ったから少し池袋でデートをして来たの」
「で、デート?」
また思いがけない単語が出てきたので、思わず面を食らってしまったが、ここでふとヒロの格好を見て、その直後に、何だかそのチグハグさ加減が面白くなり、ついついここで吹き出してしまった。
その様子を、今度は千華が何だか怪訝そうな表情でこちらを見てきたので、私は素直に悪いと思いつつも、笑みを抑えることが出来ないままに言った。
「…ふふ、ごめんなさいね?私ってね、ほら、ヒロはよく分かると思うけれど、こういう恋愛ものっていうの?その手のものに疎くてね、千華ちゃんは良いんだけれど、そのー…ヒロの格好がユニフォーム姿のままだからさ、デートするには流石に格好がつかないんじゃないかって思ってね」
それを聞いた千華は、無表情でチラッとヒロの格好を見ていたが、その時「あははは!」と急に明るく笑う者がいた。裕美だった。
裕美は笑顔のまま私の肩に手を置くと、そのまま言葉を続けた。
「はぁー、確かに琴音、アンタの言う通りだわ。デートにユニフォーム姿はないよねぇー」
「ちょ、ちょっとあなた達…」
とここで千華が思わず私たちに何かを言いかけたが、それを今までされるがままでいたヒロが口を開いた。
「お前らなぁー…黙って聞いてりゃ…お前もだぞ」
「え?あ、ちょっとー」
ヒロが鬱陶しげに千華の腕を払うと、パンパンと服を払い、そして不機嫌そうな表情を浮かべつつ言った。
「ったく、今での話だと、俺があまりにもイタイ奴みたいじゃねぇか」
「あら、違うの?」
と私は、『いつもの軽口の流れでしょ?』ってな具合にからかい口調で口を挟んだ。この時私は、いつもの調子で軽口が返ってくるものと待ち構えていたのだが、その予想は外れてしまった。
ヒロは何故か目を丸くして、その後で何故か一瞬寂しげな表情を見せた。が、それは本当に一瞬で、次の瞬間には
「いやいや、そもそも違うんだ」と、何だかアタフタと慌て気味に言った。
「何が違うの?」
と、そんなヒロの珍しい姿に戸惑いつつも、何とか意地悪い笑みを浮かべつつ聞き返した。
「何がって、そりゃお前…はぁ、倉田ー、お前、妙な冗談をするんじゃねぇよ」
「…冗談?」
と私が漏らすと、一瞬間が空いた後で途端に千華が明るい笑い声をあげた。
「あははは!別に良いじゃなーい?昌弘君は冗談だって分かってるんだから」
「俺が分かっててもしょうがねぇだろ?同中の奴らならいざ知らず、こいつらは別の学校なんだから、何が冗談なのか分かる筈ないんだからよ」
「…なーんだ」
それを聞いた私は、自分でも分からないレベルで力が入っていたらしく、思わず力が抜けていくのを覚えながら溜息交じりに言った。
「冗談だったの?てっきり本当に恋人同士なのかと思ったよ」
「…え?」「え?」
とここで何故か千華と、それに裕美がほぼ同時に驚きの声を上げた。私も私でそんな二人の様子を不思議そうに眺めていたのだが、ここで急にまたヒロが、先ほどよりも慌てふためきつつ口を開いた。
「ば、バカ!そ、そんな訳ないだろ!勘違いすんなよな!れ、練習が終わった後によ、自由解散ってことになったんだが、せっかく池袋の近所に来たってんで、有名なスポーツショップに寄ろうと思って一人で行こうとしたんだよ。そ、そしたらな」
バシッバシッ
とここでヒロは何故か隣にいた千華の背中をバシバシと力強く良い音を鳴らして叩いた。
「い、痛いよー、昌弘くーん?」
と千華は大袈裟…でも無いのか、背中をさすりつつ抗議をしていたが、それに対してもヒロはただジト目を向けて「そもそもお前が余計な事をするから、こんな面倒な事になってんだろうが」とここで最後にまた一発背中を叩いた。
「ここにいる千華が勝手に付いてきてよ。俺は帰れって言ったんだが聞かねぇから仕方なく一緒に行ったんだ。で、でな、それでお店に寄ってよ、それでグローブの手入れ用の油とかを買ってな、それからは直接ここまで帰ってきたんだ。う、嘘じゃないぞ!」
「ふ、ふーん…?」
その余りにもな必死さ加減に驚いて、その勢いに押され気味になりつつ、また何故そこまでムキになるのか意味が分からずに混乱していたが、それでも何か返さなきゃと思い、自分でも見当違いだと思ったが、それをそのまま口に出した。
「…って、何をそんなにムキになってるのよ?冗談だってちゃんと分かってるってば。誰も疑ってないし。…ていうか、そんな事よりもさぁ…人の事をバカ呼ばわりしないでよね!」
と最後の方は、普段通りの軽口風味を入れつつ言った。
先ほども言ったが、今こんなことに突っ込むことも無いとは当然思ったが、場を収めるにはこれしか無いと思ったのだった。
そしてそれはどうやら功を奏した。
ヒロも当然私の意図とする所が瞬時に分かったようだった。何せ小学校入学以来の付き合いだ。阿吽の呼吸も出来て当然だろう…多分。
「お前なぁー…」
とヒロは坊主頭を掻きつつ、呆れ笑いを浮かべながら言った。
「そこ突っ込むかぁー?…てかよ、お前こそ普段から俺のことバカ呼ばわりをしてるじゃねぇか」
「私?…私はいいのよ」
とここで私は胸を張って見せて続けた。
「だって、事実だもの。私は正直者だから、嘘なんかつけないわ」
それを聞くと、ヒロは大きく溜息を吐いて、それから今度は苦笑まじりに返すのだった。
「はぁ…幾つになってもお前の言ってること、意味がわからねぇ」
「何よー」
と私が不満げに返すと、ここにきてようやく「ふふ」と裕美と千華が笑みを浮かべた。…まぁ浮かべたと言っても、初めは苦笑いからだったが。しかし途中からヒロも加わり明るく笑い始めると、それにつられてか、二人の笑みも自然なものに変化していった。当然、私もそれに混じって笑い合うのだった。
がしかし、この時ふと一つの情景が頭にこびりついて何故か消えなかった。
それは…ヒロがアタフタと言い訳をしている時、視界の隅に見えていた、裕美と千華の表情だった。二人とも、何故か私の方を同様に見てきつつ、そしてこれまた同じ、さっき裕美が一人で浮かべていた、静かな表情をしてきていたのだった。
「じゃあなー」
先ほど私と裕美がいた、家路と駅前への分岐路でヒロと千華の二人と別れた。なんでも家に帰るより前に、部室に用事があるのを思い出したとの事だった。
あの人騒動があった後、何か変な感じ、微妙な感じになってしまったと皆が思ったのだろう、自然とそのまま帰ろうという話になった。その道中、まぁ当然と言えば当然なのだが、ヒロの野球部の話に終始した。
今回が初めてではなく以前にも聞いていたのだが、今ヒロは中学二年に上がるに当たって、野球部でレギュラーを張っていた。一年生段階でも既に準レギュラーにはなっていたのだが、今は正式にだ。
私はほとほと野球には疎いのだが、ポジションとしては四番ショートというものらしい。聞く人が聞けば中々らしいが、私は知らない。ついでにヒロは今副キャプテンだ。キャプテンはまた別にいて、同学年で同クラスの男の子だという話だ。その子はピッチャーで三番らしい。同じクラブ、同じクラス、キャプテンと副キャプテンという関係故に、いつの間にか、いつも一緒につるむ仲になったとの事だった。
話を戻すと、ヒロが言うには雑務は主に副キャプテンがしなくてはいけない、その話を鵜呑みにすれば、それ故に思い出したそれを片すために戻るとの事のようだ。そんな事に対して、覚えておられるだろうか、顧問である聡から”たまに”褒められる事もあるとの話もしてきた。それに対しては生返事でだが納得して見せて、心の中では、何か機会があった時に聡に直接聞いてみようと思うのだった。
「なら私も一緒に行くよ。マネージャーの仕事があるのを、思い出したし」との事で、千華も一緒に行ってしまった。
そんな二人の姿を適当に見送り、「私たちも行こうか?」と裕美に声をかけると「うん」と心なしか元気なく返すのだった。
それから私たちは連れ立って歩いていたのだが、変わらずに何だか元気なく、ここに心あらずといった調子なので、少し心配した私は無理に色々と話を振ってみた。だが、一応反応は示してくれるのだが、どこか上の空だった。
いっそのこと思い切ってその理由を聞いてみようとも思ったが、今までに見た事のない裕美の様子に気圧されてしまったか、結局なにも聞けずじまいだった。
と、例の公園のそばに差し掛かろうとしたその時、不意に裕美が足を止めた。公園の入り口の真横だ。
私は少し前に進んでいたので、振り返り「裕美?」と声をかけた。
声をかけられても数秒間ジッと公園内に視線を向けていたが、そのままの体勢で「…琴音?」と静かに口を開いた。
「…ちょっと時間を貰えるかな?」
と言うと、ここで不意に私に顔を向けた。その顔には静かな、しかしさっきまでとは違って若干微笑みを浮かべつつ続けた。
「話したい事が…あるんだけれど」
「…」
その口調からは、並並ならぬ真剣味が感じられて、また今までの付き合いの中では見えなかった新たな一面を見せられたからか、ヒロ達に遭遇してからのアレコレも思い出されて、それ故にすぐには返せなかったが、それでも直後には答え自体は決まっていた。
私もなるべく合わせるように微笑みを浮かべながら応えた。
「…えぇ、もちろん…良いよ」
「…ありがとう」
裕美は一度ニコッと笑いつつ言うと、スッと前触れもなく公園内に入って行った。私もその後に続いた。
これまたすっかり定位置になった、二つあるうちのベンチの一つに並んで腰掛けた。
この時期にこの公園内に来ると、ついつい毎度の様に小学生時代のあの日を思い出す。あの日というのは勿論、そう、私と裕美がお互いに下の名前を呼び捨てあい始めた日だ。無理を言って、初めて裕美の大会を応援に観に行った帰りだ。
今日もあの日と変わらずに、ふと上を見上げると、私達の座るベンチの後ろに植わっている桜の木の枝が、頭上で所狭しと絡み合うように繁っていた。もう葉はほどんで落ちてしまっていたが、それでもやはり空が見え難い程であった。
座り位置から見て斜め数メートル先の一つ限りの外灯が、チカチカと時折点滅しつつ、頼りない淡い光を灯し、公園内に薄明かりを提供していた。
座ってから裕美はすぐには口を開かなかった。ただいつものように上を見上げたりしていたので、私も同じく黙りつつ上を見上げていた。
どれほどそうしていただろう、不意にクスッと笑ったかと思うと、裕美は顎を引き、私に顔を向けて口を開いた。
「…しっかし、アレだねぇー」
「…アレ?」
と私も元に戻して顔を向けると、裕美はニコッと一度笑い、そして続けた。
「うん、ただ単に今日も又聞きだったけれど、アンタの叔父さん…改めて変わってるなぁって」
薄明かりの中、そう言う裕美の表情は普段通りに見えた。
「それで今日ふと…いや、アンタからたまに義一さんだっけ?叔父さんの話を聞くたびに思ってたけれど…」
とここで裕美は悪戯っぽく目を瞑るようにして笑って言った。
「アンタのその変人具合って…その叔父さんにそっくりなんだね」
「…え?」
と私は思わず声を漏らしたが、これは別に何かショックを受けてそうしたのではなく、ただ単純に、何で急に義一の話をし出したのか、その意図を汲み取れないがゆえだった。妙に聞こえるかも知れないが、私と義一がそっくりと言われた事については、素直に嬉しかったと言っておこう。
そう漏らした私をほっといて、裕美はまた淡い笑みを浮かべつつ続けた。
「本当はこう言っちゃあ悪いんだろうけれど、まぁ琴音、アンタなら誤解なく受け止めてくれると信じてるから言えば、私…正直ね、不思議だったんだ。まぁ普通の家庭よりかは裕福って点では違うだろうけれど、それでもアンタの母さん、それにまだ一、二回くらいしか会ったことないけれどアンタの父さん…二人とも、とても”普通”の人でしょ?…ふふ、これは初めて言うかもだけれど、正直初めてアンタの母さんと喋った時ね、少し肩透かしだったんだ。だって…アンタがこれだけ変わってて、それでいて、またそれ故に面白い子だからさ、よっぽどアンタの親からして同じくらい変わってて面白い人なんだと思ってたんだもん。…ふふ、これが別に悪口じゃないってことは、アンタなら分かってくれるよね?」
「えぇ」
突然何だか身の内を話されて、少し面を食らっていたのだが、それでも裏のない裕美の素直な心内を聞かされて、それ程に信頼を寄せてくれているというのが暗に感じさせられて、私も嬉しく楽しく面白く聞かせて貰っていた。
私が微笑みつつそう返すと、裕美は満足げに一度コクっと頷き、今度は若干ニヤケ面を浮かべながら話を続けた。
「でね、ずっと不思議だったんだけれど…うん、一つその原因の一つが分かったんだ。恐らく琴音、アンタは元からなんだろうけれど、その個性を失わずに今まで来れた理由というのが…その叔父さん、義一さんがそばに居たからじゃないかってね?」
「…」
すぐには返せなかった。何せ、余りにも裕美の言うことが正鵠を射ていたからだ。そう、間違いなく裕美の言う通りだと思う。義一と付き合いがないまま、小学五年生の夏に義一と再会出来ていなかったら、本音の部分ではそう変わらないとは思うけれど、それでも表面上はもっと上手く、裕美の言うところの”変わった部分”は持ち前の演技力で誤魔化し誤魔化し生きていただろうと思う。
…何で裕美の話を聞くという理由で公園内に座ったというのに、こんな話をしているのか疑問に思わぬじゃなかったが、それでもそのまま裕美の話に素直に乗っかった。
「…えぇ、そうかも知れない…っていうか、ズバリそうね」
「…ふふ」
裕美はそう微笑みをこぼすと、今度は突然「んー」と大きくその場で座ったまま伸びをしつつ言った。
「何で急にこんな話をしたのか、アンタのことだから不思議に思ったでしょ?…アンタは”なんでちゃん”だからね?…ふふ。アンタ覚えてるでしょ?あの花火大会の後、あの時来てた叔父さんについて、内緒にしてって頼んできた事」
「えぇ…」
と私が返すと、裕美はまた行儀よく座り直し、そしてまた柔和な笑みを浮かべつつ、しかしどこか恥じらいつつも続けた。
「あの時もアンタに言ったと思うけれど…そんな大事な話を私なんかにしてくれて、そのー…とても嬉しかったのよ。…うん。でも、その後で言ったと思うけれど、まだアンタは私に話しきれなかった点はボヤかしてたよね?自分でもそう言ってたし。…ふふ、でもさ、今日のことも含めて、『アンタが何で自分の両親に隠れて、叔父さんという近い親戚に会うのに、コソコソとしなくちゃいけないのか?』っての理由が何だか、ハッキリとじゃないけれど分かった気がするの…どう?」
「…」
この問いかけに対して、私は何も言わずに、肯定とも否定とも取れるような曖昧模糊とした微笑みを浮かべて見せた。
しかしキチンと裕美は察してくれたようで、「まぁ、いいわ」と明るく笑いながら言った。それ以上その微笑みの意味について言及してくることは無かった。
と、ここでまた裕美は表情を落ち着けると、声のトーンも落とし気味に言った。
「でさ、その時に…んーん、その前、小学校の卒業式の後に会話したの覚えてる?…お互いに、身も心も大人になったら、まだその時に話せなかった事を言い合おうって約束したの…」
「…もちろん」
当然、忘れる訳がなかった。裕美との間で交わした約束の中で、圧倒的に一番大事で重要な類だったのだから。
私が意思を示すが為に、若干語気を強く返すと、裕美は一瞬ニコッと笑ってから続けた。
「うん…。でさ、今も触れたけれど…琴音、アンタはそれでも何だかんだ私に、色々と胸の内やら何やら…叔父さんの事とか、色々と話してくれたでしょ?」
「…」
「その度に、そんな約束を交わした一方の私としては、そう話してくれた事について、んー…アンタと違って、私には”恥じらい”というものがあるから言いにくいんだけれど…」
「何よー」
と私は膨れて見せたが、それでも話を途切らせまいと、ほどほどのところで留めた。裕美は続けた。
「…ふふ。うん…そう、やっぱりそう話してくれて嬉しかったは嬉しかったのよ?…うん。ただ一方的に話された事に対して、今文句を言いたいんじゃないの。…ただね、そう話されるたびにさ、ここまで私に対して信頼を置いてくれてて、それで色々と話してくれてるというのに、私は何一つとして今だに話せてなかったなぁ…って、普段から思っていたの」
「…」
今だに、裕美が何故私を公園に誘い入れた理由が見えなかったが、それは別にして、久しぶりに裕美の口から”恥ずい”話をして貰って、これはこれで不満はなかった。満足だった。
「でもね…」
とこれまで私に顔を向けつつ話していた裕美は、ふとため息交じりに言ったかと思うと、不意に正面を向き、目の前数メートル先にあるベンチを眺めつつ、少し疲れ気味にも取れるような口調で続けた。
「そんな勇気のない意気地無しな私でも、とうとうそんな呑気な態度を取っていられなくなってきたのよ」
「…?どういう…こと?」
と私は聞き返したが、裕美はこちらに振り向かず、そのまま顔を正面にしたまま続けた。
「まぁ…事態が急速に変化していってて、このままではどんどんライバルに出し抜かれて、終いには取られちゃうって結末になるんじゃないかって心配なのよ」
「…ん?イマイチ話が見えないんだけれど…?」
と私がそろそろ焦れったくなってきて、口調もそれを隠さないままに言うと、ここで裕美はやっと顔を私に戻し、そして若干表情を笑みに近いような緩め具合で言った。
「あのさ…琴音?」
「なに?」
「…今日、さっき会った、そのー…ヒロ君と千華ちゃん…さぁ」
「え、えぇ…あの二人がどうかしたの?」
ここにきて突然、ヒロと千華が出ていたので、少し驚きつつ聞き返すと、裕美は少し表情を曇らせて言った。
「うん…琴音はそのー…あの二人を見て…どう思う?」
「え?ど、どうって聞かれても…」
まぁそう聞かれたので、私は馬鹿正直にさっきの駅前での事を思い出して見た。
「んー…まぁ、仲良さげには見えるかな?…若干、いや、かなり千華ちゃん…だっけ?千華ちゃんのスキンシップ過剰には驚いたし、そのー…引いたけれど」
もう少しオブラートに包んで言おうと思ったが、だがこれ以外に言いようがなかったので、素直にそう言った。
すると突然裕美は勢いよく体を捻って、「だよね!」と言いながら、私に上体ごと正面に向けて、両手はベンチの座面について、私の方にグイッと近寄ってきた。
「え、えぇ」
あまりの裕美の突然の変貌ぶりに心底驚いて、タジタジながら同意だけしておいた。
そんな私のことは他所に、先程までとは打って変わって、妙にハキハキとした口調で、興奮を抑えられないといった様子のまま言った。
「千華ったらね、さっきも話でポロっと出ていたけれど、アレは普段かららしいの」
「アレ?」
と私が聞き返すと、裕美はここでやれやれと首を横に振ってから、苦笑交じりに言った。
「アンタも自分で言ってたでしょ?あのスキンシップよ!自分の身体をくっつけるような」
「あ、あぁ…」
と、私が間に合わせの相槌を打つと、裕美は「もーう」とまた苦笑いを浮かべつつそう漏らした。
繰り返しになるが、この変貌ぶりには驚いたが、それはただ普段通りに戻ったとも言える訳で、なんだかんだでホッとしていた。さっきから”千華ちゃん”じゃなく”千華”と呼び捨てにしてるのにも気づかない程に。
「こないだ文化祭に、アンタと私が誘った友達みんなにも話を聞いたんだけど、そうらしいんだよぉー。千華本人は冗談って言ってたけど、やっぱり周りは多かれ少なかれ引いてはいるみたい」
「ふ、ふーん…」
と一応また相槌を打ったが、正直言ってそれ程面白い話じゃないし、興味もそんなに無かったので、ここで初めて裕美が千華を呼び捨てにしてるのに気付いたのだった。
「…ん?てかさ、今千華ちゃんの事を呼び捨てで話してたよね?」
「え?う、うん」
とここで勢いを急に止められたせいか、見るからに不完全燃焼な様子で、キョトンとしつつもそう返してきた。
私は構わず続けた。
「裕美、あなた…実は前々から、千華ちゃんのこと知ってたの?」
「…」
そう、私たちの小学生時代の事を覚えておいでだったら分かると思うが、裕美は初対面の人に対して、こうして本人のいない場合ですら呼び捨てにすることは無かった。もちろんそれ以降は、相手によるが徐々に呼び捨てになるのが常だったが、繰り返すが初対面でというのは初見えだった。だから違和感を覚えたのだ。
それを聞かれた裕美は、その直後にはまだキョトン顔を崩さなかったが、ふと途端に「あははは!」と明るく笑ったかと思うと、その明るい笑みのまま私に、さも感心した風で言った。
「なるほどなぁー。すぐそこに気付くとは、流石琴音ってところかな?」
「…バカにしてるのー?」
と私がわざとらしくジト目を向けると、「あははは、褒めてる褒めてる!」と返すのだった。
しばらく一人で笑っていたが、ふと今度は照れ笑い気味の苦笑を浮かべると言った。
「まぁそこまで察せられちゃったら仕方ない…。うん、白状するとね、実は…うん、知ってたよ」
「へぇー」
と私はここにきてようやく、この今だに何の目的と意味があって続いているのか分からない会話に対して、初めて興味が湧いてきた。と同時に疑問も。
「そうなんだ…って、あれ?おかしくない?だってあなた達、さっき自己紹介をし合ってたじゃないの?…あ、そうか」
と私は一人でブツブツ言いながら、ふと一つの考えが浮かんだので、それを言ってみることにした。
「あれか、文化祭で知り合ったって、その意味?」
それを聞いた裕美は、何だか記憶を手繰るような様子を見せていたが、「…ぷ」と一度小さく吹き出すと、若干口元を緩めつつ返した。
「いやいや、違うよ。もっと前…うん、だいぶ前から知ってたよ。聞いてくれる?」
もうかれこれこの公園に入って、ベンチに座り会話を始めてからどれほど経ったのだろう。十一月の夕方…夕方と言っても、もう日も落ちて辺りは真っ暗になっており、木々に囲まれてるとはいえ時折それでも冬の気配を含んだ風が通り過ぎていた。当然寒く感じるのが普通の筈なのだが、この時の私、そしておそらく裕美も、夢中のあまりに感じないのだった。
「えぇ」と私が間をおく事無く返すと、裕美はまた正面に顔を向け、気持ち顎を上げて中空に向かって話すように言った。
「あの文化祭の時に自己紹介しあってさ、その流れで、千華が私達とは違う小学校に通ってたって話をしたのは覚えてる?そう、千華は別だった訳だけれどね、それでもある事がきっかけで、私と千華の繋がりが出来たの。それはね…」
裕美はここで一度区切り溜めて見せてから言った。
「ヒロ君が大きく関係しているの」
「…え?ヒロが?」
「うん…。というのもね、実は私と千華が知り合う事になった場所というのが、ヒロ君の所属してる野球クラブの試合、それを観戦して応援していた場でだったの」
「へぇー」
ヒロが絡んでくるのも意外だったが、私の知らないところで、そんな繋がりが出来てることにも驚いていた。まぁでも、私が知らなくて当然だった。
何せ、裕美に誘われるまでは一度たりともヒロの試合を観に行った事が無かったからだ。
「ヒロ君が打席に立った時とかにさ、私は当然『森田くーん!頑張ってー!』ってな具合に声援を送ってたんだけど、ふと私と同じように送ってた女の子がいるのに気付いたの。それが…千華だったんだ」
「へぇ…」
と相変わらずのボキャブラリーの無いリアクションをしていたが、それでも裕美は慣れっこなので、構わず先を続けた。
「何度か鉢合わせになるとね、その内時々会話をするようになって、それから自己紹介をし合ったりしたんだ。それでね、直接ではないけど何となしに聞いてみたんだ。『何でヒロ君…まぁ当時はまだ森田君って呼んでたけど、ヒロ君を応援してるの?』ってね。だって何度も言ってるけど、学校違うし、それだと中々知りようが無いじゃない?他校の生徒の事なんて。そしたらまぁ千華が言うにはね、友達の友達…って何だかややこしいけど、その男の子がヒロ君のチームメイトだったらしいの。それで友達に何気なく観に行こうよって誘われて、初めは乗り気じゃなかったらしいんだけど、それでも行ってみたら、なんかヒロ君がグランドでガムシャラにやってるのが目に入ったんだって。一際目立っていたらしく…って、それは千華に言われるまでもなく私も知ってるけれど、まぁそれからは、ヒロの応援に行くようになった…そういう話らしいわ」
「へぇー…奇特な人もいるものねぇ」
と私は感心して見せて、それから裕美に笑みを浮かべつつ言った。
「裕美は自分の水泳の試合を応援に来てくれてたって理由で、そのお返しの意味を込めて行ってたっていうのは理解が出来るけれど、千華ちゃん、あの子は何の借りもないのに応援に行ってたって事だものね?」
と、私は冗談ぽく言ったのだが、それを聞いた直後の裕美の顔を見て驚いた。半分は呆れたといった感じだったが、もう半分がどこか哀しげな笑みだったからだ。
思わず『裕美?』と声を掛けたくなるほどだったが、裕美はすぐに苦笑を浮かべると、そのまま話を続けた。
「…まぁとりあえずね、そんな訳だったから、あの子…千華ったら、私のことを知らない筈がないのに、ああやって初対面ぶるんだからなぁー。因みにヒロ君は千華の事を知らなかったはずよ?だって、試合後は私はいつも真っ先に駆け寄ったけれど、千華は遠くから眺めているのみだったもん」
「へ、へぇ」
最後に何だか気持ち誇らしげに言うのも軽く引っかかったが、それよりも、根本的な疑問がまだ解消されていなかったので、それを聞いてみる事にした。
「…っていうかさ、じゃあそもそも何で千華ちゃんは、今日みたいに初対面ぶったんだろうね?」
そう聞くと、裕美はまた座りながら大きく伸びをしつつ「さぁねー?」と言った。
「さぁねーって、あなたも分からないんだ」
と少し不満げに返すと、
「そりゃあね、だって…冗談と称しつつも、ああやってスキンシップを恥ずかしげもなくするような子だもん」
と悪戯っぽく笑いながら言った。
それに対して私も同様に返そうと思ったが、ふとここで裕美は体勢を戻すと、先程までのような静かな笑みを浮かべつつボソッと言った。
「まぁでも…どんな感情から来るのかは、分かるなぁ…」
「え?それは何で?」
と私が聞くと、裕美はふと片足をベンチの上に置き、膝を抱え込むようにして、その上に顔を乗せて私に向きつつ、どこか寂しげな笑みを浮かべながら言った。
「だって…私と同じなんだもん」
「…え?…裕美と…同じ?」
と私がまた訳がわからないと言った様子を見せると、ほんの数秒ほど裕美は静かな視線をこちらに向けてきていたが、ふぅ…っと一度ため息をついたかと思うと、次の瞬間には呆れ笑いを浮かべつつ言った。
「…はぁ、見た目はお姫様で乙女チックだというのに、肝心の乙女心はサッパリなんだからなぁ…察して貰おうというのは無理な話か」
「…ちょっとー、こんな時にまでお姫様呼びはやめ…って、え?…乙女…心?」
いつもの癖というか、癖にさせられたというか、瞬間的にツッコミを入れようとしたその時、その習慣癖をも止めるほどのインパクトがあった単語だった。
そんな私の様子を見て、ますます呆れ具合を強める裕美は、「そう、乙女心よ」と言ったが、途端にここで口をつぐむと、何だか少し苦しげな表情を浮かべて、何やら逡巡して見せた。
何か話しかけようとも思ったが、ここは我慢のしどころと、私は黙って続きを待った。
どれほど経ったか、まぁ言っても十秒も無かっただろうが、ふと裕美は、これまた今までに見たことのない程までの照れ笑いを浮かべて見せつつ、そして如何にも重たげな口をゆっくりと開いて話し始めた。
「そのー…ね?ここでようやく、琴音、アンタに今まで話せなかった事の一つ…いや、アンタのと同じで連動してるから細かく言えば違うけど…っていやそんな話じゃなくて、うーん…琴音、笑わないで聞いてくれる?」
「…」
そう聞かれた時、ふと小学生時代を思い出した。そう、裕美が初めて自分の将来の夢、医者になりたいという夢を語った時のことだ。
私は思わず思い出し笑いをしそうになるのを堪えつつ、表面上は静かなまま「えぇ、もちろんよ」と返した。
そう返しても、まだどこか照れ臭さは抜けていなかったが、もう開き直ったのか、そのまま続けた。
「ありがとう…。そのー…ね、ヒロ君…さ、…いるー…でしょ?」
「え、えぇ…」
笑わないでと釘を刺したのだから、これが冗談じゃないことくらいの事は私でも分かった。それでも何か言わずにおれなかった私は、ただ単純に「いる…わね」と頭悪そうな相槌を打っといた。
裕美はそんな私の言葉が耳に入っていない様子だったが、ふと力強く意を決したように私の顔を直視し、それから静かに、しかしどこか意志の強さを感じさせるようなトーンで言った。
「私ね、じ、実は…む、昔…そう、小学生の、頃…からね?ヒ、ヒロ君の、そのー…事が…」
とここで裕美は言葉を止めたが、一瞬全身に力を入れたかと思うと、それとは裏腹に弱々しげな声でやっとといった調子で続けた。
「…好きなの。そしてそれは…変わらずに今も」
「…」
あまりの突然の”告白”に、おそらく言い終えた裕美もそうなのだろうと想像出来たが、それを受けた私の方でも頭が真っ白になった。
それでも口からは、意識しないままに「…へ?」と意味の無い声だけを漏らした。
裕美の方ではいつの間にか自分の腿あたりに視線を落として俯いて黙っていた。
私の頭も混乱したままだったが、それでも何とか過ぎった単語をボソッと投げかけてみた。
「それって…も、もちろん…友達、として…では、無いー…よね?」
「…」
裕美は俯きつつ黙ったままだったが、それでも小さくコクっと頷いた。
「そ、そっかー…」
と私はやっとの思いで口から漏らすと、それからは私も一緒になってしばらく黙ったままでいた。
何せこういう時、どんな言葉を掛ければいいのか、何一つとしてストックを持っていなかったからだ。しかも私の知らない人ならいざ知らず、私の知る人…いや、そんな言い方では生ぬるい程に、お互いに良いところも欠点も知る尽くしていると思われるような、ヒロという男子、それが相手となると、こちらとしても色んな想いが嵐のように胸の中を渦巻いて、その中から適切な言葉を抜き出すのは至難の技だった。
…これまで長々と私の話を聞いてくれた人からすれば、今更感もあるだろう。裕美がヒロに対して、並並ならぬ想いを募っているというのは、その一挙一動から推察するのは容易に見えるからだ。しかし、ここで言い訳をさせて頂きたい。意識的には無くても、この手のことに疎い私でも流石に無意識のレベルでは何となくは分かっていたと思う。だが、私の中にあるヒロ、私が勝手に作り上げた、長年に渡る付き合いで構築された”ヒロ像”には、いわゆる恋愛話が生まれる、もしくは絡むようになる様な、そんな要素があろうとは、露ほどにも思わなかったし、想像だに出来ない事だったのだ。まぁ有り体に言えば、ヒロに恋愛話をからめまいと、先ほど軽く触れた無意識の部分で、考え自体を遮断していたのだろう。その遮断していた理由自体は今だに謎ではあるのだが。
まぁこんなキリのない自己分析はこの辺りで留めておいて、話を続けよう。
しばらく沈黙が流れていたが、とうとう私の方が我慢が出来なくなり、辿々しくも話しかけた。
「そのー…さ、因みに…ヒロのどこに惹かれたの?」
「…え?」
と私の言葉に反応して、裕美はようやく上体を起こした。その顔には極度の疲労度が浮かんでいた。それほどまでに、裕美からしたら覚悟のいる”告白”だったのだろう。
裕美はしばらく私の顔を眺めていたが、この時私が努めて微笑みを浮かべていたのが功を奏したか、裕美は力無げではあったが微量の笑みを浮かべつつ、消え入りそうな音量で答えた。
「そ、そうだなぁ…ま、まぁまずあの明るい性格でしょ?それと…」とここで何か言いかけたところで裕美は突然話を止めた。
そしてゆっくりとカブリを振ると、ふっと力のほどよく抜けた微笑を湛えつつ、しかしまだ何処かに照れを忍ばせながら言った。
「…んーん、こんな細かいところなんかじゃない。えぇっと…前にどこかで言わなかったっけ?…私の理想的なタイプは?って話」
「えぇ、確かあれは…ふふ、絵里さんの所にあなたと二人では初めて行った時に出た話よね?」
と私が答えると、裕美はここで一瞬意地悪げな笑みを浮かべて「アンタがロクに恋話も出来ないくせに、その手の話題を振ったからね?」と返してきた。
「まぁね…」と私はそれには返す言葉もなく、バツが悪そうに苦笑を浮かべて漏らすのみだった。
だが心の内としては、あの時の裕美と絵里がアタフタとしていた姿を思い出してたりして、その苦笑には思い出し笑いも含まれていたのだった。
裕美はそんな私の様子にただ黙ってニコッと一度笑うと、また元の顔に戻って言った。
「その時にも言ったと思うけれど、繰り返し言えばね?私の好きなタイプというのは、これは別に男の子に限った話でもないんだけれど…そう、私自身がどんな状態であっても、どんな境遇下にあっても、一切今までの態度を変える事なく私に接してくれる…そんな人が私の理想、そんなことを話したと思うけれど…うん、私にとってのソレが…ヒロ君だったの」
「…」
「琴音、アンタのその歯に衣着せぬというのか、全て本気で来るような態度に思わず絆されて話しちゃった事あったよね?そう、私が初めて都大会で優勝した時、朝礼で表彰されたりと目立ったりなんかして、それ以降、急にクラスメイトやら何からが私の周りを取り巻くようになって、まぁ…結構チヤホヤされてたって。その直後には良く言われてたのよ。『次の大会とかってあるの?あるのなら何があっても絶対に応援に行くからね!』ってね。その時私もついつい嬉しくなって『うん、ありがとう!』って返してた。でも…そのうちに段々と周りの人間は、自分たちがそう言ったのを忘れたみたいに、一切水泳の事には触れなくなった。まぁ…私から話を振らなかったというのもあるけどね?でも…私が勝手なのかも知れないけど、相変わらずに私の周りには多くのクラスメイトがいたけれど、でもそんな周囲の態度が変容していったように見えて、そのー…とても気持ち悪く思っちゃってたの」
「…」
なるほど…初めて私が水泳の大会を応援に行っていいかを聞いた時、最初に渋って見せてたのは、ただ恥ずかしいだけじゃなくて、こんな想いがあったからなんだなぁ…
と私はここまで聞きながら改めて一人納得していた。
「その態度の変容の具体的な例で言えば、そう、次にあった別の水泳の大会の時。私はその時久しぶりに周りにその事を伝えてみたの。『後何週間後には水泳の大会があるんだー』ってな具合に、ちょっとした雑談形式でね。…別にその時には”応援来てくれない?”みたいな恥ずい事は言わないで、ただその反応を見てたんだけど…」
とここで裕美は自嘲気味に笑いつつ続けた。
「ふふ…思った通りというか何というか、皆大体おんなじ様な素っ気ない反応を返してきたの。『あ、ゴメン。その日は用事が…』だとか、そんな類のね。まぁこれまた私の勝手なんだろうけれど、『何があっても絶対に…』って言ってくれたのに来てくれないんだなぁ…って思って、少し…うん、寂しい気分になったのは本当。でもね、そんなある日にさ」
とここで今まで少し表情に影を差していた裕美は、ここで途端に明るみを全面に打ち出しつつ、しみじみと感慨深げに晴れやかに続けた。
「『おい、高遠?』って急に話しかけられたの。それが…ヒロ君だった。『何?』って私は少し素っ気なく返したの。だって…普段周囲にいるみんなの中にはいなかったし、だからその当時はそんなに会話をしたことが無かったから、少しオチていた事もあって、意外な人物に話しかけられたってんで身構えちゃったの。まぁそれは置いといて、私がそう聞き返すとね?…ふふ、ヒロ君ったら、何だか言いづらそうにしながら、照れ臭そうに頭を掻きつつ突然前置きもなく聞いてきたの。『お前さぁ…今度大会があるんだろ?』『う、うん…』私はいきなり大会の話を振られたから、何の意味か分からずにただ取りあえず肯定したの。そしたらヒロ君…ふふ、何故か急に胸を張るようにしながらね、こう言い放ったんだ…。『今度応援に行かせてくれよ?前にほら…約束したじゃんか?』」
「…え?それって…」
と瞬時に矛盾点に気づいた私はすかさず突っ込もうとしたが、裕美の苦笑いに押しとどめられた。
「んー…ふふ、うん、そう。大会で優勝した後で色々と話かけられた中に、ヒロ君もいたみたい…。…うん、あまり自分では認めたくないけれど、まぁ急に周りにチヤホヤされるようになって、舞い上がってたんだねぇ。だからそのー…一々一人一人を見ていなかったってことかな…。ふふ、そう考えると、なかなかに私自身もヒドイ奴だね?…でね、当時の私はすっかり驚いてしまって、そのー…ふふ、うん、アンタに初めて応援に行きたいって言われた時と同じように、最初は何度も断ったんだ。…本当は嬉しかったくせにね?でも、それでもヒロ君は引かなかった。『約束したじゃねぇかよー』の一点張りでさ?」
そう言う裕美の顔は、本当に楽しげで、歓びが満ちてるようだった。
「まぁそんな訳だったけど、でもその嬉しさを前に出すのも恥ずかったから、『もーう…じゃあ、まぁ…いいよ?』って少しつっけんどんに返したの。そしたらさ、ヒロ君てば…大袈裟にガッツポーズなんかしちゃってさ?見ているこっちが恥ずかしかったけれど、そのー…うん、ヒロ君のこと、私って実は好きなんじゃないかって自覚し始めたのはもっと後になってから…この時とはまた違う次の大会に観に来てくれて、私の成績に対して、まるで自分の事のように喜んでくれた、その時だったけれど…うん、実はもうこの『応援に行く』って言ってくれた、この頃から…自分でも気づかないところで、すでに好きになり始めていたのかも知れない…って」
とここまで話した裕美は、不意に照れ臭げに笑みを漏らしながら言った。
「どんなところが好きなのか聞かれただけなのに、何だか余計なことまで喋っちゃったね?」
私はそれを聞いて、ゆっくりと首を横に振って「んーん」とだけ返した。
実際、裕美からここまで本音を聞いたのは久しぶりだったと言うのもあって、言い方が適切かどうか怪しいが、とても興味深くて面白がっていた。
私の反応を見ると、「ふふ」と一度また照れ笑いを浮かべた後で、ここでまた不意に今度はとても自然でしおらしい、静かな微笑を浮かべつつ、私の目をまっすぐ見てきながら言った。
「…琴音、…今日が初めてって訳じゃないけれど、そのー…私のこんな恥ずい、真面目な話を最後まで真剣に聞いてくれて、そのー…ありがとう、ね?」
「…」
私はこんな時、どう返すのが一番ベストなのか、元来頭でっかちな性分ゆえに、ついつい思考を巡らせてしまっていたが、フッと一度笑みをこぼしてから返した。
「…ふふ、当然のことをしたまでよ。…親友としてね?」
この”親友”と言う言葉を吐いたその時、頭にあったのは師匠と京子のことだった。
…ただ、今回はうまく無かったらしく、裕美は目を大きく見開いた後で、顔面いっぱいに苦笑いを浮かべつつ「もーう」と言った。
「相変わらずそんな恥ずいセリフを臆面もなく言うんだからぁー。聞いてるこっちの身にもなってよー…でもさ」
とここでまたスッと表情を落ち着けると、目を細めて微笑みつつ言った。
「…琴音、本当にありがとうね」
これに対して、私が返す言葉は一つしかない。
「…ふふ、どういたしまして」
それから二人で一瞬真顔で顔を見合わせた後、どちらからともなく、初めはクスクスと小さく、それからは徐々に大きく、最終的には明るく笑い合ったのだった。
そんな夜も七時になった、寒風の時折吹く十一月、晩秋の公園だった。
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