第6話 In interval of a friend and the greed 友情と欲望の狭間で

 クレタ島までは修道士ダリオによればあと4日程かかるという。今は風に恵まれているがいつ何時無風になるか解らないのがこの地中海の怖さだという。最もこの船に関して言えば帆走もできるガレー船なので風がなくても走ることはできる。


 俺は昼間はロザリアにお供として駆り出され、船の各部署を見回り、夜はダリオが話す見聞録をみんなで聞いた。ダリオの知識は多岐にわたり、様々な分野に及んでいたが一番興味を引いたのは各国の風俗関係の話だ。風俗と言っても勿論キャハハウフフのあれではなく、生活習慣や風習の事だ。

 何でもアルプスを境に南と北ではだいぶ生活様式が異なるらしく、ローマ帝国の残したインフラが所々に残るイタリア半島や、イスラム文化圏であったアッコンやアンティオキアのシリアや小アジア、それにコンスタンティノープルを始めとした大都市は比較的清潔なのだと言う。そう言えば昔、何かで読んだ中世ヨーロッパは皆、風呂に入らず体臭を香水でごまかしていたなどと書いてあったが現実はそうではないらしい。アッコンにも共同浴場があったし、ローマを始めとした各都市にも同様の設備があるらしい。


『ヨーロッパの人が風呂に入らなくなったのは16世紀頃ですよ。13世紀のこの頃は結構マメに体を洗ってます。と言っても週一ぐらいですけどね』


『そうなのか。つかお前、大丈夫なのか?』


『ええ、しばらく休んでいましたからね。貴方が2人の女性の間でオロオロしている時にチャチャ入れられなかったのが心残りですが』


 相変わらず嫌がらせが好きな奴だ。ま、とにかく解説してくれるのはありがたい。


 アルプスの北、つまり、フランスやイングランド、それにドイツ辺りではガラリと様子が変わるらしい。ゴミや排泄物は全て道に投げ捨て。それを放し飼いにされている豚が食うと言う超絶エコロジー。アッコンや他の十字軍国家では元々がイスラム文化圏であったため豚は食べない人が多く、肉といえば羊が多いので、街の中を豚がうろちょろしていることは無かった。当然窓から排泄物を投げ捨てるなどという事もなく、街並みは清潔だ。イタリアもローマでは帝国時代の下水道が今も使われており、排泄物はそこに捨てられる。街中に豚こそ飼われていないものの、下水から出てくる丸々太ったねずみが多いらしい。


 ローマを北上してフランスに入るとそこからはもう、カオスな世界だ。


 建物の上階からは合図とともに、家庭に溜め込まれた糞尿が降ってくる。街中に糞尿の匂いが染み付き、それら排泄物や生ゴミを放し飼いの豚が食って育つ。うーん、フランス以北に行くのは遠慮しておこう。排泄物でも頭にかけられた日には一生残るトラウマになりそうだ。

 ちなみにこの船での食事も肉と言えば羊だ。最も魚の割合の方が多く、大体が魚と玉ねぎなどの野菜、それに豆類を海水で煮込んだシチュー。味は海水の塩味のみだ。それを添えられた硬いパンで手繰り寄せながら食べる。フォークやスプーンなどの食器はない。鍋から掬う為のおたまのようなものがあるだけだ。これが昼と夜の2回供される。朝飯は食べないらしい。歯磨きは海水で口をすすぎ指で磨く。

 船の上には風呂がないので濡らした手ぬぐいで体を拭う。我慢できないときは停泊している時に海に裸で飛び込めば解決だ。もうね、なんていうか慣れだね、慣れ。人は与えられた環境に適応するように出来ているらしい。あれほど躊躇った尻を手で拭くことにすら今ではなんのためらいも感じないし、飯もうまくはないが空腹よりはよほどマシなので残さず食べる。


 唯一苦痛なのが暇すぎる事だ。ロザリアと日課の見回りを終えてしまえばすることとてない。かと言ってみんなは忙しそうに動いているので話し相手すらいないのだ。正確には一匹幽霊がいるが、半年以上の間2人で過ごしていたから流石に話す事とてない。あまりの退屈さに耐え兼ねて、天気のいい日は甲板で剣の素振りをすることにした。勿論素振りをしたぐらいで腕が上がるわけでもないし、敵を斬れるとも思わない。あくまでスポーツ的なノリでやっているに過ぎないのだ。


 剣に関してはシルヴァーノにいくつかの形を教えてもらい、剣先がぶれないよう、また、剣を振る勢いに体を持っていかれないよう注意しながら振っていく。高校の授業で剣道は習ったが、竹刀と違いこの剣は片手持ちだ。全くと言っていいほど勝手が違う。片手剣は空いた左手に盾を持つのだが、その盾を持ってない。ロザリアに言って船にある丸い盾を借り受ける。

 60cmほどの丸い木の板の縁を金属で補強したもので裏には2本の革ベルトが付いている。その内の一本に腕を通し、もう一本を握ることでぴったりフィットするのだ。重さは体感で2~3キロだがこれを持ちながら剣を振るうと言うのは中々キツイ。シルヴァーノが言うには剣などを防ぐ時にはこの盾を相手の武器に叩きつけるように使うらしい。その動きも加えて剣を振る。勿論翌日は筋肉痛だ。当初こそヘロヘロだった剣筋もクレタ島が見えてくる頃にはどうにか様になる。ヒュンと風を斬る音が出せるようになったのだ。心なしか腕もほんの少しだけ太くなったように見える。


 エーゲ海の入り口に浮かぶクレタ島はヴェネチアの領土で、4回目の十字軍の際、本来エルサレム方面に向かうはずだった十字軍は輸送を請け負ったヴェネチアの意向でアドリア海沿いやエーゲ海を荒らし回ったらしい。その時にコンスタンティノープルが陥落、そのどさくさ紛れにこの船をロザリアの祖父がかっぱらって来たらしい。

 結局ヴェネチアはその十字軍でクレタ島や今ではネクロポンテと呼ばれる大きな島、エヴィア島を領有する事になる。同じキリスト教国である東ローマ帝国を滅ぼすようなやり方を悪く言う者も多く、修道士ダリオなどはしきりにヴェネチア人の悪口を言っていた。


 そのクレタ島の最大の街、ガンディアの港には海に張り出した要塞が設けてあり、入港に際しては小舟に乗った役人たちの臨検を受けねばならなかった。とは言え、騎士とその一行には税金はかからず、港湾使用料を支払うだけでいいと言う。とは言え、この使用料が結構馬鹿にならないらしいのだが。

 久しぶりに陸に上がった俺は、ロザリアの案内でヒュリアとシェラールを連れて街を練り歩く。道路は舗装され、白っぽい石で組み上げられた建物はどれも美しい。この島では砂糖が生産されているらしく、甘い飲み物や食べ物を出す店も多い。久しぶりに味わった甘味、果物とは違う強烈な甘さに感動した。

 輝く太陽に美しい街並み、もうさ、ここに住みたいくらいだね。ローマとかシルヴァーノの目的とかどうでもいい。どうせ元の時代に帰れないのなら俺はこの島で暮らしたい。


『残念ながらそれは無理ですね。貴方はローマに向かわねばなりません。なぜなら私の目的もローマにあるんですから』


『それじゃあさ、そのローマでの目的ってのをパパッと片付けちゃって、またここに来ようぜ』


『ええ、その時は好きにしてください。』


 ふふっと何か含み笑いをしてシルヴァーノは姿を消した。


 しばらく甘味を堪能したあと広場で開催されている市場に向かう。まだ昼前なのに大賑わいだ。ロザリアとヒュリアは二人でアレコレ服を選んでいる。そんなヒュリアに前に渡した金で好きなものを買っていいからと伝え、俺はシェラールと武器屋を探す。せっかく練習したので自分の盾が欲しくなったのだ。市場といっても皆露天。テントで作った店舗の前に商品を並べている。現代で言えば以前流行ったフリーマーケットに似ていなくもない。その一角にごつい武器が立てかけられている店を見つけた。


「いらっしゃい。どんなのをお探しで?」


 ハゲ頭の店主がにこやかに応対してくれた。とは言え流石に武器を扱うだけのことはあって、筋骨隆々とした体格をした強面だ。


「盾を探しているんです」


 気圧されそうになるところをなんとか踏ん張り、用件を伝える。つまらないことを言えば殴られそうだ。それほどにこの店主には凄みがあった。


「ふーん、盾ね」


 そう言いながら店主は店の奥の方から何枚かの木の板を持ってくる。


「盾といってもピンキリだ。やっすいのはこれ」


 そう言って見せてくれたのはどう見ても樽の蓋だ。木組みが甘く、継ぎ目には隙間がある。お値段も格安のデナリウス銀貨2枚。


「流石にそれは無いでござるな。こう見えてもこちらのジョルジオ様は騎士。店主、騎士にふさわしき物を頼むでござる」


 見かねたシェラールが口を挟む。いつ聴いてもこのラテン語ってのは吹き出しそうになる。


「騎士様だったのかい。だったらそう言ってくれなきゃ」


 次に差し出したのは埃をかぶったアイロン型の盾だ。いわゆる物語の騎士が装備している5角形のやつ。中央がやや盛り上がり外に向けて緩やかに傾斜しているその盾は、硬い樫から削り上げた逸品だと言う。縁を補強する金属にも細かい装飾が刻まれていた。


「コイツは中々売れなくてね。俺としちゃあ会心の出来なんだがな。わざわざ騎士様が来てくれたんだ、安くしとくぜ?」


 値段はこのままでも銀貨30枚。金貨1枚払えば表面に紋章を描いてくれるらしい。しかし金貨1枚か。確かシルヴァーノは金貨1枚で家族が一ヶ月暮らせるとかなんとか言ってたな。現代で言うと20万弱? いや、電気代も携帯代もないからもう少し安い? 俺はそのあともいくつか見せてもらったが結局この盾を買うことにした。


「毎度ありぃ! んじゃ今から加工するから出来上がりは明日になるぜ。それとコイツはおまけだ。騎士の従士さんなら盾ぐらい持ってねえとカッコつかねえだろ? 」


 そう言って店主はシェラールに丸い盾を差し出した。聞けば昔店主が従軍した時に手に入れた戦利品で、出来がいいので売らずにしまっておいたら忘れてたらしい。やはり金属で縁が補強され、中央が盛り上がっている。

 こっちの盾にも紋章を書いといてやると言われ、粘土の上に指輪を当てて形を取る。これを参考に描くのだそうだ。こんなごついおっさんに絵が描けるのだろうかと不安になったがここは信じるしかない。色は? と聞かれたのでサーコートの色である黒に白で模様を書いてもらう。他にも盾の裏に革の持ち手をつけたり、背中に背負うためのベルトをつける為、出来上がりは明日になるそうだ。俺たちは明日、取りに来ることを約束して店をあとにする。


「しかし1枚の値段で2枚もくれたら赤字だろうに」


「大将の選んだやつは確かに出来がいいかもしれねぇが、所詮は売れ残りさ。引き取り手があっただけでも儲けもんってね。流石に良心が痛んだんで俺の分をおまけしてくれたって訳さ」


「あちゃー、って事は俺、騙された? 」


「そんなことはねーよ、確かに物としちゃ上等なもんだ。ここじゃなくてアッコンみたいな騎士団の街ならあっという間に買い手がついただろうさ。そんなことより大将、まだ金は残ってんのか? 」


「あと金貨一枚ね」


「それなら防具屋に行って篭手を買ったほうがいい。何かの拍子に指でも落としたら騎士としてはおしまいだからな」


「え?そうなの」


「そりゃそうだろ、剣も握れない騎士なんて誰も認めちゃくれねえよ。そうなりゃ困るのは下についてる俺たちだ。アンタの体はもうアンタ一人のものじゃないんだよ」


 そう言われて反論できるはずもない。考えてみればそうだ。船の連中が税金も取られることなく何かと優遇されているのは俺の従士だからで、俺が死んだり、失脚して騎士として認められなくなれば、彼らもまた海賊に戻るしかない。防具屋での交渉はシェラールに任せ、元はコンスタンティノープルの騎士が着けていたと言う、小さな金属片をウロコ状に貼り付けた篭手を買った。中古なのでサビが浮いているが新品だと金貨2枚は下らないらしいので我慢する。

 早速嵌めてみると、篭手は手のひらの部分だけくり抜かれ、なんだか危うげだ。シェラールが言うには手に持った武器がすべらないようにそうなってるのだという。なるほど、これなら剣が滑らない。

 金もなくなったので船に戻ろうとすると、酒場の前で体格のいい男に声をかけられた。前に俺をつまみ出したことのある漕ぎ手頭のフェデリーゴだ。


「よぉ、大将、それにシェラールも一緒か! よかったら俺たちと一緒に飲んでいかねーか?」


「そりゃあいいけど俺、金持ってないよ」


「コマけえことは気にすんなって、よっしゃ、今日は俺のおごりだ。大将もシェラールも好きなだけ飲んでくれ、何しろ船で深酒すると、あの小うるさい副長にどやされちまう。あのアゴ長野郎が来ないうちに飲んどくに限るぜ! なあ、みんな」


 店の中には漕ぎ手連中がわんさかいた。皆、こちらの話など聞いて無いようで、手に手にジョッキを持ち、浴びるように飲んでいる。


「コラ、テメエら、大将のお越しだ! 挨拶ぐれえきちんとしねーか!」


 フェデリーゴの怒号に一瞬きょとんとしたものの、連中は俺の顔を認めると新しいジョッキを差し出し、中央のテーブルに俺を座らせる。俺の前にはフェデリーゴが座り、隣には若手のジャン、反対側には中年のフリオが陣取った。シェラールは結構この連中とうまくやっているようで、例のござる口調ながら別のテーブルで笑っていた。


「ま、大将、駆けつけ一杯」


 こういうのはどこの世界でも変わらないのだろう。まるでバイトの新人歓迎会の如く酒をすすめられる。


「いい飲みっぷりじゃねーか! 漕ぎ手としちゃあヘタレだが、飲みっぷりは一人前だ」


 ガハハと笑いながら中年のフリオが肩を組んでくる。俺は恐縮しながらジャンが差し出した2杯目のジョッキに口を付けた。


「バカ野郎、大将は漕ぎ手としちゃあヘタレもいいとこだが、あの姉御に一騎打ちで勝ったお方だぞ? 舐めた口訊いてっとフリオ、お前なんぞ一発で海に叩き込まれんぞ」


「へへ、そういやそうだったですね。何しろあっしは船の留守番で現場を見てねーんですよ。しっかし大将、こんな細っこい腕でよくまあ、あの姉御に勝ったもんですね」


 こすっからい顔をしたフリオはフェデリーゴに無礼を咎められ、肩をひそめると俺の腕を触りながらそんな事を言った。


「あのさ、俺よく解んないんだけど、ロザリアってそんなに強いの? どう見ても君らの方が強そうだよね?」


「強えなんてもんじゃねーよ。確かに力じゃ俺たちの方が上だが、体の使い方が抜群にうめーんだ。大将は知らねーだろうが海での決闘は船と船の間を渡した板の上でやるんだ。あの細い足場でしかも揺れる。その中で何十回も戦って今まで負けなしだぜ? いくら俺でもああはできねー」


「そうだったのか。まあ、俺が勝てたのはマグレというかたまたまなんだけど」


「まぐれだろうがたまたまだろうが勝ちは勝ちさ。それにあの場で大将とダリオ殿が助けてくれなきゃ俺たちは今頃鉱山送りさ。死ぬまでこき使われて御終いだったとこだ。それだけでもアンタには恩がある」


 フェデリーゴは照れくさそうに、俺に礼を述べた。


「そうですよ、兄貴の言うとおりだ。その上俺達を従士様なんかにしてくれた。元海賊で嫌われ者の俺達がこうして街で酒なんか飲んでられんのも皆、大将のおかげさ」


 若手のジャンが口を開く。まだ、少年の面影が残るその顔は無邪気そのものだ。


 テーブルの上には塩漬けの魚を焼いたものや、固いパン、それにチーズなどが並んでいる。時折それらに手を伸ばしながらすすめられるままに酒を煽った。俺は酒に強い体質らしく、飲み会でどれほど飲んでも泥酔したことがない。おかげでいつも酔っぱらいの介抱役だ。しかも酔っ払うのは決まって男で女の子だったためしがない。


「ところで大将、どうなんです? アッチの方は」


 フリオが下品な顔をにやつかせて聞いてくる。


「あっちの方ってなんの事?」


「またまた~とぼけちゃって。姉御とあのシェラールの妹ですよ。どっちも美人だがどこまでやったのか教えてくだせえよ」


 隣のジャンも興味深々といった表情で聞き耳を立てる。フェデリーゴも止めるどころか身を乗り出してくる始末だ。


「いやさ、何もしてないって言ったら信じてくれる?」


「信じない。信じるわけねーですよ。だって姉御は大将が自分の旦那になるんだってみんなに触れ回ってるんですぜ? あのヒュリアって子だって負けじと変な言葉で自分こそが妻だって言い張ってる。そんな状況でなんもしてねーとかあるはずねーでしょ」


 それがあるんですよね。


「で、正直なところ具合はどうなんです? あっしの睨みじゃ姉御は結構色好みだと思うんですが」


 フリオはロザリア押しだ。やはりこの手のいやらしそうなオヤジはああいったグラマーな女が好きなのだろう。


「でもヒュリアさんも可愛らしいし、締まった体つきしてますよ?」


 ジャンはヒュリア押しか。まあ、年も近いだろうしそうなるよね。


「ジャン、おめえはまだまだ解ってねーな。確かにヒュリアもべっぴんだがモノになるのは数年先だ。姉御は今年17の女盛りだ。今の時点なら姉御だな」


 ウンウンと一人で納得しているフェデリーゴ。え? ロザリアってまだ17歳? 俺より7つも下なの? そんな女に思いっきり説教されてた俺って一体。


「ねえねえ、話変わるんだけど、俺っていくつぐらいに見える?」


「うーん、そうだなあ、18、9か?」


「いやあ兄貴、いくらなんでもそりゃねーでしょう。あっしは16ぐらいじゃないかと睨んでますがね。ジャン、おめえはどう見る?」


「俺の1こか2こ上じゃないですかね。俺が15だから姉御と同じ17ぐらい?」


 え? 俺ってそんなに童顔に見えるの? どちらかというと大人っぽい顔つきだと思ってたいたんだけど。


「じゃ、じゃあさ、みんなは今いくつな訳?」


「俺は今年22だ。漕ぎ手じゃ俺が一番の年嵩だな」


「あっしは21で」


「俺はさっきも言ったとおり今年で15ですよ。それがどうかしましたか?」


 うそだ!嘘だと言ってよ! ジャンはともかくどう見てもおっさんなこの二人が年下だと? ありえん! そんな事は神が許しても俺が許さん!


「で大将、ホントはいくつなんで?」


「24」


「え?」


「24」


「え?」


「24だって言ってんだろーが! お前らそのツラで年下とか、おかしーだろ普通に! なんなの? なんなわけ一体!俺がなんでお前らよりおっさんなんだよ!」


「まあまあ落ち着いてくださいよ、大将」


「へへ、まあその、悪気はなかったんで」


「……大将って俺より10こ近く上なのか」


「10こじゃないから! 9だからね。そこ大事なとこだから! 完全にお前らの方が年上だと思ってたからね! 特にフリオ! どう見てもお前のツラは年下のツラじゃないんだよ!」


 俺が年上だと知った彼らは急に俺を丁重に扱いだした。まあ、そりゃそうだろう。いくら立場が上とは言え10代のガキと思っていた相手にはそうそうへりくだれない。ましてやこの船に乗っているのはみな同じ村の出身者だ。元々親方の娘であるロザリアは別としても他の連中は年齢で上下が決まる事は十分に考えられる。現代の日本だって年功序列がそれなりに重視されていることを考えればむしろ当然かもしれない。


「え、えっと、みんな聞いてくれ」


 突然立ち上がったフェデリーゴが皆の注意を引く。


「信じられん事だが、ここに居られる大将は今年で24だそうだ。俺達の中じゃ一番の年上になる。みんなも口の利き方には十分注意するように」


 みな一様にポカーンと口を開け、静まり返る。ねえ、そんなに意外だった? そんなにガキに見えるの俺?


「――しかし意外でござったな。大将が拙者よりも5つも年上であられたとは」


 え? シェラールってまだ19の未成年? あんなカッコイイヒゲ生やしてんのに? そういや妻がどうのとヒュリアが言っていたな。未成年の分際で嫁もらってんの? 何そのリア充。


「シェラール、そういやお前、嫁さんいるんだってな」


 俺は静まり返った雰囲気を変える為、新たな燃料を投下する。どう見てもここの連中は独身だ。特にフリオのツラに至っては付き合う女がいるほうが不思議なくらいだ。リア充には罰を! シェラールよ、モテない男の嫉妬攻撃に苦しむがよい!


「大将の5つ下って事は19か? まあ、その年なら嫁さんの一人や二人いてもおかしくねーな」


 フェデリーゴのつぶやきに皆、ウンウンと顔を見合わせる。あれ?そうじゃないだろ、ここは「テメエ! 一人だけ嫁とかもらってんじゃねーよ! こちとら女に縁の無いままこの年まで来てんだ! 野郎ども、リア充を叩きのめせ!」って言う所だから。ほら、フリオ、お前のセリフだろ? ちゃんと進行させなきゃダメじゃないか。


「でも、シェラール、お前、嫁さん故郷においてきちまったのか?」


 ちっがーう! 誰がそんな相手を思いやる余裕なセリフを言えと言った!そんなの脚本にねーんだよ!ここでのお前のセリフは「シェラールのくせに生意気な!」だろ? ちゃんと台本見ろよ!


「その、拙者の村は独特で。となり村から迎えた妻と侵攻してきたモンゴルから迎えた妻の折り合いがどうにも良くなかったのでござるよ」


 え? どういう事? シェラールって2人も嫁がいたの? はぁ? そんな事許されないよね!

 

「まあ、そういう事もあらーな。女同士は好いた男の取り合いってのをするからな。あっしも若い頃にはそれで悩まされたもんさ」


 何言ってんのフリオ。それだけはお前が言っちゃいけないセリフだよね。そんなセリフ用意してないから。明らかにキャスティング間違ってるから。


「まあ、それで済めば良かったのでござるが、うちの部族は前も話した通り、殺しを生業にしているのでござる。嫉妬に駆られた最初の妻がモンゴルの妻を刺殺してしまって。最初の妻の方もその時に負った手傷がもとで亡くなったのでござるよ」


 ござるござるうるせーよ。へぇ、そうですか、これって昼ドラ? なあ、昼ドラだよな? で、お前はモテモテで困る主役なわけだ。へぇそうですか。どーせ俺は「坂崎君って遊びで付き合うにはいいんだよね。見た目もいいし。でも真剣な交際ってなるとね。ほら、アタシ達もそろそろ遊んでる余裕ないっていうか、結婚とか考えるじゃん? だからごめん」って言われて走って逃げられた俺とは大違いですか。


「そんな事があったのか。そりゃあ辛かったな、嫌なこと思い出させちまって悪かったよ」


 だからそれはオメーのセリフじゃねーんだよ! 何その余裕。完全に中年顔で童貞こじらせて魔法使い一直線のくせにリア充気取り?


「まあ、それが元で妹を連れて村をでることになったのでござるが、そのおかげで大将にも拾われ、みんなともこうして仲間になれた訳でござるから」


「はは、そうだな。それじゃあここでもう一回新たな仲間に乾杯といこうじゃねーか! みんな、酒を持て!」


 フェデリーゴの音頭で乾杯する。そのあとは再び、飲めや歌えやの大騒ぎだ。


「アンタ! こんなところにいたのかい! アタシがどれだけ探したと思ってるんだい?」


 酒場の入口で仁王立ちしているのは確か、ソニアとか言う人妻だ。最後に俺に忠誠を誓ったので、その愛らしい顔が記憶に残っている。ソニアは「全く、いつもいつも心配かけて」などと言いながら旦那に駆け寄る。


 俺はこの時ほど世の中の不条理を感じたことはないだろう。何しろあの愛らしくて若く、つやつやしたソニアが駆け寄ったのはよりにもよってフリオだった。いやーおかしい。完全に何かが狂ってる。それだけはあっちゃいけないよ。フリオはそのソニアを膝の上に抱きかかえると臆面もなくキスをした。周りの連中がヒューヒューとはやし立てる中、俺は一人湧き上がる殺意を抑えるのに必死だった。


 許さない! 絶対に俺はお前を許さない! 俺と同じ状況に置かれたらきっと神様だってそう言うはずだ。


 そう思ったのも束の間。ソニアと一緒に旦那を探していたらしい女たちが店になだれ込んでくる。フェデリーゴをはじめとする旦那たちの元に駆け寄り、あるものはキスをし、またあるものは抱き合ったまま踊り始める。なんだこのリア充地獄!


 隣に一人残されているジャンにとてつもなく親近感を抱き始めたとき、13歳くらいの誰だかの妹が、「ジャン、探したんだよぉ。アタシ、寂しかったんだから」などと耳の腐るようなセリフを高い声でまき散らしながらジャンの胸に飛び込んだ。


 くそ、全員死ねばいいのに。


 そんな生き地獄の中、俺にも光明が差した。この店の女店員が声をかけてきたのだ。


「お兄さん、寂しそうね。私でよければ慰めてあげるけど」


 ああ、なんと優しい言葉だろう。人の暖かさに触れた俺は思わず涙が、って待てよ。いい加減学習しろ、俺。こう言ったケースは金目当てに決まってる。俺がこいつ等の親玉に見えたから金でもふんだくろうとしてるに違いないのだ。ああ、そうさ、俺に自ら声をかけてきた女にロクな奴はいない。そんなことはあのルカとかいう腐れシスターで十分思い知ったはずだ。


「お姉さん、俺、金持ってないぜ?」


「あはは、お勘定はもうあちらのいい男から頂いてるよ。アタシがアンタを気に入っただけ。だめかい?それじゃ」


 そういうことなら話は別だ。ダメなはずがあるわけない。俺は彼女を膝に抱え上げ、手に持ったジョッキで乾杯する。いやはや世の中捨てたもんじゃないね。などと思いながらジョッキを口に当てた瞬間、バリンと音がして取っ手を残したまま、俺のジョッキが砕け散った。ギギギと音を立てながら首をひねり入口を見る。


 そこにいたのは二匹の鬼、いや、殺人鬼だった。小さい方は両手に短剣を扇のように広げている。俺のジョッキをくだいたのは間違いなくあの中の一本だ。背の高い方は剣を右手に下げ、いつでも切り込める体勢だ。

 その二人の異様な殺気に騒がしかった店内は静まり返り、誰かがゴクリとつばを飲む。一歩また一歩と近づく二人に圧倒されたのか膝の上にいた女は小さな悲鳴をあげて逃げだした。とたんに二人の殺気は緩み、手にした武器も納めている。ニコリと笑って俺の両脇に遠慮なく座ったのはもちろん、ヒュリアとロザリアだ。


「あああ、姉御、一体どうしたんで?」


「いや、別に」


「そ、そうですかい。な、なあみんな、俺たちゃ十分酒を飲んだとは思わねーか? 悪酔いする前に船に引き上げようじゃねーか」


 そうフェデリーゴが宣言すると、みな、我先にと酒場から出て行く。


「んじゃ、大将。あとはごゆっくり」


 フェデリーゴは俺にそれだけ言うと振り返りもせずに出て行った。俺はむっつりと黙り込む不機嫌な女二人から左右を挟まれ、身じろぎすらろくにできない。

 沈黙が重い。まるで空気が鉛となって俺の肩にのしかかっているみたいだ。二人が頼んだ酒がテーブルに届き、それに口をつけるとロザリアが口を開いた。


「さて、ジョルジオ、どういうことなのか訳を聞こうか。市場にアタシたちを置いたまま酒場で女を膝に抱えてニヤついていたその理由をね」


 ロザリアは俺を呼び捨てにして問い詰める。まあ、様などと呼ばれていたほうがむずがゆいので清々するが、この場はそれどころではない。


「妾を置いて姿をくらますなどあんまりじゃ」


 ヨヨヨと泣き出すヒュリアの手にはしっかり短剣が握られている。返答しだいではざっくりと、ということもありえそうだ。


「いや、あれだよ、こうなったのはたまたまで、全然君達を置いていったとかそういうことはないから。ほら、女性の買い物を無粋な男が邪魔しちゃ悪いと思ってさ、シェラールと一緒に盾でも見に行こうかって。そしたらここでフェデリーゴに誘われただけだから。なあ、シェラール?」


 っていねえ! あいつ俺をほっぽり出して自分だけ逃げやがった!

 

「なるほど、それはわかった。しかし女を膝に抱いていたのはどういうわけだ? ああん? こんないい女が二人もアンタにはいるってのに、まだ不満があるっていうのかい?」


「いえ、不満などありません! それは酒の勢いっていうか、なんていうか。だってみんな女連れでイチャイチャしてるんだぜ? ポツーンとひとりっきりでいる時に声をかけられたら、ほら、誰だってそんな気分になるって」


 ロザリアは勢いよく俺の頬を叩いた。バチーンと言う音がしてその痛みに頬を抑えると、突然ロザリアが突っ伏して泣きはじめる。ヒュリアも負けじと大声をあげて泣き喚く。

 奥で様子を伺っていた店員たちが俺に非難の目を向けている。店主らしき中年の男がジェスチャーで慰めろと指示を送る。ほかの店員たちもウンウンと頷き、抗いがたい視線を送った。その中には先程まで俺の膝に乗っていた女までいた。


「二人共ごめん、君たちの思いを裏切ったとかそんなんじゃないんだ。たださ、フリオの奴がこれ見よがしにイチャイチャするもんだからやるせなくなってね。ほら、俺たちって宙ぶらりんの関係じゃん?」


 そうやってなんとなくいやらしい要求をしてみる。例え断られてもこの言い方なら俺は傷つかない。長年のキャリアで学んだ交渉術だ。年上をなめるなよ。


「それはジョルジオ様が妾を受け入れてくれないからじゃ!」


「そうさ、アタシだってずっと待ってたんだからね!」


 よし!要求は通った。男にとって自分の事を好きだと思っていた女が実はそうじゃなかった時ほど辛いことはない。ややあざといが、これも俺の精神衛生を保つ手段だ。勘弁して欲しい。

 そのあとはややラブコメチックな展開となり、二人が俺の肩に身を寄せる。後ろを振り返ると店主が親指を立て、よくやった、と言わんばかりにウインクした。

 結局今夜から、俺が彼女たちの部屋を尋ねることになった。俺の部屋には無骨な男二人の同居人がいるからだ。ワクワクしながら船に帰り、夜を待つ。前にヒュリアには年齢を口実に断ったことがあるが、今回はそれも通用しそうにない。もういいよね、14でも17でも殺し屋でも海賊でも。ここじゃ犯罪にならないよね? 俺の熱い情熱、開放してもいいですよね?


 シェラールとダリオは未だ船には戻っていないらしい。厨房からお湯をもらい、手ぬぐいで体を拭く。いきり立つ己をまだ早い!と鎮めながら隅々まで拭いていく。オラ、ワクワクすっぞ!


 気がつけばベッドの上にシルヴァーノが座っていた。


『よお、久しぶりだな。珍しいじゃないか姿まで現すなんて。』


『ええ、どうしても貴方に伝えておかなきゃならないことがありましてね。』


『そうか、手短に頼むぜ? 何しろ今の俺は天国行きのチケットを手にしてるんだ。乗り遅れるわけにはいかないからな。』


『話というのは他でもありません、その事なのですが。』


『お前! まさか俺の天国行きに文句つける気じゃねーよな?』


『そのまさかなんですね、これが。いやあ、先ほど神の啓示がありましてね、貴方がもし、女性と関係を持ってしまうと僕は消えてしまうらしいんです。』


『ふーん。じゃ、消えれば?』


『そういうことがよく言えますね! 大体、僕が消えたら貴方、この時代で生き残れると思ってるんですか?』


『つか、お前こそよくそういうこと言えるな! 人生初だぞ人生初! あんな綺麗で可愛い子に言い寄られんの! しかも二人もだぞ! お前にこの重大さがわかんのか! 俺は今夜、あの二人を相手に思いを遂げることができれば死んでもいい! 元の時代に帰れなくてもいい! そのくらい思ってんだ!』


『でもそれじゃ僕が困ります。8百年もかけて貴方を見つけ、ようやくここまで来たんですよ!8百年ですよ8百年! わかりますか? あの剣に閉じ込められ、薄暗い倉庫で過ごした日々が!』


 ぐっ、そう言われると返す言葉に困る。8百年の長さ。人には到底想像すらできない長い時間をコイツはたったひとりで過ごしてきたのだ。その重さを振り切ってしまっていいのだろうか。


『それに、どの道僕はそう長くは現世にとどまれません。貴方も薄々わかっているでしょう? 僕の力が弱まっていることを。貴方の部屋にいた頃のように物に触れることもできず、食べたり飲んだりもできなくなりました。僕とこの世を繋いでいるのは貴方とのか細い縁しかないんですよ。恐らく、あと数回も貴方に憑依してしまえば僕は消えてしまいます。だから、その間だけでも我慢してください! お願いし

ます!』


 シルヴァーノが消える? その事実に意外なほど俺はショックを受けた。出会って半年、あれほど消えればいいと思っていた。喧嘩も毎日のようにした。心無い言葉もぶつけた。それでもどこかに「シルヴァーノだけはずっと側にいてくれる」と言う甘えがあったのかもしれない。プライバシーもヘチマも無い関係だが、それだけにコイツは自分の一部なのだ。


 そのシルヴァーノが今、初めて俺に頭を下げている。


『おい、やめろよ、やめろったら!』


『でも今の僕にはこうするしか。』


『何言ってんだ、お前は俺の一部なんだ。お前の願いは俺の願い。俺が必ず叶えてやるからお前は約束しろ。いいか、二度と消えるなんて言うな! 憑依できないなら俺がその分強くなる。お前は俺に剣を教えろ。そうすればずっとこうしていられるんだろ?』


『ええ、でも貴方には才能がないですからね、教え方も厳しくなりますよ?』


『そうこなくっちゃな。いいさ、女でもなんでも我慢してやるよ。そしてお前の願いとやらも俺が、きっと、果たしてやる。だからお前は無理をするな。いいな、約束だからな!』


『ええ、約束です。ありがとう、ジョージ』


『いまさらジョージとか言われるとむず痒い。俺はジョルジオ、騎士ジョルジオだ』


『わかりました、ジョルジオ。僕が貴方を立派な騎士にしてみせます』


 それだけ言い残すとシルヴァーノは姿を消した。俺は気合を入れるため両頬を自分の手で叩き、持っている服の中で一番綺麗なものを身につける。


「しかし、二人の美人からの誘いを断ることになろうとはね。他人事なら俺が死刑にしてる」


 ついつい言葉に漏らしてしまう。未練だな。しかし今の俺は騎士、騎士ジョルジオだ。彼女たちを傷つけず、それでいてきっぱりと断ることができるはずだ。覚悟を決めて上階にある船長室のドアを叩いた。


「待ってたよ、ジョルジオ」


 迎えに出たロザリアは胸の大きく開いたドレスを身にまとい、髪も綺麗に結いている。そこはかとなく香るのは化粧の匂い。健康的な肌に紅を引いた唇が艶やかだ。片目を覆う眼帯も今ははずし、痛々しい傷跡が見えた。


「どうせならアンタにはアタシの全てを見てもらおうと思ってね。傷跡が醜くけりゃ眼帯をはめるけど」


「いや、そのままでいい。とても綺麗だ、ロザリア」


 そう言って、俺はその傷跡にキスをする。ロザリアはふあっと腰を抜かしたようにへたり込むが慌てて支えてやる。


「妾はどうじゃ?」


 偉そうな物言いに反して恥ずかしそうに身をくねらせるヒュリア。今日、市場で手に入れたと言う薄手のワンピース。下着はつけてないらしく、乳首が透ける。むほっ、成長途中とはいえ、ヒュリアの攻撃力も中々だ。俺、大丈夫なのか、この攻撃に耐えられるのか? 


「ああ、ヒュリアもとても綺麗だ。いつかは子供扱いしてすまなかったな」


 そういって、額にキスをする。かぁぁっと赤くなったヒュリアはその場で固まってしまう。


 二人に手を取られ、テーブルに着く。テーブルの上には二人の手作りだという数々の料理が所狭しと並んでいた。俺はその料理に舌鼓を打ちながら、彼女たちの話す身の上話を聞いていた。

 ヒュリアは元々、村の長の後継として生まれ、幼い頃から村に伝わる殺人術の一切を教え込まれて育ったらしい。元々才能もあったのだろう。10歳になる頃には現場にでて、仕事をこなしていたという。モンゴルの侵攻が会った時も彼女の村はまっさきに狙われた。しかし、当時の支配者だったイスラムの連中は彼らを見捨てて逃げ去った。

 元々文化も人種も違うトルコの民にすれば、イスラムだろうがモンゴルだろうが支配されることに変わりはなく、先代の長の判断で降伏した。


 モンゴルの統治は寛容で、自分たちと同じく男性が後継なのだろうと思った彼らは、将軍の娘を長男であったシェラールに娶せる。すでに近隣の村から妻を得ていたシェラールはこの新しい妻にのめり込み、それに嫉妬した最初の妻がモンゴルの妻を刺殺したのだ。シェラールの話にもあったようにこの最初の妻もこの時の傷が元で死んでしまう。

 困ったのは村の顔役たちだ。新たな支配者たるモンゴルから下賜された娘が殺されたのだ。最悪、村人が皆殺しになることすらありうる。モンゴルの統治は少数の官僚のみを配し、万一彼らに何かあった際には全軍をもって皆殺しにするという、一罰百戒方式だ。そうなる前にと当事者たるシェラールと、代々培ってきた技術を全て伝えたヒュリアを村から逃がしたのだ。結局騒ぎは大きくならず、モンゴル側の理解も得られたようだが彼女たちが村に戻れるはずもない。

 なぜならシェラールとその妹は村人の手で処刑したことになっているのだ。故にヒュリアはシェラールに冷たい。村に散々迷惑をかけ自分まで巻き添えとなって村を出るはめになったのだから。そもそも最初の妻を迎える時だってヒュリアは反対したのだ。あの女が嫉妬深く、欲深い女だと知っていたから。それでも情に流され娶るからああいうことになるのだ。とヒュリアは腕を組んでため息をついた。


「まあ、そういうことじゃから、兄にはジョルジオ様の盾となって死んでもらう。あの男にはもったいないほどのいい死に方じゃな。フフフ」


 この娘の中でシェラールは死ぬこと前提なんだ。ああ、かわいそうなシェラールよ。潔く死んでくれ。


 ロザリアの話はこれに比べればだいぶましだった。


 漁師の親方の娘として生まれたロザリアは、幼い頃から船に乗せられ、船で育ったという。元々シチリアのパレルモ近くの漁村に住んでいた彼女の一族は祖父が十字軍に参加し、この船を戦利品として奪い、意気揚々とシチリアに引き上げた時、村はイスラムの盗賊に焼き払われていた。

 もう、40年も前の話だ。生き残りを収容し、船は宛もなく新天地を探す。そしてたどり着いたエーゲ海の無人島に彼らは住み始めた。この時代のエーゲ海と言えば海賊の根城が多く、それらと戦う間に彼ら自身もまた、立派な海賊になっていたと言う。しかしロザリアの祖父も、父も「自分たちは海賊じゃない。いつか必ず漁民として安穏な暮らしをする。絶対にこの事だけは忘れるな!」と常に言っていたそうだ。だから海賊をやめられると知った時、皆、あれほど喜んだのだという。

 島ではもはや争いを仕掛けてくる海賊もなく、小舟で漁に出て暮らしている。ただ、今の段階では漁だけでは暮らしが立たない。だからこそ皆、やむを得ず海賊行為をしていたのだ。


「だからさ、ジョルジオ、アンタの存在はアタシだけじゃなくて皆の希望なんだ。そのことだけは忘れないでおくれよ」


 ちなみにロザリアの目は戦いの最中に剣で斬られたものだそうだが、片目を失っても両親や島のみんなは前と変わらずに受け入れてくれたそうだ。女としては致命的な傷だがむしろそれを誇りに思えと彼女の父は言ったらしい。その父親は今も健在で、島に残って漁師たちを率いているという。


 ひとしきり彼女たちの話が済むと、今度は俺の話をせがまれた。どうしようかと悩んだもののある程度正直に、ある程度オブラートに包んで話すことにした。

 俺は恵まれてるとは思わないが不幸だとも思わない暮らしをしてた事、人生の目標など考えもしなかった事、そしてそれでいいんだとある程度満足していた事。そしてエルサレムのゴタゴタで初めてローマへ行くと言う目標が出来た事、などを順を追って話した。

 彼女たちは俺の話す当たり障りのない、面白くもない話を真剣に聞いてくれていた。正直に話せば話としては盛り上がるが、中世に生きる彼女たちの常識では理解を得られない。なにせ二十一世紀に生きていた俺でさえ理解できないのだから。


「ふふ、お互いの事が理解できたところで、言葉の時間は終わりさ。あとは体で理解を深めようじゃないか。流石に二人いっぺんにって訳にもいかないからね。今夜はヒュリアで明日はアタシ。これでいいね?」


 ロザリアがそう宣言すると、ヒュリアはとなりでしきりに頷く。さて、ここからが本番だ。俺は誰よりも騎士らしく、そして誰よりも紳士的にこの甘い誘惑を断らなければならない。

 ……果たして俺にできるのだろうか。


「その前に二人共こっちに来てくれるか?」


 俺はベッドの中央に腰掛け、右にロザリア、左にヒュリアの腰を抱く。あと数センチ、数センチだけ上か下かに手をやればたわわな果実に手が届く。いやダメだ!触っちまったら耐えられる自信がない。ブルブルと震える手を必死にとどめながらどんな言葉を言おうかと考える。


「ふふ、手が震えてるじゃないか、緊張してるのかい? そういうアタシも初めてだからね人の事は言えないけど」


 ロザリアもヒュリアもそう言えば体を固くしている。俺とは違った意味で緊張しているのだろう。


「なあ、二人共。聞いて欲しいことがあるんだが」


「言葉の時間は終わりじゃとさっきロザリアが言うたであろう?何か伝えたいのなら口よりもこの手を動かすべきじゃ」


 そう言いながらヒュリアは唇を俺の唇に重ねた。緊張しているのが分かる。そして吐息が熱い。ヒュリアが口を離すと入れ替わるようにロザリアの唇が被さってくる。ヒュリアの唇が固く、締まった感じなのに比べ、ロザリアのは厚く、柔らかだ。二人のキスを浴び、もう、頭はとろけそうだ。が、しかし! と、俺は奥歯を噛み締め快感に身を委ねそうになる自らを律し、ガバっと立ち上がる。


「俺は君たちが欲しい。死ぬほど欲しい。これはここを見ればわかるように紛れもない事実だ!」


 俺は何を言っているんだ、と思いながらも漲った自分の局部を指し示す。二人はまともに見れないようで顔を真っ赤にして下を向く。


「だが、今、この場で君達を抱くわけにはいかない」


「「なぜ?」」


 二人の目が急に殺気を帯びる。


「まあ、最後まで聞いてくれ。俺は騎士。そして君達を真剣に愛してもいる」


「それなら!」


「だからこそ今、君達を抱くわけには行かないんだ。教会できちんとした祝福を受けて、二人を正式な妻に迎えたあと、存分に抱きしめたい」


「え?」


「え?」


 二人は顔を見合わせて何が起こったのかわからないと言う顔をする。しばらく考え込んだあとこちらに顔を向ける。


「ジョルジオ、それってアタシたちを正式な妻にって事?」


「ああ、もちろんさ」


 二人は再び顔を見合わせると、大粒の涙をこぼし始めた。え?何かまずいこと言った? まさかエッチはしてもいいけど結婚まではねぇって言うあれか? 何度も言われたあの言葉がまた俺の心を傷つけるのか? ロザリアは涙を拭きながら俺に向き直る。


「ごめんよ、アタシ、こんなに嬉しいのに涙がでちまうんだ。アタシもヒュリアも騎士のアンタに正式な妻にしてもらえるなんて望んでもいなかったんだよ。所詮アタシたちは平民の女、いずれどこかの貴族の姫様がアンタの妻として現れて、アタシたちは妾としてその影に生きるしかないと思ってた。だからせめてそれまでは妻でいたいと思ってたんだ。それを正式な妻にしてくれるなんて。しかも教会で祝福まで与えてもらえるなんて」


 え?何、妾? そんな制度があるの? いやいやどの道俺はナニすることはできないのだ。正直貴族の姫とやらに興味がないわけではないが、ぶっちゃけこの二人に慕われているだけでも俺にとっては奇跡なのだ。もし可能なのであれば俺はこの二人を幸せにしてやりたい。そう思えるくらいには彼女たちに愛情を感じてもいた。


「ああ、そうさ、俺にとっての女はお前たち二人だけだ。だから今は我慢して欲しい。俺がどれだけ我慢してるのかもわかってほしい」


「ところでジョルジオ様よ。妾たちはいつ、その祝福とやらを授けていただけるのかのう?」


 感動に打ち震えるロザリアと対象的にヒュリアはあくまで冷静だ。


「前にも言った通り、ヒュリアはまだ、成長途中だ。万一妊娠でもすれば母子共々に危ないこともある。だからお前が16になるまで待とうと思う」


「あはは、そういうことならアタシも耐えなきゃね。ちょっと残念だけど仕方ないさ。でも、」


 と、ロザリアは柔らかい唇を俺に重ねる。


「このくらいは許しておくれよ、じゃないとアンタを感じられないからね」


 ヒュリアも負けじとキスをする。ただ、ロザリアと違い、ヒュリアはそのあと急に冷たい目になり


「裏切れば殺します」


 と、トルコ語で囁いた。やだなあ、裏切るにも裏切り様がないじゃないですかー。そんな物騒なこと言われたら、ほら、俺のジュニアもビビって小さくなっちゃったよ。


 もう一度だけ、キュッと二人を抱き寄せて、「お休み」と挨拶をしてから自室に戻った。


 部屋では何も知らないシェラールが冷やかしてきたので、無言で卍固めを喰らわせておいた。

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