第11話 Knight of the church 教会の騎士

 翌朝、まだ薄暗い内からシェラールにたたき起こされた俺は、冷たい水で顔を洗い、目を覚まさせる。甲板に引き出された馬に鞍や手綱をつけるのが最初の授業だ。とは言え相手は背中の高さが自分の身長程もある巨大生物。どうしても怖い。


「大将、馬ってのは人の気持ちがわかるんだ。そうやって怖がってっと馬に嫌われんぞ?」


 そうは言われても怖いものは怖いのだ。犬猫と違ってみっしりとした筋肉がついた体はいかにも力強い。太い後ろ足で蹴られた日には、俺の体など水平線の向こうまで飛んで行きそうだ。シェラールがイライラし始めているのがわかるので俺はなんとか恐怖心を押さえ込もうと必死に努力する。

 そう言えばコイツは牝馬だ。顔立ちといい、毛艶といい、均整のとれた立ち姿といい、人間だったらかなりの美人のはず。そう、コイツは馬という巨大生物などではなく、人類が愛すべき美人なのだ。

 俺は頭の中に妖艶なハリウッド女優を思い浮かべ、それをこの馬に投影する。そしてその女優を口説くがごとく、正面にまわり、その長い首を優しく抱く。馬もこちらの気持ちに気がついたのか優しげな眼差しで俺を見つめ、ペロリと顔を舐めた。こうなれば怖くはない。俺はやや変態じみた興奮を感じながら馬の体を撫で回す。そしてその背中に鞍を載せ、腹帯を締めた。再び正面に回り、その顔を撫でながら轡をかませ、手綱をつける。


「お、やるじゃねーか。まあ、牝馬をやらしい目で見るのはどうかと思うけどな。とにかくコイツも大将が気に入ったようだ。よっぽど卑猥な事でもしない限り振り落としたりはしねーだろうさ」


 俺は鐙に足を掛け、勢いをつけて馬の背に乗る。高い、想像していたよりも馬の背ははるかに高い。元々高いところが好きな俺は、やや興奮気味にシェラールに歩かせ方を聞く。そして言われた通りに腰を動かし、合図を送った。パッカパッカと歩き出す馬。次いで手綱を軽く引いて進行方向に首を向け、足と腰で馬の体もそちらに向くよう指示してやる。すると馬は甲板の上をゆっくりと周回するように回りだす。途中で反対側にも曲がり、長い甲板を8の字に歩かせる。うはーたまんねー、この巨大生物が可愛くて仕方がない。

 俺はたてがみを撫でているだけでは我慢できず、そっとその首を後ろから抱きしめた。馬は歩きながらも俺の方に顔を向け、嬉しそうに鼻を鳴らす。やべえ、俺、コイツと恋に落ちそうだ。


 シェラールの前まで歩かせ、ギュッと股を締めて軽く手綱を引く。止まれ、の合図だ。馬は思った通りに動きを止めてくれた。


「やるねえ、大将。思ったよりは上出来だ。だが今日はここまでだな。降りたらこれを褒美にくれてやるといい」


 馬から降りてシェラールが用意してくれた人参を馬に食わせてやる。うまそうに人参を頬張り、ボタボタと糞を垂れる。食った以上は出て当たり前。俺は馬の糞を近くのバケツで拾うと海に捨てた。


「さて、そろそろ時間だろ? 大聖堂に行くなら着替えないとマズイな。俺は一旦こいつを厩に入れてくるから大将は着替えを済ませておいてくれ」


 そう言うとシェラールは馬を連れて行ってしまった。俺は一抹の寂しさを感じたが、着替えさえ済ませればまたあの馬に乗れるのだと思い、自室に向かった。そういやあの馬にも名前をつけてやらなきゃな。ハリウッド女優の名前だとまたイングランド読みがどうのとケチつけられるに決まってる。イタリアっぽい名前か。

 着替えながら頭を悩まし思い浮かんだ幾つかの内、オリヴィアと決める。シルヴァーノに確認したかったがいくら呼んでも返事がない。きっとまた疲れたとか言って寝ているのだろう。着替えを済ませて同室のダリオにおかしいところがないか確認してもらう。彼は今日、俺の身の回りの品を職人に預け、紋章を刻んでもらうのだという。はめていた指輪も彼に預け、ベットに立てかけていた盾も手渡す。マントや服、帽子に靴なども新たに仕立てるため、今日の夕方に職人をここに呼ぶらしい。


 ダリオに言われた通りに枢機卿からもらった短いブーツに、鎧に付けていた金の拍車を取り付ける。そして帽子とマントを身に付け、最後に騎士団の勲章を首から下げれば出来上がりだ。腰には昨日もらった剣を佩き、反対には何かあってもいいように、いくらかの銀貨を入れた革袋を括り付ける。


 厩ではヒュリアが寝藁を変え終わり、馬に餌をやっていた。ヒュリアにこの馬の名前はオリヴィアに決めたと伝え、彼女の食事姿を眺めていた。身支度を済ませたシェラールが迎えに来たので、オリヴィアを連れて甲板に出た。

 ちなみにこの船は甲板から敵船に乗り込む際に使った足場板を港に下ろし、スロープの役目をさせている。荷物だろうが人間だろうが馬だろうが、すべてそのスロープを使って乗り降りしている。勾配はやや急ではあるものの縄梯子に比べれば圧倒的に便利だ。ヒュリアに見送られながらシェラールが轡を取るオリヴィアの背に跨った。カッポカッポとゆっくり鳴らされる蹄が地を叩く音が心地よい。もう季節はすっかり秋めいて、北部イタリアのジェノヴァの街に吹く風もやや冷たくなっている。


 その日は枢機卿と共に、教皇が行うミサとか言う儀式に参加させられた。大聖堂に居並ぶのは高位の司教や司祭たち。その彼らの立ち並ぶ中、俺に与えられた席は、枢機卿の緋の衣が並んだ最前列の次の列。隣にはいかにも偉そうな司教だか大司教だかが並んでいる。

 後ろには多くの聖職者と民衆たち。聖堂に入れきれないものもいると言う。


 完全に場違い。いたたまれない思いの中、聖歌が歌われる。もちろん聖歌など初めて聞く俺は、歌って踊るアイドル歌手のように、口パクをするのが精一杯だ。歌い終わると祈りを捧げる。そしてしばらくするとまた違う歌だ。


 やっと歌が終わると今度は聖書の朗読が始まる。これも立たされたままだ。俺の隣にいた司教が前に進み出て、ハキハキとした高らかな美声で読み上げる。俺はどんな態度でいればいいかわからずさっきから目が泳ぎっぱなしだ。緊張のあまり、トイレに行きたくなったがそんなことを申し出れば後からリナルド枢機卿にどんな制裁を受けるかわからない。


 司教の長い朗読が終わると教皇が進み出て説教が始まる。相変わらずの小さな声で人の欲の醜さがどうのとか言っていたが俺は尿意を我慢するのに精一杯。話などまるで頭に入らない。足をもぞもぞさせながら永遠に続くかと思われた教皇の説教が終わるのを待った。


 ここでしばらく準備のために休憩が取られる。俺は混み合うトイレに駆け込んで順番を待った。当然市民たちとは別の身分の高いもの専用のトイレなのだが偉かろうがなんだろうが出るものは出るのだ。俺の二つ後ろに緋の衣を纏った細面の枢機卿が、青い顔で並んでいるのを見たとき思わず吹き出しそうになった。

 すっきりして聖堂に戻ると今度は聖体拝領の儀式だ。正面に積み上げられたお菓子のように薄く焼いたパンとワインに向かい教皇が祈りを捧げる。これによって単なるパンとワインが聖なるキリストの体と血に変化するのだという。ははっと鼻で笑いたいところだが参加者の真剣な表情を見ると、とてもじゃないがそんなことはできない。

 俺は出来るだけ神妙な顔を作って笑いをこらえた。教皇がパンをワインに浸し、それを食べてワインを飲むと、皆にもパンが配られる。そのパンを配っているのは先ほどトイレに並んでいた細面の枢機卿。あの人、ちゃんと手を洗ってるんだろうな? パンは参加者全員に、ワインは前列から十列目までの参加者が受け取った。俺はポイとパンを口に投げ込み、ワインを一口で飲み干した。となりを見ると、偉そうな司教が大事そうにチビチビ食べては感謝の言葉を紡いでいた。そのあといくつかの業務連絡があり、しきりに公会議がどうとか言っていたが興味がわかないのでどうでもいい。やっと解放されたのは陽も高くなってからのことだった。


 暗黒面に堕ちた男、ことリナルド枢機卿はやたら忙しいらしく、念話で『馬の稽古でもしてろ』と指示があったのみで顔すら見せない。

 忙しいならわざわざ呼びつけてんじゃねーよ!と思ったがもちろんそんなことは伝えもしないし口にも出さない。俺は従順な犬の如く、昼飯をご馳走になると言われた通りに馬に乗る。この日は特にそれ以上のことは何もなく、陽の落ちかけたところで『帰っていいぞ』と許可が出たので船に戻る。ちっ、用がねえなら呼ぶな、バーカ!と心の中で呟いて、急に怖くなったので馬の足を早めて船に向かう。今日の稽古で早足までならできるようになったのだ。


 さて、船に帰ったはいいがこれはどうしたことだろう。俺の部屋は勝手に改装され、高価な調度品が運び込まれている。ベットも天蓋の付いた大きなもので、部屋の3分の1を占めていた。従者であり、護衛でもあるシェラールのベットは部屋の隅に追いやられ、間にはこれまた高そうなテーブルセットが置かれている。修道士ダリオは別の部屋で寝ることにしたらしく、彼のベットは見当たらない。また、部屋を出ると空きスペースだったのだが、そこに間仕切りが設けられ、ヒュリアをはじめとした女たちが侍女として交代で詰めることになっているらしい。ドヤ顔でそれらを説明するダリオにややあきれ顔で頷いていると、


「これも全ては皆の為。主がその身分に似合わない振る舞いをすれば言われるのは臣下である我々ですからな。多少好みに合わなくても我慢していただく他ありませんな」


 と言い放つ。ダリオは商人上がりのくせに格式だの身分だのが大好きだから困る。


 止めとばかりに現れたのはリンネルの黒い前開きのシャツにタイツ姿のフリオだ。ブサイクな面のくせに髪とひげに油をつけ整えてやがる。


「あっし、いや、あたくしが執事を務めさせていただきやす。身の回りの事は何なりとお申し付けを。ジョルジオ卿」


 おい、誰かこいつを簀巻きにして海に放り込んで来い。思わずそう言いたくなるほどその執事姿はキマっていなかった。後ろでフリオのその姿を惚れ惚れした顔で眺めるソニア。その顔が俺の怒りに拍車をかけた。


 俺の目に怒りの色が浮かんだのに気付いたダリオは機嫌直しとばかりに後ろで恥ずかしがっていたヒュリアを前に出す。ヒュリアは鮮やかな青色に染められた毛織物のワンピースを身に纏い、髪も流行りの垂らし髪だ。ワンピースの襟元や裾には刺繍が施され、飾り細工のなされたベルトで腰を締めている。恥ずかしげにうつむいたままだが、その姿はとても美しかった。


「うん、ヒュリア、とても綺麗だ」


 そう言ってやると、走り寄って俺にしがみついたまま離れない。ヒューヒューと皆にからかわれながらも、俺の目は人だかりの奥で、一人さみしそうに踵を返したロザリアの姿を追っていた。


 その日、夜になって俺の寸法を計りに服職人が船を訪れた。見本でもってきた生地の中からいくつか選び、仕立てを頼んだ。俺と行動を共にするシェラールにも何枚か仕立てることにする。


 翌日からも朝は馬の稽古、そのあと大聖堂に出勤してミサに参加。午後はまた馬の稽古と変わり映えのない日々を過ごした。リナルド枢機卿はよほど忙しいらしく、ろくに顔すら見せない。こちらとしてはそのほうがありがたいくらいなのだが、この先どうするのかくらいは知っておきたいところだ。


 結局リナルド枢機卿からお呼びがかかったのは2週間を過ぎた頃だった。その頃にはもちろん俺は馬に一通り乗れるようにはなっている。


『リヨンに行くぞ』


 開口一番リナルド猊下は声にはださずそれだけを言う。


『あのーすいません、リヨンてどこにあるんですか?』


『シルヴァーノ!』


『は、はい!』


 あれからほとんど姿すら見せなかったシルヴァーノが何かに弾かれるように姿を現す。


『このバカに後で解るように説明してやれ。俺たちは公会議をリヨンで開くことに決まった』


『ほう、ではフランスの協力が得られたと?』


『まあ、そんなとこだ。そこでこのバカには道中の護衛をしてもらう。人数はどのくらい出せる?』


『陸路で行かれるのですか?』


『ああ、教皇の姿を民に見せてやることも必要だからな』


『あの船から割くのであれば30人ほどですかね』


『ま、それだけいりゃあ十分だ。盗賊だろうがなんだろうが流石に教皇を襲おうとは考えまいよ。護衛はあくまで飾りだ』


『で、いつ出発なさるので?』


『来月早々ってところだろうな。リヨンまではここから一週間てとこだ。雪が降る前に到着しねーとな』


『解りました。その段取りで準備します。ちなみに糧食や宿舎などは?』


『心配するな。お前らだって一応は教皇猊下の御一行様だ。各地の教会や領主が喜んで宿や食事を提供してくれるさ』


『なるほど。では最低限の準備でいいですね』


『ああ、それと俺が使いを出すまでここに来なくていい。その分準備をしっかりしておけ』


 それだけ言うと枢機卿はめんどくさそうに俺を手で追い払った。彼の机には羊皮紙の書類が山と積まれ、その仕事量の多さに目を見張る。


『で、結局どういう事なんだ?』


 俺は大聖堂を出て、馬に跨ると、姿の見えないシルヴァーノにそう呼びかけた。


『要は教会の会議ですよ。世界中の聖職者が集まって、今後の教会の方針を決めるんです』


『そんなもん、わざわざそのリヨンって所までいかなくてもここでやりゃあいいじゃん』


『ここジェノヴァは確かに力のある都市ですし、今の教皇インノケンティウス4世猊下の出身地でもあります。でもいくら力があるとは言っても所詮は都市国家。神聖帝国やフランスに比べればその戦力は微々たるものです。皇帝と敵対している教皇としてはその皇帝に匹敵する力を持つもの、つまり、フランス王の支持が絶対に必要なんですよ。今回それがうまくいきそうなので、公会議もフランス国内のリヨンで行う訳です』


『要はフランス王をバックに立てて好き放題やろうってことか。まるで戦国時代の足利将軍だな』


『まあ、そんな感じです。権威に実力が伴わない場合、他人の手を借りるしかないですからね』


『お前、足利将軍知ってんの?』


『ええ、貴方の国の歴史は大まかにですが調べました。それに部屋にゲームがあったでしょ? 戦国時代の奴』


『ああ、なるほど。お前ずっと引きこもりだったからな』


『あの頃はまだ力がありましたからね。半径2キロぐらいなら貴方と離れても問題ありませんでした。残念ながら今となっては300mが限界です。だからしょうがなく貴方にくっついて歩いてるんですよ』


『頼んでないよね? そう言う嫌そうな言い方やめてくれる? 俺がここにいて教会騎士とやらになり、あの枢機卿に仕える羽目になったのも元はと言えば全部お前のせいだから。100%お前の都合だからね』


『またその話ですか? もう過ぎたことをブツブツ言うのやめましょうよ。これも神のお導き。それでいいじゃないですか』


『全然よくねーよ!』


『そんなことより、やることはわかってますね?』


『えっと、確か教皇の護衛に30人程必要なんだろ? 漕ぎ手の連中から選ぶしかねーよな?』


『ですね。頭だった者としてシェラールとフェデリーゴ。フリオは残して漕ぎ手頭を任せましょうか』


『フリオで大丈夫なのか? 俺、すげー不安なんだけど』


『あなたは知らないかもしれませんが彼には人望があるんですよ。気配りもうまいし腕も立つ。みんなからも慕われてますしね。だからこそ貴方の執事なんて言う大役を任せられるわけです』


『まあ、お前がそこまで言うのならいいけどさ』


『それと世話をする女としてヒュリア。そんなとこですか』


『そうだな、ロザリアは船長だし、ダリオは商売に欠かせない。物知りのダリオを連れて行けないのは痛いな』


『まあ、仕方ないですよ。下手に同行させても周りは全て高位の聖職者。そんな中に修道士でしかない彼が混ざってもやりづらいでしょうしね』


『それもそうか。困ったときはお前もいるしな。それに聖職者ってみんな頭いいんだろ?』


『ええ、学問ができなければ聖職者として出世はできませんから。但し、この時代の学問は殆どが神学ですけどね』


『それはそれで困る気がしないでもないが、まあいいや。取り敢えずロザリアとダリオにその事を話さなきゃな』


 船に戻り、シェラールに馬を預けて俺は船長室に向かう。中では何やらロザリアとダリオが真剣な顔で話し合いをしていた。


「ジョルジオ卿、ちょうど良い時にお帰り下された」


「ねえ、やっぱりそのジョルジオ卿ってのやめない? 身分だなんだってのはわかるんだけどさ、疲れるんだよねそういうの。それにここは俺達の家だろ? 家に帰ってまでそんなよそよそしくされたら堪らないんですけど」


「ハッ。全くアンタだけはどうしようもないね。まあ確かにここはアタシ達の家さ。家の中まで堅苦しいのは嫌ってのはわかる話だね。どうだいダリオ? せめてここにいる間くらいは気楽にしてもらっちゃあ」


「そうですな。まあそのほうがお互い良いと言うなら、そう言うことにしておきますかな」


「助かるよ。帰ってきてまであの大聖堂と同じ調子じゃたまらない。で、ダリオ殿、何をそんな真剣に話し合ってたんです?」


「ああ、そうそう、この先の我らの行動についてですよ。何のかんので約束の一週間はとうに過ぎ、船のみんなは島に帰りたくて仕方がないのです。抑えるのもそろそろ限界に来ているのでどうしようかと」


「まあ、奴らにすれば島に帰るのも半年ぶりだからね。家族と会いたい気持ちもわからないでもないんだ。で、ジョルジオ、そっちは何か動きがあったのかい?」


「ああ、来月早々に教皇猊下がリヨンに向かわれる。俺はその警備を命じられたんだ」


「なるほど。で、あれば船からも人数を出さねばなりませんな。して、誰を連れて行かれるので?」


「まずはシェラール。それとフェデリーゴかな。あとは漕ぎ手の中から選んで全部で30人程。後の漕ぎ手頭はフリオにやってもらう。それとみんなの世話係として、ヒュリアにも同行してもらおうと思っている」


「アタシは連れて行ってくれないのかい?」


「ロザリアはこの船の船長だ。船を離れるわけには行かないだろ? それにダリオ殿、アンタには引き続き交易を頼みたい。俺は今のところ無収入ですし、元老院議員の話もローマに行けなきゃどうにもならない。その間、みんなの食い扶持はアンタに稼いでもらうしかないんですよ」


「なるほど。確かにロザリアは船を離れるわけには行きませんな。それに私も。わかりました、私は交易を続け、貴方がた上陸した面々と彼らの家族が暮らす島が必要な財を稼ぎ出してみせましょう」


「ええ、頼みます。アンタだけが頼りですから、ダリオ殿」


「アタシが仲間はずれなのは気に入らない。けどアンタの言うとおり船は離れられない。だから今回は我慢するよ。だけどそのメンツで大丈夫なのかい? アンタは勿論だけどシェラールも頭が回るようには見えないねぇ。フェデリーゴの奴なんかは脳みそ詰まってんのかすら怪しいもんだ。となるとヒュリアだけしかまともなオツムがいない」


「ふむ、それは問題ですな。金に食料、衣服や資材、そういった物の管理が出来る人材がおりませんな」


「だねぇ。金なんか預けたらその日のうちに酒に変えちまうような連中さ。管理の意味さえわからないだろうね」


 本人を前に酷い言われようだ。俺だって長年一人暮らししてるんだぜ? 家計のやりくりぐらいできるんだよ!


「まあ、一人お目付け役というか会計役が必要でしょうな」


「そうさねぇ、ルチアーノを付けるしかないか。アイツがいないとアタシの仕事が増えるんだけどねぇ。まあ、背に腹は代えられないか。食うに困って山賊にでもなられたら大変だからね」


「さて、こうなればゆっくりしてなどいられませんな。私は武器防具の手配をしてくるので、ロザリア、貴方は人員の振り分けを頼みますよ」


「ああ、任しときな。ジョルジオ、アンタはうろちょろしてると邪魔になるから部屋でおとなしくしてるんだね」


 ここでも追い払われた俺は仕方なく自室に向かう。シェラールもまだ戻っていないしやることとて特にない。取り敢えず窮屈な服を脱ぎ捨てて、麻のズボンに履き替えるとベットに横になる。ベットの広さはキングサイズ? いやそれ以上だ。俺しか寝ないのにこんなでかいベット買ってくるとかあいつらバカじゃね? などと愚痴を言いながら目をつぶる。


『あー退屈だなー。こんな時、街に繰り出して可愛いオネーチャンとムフフな事したいよなー』


『それはいいですね。実は目をつけている売春宿があるんですよ! 流石は海洋国ジェノヴァです。肌の黒いムーア人から真っ白なスラヴ人まで選り取りみどりですよ? 途中で憑依してもいいですよね? 僕も久しく女なんて抱いてないんで。ほら、はやくいきましょうよ』


『それってさ、もう俺が女とエッチなことしても問題ないってこと?』


『え?』


『え?』


『別にいいんじゃないですか? 何を今更』


『だって、お前俺が女とエロいことすると消えるとかなんとか言ってただろ?』


『あー、はいはい、そんなこともありましたね。思い出しましたよ。設定5の1ね』


『もしもし? お前今、設定とか言わなかったか?』


『気のせいですよ。そうそう、僕は貴方が女性と性的関係を持つと消えてしまうんです! だからそういう事はやめて下さいね』


『限りなく嘘っぽいんだけど。さて、シルヴァーノ? まずはどんな技から行こうか』


『暴力反対! それじゃあの枢機卿と一緒ですよ。まずは話し合いましょう! ね?』


『では釈明を聞かせてもらおうか。もちろん俺の納得がいくようにだ』


 結局シルヴァーノは俺に嘘をついていたことが判明した。コイツが言うにはヒュリアのようなロリやロザリアみたいな勝気な女は好みではない為、俺に憑依する気にもなれないそうだ。かと言って俺だけがエッチなことをするのも腹が立つのでそんな話をでっち上げたのだという。当然の如く俺のコスモは爆発し、全盛期のスタン・ハ〇セン並みのラリアットを食らわせたあと、知る限りの関節技を極め、最後に投げっぱなしのジャーマンスープレックスを放つ。

 部屋で暴れる音が響いたのか、鬼の形相でロザリアが現れ、テストで0点を取った息子を叱る母親のようにひとしきり小言を連ねた後で出ていった。きっと彼女は生理中で機嫌が悪かったに違いない。倒れたまま、その姿を横で笑って見ていたシルヴァーノにプロレス世代のお父さんの必殺技、足4の字固めをかけておいた。英語で言うとフィギュアフォー・レッグロック。なんかスゲーかっこいい。


 ギブアップを宣言したシルヴァーノを足蹴にしながら俺は勝利の雄叫びを上げる。とは言え大きな声を出すと、またブルーディのロザリアが乗り込んでくる恐れがあったので小声でだけど。


 しかしこれで俺は女に関してはフリーパスだ。あのロザリアのたわわな胸も俺のもの。そう思うとウヒヒと下品な声が漏れる。


『でもあれですよね、ジョルジオ。貴方確かロザリアに振られてましたよね』


 あ、そう言えば。いや、あれは何かの間違いに決まってる。そう決めつけ俺は船長室に走り込んだ。


「なんだいジョルジオ。部屋でおとなしくしとくことすらアンタにはできないのかい?」


 うわ、のっけから最悪の雰囲気だ。いやいやここからが勝負だろ。


「ふっ、ロザリア。君には今まで寂しい思いをさせてすまなかったと思ってる」


 甘いセリフを吐きながら、彼女の肩を抱き寄せようとしたとき、パチーンと頬に平手打ちを食らった。


「アタシに纏わりつくんじゃないよ! 気持ち悪い。いいかい、アタシはもう、アンタになんか惚れちゃいないんだ。今のことは誰にも言わないでおいてやるからさっさと出て行きな! 今すぐに」


 え? え? あれほど積極的に迫ってきてたじゃん! キスだってしたじゃん! なのに何故!


 俺は背中を押され、部屋を追い出される。くそ、いいさ、俺にはまだヒュリアちゃんがいるもんね! バーカバーカ!


 ヒュリアはきっと厩に違いない! 俺は股間に凝縮した熱い思いをぶつけるべく、厩へと走る。


「やあヒュリア。はぁはぁ、今日の君もとても綺麗だ。はぁはぁ」


「どうしたんです、いきなり?」


「いや、今まで何のかんのと理由をつけてはこらえてきたが、君の魅力に俺は、」


「ええ、私が成長するまで待っててくれてるんですよね? 私もあのあといろいろな人に尋ねましたけど、やっぱりこの年で赤ちゃんとかできると危ないそうです。ジョルジオ様の心遣いにとても感謝してるんですよ。それほどに私を大事に思ってくれてるんですから。待っててくださいね、16になる頃にはもっと色っぽくなりますから」


 いやね、ヒュリアちゃん。屈託のない笑顔でそんなこと言われちゃうと、俺、何も言えなくなっちゃうじゃん。


「あはは、そうだね。オリヴィアの事、よろしく頼むね」


 結局俺が言えたのはそれだけだった。俺はがっくりと肩を落として部屋に帰る。こんな時、広いベッドが恨めしい。


「どした、大将。随分しょぼくれてるじゃねーか」


「いや、べつにぃ」


「なんだなんだ? 大将がそんなんじゃ士気に関わるってもんだ。どうだい? いっちょ景気づけに女でも買いに行くってのは?」


『素晴らしいアイデアですよ、シェラール!さあ行きましょう、今行きましょう!』


 俺より先に答えるのはシルヴァーノ。とは言え俺も全く異存はない。


「シェラール! お前だけだ心の友は! さあ、この迷える子羊を楽園に導いてくれ!」


「あはは、大将も大げさだな。とは言っても他の奴にばれると面倒だ。隠密行動で行くぞ」


「了解しました、隊長!」


 俺は目立たない服に着替え、薄暗い船の中をシェラールについて進む。中腰で足音を消しながら進むシェラールはまるで本物の忍者のようだ。人の声が聞こえては物陰に隠れやり過ごす。自分の船なのに敵国に潜入したスパイのような気分だった。


 見事ミッションはコンプリート。船を降りた俺たちは影の濃いところを選んで進む。あの角を曲がればもう、船からは見えないはずだ。とは言え油断は禁物。隠れて外出しているのが俺達だけとは限らない。念には念を入れて陰に潜み、人目につかないように進む。

 ようやく、ようやくたどり着いた。ここがこの世の楽園売春宿だ。中からは女性の黄色い声が響いてくる。この扉を開ければそこは、待ち望んでいたパラダイスが!


 俺はシェラールと顔を見合わせニヤリとすると、扉に手をかけた。その時、キラリと輝くものが見えたかと思うとストンと言う軽い音がして、扉に手をかけた俺の人差し指と中指の間に刃物が突きたった。


「兄さん。死ぬ覚悟は完了してる?」


 冷たく、まるで氷がぶつかり合うような声の主は影に潜むヒュリアのものだった。


「大将、すまねえ、ドジっちまった。俺は逃げるからあとはうまくやってくれ!」


 そう言い残してシェラールは影に溶けるように消えた。そして深く濃い闇の中、やたら光を帯びたナイフを手に、ヒュリアの姿が現れる。無表情な彼女の目線からは一切の感情が感じられない。なぜだかわからないけどものすごく不味い予感がした。


「私がどれほどの思いで耐えているのかも知らないで、自分は売春宿で他の女を抱く? ねえ、ジョルジオ様、そんな男がもしこの世にいるなら、その男に生きる価値はないですよね?」


 そう言うと彼女の手からまた一つキラリと輝く刃物が、俺の首筋のすぐ脇にストンと音を立てて刺さる。まずい、確実に殺される。


「あ、あのさ、ヒュリア、その男にもほら、色々事情があるかもしれないだろ? そう言う一方的な決め付けは良くないと思うんだ。ハハハ」


「いいんですよ。生きる価値があるかどうかは私が決めること。今までもそうしてきましたし、もちろんこれからもそうしていきます。私からすれば許嫁を放っておいて商売女に手を出す男は生きる価値など微塵もないんですよ」


 そう言いながらまた一つナイフを投げる。それは俺の股間ギリギリを通り抜け、ストンと背にした扉に刺さった。


「で、ここで質問なのですが、ジョルジオ様? ここに一体何をしにこられたのですか? 私が思うに、あの兄に騙され、このような場所に連れてこられた。そうですよね? もしそうなら私はあの不埒な兄を今度こそ殺します。この世で考えられる限りの酷さでね」


「え? あ、そうそう、そうなんだよ。だって俺はあれだよ? ほら、ヒュリアって言う大事な人がいるのにわざわざ見劣りする商売女なんか抱きに来るはずがないじゃないか! うん、どんな女も君の魅力に比べれば泥人形も同然だよ。全くシェラールの奴、俺を騙してこんなとこに連れてきやがって。あとで文句言ってやらなきゃな」


 すまんシェラール。お前のことは忘れない。ここは潔く死んでくれ!


「やっぱりそうでしたか。おかしいと思ったんですよ、ジョルジオ様が私を裏切るはずなんかないですもんね」


 ニコリと笑うヒュリアの顔はいつも通り屈託のない、可愛らしい笑顔だった。そのまま俺に歩み寄り、扉に刺さっていたナイフを抜くと、「兄を殺してきます」と最高の笑顔を残し、闇に消えていった。ふぅ、とため息をついたのも束の間。本当の悲劇はここからだった。


『さあて、邪魔者もいなくなったことだし、遠慮なくパラダイスに足を踏み入れますか!』


 シルヴァーノの号令に応!と力強く答え、両開きの厚いドアを開く。中からの喧騒に俺は強い風を受けたかのように熱気を肌に感じた。うーんこれだよ、この空気だよ、俺はこれを求めていたんだ。


 必要以上に明かりが灯された室内には妖艶に足を組んで座るドレス姿の女たち。色の黒いムーア女も背の高いスラヴ女も、俺の姿を見つけると細い指先で手招きする。現代にいた頃と違い、今の俺は金持ちだ。しかもここには「シャッチョさん、コレうまいよ、モットのむか?」などと露骨に注文をせがむ女も「オマエ、コレ食うか? あ? プルーツもついでにいいか?」などと頼んでもいないものを勝手に注文する女もいない。いるのは圧倒的な色気を誇る美しい女だけだ。フラフラと明かりに導かれる蛾のように、俺は店内に足を踏み入れる。その時ドンと肩が黒のマントに身を包んだ男に当たった。


「おい、オッサン、気をつけろよな!」


 興が削がれた事もあり、やや苛立ち気味に黒マントの男を怒鳴りつける。その男はしばらくじっとしていたかと思うと、おもむろに深くかぶったフードを取った。


『おい、ご機嫌だなオメー』


 はい、きました。そこにいたのはダークな気を纏ったミスター暗黒面、リナルド枢機卿。彼は俺を見つめてニヤリとすると


『俺は準備をしておけと言ったはずだが? お前の準備は売春宿でするものなのか?』


 と楽しそうに念話で問い詰め、俺の額をその大きな手のひらで掴む。


『これにはふかーい訳があってですね。その、準備の方はしっかりくっきり怠り無くしておりますです』


 そんな言い訳など当然聞かず、枢機卿はいつもの爽やかな笑顔に戻ると店の店主を見て、


「どうやら彼は具合が悪いみたいですね。彼は私の知人ですので連れて帰ります。ご心配なく」


 などと言い放ち、俺の額を掴んだまま店を出る。分厚い扉を開けるとそこにいたのはヒュリアさん。完全に人殺しの顔で待機中だ。


「おや、貴女は確か、そうそう、ジョルジオの従者の方でしたね。こんな時間にどうしました?」


「妾の主が不埒な行いをしておらぬか確かめに参ったのじゃ」


「なるほど。でも安心してください。貴女の主はこの通り、不埒な行いをする前に私が取り押さえました」


「それはありがたい事じゃ、枢機卿様」


「いえいえ、あとは私の方から彼に、教皇の騎士として恥ずかしくないよう教育をしておきますから、貴方は船にお戻りなさい。闇は人の心を惑わします。貴方のような可憐な少女がフラフラとしていてはやましい心を持つ者も出るでしょう。危険は避けて通るのが賢い女性というものですよ」


「なるほど。流石は枢機卿様じゃ。言われる事がいちいちごもっともじゃのう。では我が主の身はお任せするゆえ」


「ええ、私が預かりますから心配しないようにと船の皆さんにもお伝えください」


「では教育の方、しかと頼みますぞえ?」


 ヒュリアは振り向きもせず闇に消えた。俺はアイアンクローの格好のまま路地裏に引きずり込まれ、そのあとの記憶は全くなかった。ただ、覚えているのは空いているはずの枢機卿の左手には俺と同じ格好で引きずられているシルヴァーノの長い金髪が見えたことだけだった。

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