第8話 コンクール(終)前編

「…ってことで、いよいよ明日ね?」

「えぇ…」

「…ふふ、声から既に緊張が見えるよ?…大丈夫だって!何の心配も要らないんだから、普段通りにね?」

「えぇ…それは分かっているわ」

「そう?なら良かった。じゃあまた明日ね?お休みー」

「えぇ、お休み」

ツーツー

私から切る前に、裕美が先に切った。私たちが二人電話をすると、大概こうなる。

今は夜の十時を過ぎた辺り。既に寝る準備は済ませ、自室に入り、ふと寝ようとした所に裕美から電話があった。

九時半ごろに来たはずだから…約三十分ほど会話をした事になる。

私はベッドの上に座り、大きめの低反発クッションを抱きしめつつ、その体勢でずっと電話をしていた。

何故裕美が電話をして来たのかというと、それは…明日遊ぶ予定なのを確認する為だった。そこには他にも、律、藤花、紫も来る予定だ。明日からは所謂お盆休み。大抵の大人たちもこの時期に少しばかりお休みを取る時期だ。まぁそれと私たち学生とは関係が無いが、そんな時期に久し振りに皆で集まる予定が組めたのだ。

…察しの良い方なら、何をそんなに先延ばしにして話しているんだと思われただろう。裕美の電話の意味を言うのに躊躇気味な点を突いて。

…その推理はズバリ当たっている。そう、明日は私にとってだが、ただ単に遊ぶだけでは無いのだ。

覚えておられるだろうか、裕美との約束を…?

そう、『もしコンクールで決勝まで進出出来たら、今度は私だけではなく、紫たちにもキチンと話すこと』というアレだ。

私の予想に反して、初出場にして何の因果か、全国大会にまで歩を進める事になったので、この約束を果たさなければならない。

勿論、ここまで来れたこと自体は喜ばしい限りなのだが、今まで黙っていた分、明日あの子たちにこの事を話す事を思うと、胃に何か重石が入れられたような気分になるのだった。

私のウジウジと考えすぎる性格上、話した後で、今まで黙っていた事でアレコレと非難されたらどうしようとか、その時はどう弁解しようかなどと思い巡らし、そして今裕美との電話の時も、その事について軽く相談したりしたのだが、裕美はそんな私の心配を他所に、底抜けに笑いながら「気にせず、ドンと行こう!」といった調子で言うのだった。まぁ、そんな能天気な裕美の話ぶりで、今こうして電話を切った後も、そんなに気分が重くは無いのは感謝すべきだろう。

私は夏用の薄めの布団に潜り込もうとしたが、またふと思いついて起き上がり、ベッドからも出て、明日の準備を済ませた遊ぶ用のカバンの乗る机まで近づき、そしてそのカバンの中から一冊の雑誌を取り出して、それを持ったままベッドに戻った。

そして先ほど裕美と電話をした時のように、ベッドボードを背にして座り、そしてパラパラとページをめくった。この雑誌には私自身が付けた目印用のシールが貼られており、今もその部分を開いて見た。そこには見開きに大きく、ドレスアップした私がデカデカと写っており、ピアノを弾いているのと、大きく客席に向かってお辞儀をしている写真だった。

これは当然説明するべきだろう。これは先週に届いた、コンクール主催元が出している月刊紙だった。私は、こういうのが存在しているのを全く知らなかった。私は本屋を用事もないのに見て回るのが好きなタチなのだが、いわゆる雑誌コーナーでこの雑誌を見かけた事が無かったのだ。これが家のポストに入っていたのを見つけて驚き、早速その中身を見てみたら尚更驚いた。

こんな事を言っては何だが、”オーソドックス”よりも遥かにしっかりと”雑誌然”としていたコレをペラペラ捲ると、あるページから”コンクール特集”というものが組まれていて、何とそこのトップページに私が載っていたのだ。私は思わず自分でも分かる程に目を大きく見開いた。そして動揺したまま私の写真と共に載っている、誰が書いたか知らない文章を読んでいった。色々書いてあったが、要は私に対しての賞賛の記事だった。読んでいて、こそばゆいというか、私の性格をご存知ならば予想がつくだろう…そう、終始一人で苦笑しっぱなしで記事を読んだのだった。

すっかり面を食らった私はその後、次のレッスン時にこれを携えて行くと、師匠自身もコレの存在を忘れていたらしかった。まぁそれなら私自身が知らなくても仕方ない。

それでレッスンの中休みに、お菓子を食べてから師匠の書斎のパソコンで見てみると、『決勝進出者は、私たちが刊行している雑誌に特集される事があります』と、なかなかデカデカと分かりやすい形で説明文が載ってあった。この時まで正直、勝手にこんな風に、言ってはなんだがマイナー雑誌とはいえ、こうして特集を組むなんぞ言語道断だと一人静かに怒っていたのだが、これを見た瞬間一気に怒りは収まっていった。

そしてすぐに一人…いや、師匠と共にお互いの顔を見合わせつつ苦笑いをしたのだった。

これは何度見ても慣れなく、もう何度目になるかと分からなくなるほどだったが、今だに自分の大きな写真を見ると、苦笑いを浮かべずには居れなかった。

何故寝る前に、確認する様にまた見たか?いや、そもそも何故その雑誌が、明日遊びに行く時に持って行くカバンの中に入っていたのか?

…そう、もうお分かりだろう。私のことを説明するのに、これを持って行って見せるのが、一番手っ取り早いと思ったからだ。

…正直本当はこれをあの子たちに見せるのは、考えるだけでも赤面モノなのだが、背に腹は変えられないと、ある種決心して持って行くのだ。ちなみに裕美には、この雑誌が存在している事自体知らせていない。驚かせるつもりはないのだが、言い出せないまま今日になり、結果的にはサプライズになるだろう。

私はため息を吐きつつ雑誌を閉じ、立ち上がり、机の上のカバンに仕舞い、そして戻り、今度こそ布団に入り部屋の電気を消した。

ベッド脇のナイトテーブルに乗せてある、柔らかく仄かな明かりを発する間接照明を点けるのを忘れずに。


次の日の正午、私と裕美は普段通りにマンション前で待ち合わせ、軽く挨拶を交わした後は、そのまま地元の駅に向かった。

今日も太陽が燦々と照り、アスファルトからは陽炎がまるで湯気のようにユラユラ蠢いていた。お盆だからなのか、それとも単純に暑いからなのか、いつもよりも気持ち人が疎らに見えた。

私は普段通りの麦わら帽子をかぶり、後は無地のTシャツとスキニーパンツという格好だったが、正直裕美の格好はよく見ていなかった。取り敢えず私と違って、相変わらずの可愛いお洒落をしていた事は確かだった。帽子はしていなかったと思う。

…正直、この後何を他の三人に話そうかとそればかりに気を取られて、裕美のファッションどころでは無かった。…裕美には悪いけど。そんな私の心中を知ってか知らずか、いや態度で上の空なのが出ていたのだろう、それにも関わらず裕美は果敢に私に色々な話題を振ってきた。まぁ必然と今度の決勝の話に終始した訳だったが、それでも気を楽にしてあげようという気持ちが伝わってきて、実際に裕美と話すだけで気が楽になるのだった。

今日の待ち合わせ場所は、例の新宿御苑脇の喫茶店だった。

学園からは近いのだが、私と裕美の住む場所からは、都内だというのに、一度の乗り換えの時間を含めてだが、五十分もかかる位置にあった。前にも軽く触れたように、一年生の時だけ利用するつもりだったのが、何だか愛着が湧いて、二年生になった今でもそこで、休日でも関係なく、そこで落ち合う率が高かった。次に高いのは、以前にも話した裏原のお店だ。

それはともかく、よくもまぁ五十分もかけて行くものだと呆れる人もおられるだろう。勿論、このグループの中では圧倒的に私たち二人が時間をかけて来る計算になる。確かに改めて所要時間を聞くと遠いなと思うが、それでも私…いや、おそらく裕美も同じ気持ちでいてくれてるだろう、正直こうして二人で待ち合わせの場所に行く時間が、何だか上手くは言えないが、好きな時間だった。

一年生の間もずっと同じ様にはして来たのだが、ご存知の通り、今は裕美とは別のクラスになってしまった関係で、必然と以前と比べてこうして二人で過ごす時間が減ってしまっていた。私自身が忙しくなった理由もその一つだが。それは置いといて、一年生時も二人仲良くお喋りをしていた筈だったが、感覚で言うと、今の方が前よりもお喋りして過ごすのが楽しくなっている気がした。何が違うのかと言われると困るが、何だか同じ楽しいの中に他のプラスな要素が含まれている様な気がするのだ。…あくまで気がするだけなのだが。だがその気がするお陰で、五十分もの道のりが全く苦痛では無いのだった。勿論、休日のお陰で座って行けるというのと、これは流石の私でも言うのは”恥ずい”が…その長い道のりの先に律たちがいると思えば、余計にそんなのは足らぬ問題だと気付かされるのだ。

…毎度の様に、どうでもいい事で時間を割きすぎた様だ。話を戻そう。

その長い道のりの間、会話にひと段落が付いた頃を見計らって、本当は喫茶店で一気に見せるつもりだったのだが、やはりそうもいかないだろうと、話題提供の気持ちもありつつ、おもむろにカバンから例の雑誌を取り出した。「何それ?」と思った通り瞬時に裕美が食いついてきた。顔には好奇心を滲ませている。

私はその質問には答えずに、恥ずかしいのを噛み殺した結果として何も言わないまま、裕美に手渡した。

「何よー?」と少し不満げな声をあげたが、すぐさまページをめくっていった。

…が、昨夜も言った様に、目印のシールを貼っていたので、裕美もそれが重要な箇所だと察したか、すぐ様そのページを開いた。

すると、見る見るうちに目が横から見てても大きくなっていき、それと共に口元がニヤケて行くのが見えた。

そしてギュンッと勢いよく私に顔を向けると、大きく見開いた目をそのまま私に向けてきつつ「何これ…これってアンタよね?」と聞いてくるので、「…えぇ」とやはり改めて確認されると恥ずかしくて、やっとの思いでボソッと返すと次の瞬間、「凄いじゃなーい!」と声を上げながら私に抱きついてきた。私は抱きつかれながら周りを確認した。乗客が疎らなのが幸いした。…いや、そうでも無いか。この車両には十人前後しか乗っていなかったが、それでも何人かはこちらに視線を向けて、半分は何事かと、もう半分は渋い表情を浮かべていた。

それらの視線が痛くて、「ちょ、ちょっと裕美…」と声をかけつつ、少し力任せに裕美を引き離した。流石はスイマー…いや関係してるのかどうか分からないが、取り敢えず引き離すのにも一苦労だった。

「どういう事ー?」

とまだ興奮の冷めやらぬ裕美が聞いてきたので、何だか肩の力がふいに落ち、気を落ち着けて先ほどの様な経緯を端折りつつ説明した。聞き終えた裕美は、腿の上に置いた、私の写真が思いっきり大きく載っている見開きのページに目を落としつつそう呟くと、不意に顔を上げ、そして私に何かを察した様に目を大きく見開きつつ言った。

「…あ、じゃあ、アンタが今日これをわざわざ持って来たのって…”そういう事”ね?」

「…えぇ、まぁね」

と私が答えると、「ふーん…そっか」と一人で、ホッとした様な、もしくは何だか語弊を恐れずに言えば”つまらなそう”なため息交じりにも聞こえたが、この時には何でそんな態度を一瞬見せたのか分からなかった。だが、それに対して強く疑問を持ち、そしてそれに突っ込もうとした時には、既に裕美が話題を変えてきていたので、そのまま流れてしまった。だが、特段それにこだわるつもりも無かった私は、それで良しとして、裕美の話に合わせるのだった。


午後一時少し前。私と裕美は御苑に一番近い地下鉄連絡口に出た。

当たり前の様に燦々と太陽が照っていたが、何だか地元にいる時よりも暑く感じた。まぁ感覚的にそう感じるのも致し方ないのかも知れない。

なんせ地元の駅からここまでは、時間が掛かるとはいえ一度の乗り換えのみで済み、しかも地元を通るこの電車は途中から地下鉄に接続しており、乗り換え時もずっと地下を通って行く訳で、灼熱の地上とは大袈裟に言えば疎遠になっていたのだから。

身体はある程度は冷えていたはずだが、地上に出た次の数瞬後には、至る所で汗が滲んでいくのを感じるのだった。

「あっつーい!」と私と裕美は苦笑気味にお互いに顔を見合わせて声を上げると、少し早足気味に例の喫茶店を目指した。

三分ほど歩くと店の前に着いた。いわゆるチェーン店なので、何も特に描写する所がない。まぁ皆さんが想像するソレで間違い無いと思う。

自動ドアが開き中に入ると、まず鼻腔内がコーヒーの匂いに満たされた。このお店はチェーン店ではあるのだが、コーヒー豆などにかなりこだわりを見せていて、淹れ方もサイフォンを使っているらしかった。いわゆるチェーン店の中ではマイナーなお店なのだが、それ故知る人ぞ知るといった感じがあった。…少し言いにくいのだが、その分このお店は他のと比べて、プラス百円以上値が張る。そのせいなのか、生意気言う様だが客層も少しばかり洗練されていて、前にもちょろっと紹介した様に、店内はいつも落ち着いた雰囲気で満たされていた。…本来学生時分の私たちがたむろするには財布が厳しいはずなのだが、そこはまぁ…私たちみんなの”ご両親”に感謝をしなければならないだろう。私の親も含めて、皆も別に親から何も言われていないらしいから、流石は”お嬢様校”といった所なのだろう。

「いらっしゃいませー…ってあらいらっしゃい!」

と、私たちが入った瞬間、カウンターの中から声を掛けられた。

「あ、今日って里美さんだったんですね!」

と裕美が明るく返すと、それに負けずに女性は「まぁね!」と同じ様に返していた。

「琴音ちゃんもいらっしゃい!」

「お邪魔しますね」

私にも声を掛けてきたので、麦わら帽子を取りつつ、微笑み返した。この女性が、何度か軽く触れた、この喫茶店で私たちに親しくしてくれてるその人だった。

里美さん。私たちはそう呼んでいる。これも私の周りでのありがちなパターンで、下の名前でいつのまにか呼ぶ様になっていた。しっかりと喫茶店の制服の胸元に名字が書かれているはずなのだが、里美さん呼びに慣れてしまってからは、誰一人として名字がなんだったか思い出せずにいた。

現に今こうして話しながら思い出そうと試みたのだが、結局思い出せず仕舞いだ。

見た目もこう言っては何だが、これといった特長の無い、ごく一般的な女子大生って感じなので、何か話すべきことも見つからない。とまぁこう言うと悪口に聞こえるかも知れないが、ある意味で紫にタイプが近く、歳が離れているのにも関わらず、ただOBってだけで親しくしてくれて、でも変に馴れ馴れしく無い、丁度いい距離感を保たせてくる点を、先輩相手に何だが、とても評価をしていた。

「…じゃあ後で持ってってあげるね」

「はい、ありがとうございます」

と私と裕美で返すと、里美さんは一度ニコッと笑顔を見せてから、二階に続く階段を軽く指差し言った。

「もうみんな来てるからね?」


「あ、おーい!こっち、こっち!」

私たちが階段を上がり切るかどうかの所で、遠くから声を掛けられた。見るとその声の主は紫だった。大きく腕を伸ばし、こちらに手を振っている。いつもの窓際のテーブル席だ。視線を逸らすと藤花と律も来ていた。藤花は満面の笑みで紫ほどでは無いにしろ、腕を大きく伸ばしていた。律も気持ち口角を上げて、胸の前でヒラヒラと手を小さく振っていた。大きく腕を伸ばし、こちらに手を振っている。

私と裕美はほぼ同時に手を振り返しながら、テーブルに近づいて行った。

「こらこら紫、声が大きいよ」

と私が苦笑気味にそう返すと、紫はシュンとした表情を作って見せて「はいはい…姫様の仰せのままに」と言いつつ、ゆっくりと腕を降ろした。

「誰が姫じゃ、誰が」

と、すっかり出来上がってしまった一連の”習慣”(これを悪習と言いたい)を済ませると、私、裕美の順に紫側の長椅子に座った。

「それに、仮にそうなら姫に対して”はいはい”って二度続けるのはどうなのよ?それなら”はい”って一度で済ませるものでしょー?」

とまた私が突っ込むと、紫は「はぁ…」とため息をつきながら首を横に大きく振った。

「ホント、このお姫様には、母さんというか、口うるさい小姑までが同居しているんだからねぇ」

「何か言った?」

「なーんも!」

と私がジト目を向けて言ったのにも関わらず、当の紫は悪戯っぽい笑みを浮かべて冗談まじりに返してきた。その瞬間、私以外の四人が同時に笑い合うのを見て、根負けした様に私も一緒に笑うのだった。ここまでもが良くある流れだった。

他の四人はいつ来たのかだとか、今日も暑いねなどといったような話をしていると、里美さんが私と裕美の分の注文した飲み物が運ばれて来た。「ごゆっくりー」と里美さんは座る私たちの顔を見渡しながら言うと、「はーい」と私たちの返す返事を背に受けつつ、スタスタと軽い足取りで階段を降りて行った。

「…おほん、では…」

里美さんの後ろ姿を見送った後、おもむろに紫が手に抹茶のフローズンドリンクを手に持ち声を出した。それを合図に、何も言わずともそれぞれが手に自分の飲み物を持った。

この時点で既に私と裕美以外の皆は注文を済ませていて、テーブルの上に並べていたのだった。

ついでに他の注文は何だったかを話しておこう。

まず藤花。藤花も紫と同じようなフローズンドリンクだったが、種類は抹茶ではなく、ストロベリーだった。上には生クリームが乗っている。何というか、藤花の雰囲気に合っているものだった。まぁ当人は別にキャラとか関係無く、好きなもの、飲みたいものを注文しているだけなのだが。それを言うなら、紫も抹茶が似合っていた。何と言うか…何と無く和風な雰囲気が。

次に律。律はこれまであまり触れてこなかったが、大体においてアイスコーヒーを頼むことが多かった。毎度というわけでは無い。一年生の頃などは、アイスティーと半々だった筈だ。しかし二年生に上がってから、特に私なんかは律と過ごすことが格段に増えたのでよく分かるのだが、何かにつけていつもコーヒーを飲んでいた。私と同じで、渋味が好きらしい。これに触発されてというか、ついでに私の注文したのを紹介すれば、律と同じようにアイスコーヒーだった。これはハッキリ言って、律の影響があったと言わざるを得ない。繰り返しになるが、目の前で何度もコーヒーを飲まれると、何だか興味が湧いてきて、一度何かのキッカケで飲んでみてからハマってしまった。だから最近のこういう店に来てからの注文の配分は、ほぼアイスティー一択だったのから、アイスコーヒーとの半々になっていた。因みに私と律の違いを言えば、律はシロップのみ、私はミルクありといった点だ。最後に裕美を言えば、単純にアイスティーだった。裕美もよく紫や藤花のように、凝った”可愛い”飲み物を頼む傾向が強いのだが、この日はアイスティーの気分らしい。

では話を戻そう。

紫は皆が手に飲み物を持ったのを確認すると、コクっと一度頷き、そして高らかにグラスを掲げて声を上げた。

「じゃあ…かんぱーい!」


「かんぱーい!」

カツーン

紫の合図の後、一斉にテーブルの上でお互いのグラスをぶつけ合った。そして一口ずつストローで吸うのだった。

…ここで察しの良い方ならお分かりだろう。そう、この習慣は絵里由来のものだった。

あれは初めてだったか何度目かだったか…私たちが一年生の頃だ。

初めの頃は各々が注文した後、出て来た順に他の人を待たずに

それぞれのタイミングで好きに飲んでいたのだが、ある時ほぼ同時に五人分の注文したものが出て来た時があった。

その時だ。何の気もなしに、確か裕美からだったと思うが、ふとこちらにグラスを向けてきたので、私も思わずグラスを近づけてカツーンと当ててしまったのだ。それを見た他の四人が「何それ?」と食い付いてきたので、私と裕美で顔を見合わせて”しまった!”とお互い内心思いながらも、こうなったら仕方ないと、絵里のことはあやふやにしつつ、事の経緯を説明した。それを聞いた四人は尚一層「何か私たちだけの”特別なナニカ”が欲しかったのよねぇ」と食いつき、それからはバラバラに注文が出てきても、最後の一人が出てくるまで待ち、出揃ったところで乾杯をするのが習慣となっていったのだった。

何かこうして一つに纏まれてるような、一体感を与えてくれる”儀式”をくれた絵里に、感謝すべきなのだろう。

「…ふぅ、生き返るわー」

とまず裕美が声を上げた。「そうね」と私もすかさず同意を示してから、ふと隣の紫と藤花の前にある飲み物を見比べてから、さっきのお返しとばかりにニヤケつつ言った。

「…しっかし、律はまだしも、藤花と紫が注文したそのー…フローズン系?」

「うん」

藤花が合いの手を入れる。

「それってさー…私はまだ食べた事ないんだけれど、溶けたらマズくなるヤツでしょ?それをよくもまぁ…私と裕美がいつ来るかも分からないっていうのに、頼めるわねぇ…」

と図らずも少し嫌味っぽく言ってしまったが、言われた紫と藤花は向かい合わせに座っていたので、そのまま正面を向きお互いの顔を見合わせていたが、クスッと二人して笑うと、まず藤花から声を出した。

「だってねぇー…さっきも言った通り、私と律が来たのは十分前だったし、紫も同じくらいだしー…ね?」

藤花は答えになっていない事を笑いを含みつつポロッと口に出すと、紫に話を振った。

振られた紫は、一度その抹茶をズズッと啜って見せると、意地悪く笑いながら言った。

「そうそう。…まぁ確かに、あなたが今言った通り、溶けてしまったらどうしようもないんだけれど、そもそもあなた達二人は…遅刻したことが無いからね!だから早めに注文しても良いと思ったのよ」

「そうそう、それが言いたかったの!」

とすぐさま藤花も紫に乗っかった。

それを言われた私は何と返せば良いのか困って、ただ苦笑いを浮かべて見せたが、ふとここで裕美がクスッと笑った。すぐ隣の裕美の顔を見ると、紫のような意地悪げな笑みを浮かべていた。

裕美はその表情のまま、私の顔越しに紫に声をかけた。

「それを言うなら…みんなでしょ?」

そう言うと、裕美は背を伸ばして、向かいに座る藤花と律にも顔を配った。

「考えて見たらそうね…」と私がボソッと呟くと、それが面白かったのか、ただのキッカケだったのか、また皆してクスクスと笑い合うのだった。これには私も初めから参加した。

まだ笑いが収まりきらない頃、紫が私と裕美に視線を配りつつ、ニヤケ面で付け加えるのだった。

「もし仮に遅刻でもして来たら、ペナルティーを負ってもらうからねー?食べ物の恨みは怖いんだから!」


そんな紫からのダメ押し(?)があったせいで、余計に笑い合う時間が伸びたが、その後しばらくは、お互いに会わない間、どう夏休みを過ごしていたのかについてお喋りをした。

…少しネタバレっぽくなるが、ここで不意に裕美が場を仕切り出した。私は何度も言うようにテレビをそんなには見ないのだが、それでも敢えて例えれば、バラエティー番組で出演者に話を振る司会者の様だった。キャラ的には裕美に合ってはいるのだが、実は今まではそんなに表立って仕切るようなタイプでは無かった。それはどちらかと言うと、紫の方がその気があった。だがそれも言挙げするほどではない。強いて言えば紫がまとめ役だというだけの事だ。これも以前に話した通りだ。一年生の頃から変わらない。

…いやそれはひとまず置いといて、だからこういう話になる時は、紫が皆に話を振るのが流れだったのだが、今日だけは違っていた。

繰り返しになるが裕美が場を回し出した。

当時はそこまで深くは分析出来なかったが、あやふやと漠然とはいえ違和感を覚えつつも、雰囲気は和気藹々としたものだったので、その雰囲気に飲まれていた私は、すぐに薄っすらと湧いた疑念を頭の隅に追いやり、会話を楽しんでいた。

まず初めに振られたのは紫だ。振られた紫は「んー…」と少し何だか苦笑気味に声を漏らして、メガネをクイっと直してから話し出した。

「まぁー…私はいつも通りよ。去年と同じ。今年の文化祭でも私の所属してる管弦同好会で演奏をするから、その練習。あとは…あなたたちと会わない時は家で涼んでいたわよ。たまにクラスの友達と…そうそう、裕美と藤花もその場にいたね?遊んだりもしたけれど…藤花は?」

「私?」

紫に振られた藤花は、斜め上に視線を泳がせて考えて見せた。

因みにこれは藤花が何かを考えたり思い出したりする時の癖だ。

「んー…私もいつも通りかな?夏休みだろうと何だろうと、毎週日曜日にはミサがあるしね。それの練習したりだよ。後はー…たまに律と会ったりしてたねぇー。まぁそこは、家が近いもの同士の強みかな?」

「…うん」

と律は、声を掛けられた訳でもないのに藤花に反応した。

これも今更な情報かも知れないが、藤花と律の家は利用する最寄駅が一駅ズレていた。だがだからといって、駅が違うだけで家自体は徒歩五分圏以内だった。もし幼稚園からの一貫校である私たちが通う学園に通ってなくても、地元の小学校で一緒になっていたかも知れない。

律はそのままの流れに乗って話し始めた。

「…私も藤花と紫と大して違わないよ。早朝にクラブに顔を出して練習して、それからは…うん、ほとんど家にいたかな?」

「ふふ、確かに色が白いものね」

と、程よく日に焼けた裕美が、向かいに座る律がちょうど手と手首、そして二の腕の一部をテーブルの上に投げ出していたので、自分の腕を重ね合わせた。確かに律の腕は透き通るような白みを帯びていた。

「う、うん…」

と律が見るからに恥ずかしがりつつ腕を引っ込めていたその時、紫も腕をテーブルの前に投げ出した。考えて見たら、今日の皆の格好は、肩までチラッと見える程の半袖姿だった。まぁこれだけ暑いのだから、似るのは仕方ないのだけれど、私以外は誰に見せるのでもないのに前回の様にお洒落をするタイプだったから、少し意外だった。

それはともかく、紫は見るからにウンザリしたような素振りを見せつつボヤいた。

「私もなぁー…すっかり日に焼けちゃったよぉ。…考えて見たら、日に焼けてるの、私と裕美くらいじゃない?」

「あ、そうね」

と裕美が呼応するように腕をテーブルに投げ出したのを見て、示し合わせた訳でもないのに、それぞれが同じように腕をテーブルに投げ出した。皆片腕ずつだったから計五本の腕がテーブルに乗っていた訳だが、はたから見たら異様に映ったことだろう。

皆が揃ってそれぞれの腕を見比べていたので、私も思わず皆のと自分のを見比べた。確かに、裕美と紫以外、ほんのりとは焼けてる様に見えなくもないが、私を含めた他の三人は物の見事に色白だった。

「まぁ…」

と私は苦笑いを浮かべつつ隣の紫に視線を送り言った。

「私たち色白組はインドア派だから、色白なのも仕方ないでしょ?」

「えー?藤花はともかく…律も?」

「…ふふ、そうね」

とまだ納得していない様子の紫の言葉の後で、すかさず藤花が笑みをこぼした。

「なかなか難しいけど…体育会系とはいえ、室内競技だからインドアっちゃあインドアなのかな?」

「確かにね」

と藤花の言葉に律も納得したかのような力強い同意を示した。

「それならさぁ…」

とまだ引き下がろうとしない紫は、私越しに裕美に顔を向けると言った。

「裕美はどうなのよぉー?裕美だって室内競技でしょー?泳ぐと言っても室内なんだから」

「私?…まぁそうだねぇー、確かに私は普段は室内で泳いでいるけれど…」

と声を掛けられた裕美は、ここで一度言葉を切るとニヤッと笑って続けた。

「私の所属してるクラブで八月の頭くらいに合宿に行って、太陽の下、海で二日ほど泳いできたからねぇ」

そう。確かに裕美はそんな事を言っていた。合宿といっても、日程が合う行ける人だけ参加という、聞いた限りでは、なかなかに緩い類のものらしい。大きな大会もしばらくないというので、親睦会というのが本当の所のようだ。たまに雑談の中で裕美から聞いていたので、私を含む皆はそれを聞いて「あぁー」と声を漏らすのだった。

「私もそういえば、裕美と同じ時期に合宿に行ったわ。クラブの…」と律がおもむろにそう呟いたので、「そういえばそうだね!」と藤花が明るい調子で応えると、暫くは裕美と律の合宿話に花が咲いた。と、まだその場がそんな空気であったのにも関わらず、それを遮るかの様に、

「そりゃ焼けるでしょ!」

と紫は声を上げたかと思うと、行儀悪く上手いこと器用に、テーブルの上の自分の飲み物を避けつつメガネをしたまま突っ伏した。

「あぁー…私は海にも行ってないのに、何でこんなに焼けちゃってるかなぁー」

「…ふふ、もーう紫は…」

とボヤきつつ私は、紫のこの態度が演技なのを知りつつ、慰める体でそっと腕に手を添えた。それと同時に紫が顔だけ私に向けてきたので、苦笑交じりに声を掛けた。

「いいじゃない紫。それだけ私たちよりも夏を謳歌してるって事よ?羨ましい限りだわ」

と最後に大きく笑みを作って見せた。

すると紫はゆっくり体勢を元に戻すと、メガネを直し、苦笑気味…いや、それは一瞬で、次の瞬間には例のニヤケ面を向けてきながら言った。

「なんだかなぁ…いつもあなたのその言い回しに騙されてほだされている気がするんだけれど、でも何だか妙な説得力があるからヤラレちゃうのよねぇー…それに、何だか今の言い方にも棘が含まれてそうだったけれど?」

「え?ソンナコトナイヨー」

と私はわざと顔を逸らしつつ棒読み気味に言った。

「まったく…」

と紫が腰に手を当ててため息をつくと次の瞬間、私たちは一斉に笑い合うのだった。紫も満面の笑みを浮かべていた。

さていよいよかと私が口を開けようとした次の瞬間、紫に先を取られてしまった。

「…で?裕美は結局合宿に行って…それからは?」

「え?ええっとねぇー…いやそれ以外は皆とどっこいどっこいだよ。練習してるか、後は何も無かったかなぁ…あっ!」

「え?」

裕美が何気なく私の顔を見た時にハッとした表情を見せたかと思うと、急に声を上げるものだから、私もつられて声を出してしまった。そんな私の反応をよそに、裕美は一瞬私に笑みを浮かべたかと思うと、今度は私同様に何事かという表情を見せている皆に視線を配ってから、意味深な笑みを見せつつ言った。

「いやいや…そういえば、ここ最近では一番面白く、楽しく、そして何よりも感動的な事があったのよねぇー」

「えー、何よそれー?」

とまず藤花が声を上げた。

「そんな意味深な言い方されたら気になるでしょ?」

と紫も続く。

「…うん」

と律も、相変わらずこういった時でも変化に乏しかったが、それでも好奇心を見せているのは分かった。

ただ私一人だけ分かっていなかった。…いや、分からないふりをしていたと言うべきか。

「勿体ぶらずに言いなさいよー?」

と紫が追い打ちをかけると、裕美は両手で場を収める様な動作を見せると、すっと私の肩に手を置き、顔はそのまま皆に向けて言った。

「その事については…当人であるお姫様…いや、琴音から自分の口で話して頂きましょう…ね?」

「え?」

既に私は裕美に肩を触れられた時に一瞬ビクッとしてしまったのだが、この裕美の言葉からは逃げ道を塞ぐ意図が見え隠れしていた。そのためもう少しこの件については先延ばしにして置こうと算段していた計画が、脆くも崩れた瞬間でもあった。

だが裕美の顔を見た時、その顔には裕美が時折見せる、こちらを慮る様子が見え隠れする静かな笑みを見せてくれていたので、その瞬間裕美の計らいに感謝しつつ、ゆっくりと頭の中身を整理していた。頭の中身がまとまったその時、ふと不思議なことが起きているのに気付いた。先ほどまで会話で盛り上がっていた中で生じていた音が、一切聞こえなくなっていたからだった。不思議に思い周囲を見渡すと、何と皆して私の方に、さっきの裕美と同じ系統の笑みを向けてきているではないか。不機嫌そうに見せていた紫までもそうだ。皆は何も言わなかったが、その表情からは私の言葉を心待ちにしている心中がありありと見えた。

この様子に少しギョッとしたが、一度息を吐き

「まぁ…私が前にあなた達と会ってからの間にしていたことなんだけれど…」

とボソボソ言いながら、椅子の下にある荷物を入れるためのバスケットケースに手を突っ込みカバンを取り出し、そこから例の雑誌を取り出した。実際には見ていなかったが、見なくとも向けられていた好奇の視線が強まるのを感じた。

それにもめげずにテーブルの上に置こうとしたその時、飲み物の入ったグラスや、その周りに付着した水滴によって若干濡れていたテーブル表面を、裕美から始まり、最終的には私以外の皆でそれらを片付けてくれた。そのお陰でテーブルの真ん中に出来たスペースに、印をあらかじめ付けておいた例のページを開き、閉じない様に癖がつくほどに何度か強く押してから、テーブルの上に広げた。

それと同時に裕美を入れた皆が一斉にかぶりつく様に、そのページを覗き込んだ。皆中腰になっていた。

ほんの数秒ほど経っただろうか、先ほどまで静まり返っていたのが嘘の様に、誰彼ともなく「えぇー!!」と皆一斉に声を上げた。

「シーーっ!」

と私は皆の反応に驚きつつ、口に指を当てて制止つつ周りに視線を向けた。

運が良いことに、周囲には私たち以外には一人客が二、三人いた程度だった。前にも言った様に、このお店は普段からさほど混む様な事は無かったが、お盆の時期のおかげか、お店の周りはオフィス街というのもあってか、いつも以上に空いていた。そんな所がこのお店の長所の一つだ。

とは言っても、少ないながらもいた他の客達がこちらをチラッと見てきていたので、私は軽く申し訳なさげに会釈をして、また皆に身体を向けた。

「これって…琴音よね?」

とまず声を出したのはまた紫だ。紫はピアノを弾いている写真の私の顔あたりに指を置き、そして私本人の顔を覗き込む様に言った。

「すっごく綺麗なドレスを着ているねぇ」

と藤花が呑気な調子で写真を見ながら呟いた。

「…うん」

と律は変わらず口数が少なかったが、顔の角度は下にしたまま、視線だけを私に向けてきたので、必然的に上目使いでこちらを見てきていた。

私を含めたそんな様子をしばらく眺めた後、裕美は努めてしているかの様に、明るく何でもないといった調子で言った。

「…そう!私がこの夏休みで何が一番楽しかったかって聞かれたら…そう、ズバリこれ!琴音がピアノのコンクールに出場して、見事に地区大会で優勝するところを見れた事なのよ!」

「…え?地区大会?」

「…で優勝?」

「え…」

紫、藤花、律の順にそう呟くと、三人はまた雑誌の紙面に釘付けとなった。私はそんな様子に対してどう対応したら良いのか戸惑い、ふと裕美の方に顔を向けると、裕美はただ若干苦笑を滲ませた、だがやはり静かな笑みを浮かべるのみだった。

少ししてふと紫がまず顔を上げて、私と裕美の顔を交互に見てから口を開いた。その表情は何だか呆気にとられているかの様に見えたが、実際は当然違っていただろう。

「へぇー…って、これまた急に見せられたから、まだ頭が追いついていかないんだけれど…今裕美、あなたこう言ったよね?『地区大会で優勝する所を見れた云々』って?」

「えぇ」

裕美は態度に変化を見せずに淡々と返す。

この時には、藤花と律も顔を上げて、向かいに座る私たち三人の顔を黙って見ていた。

「って事は…」

と紫はここで静かなトーンに声を変え、私に視線を移すと、気持ち瞼を細めつつ言った。

「つまり…裕美以外、琴音がコンクールに出ているのを知らなかったって事だよね?…二人は知ってた?」

「んーん」

と声をかけられた藤花は首を大きく横に振った。顔は珍しくと言っては何だが、こういう場ではあまり見せない落ち着いた表情を浮かべていた。

「…私も初めて聞いた」

藤花に続いて律もそう言うと、私に静かな、しかし真っ直ぐな強い視線を向けてきていた。私はますます肩身を狭める他に無かった。

とその時、「まぁ…」と裕美が落ち着いた調子で口を開いた。

「私も正直、初めて見たのはこの地区本選からで、予選段階では知らされていなかったんだけれどねぇー…」

と言い終えると、テーブルに肘をつき、顔を手に乗せつつ私の方に顔を向けて、すました様な笑みをこちらに見せてきた。

ある意味挑発的ではあったが、これは私と裕美の間柄での話、それによって背中を蹴飛ばされた気がした。

私は一度また大きく深く息を吐くと、静かな面持ちのままの皆の顔を一通り見渡してから、ゆっくりと口を開き話し始めた。

「…みんなごめんね?黙っていて…。みんなからしたら、今まで黙っていた事で、騙されていたのかとイヤな気になった人もいると思う…。でもこれだけは信じて?別にみんなに話すのがイヤだって事では無かったの。んー…上手く言い訳出来るか分からないけれど…」と結局話がまとまらないままツラツラと話してしまい、尻すぼみになってしまっていたその時、

「まぁ…みんな?」

と、ふとまた裕美が私の肩に手を置きつつ、他のみんなに声をかけた。

「姫様もそう言っているから、取り敢えず言い訳は聞こう?

…ほら、皆覚えてる?いつだか、この姫様が折角私たち五人が集まれたのに、一人さっさと帰っちゃった時のこと」

と裕美が最後の方で意地悪げに笑いつつ言うと、数瞬の間他のみんなは首を傾げていたが、ほぼ同時に思い出した様で「…あぁー」と声を上げつつ、私の方に一斉に視線を集めた。

因みにと言うか、当然私も思い出していた。そう、遊びに行こうとした時に、ふと頭の中でコンクール用の編曲が思い浮かんだあの時だ。

皆は声を上げてからまたしばらく、私が話すのを待つ様に黙っていたので、私はまた一度息を吐いてから、さっきよりかは落ち着いて整理をして、ゆっくりと話し始めた。

とはいっても何から話そうかまだ纏め切れていなかったので、結局何故ピアノを弾き始めたのか、その辺りの話から話し始めた。勿論端折って。

でもこれは皆にとっては何度か聞いた話だろうから、退屈な話ではあっただろう。何せ一年の時の”研修旅行”の時が最初だったが、その後も何度かこの手の話をしたりしてたからだ。

「…でね、私は音楽という芸能自体は大好きなんだけれど、それを人前で演るというのには、凄く抵抗があるって事も話していたよね?まぁ色々長々喋ったけれど…もう簡単に言ってしまうとね?ただ単純に…そんな話をしていた私が、自分から進んでコンクールに出ようって考えて、実際出てしまった事実を、そのー…知られるのが…恥ずかしかったの。そう…それだけ」

私がようやく話し終えると、また窓際の一角にあるテーブル席に沈黙が流れた。遠くのスピーカーから、小粋なジャズが流れてきている。

どれ程経っただろう?まぁ毎度の様に実際は十秒にも満たなかっただろうが、その何倍にも感じられていたその時、

「確かに…」

と口を開いた者がいた。話し終えてから軽く俯いていた私が顔を上げると、向かいに座る、優しい笑みを浮かべてこちらを見てきていた藤花と目が合った。

目が合うと藤花は途端に笑みに苦笑を交えつつ続けた。

「琴音が今言った事…何となく分かるなぁー…。みんな覚えてる?一年の時に行った研修旅行。そこで皆して移動中だとか、食事してる時だとか、布団に入ってからも色々とお喋りしたよね?…でもその時、私は自分の話を全ては話していなかった…」

「…」

皆は、いつもの”キャピキャピ”と天真爛漫な藤花の様子とは180度違う様相を見せられて、その効果故か、私含めて藤花の話に引き込まれていった。

「でもそのすぐ後、ここにいる律が皆を誘って教会に来たでしょ?あの時ねぇ…終わった後みんなして私のそばまで駆け寄って来てくれて、いや嬉しくはあったんだけれど、どんなに驚いたか分かる?」

藤花は時折隣に座る律にジト目を流しつつ、しかし口元はニヤケつつ話していた。それを受けた律は、表情は少なかったが気持ち済まなそうな笑みを見せていた。

「…っていや、何が言いたいのかというとね?本当は、私が歌が好きな事だとか、教会に通って賛美歌を歌っている事だとかを、みんなに知られるつもりは正直…無かったんだ。いや、でも何かの拍子にバレることもあるかな程度には思ってたから、結果オーライではあるんだけれど…想像していたよりも、ずっと早くバレちゃっただけでね」

「…」

「まぁ…だからさ!」

と藤花は、また普段通りの無邪気な笑顔を見せると話を続けた。

「そういう点では私も琴音と同類!まぁ確かに本選が終わった後で、こうして結果だけ知らされるのは、寂しい気がしないでも無いけれど…でもホントのホントの所は、琴音おめでとうって気持ちしかないよ!」

「藤花…」

藤花の屈託のない笑みを見た瞬間、胸に何かが込み上がってくるモノを感じたが、それをそのままに「藤花、ありがとう」と自然と浮かんだ笑みで返すのだった。「うん!」と藤花も表情をそのままに返した。

「そうねぇー…」

と間合いを図っていたのか、紫が”良いタイミング”で、肘をつく先程の裕美と同じ格好を取り、私に視線を送りつつ言った。顔には呆れてるともなんとも言えない表情を浮かべていたが、笑顔ではあった。

「今藤花が言った通り、後から知らされるのはとても寂しいし、琴音、あなたが自分で言った事だけれど、何だか騙された…というか、騙された”様な”心持ちになったのは確かだけれど、でも…」

とここで紫は、不意に私の肩に手をかけると、笑みから呆れ度合いを少し引っ込めてそのまま続けた。

「今の私の気持ちも、地区優勝おめでとうってのしか残ってないよ」

「紫…」

この後にも何か言葉を付け加えようと思いはしたのだが、結局何もふさわしい言葉が見当たらなかったので、そのまま黙って見つめ返していた。紫の、少しツリ目のせいか少し性格がキツめに見える目の奥には、既に普段の思いやりに富んだ光が戻ってきていた。

「ほら…律は?」

「え?」

藤花に話しかけられた律は一瞬戸惑っていたが、さっきまでの私の様に一度息を大きく吐くと、こちらにまっすぐな視線を向けてきつつ、静かにゆっくりと話し始めた。

「まぁ…琴音?…私たち二人が同じクラスになってから、何かにつけていつも一緒に行動してたよね?…うん。…少し話が逸れちゃうかも知れないけど…正直あなたや藤花がしている”芸能”っていうの?それに対して、そんなに良いイメージを持っていなかったの。…いえ、それは今も何だけれど…。それは何故かって言うとね、そのー…テレビだとかで出てくる芸能人と自分で言っている人たちが、あまりにもナンパに見えたからなの」

「えぇ…」

私はただそう短く返した。

律からこの様な話を聞くのはこの時が初めてだったが、何となく律の普段の態度や言動を見ていたから、そんなことを考えているんじゃないのかと思っていた所だったので、その推測が立証されただけのことだった。

私はただ静かに律の続きを待った。

「勿論藤花は違うのよ?普段からどれほど努力を絶やさなかったのかを知っている…まるでアスリートみたいにね。そんな姿を、それこそ…小学生の頃から見て来ているし…」

「ふふ、お互いね?」

と藤花が満面の笑みで相槌を入れた。律もコクっと頷いて見せる。

「でもそれは藤花が特別なだけで、他のいわゆる文化系はカッコばかり付けるだけで、やっぱりナンパなイメージは消えなかったの。そこで現れたのが…そう、琴音、あなただった」

律は話の途中から私の方に視線を戻していたが、ここまで言うと、フッと力が見るからに抜けて見えて、珍しく微笑を湛えていた。

「初めの自己紹介の時に、あなたが『”軽く”ピアノ何かを弾いたりしています』だなんて言うもんだから、『なんだ…この子は軟派な子なんだ』って思っちゃったんだ」

「え?私そんなこと言ったっけ?」

と思わず私が皆の顔を見渡すと、「言ってた、言ってた」と、裕美と紫、そして藤花がニヤケ顔で一斉に突っ込んで来た。

私は肩をすぼめて見せたが、これはさっきと違い冗談だ。

「ふふ…」と律も小さく笑うと、そのまま先を続けた。

「でもね…見てたら全然”軽く”じゃなかった。さっき藤花は非難交じりに言ってたけど、試しにあなたを含めたみんなを誘ったのはね、勿論藤花の晴れ舞台を見てもらいたかったってのはあったんだけれど…もう一つはね、琴音、あなたが藤花を見てどういう感想を持つのか、それが聞きたかったからなの」

「…へ?」

今律が言った内容は、流石に想定外だったので、思わず間抜けな声を上げた。…いやそれは私だけではなく、裕美と紫も同様だった。ただ藤花だけが一人苦笑いを浮かべていた。…いや、律本人も気付いたら苦笑いだ。

律はそのままの笑みで、少しすまなさげに話を続けた。

「ごめんなさいね、試す様な真似をして…?」

「え、あ、いや…別に私は…」

「ふふ…うん、自分でも何でそんな真似をしたのか今だに分からないんだけれど…ただ言えることは、単純にあなたに興味が湧いていて、それを裏付ける何かが欲しくて、その為に私が信頼している藤花の姿を見てもらって、その反応次第で見定めようと思っていたのかも知れない…本当にごめんなさい」

とここで律が頭を下げたので、私は慌てて「ちょ、ちょっとやめてよー」と声をかけたが、ここで何でこんな腹の中の晒し合いをしているのか思い出し、思わず「ふふ」と吹き出してしまった。

それと同時に、関係あるのかどうだか知らないが、律のお父さんはどこかの大学で物理学の教授をしていて、その論理的な思考の片鱗が垣間見れた気もして、一人でこんな会話をしていると言うのに感心していた。

それはともかく、その声に反応して律が顔を上げたので、

「さっきも言ったでしょ?何とも思っていないって」

と微笑みつつ声をかけると、「うん」と律も小さくだがほほえみ返していた。

「話を戻すと…そう、あれから何かにつけて、藤花についてアレコレと私に聞いてきたよね?その場に本人がいたのにも関わらず…。それからすっかり藤花の独唱の時には必ずと言っていいほど教会に顔を見せて…ふふ、そうそう、終いには自分の師匠まで連れてきだしてたよね?…紹介までされちゃった」

「ふふ、私もー」

と藤花が悪戯っ子のような笑みを私に送ってきた。

「あ、そうなんだー」

「私も見たかったなぁ」

と、裕美、紫の順に続けて明るい声を上げた。

「ふふ…うん、まぁ…ね」

と私は何だか気まずい思いに駆られて、苦笑交じりにそう返していた。

律は少しの間、私たちの方を微笑みつつ黙って見ていたが、そろそろ頃合いだと判断したか、またゆっくりと話を続けた。

「その頃から…いや、あなたが自分の師匠を連れて来る前からだったけれど、最終的にこう思ったの。『あぁ…この子って、本当に音楽が好きなんだなぁ…』ってね。正直藤花と同じくらいに見えるほどに、芸能にのめり込んでいるあなたの姿を見て、もうすっかり最初の値踏みをする様な気持ちは消えちゃって、勝手な言い方で…いや、ずっと勝手な言い方をしてきたけど、でも言わせてもらえば、私の方ですっかり心を開いていたの」

「ちょっと律ー?」

とここで藤花が苦笑気味に横槍を入れた。

「それは流石に…聞いてる私たちが恥ずかしすぎるよー」

「ほんと、ほんと!」

と紫も同じ様な笑みを見せつつ藤花に乗っかる。

それを受けた律は、自分でこの時に気付いたらしく、凛とした表情を保って見せてはいたが、真っ白な肌の下が薄っすらと赤みを帯びている様に見えた。

と、その時、

「ふふ」と裕美が急に吹き出したかと思うと、私の方にまた手を掛けて、ニターッと何かを企んでいそうな笑みを浮かべつつ言った。

「やっぱりね!”恥ずい”事をスラスラと話せる所まで、琴音と律…あんたたちソックリだわ!」

「ウンウン!確かにー」

と裕美の言葉にすぐ藤花と紫が同調して見せた。裕美は誇らしげに胸を張っている。

他の三人のその様な反応を尻目に、私と律は顔を見合わせると、クスッと二人で小さく微笑み合うのだった。

「まぁそれはさておき…」

と、まだ赤みが引かないままに、律は表情だけ戻して先を続けた。

「それからしばらくして…琴音、あなた、急に何だか忙しなくしだしたでしょ…?例えば…土日がメッキリ予定が空かなくなったり…」

「え、えぇ…」

「その時辺りからね…」

とここで律は他のみんなに目配せをした。私もつられる様に見ると、皆はそれぞれウンと一度頷いて見せていた。

「琴音が裏で秘密に何かしているんじゃないかって話していたんだ」

「え?」

と私は思わず声を上げて見渡した。これも想定外の一つだった。

まぁ確かに今律が言った様に土日が空けられなくなったのが多くなったのは事実だったが、それ以外はそれなりに隠し通せていたと思っていたからだ。

そんな私の様子を他所に、

「まぁそれを真っ先に指摘したのは…裕美だったけれどね」

と律が言ったので、私が今度は裕美に顔を向けると、裕美は何故か照れ臭そうに首元を掻いていた。

「もーう…その事はもう少し後で話す予定だったのにー」

と不満げな声で、表情はニヤケつつそう言った。

私がおそらくキョトン顔を晒していたのだろう、裕美は私を見るなり、急に優しげな笑みを浮かべて話し始めた。

「…うん、そうなの。琴音…あんたが急に忙しくしだしたものだから、よくこの四人で話したりしてたのよ。…あ、勘違いしないでね?別に悪口じゃないから」

「…ふふ、聞いてもないのに言うと、急に嘘っぽくなるよ?」

「あらそう?…ふふ、でね、でもみんなで話した結果はいつも同じだったの…。『琴音が私たちに話さないのは、何か訳があるに決まっているから、取り敢えず本人が話すまでは置いておこう』ってね」

「そうそう。…でもさぁ」

とここで紫がまた私越しに裕美に声をかけた。

「なのに,あなただけ結局本選を観に行ったんでしょー?…やっぱり、藤花と律の二人と同じで、何だかんだ心配で一人抜け駆けしたのねー?」

と紫が意地悪げな笑みを浮かべて言うと、裕美は一瞬慌てた素振りを見せたがすぐに落ち着いて、しかし苦笑気味に返した。

「あんたねぇ…これまた随分答えづらい話を振ってきたわねえー…。それに対しての答えはしないとして、実際はね…」

と裕美は事の経緯を説明した。私のお母さんから裕美のお母さんに伝わった経緯などだ。それを時折こちらに視線を流しつつ話した。

し終えると、三人は「なるほどー」と納得の声をあげていた。

それを微笑ましげに見ていた裕美だったが、ふと何かに気付いた様子を見せると、律に視線を移し、少しニヤケ面を晒しつつ話しかけた。

「…で、結局、律は琴音について何か言いたい事は無いの?他の三人みたいに」

「…え?」

律はフリじゃなく本気で何を言われたのか分からない様子だったが、裕美の言葉の裏の意味を察したらしく、律にしては珍しく悪戯っぽい笑みを浮かべると、私に顔を向けて言った。

「…あぁ…ふふ、そんなの言うまでもないから言わなかっただけだよ…。うん…私から言えるとしたらただ一つ…琴音、おめでとう」

「…えぇ、ありがとうね、律」

律がまた普段のアンニュイな表情から一変させて大きく慈愛に満ちた微笑みを向けてきたので、若干ドキッとしつつも、私も負けじと微笑みを向けて返した。

「…さて!もうこの話はおしまい!」

ここで不意に紫が空気を変えるための様にパンっと両手を打った。

「じゃあ改めて…琴音が全国大会で良い成績…いや、もっと欲を言って優勝するのを祈って乾杯しましょう!」

「賛成ー!」

紫のこの提案に、最初の方は藤花一人が瞬時に反応をしたが、それに釣られる様に、裕美と、そして律までが声を大きく言うのだった。

「良いよそんなー…」

と私は苦笑まじりに制して見せたが、この時は本気で止める気などなく、ただ言って見ただけだった。他の客の冷たい視線も気にならなかった。

「よし!さてと…ってあれ?」

紫は何かを言いかけたが、ふと皆の空になったグラスを見渡した。

そして大袈裟に肩を落として見せると、ため息まじりに苦笑いを浮かべつつ言った。

「…お代わりをしようか!」


私たちはその案にすぐに賛成し、皆でわざわざレジに行く事も無いだろうと、誰と誰が注文しに行くか決めた。藤花と紫に決まった。

そして皆で飲み物を決めている間、皆が何も事前に打ち合わせをしていたわけでも無いはずなのに、急ピッチで皆で私の飲み物代を出し合う話になっていった。私は当然の様に遠慮をしたが、聞き入れられず、皆の注文を聞いた藤花と紫は意気揚々とレジのある一階へと降りて行った。その後ろ姿をため息まじりに見送る私の事を、裕美と律が何も言わずに、微笑みつつアイコンタクトを交わしていた。

普段よりも時間が掛かっているなと思いだしたその時、

「お待たせー」

と良く通る高めの藤花の声が聞こえたので、その方向を見ると、何と二人の後ろをOBの里美さんが付いてきていた。飲み物自体は藤花と紫が運んでいた。

一瞬何事かと思ったが、たまたま腕時計に目がいったので時刻を見ると、二時半に差し掛かる所だった。他の喫茶店は知らないが、ここをよく利用している私たちから言わせれば、このお店はこの時間になると急に暇になる時があった。まぁ尤も、毎回というわけでは無かったが。その暇になる時に、里美さんはよく手に布巾を持っていたり、それかモップを手にして二階に上がってきて、空いてるテーブルの上や床などを掃除していた。その合間に、ほんの数分くらいのものだったが、私たちの雑談に混じったりしていた。

だから今回のパターンもそれかと思ったが、近付いてくるにつれ、どうも様子がおかしかった。何故なら、掃除用具を一切手にしていなかったからだ。

そんな私の心境をよそに、まず藤花と紫はテーブルの上に注文の品を置いていった。今回は私と律はそのままアイスコーヒーのお代わりを、そして他の三人は同様にアイスティーだった。紫と藤花は前に飲んだ物が余りにも甘かったのか、サッパリするのが欲しかったらしい。

「ありがとー」と持ってきてくれた二人に対して各々がお礼の言葉を軽く言うと、その後で私は皆に笑顔を向けて「ごちそうになります」と座ったままお辞儀をして、ワザとらしく仰々しく言った。

「いいって、いいって」と裕美が真っ先にそう返してきたが、またそのすぐ後で「ちょい待ち!」と声を上げた者がいた。紫だった。

何事かと他の三人で藤花と紫を見ると、二人は顔を見合わせてクスッと笑い、そして二人は後ろにずっと立ったままの里美さんを振り向き、紫が声をだした。

「その事なんだけれどねぇ…実はここにいる里美さんに出して貰っちゃったの」

「え?」

「へっへーん」

里美さんは誇らしげに鼻の下を指ですする様な、今時漫画でもなかなか見かけることが無い仕草をした。

「琴音ちゃーん、聞いたよ?」

里美は明るい笑みを私に向けてきつつ声をかけてきた。その間に藤花と紫は自分の席に戻った。

「ピアノの都大会に出て、優勝したんだって?」

「…え?」

私はそう声を漏らすと、席に着いた藤花と紫の顔を交互に見た。二人共、満足げな笑みを浮かべている。

ここで敢えて本当のところを言うのも無粋に感じ、「え、えぇ…まぁ」とあやふやながらも返した。

すると里美さんは益々笑顔の度合いを強めると、通路側に座っていた裕美の後ろに体半分入ると、私の肩に手をポンポンとリズム良く叩きながら言った。

「凄いじゃなーい!…あ、失礼しました」

自分で思わず知らず大きな声が出てしまったことに、言ってしまった後で気づいたのか、慌てて店内の他の客に向かって会釈をした。

しかしまだ興奮が冷めやらぬ様子で、小声ながら手で叩いてくるのは変わらなかった。

「…優勝するなんて。しかも他のみんなであなたの分をおごってあげる話を聞いて、それに関しても感心しちゃってねぇ…思い切ってここはOBの私も何かしなくちゃって思ってさ?それでそのー…これは私からのお祝い」

先ほどの反省を引きずっているのか、里美さんは最後の方で照れを見せると、そのまま恥ずかしげに私の目の前のアイスコーヒーを指差した。

そんな様子が年上でしかも先輩である里美さんであったが、ふと可愛く見えて、少し吹き出しつつ「は、はい、頂きます。ありがとうございました」と丁寧にお礼を言った。

その何で他人行儀なフリをしたのかをすぐに察した里美さんは、すぐにいつもの屈託のない笑みを見せてくれた。

そんな私たち二人の様子を見て、他のみんなも、さっきの里美さんに倣う様に周りを大袈裟に見渡したりしつつ、コソコソとではあったが、お互いに顔を見合わせて笑いあったのだった。



里美さんが仕事に戻った後、今度は裕美の音頭で乾杯をした。

それからしばらくは私が持ってきた例の雑誌に皆して食らいつく様に見ていた。

あぁでもない、こうでもないと言いながら。

皆それぞれに個性的な感想を話してくれたので、とても興味深く、時には吹き出したりしながら楽しんでいた。

時折同じジャンルだというので藤花にも話が集中したりしていたが、藤花自身も今までの私と同じで、この手のコンクールなどには出たことが無いらしく、「知らなーい」の一点張りだった。

後先ほどは私自身、申し訳なさがあった為に突っ込まなかったが、裕美含む全員が、何かにつけて私のドレスアップした写真を見つつ”姫”がどうのこうのと言うので、この時はひたすら一々それらに突っ込んでいったのは言うまでもない。その度に皆が一斉ににこやかに笑うのだった。私も笑った。

それから皆が雑誌の中の私の写真を携帯で撮っていいかと聞いてきたので、もうどうにでもしてくれといった気分になっていた私は、快く(?)承諾をした。それを合図に一斉に、皆が上からページを押しつぶす様にしていたのですっかりペタッと見開きになっていたのを自分の携帯で撮っていくのだった。

それを苦笑いで見ていた私は、ふと池によくいる鯉か何かが、人が投げ入れた餌に一斉に群がる様子を思い浮かべていた。

それもひと段落が着くと、ふと藤花が私に話しかけてきた。

「…そういえばさぁ、そのー…全国大会っていつだっけ?」

「え?えぇっと…そうねぇ」

私は自分の事だというのにすぐに思い出せず、ページが開かれたままの雑誌を手に取り、自分の記事の部分を慎重に吟味した。

その間、他のみんなでまた盛り上がっていた。

「全国大会かぁ」

と紫が軽く中空辺りを見つめながらボソッと言うと

「私はまた観に行くよ」

と裕美がストローを口元で弄びつつ言った。

「…やっぱり、来る気満々なのね?」

と私が嫌々げにそう言うと、「もちろん」と裕美は無駄にハキハキと答えた。

この事は、本選が終わった後の裕美のお母さんも交えた食事会で聞いていたので、驚くこともなかった。…口ではこう言ったが、内心ではとても嬉しかったのは否めない…が、それを口にする訳にもいかないので、こうして裏返しな反応になってしまうのだった。

「あ、行くんだ!」

と紫は何故かテンション高めに、テーブルに少し乗り出してから、裕美の方を向いて言った。

そしてすぐにまた着席すると、まだ私が雑誌の中から情報を探しているというのに、話しかけてきた。

「それってさぁ…なんていうか、部外者も行っていいもんなの?」

「あ、それ気になるー」

と藤花も話に入ってきた。

私は一度雑誌から目を話すと、まず二人に視線を流してから答えた。

「んー…多分。予選の段階では、見渡す限り関係者しかいなそうだったけど、本選の時はすごく大勢の人が来ていたから…うん、大丈夫だったと思うよ。何も裕美が不正を犯して来た訳じゃなくね」

「何よそれー」

「そうなんだー」

「えぇ…っと、あった、あった」

また雑誌に視線を戻していた私は、ようやく全国大会の旨が書かれている箇所を見つけた。

「なになに…あ、来週の水曜日だ」

「なになに…」

私がまた雑誌をテーブル中央に戻したので、他の皆がまた身を乗り出しつつ、その箇所を見た。

そして誰彼ともなくまた椅子に正しく座ると、紫がまた中空に目をやりつつボソッと言った。

「来週の水曜日かぁ…ねぇ」

と今度は私に話しかけてきた。

「それってさぁ…やっぱそのー…”らしい”服を着て行かなくちゃいけないの?…観客も」

「え?あ、え、えぇ…まぁそうなんだろうねぇ、見渡した限りではそれなりの格好をしていたし…」

「私も”らしい”格好をして行ったよ」

と裕美が何故か誇らしげに脇から入った。

「あ、そうなんだ」

と藤花が食いつくと、裕美はおもむろにスマホを取り出すと、液晶部分を見せつつ、

「この中に写真もあるから、後でみんなにも見せてあげるね」

なんてことを言っていた。

それはともかく、なかなかに要領を得ない紫の話に、若干首を傾げつつ付き合っていたのだが、ここで不意に紫がこちらに勢いよく顔を向けると、少し戸惑い気味にだったが、口調自体はある種ハッキリとした調子で言った。

「あのー…さ、そのー…私も琴音のに行っても…いいかな?」

「え?」

と私が紫の言葉に驚いていると次の瞬間、「ずるーい!」と藤花が向かいの席から不満タラタラな表情を浮かべつつ声を上げた。

「私もそれ聞こうと思ってたのにー」

「へっへー、早い者勝ちよ」

「ちょ、ちょっと…」

私はとりあえず、私自身も含めて一度落ち着けようと制しようとした次の瞬間、「…うん、私も」とボソッと律が言ったのをキッカケに、すっかり力が抜けていくのを感じた。

そんな私の様子を、何とも言いようの無い、見ようによっては優しげな笑みを浮かべて見ていた裕美だったが、すぐに他のみんなに同調するようにテンションを上げて混ざっていった。

「あ、いいねぇー!じゃあみんなで行っちゃう?」

「さんせーい!」

「ちょ、ちょっと待って」

もうここしかないと判断した私は、何とかテンションの違う中に入り込むことができた。

「み、みんな…本気?」

と戸惑いげに問いかけると、それにはすぐに答えず、ある者はスマホを眺め、ある者は手帳を開き、ある者は考え込む姿を見せていた。

「…あ、私、大丈夫だ!」

「…私もー」

「…私も」

と、紫、藤花、律が顔を上げるとそう口に出した。そして三人…いや裕美を入れた四人で顔を見合わせると、何も言わずに微笑みあっていた。

その様子に溶け込めないままの私は、一人ただただ戸惑っていたが、それを他所に裕美は一度コクっと大きく頷くと、私の方に向き直り、今度は正真正銘の優しい微笑みをたたえつつ口を開いた。

「まぁ…みんなもこう言ってる事だし、勿論アンタやアンタの母さん、それにアンタの師匠さんにも話を通さなくちゃいけないだろうけど…でもここに集まるみんなは、何も冷やかしに行きたいんじゃなく、ただ純粋にアンタの演奏を聴きたいのだし、弾いてる姿を実際に見てみたいのよ。…こんなドレスアップした姿のね?」

「そうだよ?」

と、裕美が最後にいたずらっ子の様な笑みを見せながら言い終えると、順番を待っていたかの様に、良いタイミングで藤花が口を開いた。その顔には普段の天真爛漫な笑みとは違い、そこにはあのレッスン部屋で見せるもう一つの顔が見え隠れしていた。

「私だって、何度も目の前で演奏を聞かせて貰っていて、それも良かったんだけれどさ?やっぱり…大舞台で弾いてる琴音の姿も見たいよ。それに…私ばかり見られるっていうのもフェアじゃないしね?」

と藤花が最後にまた屈託のない笑みを浮かべながら言い終えると、「うん」と短く律が力強く頷きつつ同意を示した。言葉はそれだけだったが、律の場合それだけで雄弁だった。

「ま、そういう事」

と紫が口を開いた。その顔には苦笑いとも何とも言えない、難しい(?)笑みを浮かべていた。

「藤花以外は大抵そうだろうけどさ?門外漢の私だけれど、そんな私でも分からないなりにでも、やっぱあなたが実際に大きな舞台で弾いてるところを、そのー…ああ!やっぱり上手いこと言えないけど、ただ単純に見たいのよ」

「…ふふ」

最後に紫が、自分の中に渦巻いている想いを何とか纏め上げようとして、何とか絞り出す様に話してくれた事に思わず笑みがこぼれた。

…正直、この提案には”当然の様に”戸惑った。何せ裕美一人が見に来るってだけであれだけ中々踏ん切りがつかなかったのに、それを今度は他のみんな一遍だというので、その事実に一気に混乱してしまったのだが、それでもこうして私が何か言う前に、それぞれが、それぞれの形やり方で、その端々に私への気遣いが見られる様な言葉を紡いで話してくれたお陰で、知らず知らずにうちに覚悟の様なものが生まれ、すっかりその事態を受け止められる態勢が出来上がっていた。


「はぁー…もう、分かったわよ」

と私は一度大きく息を吐いてから、苦笑交じりに言った。

「私の演奏姿で良いなら…うん、是非来て」

「本当?」

「えぇ。まぁ、お母さんや師匠にも聞いて見なきゃだけど…」

「やったー!」

私以外の四人はテーブルに乗り出すように前のめりになりつつ、互いに握手や何やらをし合っていた。

「ちょ、ちょっとー…」

と私はまた慌てて周囲を見渡しつつ制しようとしたが、いつの間にか他の客がはけていた時で、私たちしかいないというのにこの時に気づき、結局は苦笑いを浮かべながら眺めていたのだった。

とその時、他のみんなとジャレ合いつつ、時折裕美が私の方に目を配ると、一瞬だけフッと優しげな表情を見せていたのが印象的だった。

それからは、「お母さんたちにも言わなきゃ!」だとか、「どんな服を着て行けば良い?」という質問にも答えて、その流れで裕美とついでに私がスマホで撮った当日の写真を見せたり喋ったりしていたら、この日はそれでまるまる潰れてしまった。

本来は「夏休みも後半に入ってきたから、また皆で集まって遊ぼうよ」と、私と裕美が呼び掛けて成った集会だったが、出る時に里美さんにお礼と挨拶をして外に出て、寄り道せずに地下鉄の連絡通路を歩いている時に、誰一人として折角の集まりが私の話でほとんど潰れてしまった事に文句や不平を述べたり、言わなくとも表情にすら見せなかった。

今日の事については、思ったよりもすんなりと事が運んで、上手くいきすぎて引っかからない事が無かったかと言われたら嘘になるけど、でも取りあえずは私にしては珍しく、この和やかな空気にそのまま流されて置こうと思った、西日が沈みかけているというのに汗ばむ程にうだるような暑さの中の夕暮れだった。

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