第17話 Divine goodness 神の恩寵
「兄さん! ジョルジオ様が! ジョルジオ様が!」
「ヒュリア、目を閉じるな! あれが俺たちの主、そしてお前の慕う大将だ。お前が最後まで見てやらねーでどうする!」
そうだ。見ていてくれ、ヒュリア。
俺は迫り来る剣をいなし、相手の喉を掻き斬った。すでに弓を捨てたブライアンが器用に短剣を振り回す。豪快なのはグスタフだ。バルデッシュをひと振りするたび、イスラム兵の兜がひしゃげ、鎧がちぎれる。
だがどれだけ頑張ってもこちらは3人。いずれ死ぬことは決まっている。死を覚悟した俺たちに今更怖いものなどなかった。ただひとりでも多く敵を道連れにし、叶うのであればあのチリチリ赤毛のフリードリヒを一刀の下に斬り捨てる。考えることはそれだけだ。
もう、どのくらい戦っているのだろう。斬った数は10までは数えたがそれ以上は数えるのをやめた。となりのブライアンに止めの一撃が加えられた。グスタフの大きな体も既に動かない。彼は一歩も引かず、足をやられて動けなくなった後もその場に座り込んでバルデッシュを振るった。俺の自慢のカウンターポイントとか言う剣も半分から先が折れて無くなっている。
流石に鎧も着ていないこの状況では凄腕のシルヴァーノとて無傷と言うわけにもいかず、腕や腿には薄く血が滲んでいた。
『流石にここまでみたいですね。もう、存在を保てそうにありません』
『お疲れ、シルヴァーノ。あとはゆっくり休んでくれ。俺もあのフリードリヒの野郎を一発殴ったら直ぐにそっちに行く』
『あはは、貴方もしつこいタイプですね。僕に負けてないですよ。ジョージ、あなたに会えて本当に良かった』
シルヴァーノはそれだけ言うと、ふわっと浮き出てガラス細工のように粉々に砕けて散った。
俺にだけ見える彼の破片が陽光を反射し、美しく煌めいた。シルヴァーノ、ブライアン、グスタフ。お前らみんな最高だった。最後のトリはこの俺が努めてやるよ。そう心に誓い、右手に短剣を隠し持つ。
「さて、そろそろですかねジョルジオ君。力の違いと言うのが学習できましたか? 今なら特別に許してあげてもいいんですよ。ほら、早くここに来て私の足を舐めなさい。それでこれまでの無礼はチャラにしてあげましょう」
折れた剣を杖替わりに、俺は一歩一歩確実にフリードリヒとの距離を詰める。後一歩。もう一歩。ここだ!
最後の力を振り絞り、堂々と胸を張ると俺は名乗りを上げた。
「教皇騎士、ジョルジオ・マセラティの名において、邪なるフリードリヒに裁きの剣を!」
右手で投げた短剣は俺の意思通りにフリードリヒに向かう。さあ、フリードリヒ、勝負だ。お前が神に愛されてるならその短剣をかわせるはずだ。そうじゃねーならそのまま死ね!
フリードリヒは身動き一つできないようだったが、側近のイスラムが彼を押しのけ、最悪の結果はまぬがれたようだ。とは言え、フリードリヒの左頬から耳にかけて鮮やかな朱色の線が書き込まれている。
ふっ、所詮俺は何もかも中途半端だったか。だが、これで終わりじゃない!
剣を振りかぶり、自分でも何と言っているかわからない叫びを上げて俺はフリードリヒに斬り込んだ。それを遮るイスラムの曲刀が俺の腕を、足を、そして胸を貫く。へへ、思ったより痛くないぜ。哀れに思った神様がサービスしてくれたのかな。
最後に見た光景は、怒り狂ったフリードリヒが俺を指差して何事かを叫んでいる様子だった。そのまま視界がぼやけ、やがて何も見えなくなった。
――1ヶ月後 リヨン サン・ジャン大聖堂
「ジョルジオは消えたのですね? ヒュリア」
「妾は確かに消えるのを見たのじゃ。絶対に間違いはない。こう、だんだんと薄くなって」
「で、あれば彼は大丈夫。死んではいませんよ。いつとは言えませんがこの私が必ず、ジョルジオをあなたの前に連れていきましょう。それまでの間、彼を待つ自信はありますか?」
「例え何年でも。妾はこの命尽きるまでジョルジオ様をお待ち申し上げる。リナルド猊下」
「ならば心静かに暮らしなさい。身の安全には注意して。いいですね、ジョルジオが戻ってきた時にあなたがいなければ、彼はとても悲しみますから。くれぐれも健康には留意するのですよ」
「ジョルジオ様の事、お頼みいたします」
ヒュリアはそう言って一礼すると、さみしそうに枢機卿の執務室を後にした。一人になった枢機卿は緋の衣をうっとおしそうに脱ぎ捨てる。
「ちっ、ジョルジオの野郎、一人でケツまくって逃げようなんて甘いんだよ! この俺が必ず連れ戻す。必ずだ」
そう言って苛立たしげにグラスに注がれたワインを一気に飲み干した。
目が覚めるとそこは見慣れた狭い部屋。ちゃぶ台の上には恐らくこの部屋で一番高価であろうノートパソコンが画面にエロ画像を映し出している。あれ、俺って確かイスラムに殺されて、ってなんで裸? しかも全裸なの?
慌ててカラーボックスから下着を取り出し身につける。体は元の虚弱なまま、日に焼けた跡すらない。アレは夢? 夢にしちゃあずいぶん長い。その時、腹がクゥと不満そうな音を立てたので、ありあわせの服を着て外出する。まだ外は肌寒い。そう言えば今日は何日なんだろう。俺の信用ならない記憶によれば、あちらの世界に旅立ったのは11月の10日。あのオバケにお気に入りのジャケットを取られたのを覚えている。
「よお、兄さん。昨日はずいぶん世話になっちまったな」
細い路地を曲がったところに現れたのは記憶にある3人組だ。真ん中でしゃべっているのは確かリーダー格のタケシくんだったかな。皆、包帯姿が痛々しい。
「わかるよな、これ。俺たちゃアンタに暴行を受けてこのザマだ。被害者なんだよね、セント・ジョージ殿」
「へぇ、そうなんだ」
「そうなんだ、じゃねーよ! 見てみろこいつを、鼻が曲がっちまったんだぞ! マサルのやつは頭を5針も縫った。俺だって前歯が3本、このざまだ」
タケシが口を開けると確かに前歯が綺麗に折れていた。
「で?」
「で? じゃねーってんだよ。金だよ金。治療費と慰謝料込みで3百万。明日までにきっちり耳を揃えてもってこい!」
あーなるほど。彼らはつまり盗賊か。そう思った瞬間。俺の右手はタケシを殴り飛ばしていた。
「な、何しやがる!」
「絡んできたのはお前たちだ。どうせなら、みんな仲良くお揃いの鼻にしてやるよ。それともお揃いになるのは前歯がいいか?」
そう言ってまた殴る。
「ほら、聞いてんだからさ、答えてくれないと」
次は膝蹴りだ。面白いように決まる。どうせなら剣が欲しいな。そうすればこの醜い犯罪者を切り刻んでやれるのに。
「ほら、答えろって」
蹲ったタケシの頭を殴る。ついでに鼻曲がりの腹も蹴っておいた。
「や、やめてくれ」
「おいおい300万欲しいんだろ? だったらそれに見合う怪我をしてもらわなきゃな」
「俺達が間違ってました! 金も何もいらないんで見逃してください!」
「嫌だね」
もう一発、思い切り振りかぶってタケシを殴ろうとした瞬間、何者かに腕を掴まれた。
「やれやれ、困りますね。ジョージ、ここは中世じゃないんですから、ほどほどにしておかないと」
振り返るとそこには長く、ウェーブのかかった金髪のイケメン。俺のお気に入りのジャケットを羽織ったシルヴァーノがいた。
「へ?」
「へ?」
「なんでお前が」
俺の気がそれた隙にタケシ達3人は逃げていった。俺の興味はも最早そこには無く、突然現れたこの馴染み深い男に注がれた。
「なんでって言われても。なんででしょうね? とにかく今の僕は歴とした人間です。イタリア生まれの留学生。それが今の僕シルヴァーノなんです。ほら、身分証明も一式揃っているし、国際免許もあるんですよ? すごいでしょう」
「すごいとか、すごくないとかどうでもいい。とにかく、お前、」
それ以上は涙にむせて言葉にならなかった。
「ほらほらこんなところで泣いてちゃおかしいでしょ、部屋に帰りましょうよ。ちょうどお弁当買ってきたところなんです。いつ貴方が戻ってもいいように二人分ね」
「え? 何、お前あの部屋に住んでんの? 留学生なら留学生らしく自分の部屋借りろよ」
「え? なんでそういう事いうんですか? 折角の再会のシーンが台無しじゃないですか」
「いや、それとこれとは別だからね。住むなら住むで家賃と光熱費、半分払えよな」
「うっわ最悪ですね。もっと他に言うべきことがあるんじゃないですか? どうやって帰ってきたのかとか」
「どうせ何にもわからねーんだろ? 俺だって何が何だかわからないうちに帰ってきてたんだ。もったいぶって言う割に何もわかってない。それがいつものパターンだからな」
なんだかんだありながらもそれから3ヶ月、俺たちはあの部屋で暮らしていた。向こうでの事はお互いなんとなく話さない。会話の内容はもっぱら流行りの芸能人や、新作のゲームについてだった。
そんな平穏無事な日々が途切れたのは、年も開けて、桜も咲こうかという3月下旬。一本の電話が全ての始まりだった。
『あ、ジョージ? お母さんやけど。実はね、今度アンナちゃんな、結婚することになってん。で、お父ちゃんはどないでもええんやけどアンタには式に出て欲しいってアンナちゃんがいうてんのや。チケット送っといたから必ず来てくれなあかんよ?あ、それと彼女位いるやろうから一応チケットは二人分送っといたで? 換金なんかしたらあかんよ? わかっとんの?』
と、言う内容だった。アンナとは俺の3つ下の妹で今年21のはずだ。なのにもう、結婚。はぁ。前にも言ったが母と妹は浮気症なオヤジに愛想を尽かし、生まれ故郷のシチリアに帰ってしまったのだ。シチリアと言えば俺の殺害現場、よりによってそこに行かなきゃならないとは。
「ねえねえ、それって当然僕も行っていいんですよね? シチリア」
「あ? んなわけねーだろ。なんでお前なんか連れて行かなきゃならねーんだよ」
「そんなこと言っていいんですか? シチリアですよシチリア、貴方を恨むフリードリヒの亡霊が出るかもしれませんよ?」
「ちょ、そういう怖いこと言うんじゃないよ。あーもう、わかった、わかりました。お前も連れて行きます。連れていけばいいんでしょうが。言っとくけどフリードリヒにビビったわけじゃないからね、そもそもあの勝負、どっちかって言えば俺の勝ちだし」
「まあ、僕は最後まで見ていませんからね。貴方が勝ちだって言うならそれでいいですけど。そんなことより荷造りしましょうよ、お土産には何を持っていきます? あ、折角だからイタリア本土まで足を伸ばしましょうか? ほら、結局ローマ、行けなかったし」
ノリノリのシルヴァーノに準備を任せてごろりと横になる。シチリアかぁ。みんな無事だったのかな? ヒュリア、あのあと元気でやってたのかな?
妹の結婚式を無事に見届け、俺達がイタリアの大地を8百年ぶりに踏んだのは、新緑薫る5月の事だった。神の恩寵はこの身に残っており、言葉には不自由しない。将来は通訳にでも。そんな話をしながらレンタカーでイタリアの大地を走っていく。
「だーかーらー、なーんでこうなるんだよ! この馬鹿シルヴァーノ!」
「こっちが聞きたいですよ! 絡んできたチンピラ殴ったらなんで警察に追われるんですか!」
「いいから前見て走れ! 俺は車の運転とかできねーんだからな!」
「ホント貴方は使えませんね。せめて車の運転ぐらい代わってくれたら僕がどうとでもするのに!」
「できねーものは仕方ねーだろ! つまんねーことグチグチ言ってないで前を見ろって! ほら、危な!」
海沿いの道を走るレンタカー。後ろにパトカーの大群を引き連れてのカーチェイスだ。俺たちは、その日、カラブリアからカプアに向かうエミリア街道を抜け、ローマに向けたアッピア街道に乗り換えたばかりの海岸線を走る途中、勢いよく車ごと海に飛び込んだ。
「あぁぁぁ! このバカ! ル〇ンじゃねーんだぞ! これ完全に死んだから!」
「しょうがないでしょう! あなたがぐちゃぐちゃ文句ばっかり言ってるからハンドル切りそこねたんですよ! 死んだら恨みますから! 絶対に貴方の事恨みますからね!」
あああ、海面が迫ってくる。終わったーーー! と思ったとき、赤いヒラヒラしたものが目の前に現れ、そこからにゅっと太い二本の腕が伸びる。その腕はフロントガラスを通り抜け、俺とシルヴァーノの額を掴む。それはある意味死を上回る恐怖であった。
俺たちの体はその腕に吊り下げられ、不思議なことに車の屋根を通り抜けた。下では車が海に突っ込んだ音が聞こえ、上からは赤い布が声を発した。
「よお、久しぶりだな。十字軍、やるぞ」
えええええ! この声は紛れもなくリナルド枢機卿。俺たちはこうしてまた、行きたくもない中世に拉致される。神はなんで俺に試練ばかり与えるのだろうか。そう思いつつ俺は意識を手放した。
~完~
コート・オブ・アームズ~Fiction of Crusader~ @SevenSpice
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