コート・オブ・アームズ~Fiction of Crusader~
@SevenSpice
第1話Knight of ghosts ―幽霊の騎士―
家賃5万2千円。6畳のワンルーム、トイレは共同。風呂?そんなものは端から期待していなかったが幸いにも小さなシャワー室が付いている。キッチンなどと言うものは存在しておらず、共同玄関の前に小さな流しとガスレンジが設置されていた。
元々、どこかの企業かなにかの寮だったらしいこの建物の一室に住み始めて、すでに3年が過ぎていた。バイト仲間からは『収容所』などと揶揄されるが住み心地は抜群だ。敷地内には植物が鬱蒼と茂っており、見た目は不気味だが、夏は日よけになるし、冬は風を遮ってくれる。それに何といっても都内としては家賃が安い。
私鉄の小さな駅まで歩いて10分以内と立地もよく、近くには古くからの商店街もあるため日用品の買い出しには苦労しない。
人間というのは不思議なもので、生活にかかる費用が少なければ少ないなりにまた、収入の方も少なくなるらしい。現状に不満があるのであれば向上心も育つのだろうが、あいにく俺はこの生活に満足してる。時給が安くても楽なバイトを適当にこなし、休みの日は家から半径300m以内で過ごす。金が貯まるわけでもないが困っているわけでもない。
彼女?こんな生活している男に魅力を感じる女がいるなら教えて欲しい。とは言え、学生時代はそれなりにモテたしそこまでの飢餓感があるわけでもない。要するにこの底辺の生活が性にあっているのだ。
そんな俺にも悩みはある。残念ながら金でも努力でも解決できない問題が。その悩みの種は俺のベッドに寝転がり、買ってきたばかりの週刊誌を面白くもなさそうな顔で読んでいる。髪はウェーブのかかった金髪、肌は雪のように白く、瞳は濃いアイスブルー、目鼻立ちは完全と言っていいほど整っている。察しの通りの外人だ。これが女なら俺の人生は言う事なしなのだが、残念な事に筋肉質の男でしかも人ではない。
いわゆる亡霊というやつだ。何故亡霊に本が読めるかだって? 本人が言うには『僕は敬虔な神の下僕。これも神のご加護の賜物でしょう。』などと言っている。ちなみに彼の姿は取り憑かれた俺にしか認識できず、声も俺にしか届かない。「出て行け」と既に500回以上宣告しているが、完全に無視を通している。
そんな彼、シルヴァーノと出会ったのは半年前。俺に女性不信のトラウマが芽生えてもおかしくない事件が起きた夜だった。
その日、夜間警備の仕事を終えた俺は、よく晴れた朝の日差しにまぶしさを感じながらも振り込まれた給料を引き出すために銀行に寄った。そろそろ冬も近いので、冬物の上着でも買おうかと考えながら家路につく。
「あのぉ、すみません」
声をかけてきたのは20歳前後の女性。見た目も上品で、どことなく清楚さを感じさせる美人だった。
「あっ、うっ、」
すでにコミュニケーション能力の大半を喪失していた俺は、まともに返事をすることすらできず、ただ、意味不明のどもり声をあげる。いや、知り合いとはちゃんと話せるよ? バイト仲間の女の子とだって気安く電話とかもしてるし。決してコミュ障じゃないから。そんな俺に彼女はニコリと微笑んだ。
「忙しくなければちょっとお付き合い頂きたいのですが」
「あ、あの。申し訳ないんですが、絵とか買うつもりないですし、英会話の教材も要りませんから」
精一杯の勇気を振り絞り、そう答える。俺の過去の体験がそう言わせたわけじゃないよ? あくまで友達から仕入れた知識なんだからね。
「あは、私ってそう言う感じに見えます? ちょっと傷ついたかも」
「あ、いやいや、そういうわけじゃなくて、その、なんていうか朝っぱらから俺なんかと話したい人とかいないですし」
「最近の若い男の子ってそう言う風に言う人多いですよね。大丈夫ですよ、あなたは私から見ても十分にかっこいいですから」
なんだこの甘美な響きは。昔からよく『甘言を弄する』などと言うが、甘言とはこれほど耳障りの良いものだったのだ。権力者が佞臣に流されるのも無理はない。
いやいやいや。俺はそれほど安い男じゃない。ここはあえて甘言に対しあえて苦言を。
「あはは、そう言う言い方されると照れますね。でも、本当に保険も自己啓発セミナーも間に合ってますから」
「あはは、それって君の持ちネタなの?まあ、取り敢えず暇そうね。コーヒーおごってあげるからちょっと付き合いなさいよ」
強引に腕を組まれて引っ張られる。彼女の胸が俺の肘をまるで宣戦布告するかのように包み込んだ。ねえ、この状態で逆らえる男っているのかな?
すでに俺の右腕は柔らかな兵器により侵食され、左手は照れの為に頭を掻いている。しかし、大本営たる俺の頭脳はいまだ健在だった。高速で回転を始めた脳が、最悪の状況をシミュレートし始める。例えばそこの角にスモークを窓一面に貼ったワゴンが待機していて、そこに押し込まれた俺は東南アジアの粗末な施設で解剖され、内蔵を売り払われる。
いやいや、ここは法治国家日本。いくらなんでも白昼堂々人さらいなんかできるはずもない。
ではケースB。古典的だがこのままラブホテルに連れ込まれ、いざ事に及ばんとした時にスキンヘッドの強面が登場。うむ、ありそうだ。しかし、ここは住宅街。そんなホテルなどタクシーにでも乗らなきゃたどり着けない。その時はこの拘束を脱すればいい。
ふむ。そうなるとケースC。一番ありそうなパターンだ。なにやら集会所のようなところに連れ込まれ、教えだの何だのと半日ほど聞かされた挙句、どう見ても興味を覚えないような本を目の飛び出るような金額で買わされる。
一つの結論に達した俺は、キョロキョロと辺りを見回し、怪しげな団体がいないか探る。その場合、何はなくともダッシュだ。
「どうしたの?キョロキョロしちゃって。大丈夫、怪しい集団とか怖いお兄さんは出てこないわよ」
「なら、どうして俺なんです? 別に俺じゃなきゃいけないって理由もないでしょうに」
「それがあるのよ。まあ、黙ってついてらっしゃい。悪いことにはならないから」
絶対に怪しい。クソ、この女、騙しやがったら逃げる間際にその胸思いっきり揉んでやるからな。こう見えても俺はやるときはやる男だ。ピンチになったら大きな声も出せるし、いざという時のためにポケットの中の携帯は110番を入力済みだ。
結局、想定した事態はどれも的外れに終わり、ゆうに30分は歩かされたあと連れて行かれたのは年季の入った教会だった。
「ここ、私のうちなの。今お茶入れるから適当にくつろいでおいてね」
案内されたのは客間らしき洋室。設えられた調度品も古めかしく、中でも壁に飾られた中世の騎士が持っていそうなひと振りの剣がやたら浮いていて目にとまった。目の前には修道女。修道女と言えば聞こえはいいが実際は頭巾をかぶった婆さんだ。その隣にはインチキ臭い神父。もちろん年代物の老人だ。
2人の神の下僕は俺をこの部屋から逃げ出さないよう巧みな配置で立ちふさがる。そんな状況でくつろげるはずもない。
既に俺の中では詐欺師認定済みの女が修道服に着替え、これまた古めかしいティーセットをトレイに乗せて現れた。それぞれ椅子に腰掛け、人数分の紅茶が注がれる。アンタ確かコーヒーおごるって言ってたよな、これ紅茶なんですけど。
しばし無言の時が続き、耐え切れなくなった俺が角砂糖を2つ入れた紅茶をスプーンでかき回しながら口を開く。
「で、俺に何か用があるんですか? 」
「随分せっかちなのね。まずはせっかくの紅茶を楽しみなさい。あ、こっちにいるのは私の両親だから気にしなくていいわ」
いえ、気になって仕方ないんですけど。いきなりご両親の紹介とか、まさか結婚を前提に? などということはもちろんなく、紅茶を飲んで一息ついた詐欺師女が口を開いた。
「実はね、あなたを探していたの。最近この家に悪霊が取り付いたらしくて家族みんな悪夢を見るのよ」
「いやいやいや、ここって教会ですよね。そう言うのって祓ったりできないんですか? 」
「やーね。そんなことできるわけがないじゃない」
詐欺師女は面白そうに笑う。神父とシスターの老夫婦も顔を背けて笑っている。あれ?俺ってそんな面白いこと言ってないよね。
「全く、君は。アニメの見過ぎじゃないの?私たちがそんなことできるならそもそも君をここに連れてくる意味がないでしょ?」
「いやいや、そこはほら、神様とかに祈ってさ」
「あのね。私たちはそんな力を得るために神に祈ってるわけじゃないのよ。聖書の教えに感動して、その教えの通りに生きて行くために祈っているの。わかる?」
なんか知らないけどこれってどんな罰?俺が無信仰だからいじめられてる?
「で、それはいいとしてなんで俺がここに連れてこられたのかを知りたいんだけど」
ややムカっとしたので強い口調で問いただす。
「あー、そうだったわね。お父さん、説明してあげてくれる? 」
「そうだね、シスタールカ。後は私が話そう」
けっ、なんなのルカ?それって外人の名前だよね。もしかして洗礼名って奴? カッコつけてんじゃねーよ、お前なんかちょっと可愛くてちょっとスタイルが良くなきゃそこらへんの女とおなじじゃねーか。この詐欺師女が。
「はじめまして、君は確か坂崎君だったね。そうそう坂崎丈治君」
なんで知ってんの、このオヤジ。俺の個人情報ダダ漏れ? 変なサイトにアクセスしたっけ?
「ああ、私が君の名前を知ってるのはネットとかそう言う感じの原因ではないから。無用な心配はいらないよ」
「で、いったいなんなんですか?」
「うん、話せば長くはなるんだけど、そこの壁に剣が飾ってあるだろう? あれはね、私がオークションで競り落とした十字軍の騎士がもっていたと伝えられる逸品なんだ」
「あたしは散々反対したんですけどね。この人ったら言いだしたら聞かないもので。全くいつまでたっても子供で困るんですよ。でも、そこがいいんですけどね」
頬を染めるなババア! もうね、完全に罰ゲームだから。仮眠はあったにしろ仕事明けなんだよこっちは!
「お母さん! いい年して恥ずかしいこと言わないでよ」
「ハッハッハ、まあ、それはいいとして、実はね坂崎君、さっき娘も言っていたようにこの剣には亡霊がついているんだよ。で、その亡霊がさ、君をご指名なんだ。理由はもちろんわからないけどね」
「そういうことなのよ。姿は見えないんだけど夢で声だけ聞こえるのよね。『坂崎丈治を連れてきてくれ』って。私は人に見せられないほどブサイクだから顔を見せないんだって思っているんだけど」
「いやいやそうとも限らないぞ。仮にも彼は騎士だ。あの話しぶりからするとなかなかのイケメンじゃないかと父さんは踏んでるんだがね」
「いやいや顔とかどうでもいいし。要するにルカさんだっけ? あんたは俺をその悪霊だか亡霊だかに引き合わせるためにわざわざ連れてきたって事? 」
「まあ、言い方は気に入らないけどそんな感じね。死者の魂を慰めるのも聖職者の努めですもの」
「生者の俺は? 俺、間違いなくロクでもないことになるよね? 俺の救済はどうなってるの? 」
「君は生きているのだからどうにでもできるでしょ? 哀れだと思わないの? 死んだあとまで現世に残された彼の魂を救ってやりたいと思わないの? 」
詐欺師女がヒステリー気味に俺をなじる。俺、何か悪いことしましたっけ?
「あのーすみません。俺、宗教とか詳しくないんだけど、確かキリスト教徒は死んだら神の国とかに行くんですよね」
「ええ、そうよ」
「その亡霊さんって、生前悪い事とかして神の国に拒否られてるから現世にいるとかそう言う感じじゃないんですか? 」
「大丈夫。神は罪を許してくれるわ」
「いや、許されてないですよね、明らかに」
「まあ、その辺は死んでみてからのお楽しみにしておこうじゃないか。ここで争う意味はない。確実なことはこの剣の騎士が君を呼んでいるってことだけなんだから。母さん、その剣を彼に」
「いえ、結構ですから、それ」
「まあまあ、そんなこと言っちゃこの人が悲しみますよ? 」
にっこり笑って俺に剣を差し出す老シスター。そう言いながらも自分は直接触らないようにしっかり袖の上から剣を持っている。
「ほら、遠慮しないで抜いてみてよ」
詐欺師女が俺を急かす。剣も何か感じるものがあったのかカタカタと動き出した。
「うわぁ! なにこれ! 」
思わず放り出そうと思ったが手が恐怖のあまり動かない。カタカタ鳴り続ける剣が早く抜けと言わんばかりに大きな音で鳴った。
「これがうるさくてたまらないんだよ。坂崎君、この剣も君が気に入ったらしい。差し上げるので持って帰ってくれないか? 」
「かかか、勝手な事言わないでくれます? 明らかにこれ、普通じゃないし、こんなもの持ってたら銃刀法違反で逮捕されるし! 」
「いいかい、坂崎君。物事には表と裏があるんだ。娘は亡霊だと言っているけどもしかしたら、本当にもしかしたらだけど神の啓示かもしれないよ? いや、きっとそうだよ。とにかく剣の彼は君がいいと言っているんだ。本人の意思は尊重すべきだろう?
大丈夫。剣の所持に関しては美術品ということで登録しているから。それに私の車で送って行ってあげるから人に見られることもない。あ、そうだ。布教用の聖書もあげるよ、この際イエス様の教えを学んでみるのもいいかもよ? 」
そう言って神父は有無を言わさず俺を車に乗せて走り出した。後ろでババアが「あー、せいせいした」と言っているのが聞こえた。
「坂崎君、その剣はね、私が2百万も使って競り落としたものなんだ。本来なら私だって君の手に渡したくはないさ。けれども剣の霊が君を望むから涙を飲んで譲り渡すんだよ。わかるかい? この辛さが」
車内でそう愚痴る神父。どこまで自己中心的なんだ。
「ですから、譲ってもらわなくて結構ですって」
「そう言いながらしっかり剣を握ったままじゃないか。あれかい?今はやりのツンデレ? 」
「全然違いますから! 恐怖で手が動かないだけですから! 」
「まあ、まあ、とにかくその剣は君のものだ。もし困った事があったら相談においで。私も聖職者の端くれだからね、困っている者を見捨てたりはしないよ。まあ、本当に何もできないかもしれないけど話くらいは聞くことができるからね」
神父は俺を家の前で下ろし、一礼して十字を切るとそそくさと車に乗り込み走り去った。
俺は誰にも見られないよう、上着で剣を隠し、部屋に入ると鍵を閉めた。俺の手から離れない剣は相変わらず「カタカタ」とうるさく鳴っている。
「あー、もう、わかった。わかりました。抜けばいいんでしょ抜けば! 」
半ばやけになって剣を鞘から引き抜いた。手入れの行き届いている剣は思ったよりもあっさりとその刀身をさらけ出す。刃は潰されているらしく、直に触っても切れるということはなさそうだ。
「あー、やっと出られた」
後ろで突然声がしたのでビクッとなって振り返ると、そこには金髪の騎士がいた。それと同時に手から離れなかった剣は見る見る間に劣化し、錆び付いたかと思うとその形を崩し、あっという間に砂となった。
「あーちょっとシャワー借りますね。なにせ久々の現世なもので」
そう言うと着ていた鎧を脱ぎ始める。鎧といってもよく置物である硬そうな奴ではなく、白地に立ち姿のライオンだか虎だがが大きく描かれたサーコートとか言う布地の下に、鎖を編んだチェインメイルだ。
「あ、ちょっとここ引っ張ってくれます? 久々で体が強ばってそこまで手が届かないんですよ」
言われるままに脇下の紐をほどいてやる。何の恥じらいもなく全裸になった騎士はまるで知っているかのように俺の部屋のシャワー室に入り込んだ。
「あ、その剣だったものは燃えないゴミで出してくださいね。ちゃんと分別しないと怒られますから」
あまりのことに思考停止に陥っていた俺は、言われるがままに後片付けを始める。元は2百万の価値を持った砂をかき集め燃えないゴミの袋に入れていく。
「あー、トリートメントとかないんですか? 僕の髪、結構デリケートなんですけど。ちょっと買ってきてくれません? 」
……何をやっているんだろう、俺は。近くのコンビニでトリートメントを買い、家に戻る道すがらようやく頭が回りだす。うん。すげー腹たってきた。
「テメェ! 騎士だかなんだか知らねーけど、人の家に不法侵入してる分際でトリートメント買って来いだ? 大体、アンタお化けとかそういうたぐいだよね?なんでシャワーとか浴びてるわけ?しかもトリートメントとか! お化けならお化けらしい登場のしかたとかあるんじゃねーの? 」
家に戻った俺はアコーディオン式のシャワー室の扉を開けると、全力でトリートメントを全裸の幽霊に投げつけた。
「痛いじゃないですか! なんて乱暴なんだ。僕だって長い間あんな狭いところに閉じ込められてたんだからシャワーぐらい浴びたっていいじゃないですか」
「そーじゃねーよ。大事なとこ間違ってんだろうが! 普通ね、お化けとか幽霊とかは風呂とか入らねーし髪の手入れもしねーんだよ!」
「やだなあ、そんな浅薄な知識で物を言っちゃ。大体貴方は今まで幽霊に遭遇したことがあるんですか?」
「そ、そりゃあないけどさ、一般的にはそういうことになってるの! 」
「ふーん、一般的ね? それってどうやって決めたんです? 統計でもとったとか? まあいいや。話はシャワー浴びてからにしましょうか。寒いから閉めますよ。 」
寒い? いまアイツ寒いって言った? それに痛いとも言ったよね。本当に幽霊なのアイツ?シャワーを浴びながらアイツが歌う鼻歌は、何故か最新のヒット曲だった。
「すいません、タオルとってくませんか? あ、それから着替え貸してほしいんですけど」
ぶすっとしながらタオルを手渡してやる。着替えか、まだおろしていない下着があったな。流石に自分の下着を他人、特に幽霊とかに着られるのは嫌だ。
「あーいい気持ちだった。贅沢言えばゆっくり手足をのばしてお湯に浸かりたいところですけどね」
本当に贅沢だ。俺ですらもう、数年の間シャワーだけで暮らしてるというのに。身支度を終え、長い髪をタオルで拭いている幽霊。こうして見るとどう見てもタダの人間としか思えない。
「さて、落ち着いたところで話をしましょう。あ、なにか飲み物あります? 」
ぐぐぐ、我慢だ、俺。冷蔵庫から買い置きの缶コーヒーを取り出し、渡してやる。
「ああ、ありがとう」
プシュっと缶をあけ、当たり前のように缶コーヒーを飲む自称騎士。普通さ、もっと驚いたりとかそういうリアクションあるよね。
「で、えっと、何から話しましょうか。あ、まず自己紹介かな。僕の名前はシルヴァーノ。シルヴァーノ・アルベルティ。イタリアはヴェローナの出身の騎士です」
「あ、ああ。俺は坂崎丈治」
「ええ、知ってます。しかしジョージ、か。イングランド読みですね。奴らはあまり好きじゃないが仕方がない」
「あ、ああ、嫌いでも別に構わないけど。で、アンタ何者? 」
「アンタじゃないです。ちゃんと名乗りましたよね? 僕はシルヴァーノだって」
「ごめん、んじゃシルヴァーノ、君は一体何者? 」
「そうですねぇ、君の言うところの幽霊ではあるんですけど。ちょっと違うかな。ああ、これがいいですね、僕は貴方の守護者。これでいきましょう」
「うそつけ! 今考えたろ、それ! 」
「嘘じゃないですよ。決まった名称がなかったからちょっと考えただけ。だってほら、今の僕はこうやって現界しているんですよ? 暑さも寒さも感じるし、叩かれれば痛い。ま、もっとも貴方からしか見えないらしいですけど」
「え?どういう事? 俺からしか見えないってことは他人が今の俺たちを見たらどうなってるの? 」
「多分、ジョージがひとりで喋っているようにしか見えないのでしょう」
「だって、今着ている服とか俺のじゃん。服も見えなくなるわけ? 」
「あー、そう言うのって説明するのめんどくさいんですけど、簡単に言えば僕が身につけているものはその間だけ霊質化されるのです。ほら、そこにある僕が元々つけていた鎧みたいにね。だから貴方からしか見えない。そもそも僕という存在は貴方にだけしか感じられないんですから」
「つまりあれか? 俺がどんなに騒ぎ立てても周りからは一切お前の事が見えないから、俺が変人扱いされて終わりとそういうことになるの?」
「うんうん、そんな感じですね。思ったよりも理解が早くて良かったです。じゃ、これで解決ってことで」
「いや、全然解決じゃないから。要するにあれだろ? 俺は悪霊に取り憑かれたって事だよね? 」
「悪霊とは失礼ですよ。僕は神の啓示を受けてここにいるのですから」
「頼んでねーよ!そんな事」
「まあ、これも神の御意志。人である僕らがどうこう言っても始まりませんよ。それに僕だってどうせなら貴方のようなダメンズより若くて綺麗な女の子に憑きたかったんですから」
そう言って居着いてしまったシルヴァーノ。コイツときたら霊の癖に飯は食うわ酒は飲むわで迷惑この上ない。しかも俺がバイトに言ってるあいだにノートPCを勝手に使ってるし。仕組みがよくわからないけど他人から認識できないだけで行動は普通に出来るらしく、几帳面な性格なのか洗濯や掃除はしておいてくれる。
しかし、霊になっても女性への興味は尽きないものらしく、PCの閲覧履歴にはアダルトサイトがちらほら混じっていた。
だいぶ紹介が遅れたが、俺の名前は坂崎丈治。年は24、職業フリーター、特記事項は騎士の悪霊憑きだ。
「随分長い回想でしたね」
「え?」
「前に言いませんでしたっけ? 僕は貴方に限っては考えを読めるんですよ」
「な に そ れ。俺はお前の考えとか全く読めないけど? 」
「それは何よりです。他人に自分の考えを読まれるなんて最悪ですから」
「いやいや、俺、その最悪の状況なんだけど」
「まあ、いいじゃないですか。そんな小さなことどうでも」
「あのーすいません。いまさらそういう事言い出すのって反則じゃねーの? 」
「僕はあれですよ、あれ。ニュータイプ的なあれって事でいいじゃないですか。最も全部わかるわけじゃないですよ?貴方が強く念じた時しかわからないです。ほら、念話とかそういう奴ですよ。人はわかりあえる!時すらも超えてね。って感じで」
「それじゃあ今までこうして話してたのは何? 別に声に出さなくても良かったってこと? 」
「まあ、そういうことですね」
「どうしてそういうの早く言わないかなぁ。いっつも一緒に出かける度に俺、一人で話してる不気味な人扱いだったじゃんか! 」
「ついついそれが面白くて言う機会を逃してただけですよ。ほら、過去は忘れて一回やってみましょう」
『こうやって口に出さずに念じればいいのか? 』
「そうです。それで僕にはわかりますから」
あー、もう腹が立つ! あれから例の教会に文句を言いに行ったりもしたが門は固く閉ざされ中に入れてももらえなかった。ニヤニヤ笑う神父は「万が一悪魔憑きだと宗教的に困るんで」とか言って、俺を追い払う。マジであの親子だけは許せん!
「それより大事な相談があるんですが」
「何? 金のかかること以外なら考えてやる。ただでさえお前が来たせいで生活費苦しいんだからな」
「大丈夫です、お金はかかりませんよ」
「だったら言ってみろよ。聞くだけは聞いてやる」
「ここに来て半年、十分にこの時代も満喫しましたし、そろそろ僕の本来の目的を果たそうかなって」
「何お前? 目的なんかあったの? フラフラ漂ってたダメな亡霊かと思ってたよ」
「貴方じゃないんですから、そんな訳無いでしょう? 僕は元々貴族の次男で十字軍に参加してたんですよ」
「十字軍ってあれだろ?異教徒は皆殺しだぁ!ヒャッハー!ってあれ」
「まあ、貴方がどう思うかは知りませんが、当時を生きた僕らにとってはそれなりに崇高な戦いだったんですよ。本音を少しばかり言えば、大きなチャンスだったことも否めないですけど」
「チャンス? 」
「ええ、身分が固定されていたあの時代、貴族に生まれついても僕のように相続権のない次男や三男には明るい未来なんかありませんからね。それが十字軍に参加して異教徒を滅ぼせば神の名の下に彼らの所有する財貨を手にすることができたんですから。だからこそ貴族平民を問わず、こぞって参加したんですよ」
「それって相手からすればひどい話だよね」
「まあ、そうですね。でもそれが中世なんですよ。この国でも戦国時代とかあったじゃないですか。力こそ正義で弱者には何も言う資格がない」
「でも映画とかじゃ騎士は弱者を守るものって相場が決まってるけど? 」
「まあ、騎士道なんてのは頭のおかしい連中の戯言で、実際の戦場でそんなこと言ってたら命がいくつあっても足りませんよ。武士道だってそうでしょう? 戦国時代の武人は放火略奪当たり前だったんですから。平和な江戸時代にそういう心がけとかが重視されるようになったわけで、それはただ単に武装した者たちをそう言った教えで縛る方が為政者にとって都合がよかったに過ぎない。映画なんかはその辺がごちゃまぜになってるだけですから」
「まあ、そう言われりゃそうだけど。で、その十字軍の騎士様は何が目的なんだ? 」
「ええ、それなんですけど、実はよく思い出せないんですよ。何か大事な事があった気がするんですけど」
「思い出せないんじゃしょうがない。諦めたら? 」
「諦められるなら8百年以上も現世にとどまっていませんよ! とっくに昇天して神の国で暮らしています」
「え?お前って自分の意思で現世に留まってるの? 俺はまた、神の国で入国拒否にあって仕方なく残ってるもんだとばかり思ってた」
「あのねぇ、僕はこれでも敬虔な信徒ですよ? しかも神の名の下、幾つもの戦いをくぐり抜けた騎士でもある。そんな僕が神の国に招かれないとかあるはずがないんです」
「で、長年漂ってるうちに本来の目的を忘れちまったと。あはは、どうしようもないね、お前」
「笑わないでくれます? いくら宿主、いや、守護対象だからといって僕を笑うのは許しません」
「……今、宿主って言ったよね。やっぱテメェ、俺に寄生してんじゃねーか! この寄生虫が! 」
「い、今のはその、言葉のアヤですよ。ははっ、やだなあ」
「正直に言え、お前は何者なんだ? 何故俺に取り憑いた? 目的はなんだ? 言っておくが俺、喧嘩はスゲー弱いがプロレス好きのオヤジから伝授された関節技には自信があるんだぜ? 」
そう言いながら、シルヴァーノの腕を逆関節に極め、締め上げる。
「あ、痛い! 痛いですって! やめましょうよ、暴力反対! 」
「だったらあらいざらい吐いちまいな」
「わかりました! わかりましたから! 腕を放してください!」
この時ばかりはろくでなしの親父に感謝した。女遊びが激しく、母さんに愛想をつかされて出て行かれたり、愛人に刺されたりとバラエティに富んだ生き方をしているが俺には優しかったし、別々に暮らしている今でも僅かながら仕送りをしてくれている。
ちなみに母さんは妹を連れて、生まれ故郷のシチリアに帰ってしまっている。そう、俺はイタリア人とのハーフなのだ。だからといって髪は黒だし瞳も茶色。やや彫りの深い顔付きという以外、日本人と変わらない。おかげで学生の頃から外人扱いされることもなかったのだが。
「なるほど、貴方のお母様はシチリア出身なのですね」
「だーかーらー、人の考え読むのやめてくれない? それより早く話せよ! 」
「まあ、隠していたというほどではないんですけどね。僕は死の間際、何事かを強く神に祈ったのです。そして神の声を聞きました。神は僕に願いを叶えてもいいがそれには長い時がかかると仰った。その悠久の時の果てに僕の存在を認識出来る者を遣わすと。そしてその者に仕え、願いを全うするがいいと。
その者の名はジョージ。僕に伝えられたのはそれだけです。それから僕はあの剣にこの魂を封じ、長い時を過ごしてきました。僕にできたのは僅かに人の夢に現れてジョージと言う名の者を探してもらうだけ。
いままで千を超えるジョージと会いましたが、貴方以外誰も僕を解放できるものはいませんでした。そして流れ着いたこの極東の島国でようやく探し求めていた貴方に、神が私に遣わされた『ジョージ』に会うことができたのです」
「ちょっとちょっと、なんかいい話風になってるけど、その願い事忘れちゃ話にならないよね? なんかこうさ、ふわっふわなんだよね、お前の話」
「だからこそ相談なんですよ」
「で、相談って何? 」
「現地に行けば思い出すことができるんじゃないかなーって」
「現地? 現地ってどこ? 悪いけど俺、私鉄の沿線以外、ろくに行ったことないからね」
「エルサレム」
「あーあーきこえなーい。それどこ? 電車に乗って行けるとこなの? どこの駅で降りればいいの? 」
「えっと現在ではイスラエルと呼称される国ですね。空路だとソウル経由か。あ、これがいいですよ、イスタンブール経由、僕のいた頃はコンスタンティノーブルと呼ばれてましたけど、行ってみたかったんですよねぇ」
「なにそれ? 観光気分? 大体いくらかかるか知ってる? そんな金全くないんですけど! 」
「いやいや、今のはほんのジョークですよ。神に与えられた力を使えばあっという間にエルサレムまで行けますから」
「ならとっとと行ってくりゃいいじゃねーか」
「一人じゃ無理なんです。貴方も一緒なら行けるんですけど」
正直心が揺れた。修学旅行とかそういう学校行事以外で都内から離れたことのない俺が海外へ行ける? しかも無料で。シルヴァーノの続く言葉があと一秒遅れていたら思わず「いいねぇ」と言ってしまったところだ。
「但し1244年ですけどね」
「遠慮します」
「いやいやそう言わずに。どうせ貴方なんかこの時代に生きていても何一つ成し遂げることなどできないんですから、どうせなら僕の目的達成のため協力してくださいよ」
「さらっと今、ひどいこと言ったよね。どうして俺が何もできないって言い切れるのさ。宝くじが当たって金持ちになるかもしれないじゃん!それに過去何かに行ってお前に目的とやらを達成しちまったら歴史が変わってえらいことになるんじゃないのか? 」
「そのへんは問題ないですよ。平行世界って聞いたことありませんか?」
「ああ、よく漫画とかであるあれだろ? もし信長が生きていたらーとか、太平洋戦争で日本が勝っていたらーとか、そういうのが実際はあって、横並びで歴史が展開しているってアレだよね」
「そうそう、そう言う奴です。実はこの世には6億8千万の平行世界があってこの世界はそのひとつに過ぎないんです。で、貴方を調べた結果、6億8千万の内、5億4623万の世界では生まれていません。で、残り1億3377万の世界の内、1億3775万の世界で既に死亡。残った世界でもっとも恵まれてるのが今の貴方です」
「はい? 6億とかあってその中で一番マシなのが今の俺? それおかしいだろ! 普通さ、それだけあったら1つや2つ有名人になってるとか、すげー金持ちになってるとかあるよね? 」
「まあ、本人の素質ですかね。で、ここからが重要なんですけど、この世界から貴方が消えたとしても何一つ歴史は動かないと言う結果が出ています。つまり、悲しむ人もいなければ寂しく思う人もいない。良かったですね? これで何も躊躇うことなく僕と一緒に行けますよ」
「ちょっと待ってくれる? それってどこ調べのデーター? 信用できるソースなの?」
「ええ、信用という点においては勝るものはありません。何しろ神のお示しになられた事なのですから」
「はは、でもあれだし、俺、キリスト教の信者じゃないし、全然関係ないよね? 」
「もういいじゃないですか。貴方はここではいらない存在。そういう事で」
「嫌だから。絶対に断るから。何を好き好んで中世くんだりまで旅に出なきゃならない訳? しかも100%お前の都合だよね?俺に全く関係ないことだよね? 」
そのあともしばらく押し問答が続いたが、俺は人生で初めてと言ってもいいほど強靭な意思で断り続けた。どうやら俺の賛同が得られない限り転移はできないようで、相変わらずのんびりとした日々をその後も過ごしている。ただ一つ変わった事と言えば俺が神とキリスト教に対し強い不信感を得たことぐらいだ。何があっても絶対にキリスト教徒にはならない。その日、俺は固く心に誓った。
事件があったのはそれから数日後の事だ。
その日、俺はいつもの通りシルヴァーノのワガママな要求に答え、深夜にも関わらず週刊誌を買い求めにコンビニへと向かっていた。何しろシルヴァーノときたら要求を受け入れないと一晩中耳元で賛美歌を歌い続けるのだ。
この日は何故か気が向いたらしいシルヴァーノも同行している。彼の服装は俺のお気に入りのダメージジーンズを穿き、足元はショートブーツ。上着はTシャツの上に一張羅の革のジャケット。もちろんすべて俺のものだ。対して俺はというとねまき替わりのジャージの上下に300円で購入したサンダル。なにかがおかしかったが、明日にバイトを控える身としては一刻も早く買い物を済ませ、眠りに就きたい。わざわざ帰って着替えるのも面倒なので、はじめからねまきで出てきたと言う訳だ。
最近は景気も悪く、深夜ともなれば夜道も暗い。開いている店が少ないのだ。この商店街にも焼き鳥屋や居酒屋などはもちろんあるのだが、早めに閉まりこの時間までは開いていない。
そして暗がりに出現するものはお化けと不審者だと昔から決まっている。お化けは隣にいるとして、残るは不審者だ。
「きゃぁぁぁぁ!」
まるで見計らったかのように上がる女性の悲鳴。弱いくせに見て見ぬ振りが苦手な俺は、過去にこの手のことで散々苦い思いをしているにも関わらず、悲鳴の上がった路地裏へと走り出す。
予想通りというかなんというか、若い女性が数人の若者に囲まれていた。若者などというと爽やかに聞こえるがその見た目はもちろんアレだ。
目の下まで長く伸ばしたパサついた金髪にニキビ面。かと思えばどういうセンスをしているのか髪をいびつに立てているヒゲの男。さらには夜だというのになぜか大きなサングラスをかけている背の小さい男。皆、一様にだらしない格好で女性をからかっている。
「なあなあ、ねーちゃん、こんな時間に一人歩きってつまりは誘ってるってことだよな? 」
「野外プレイがお好みと見たね。こう言うシチュエーション待ってたんでしょ? 」
「こりゃあもう、レイプでもなんでもないよね。どっちかって言うと俺たちが襲われたみたいな? 」
こう言う奴らにありがちな超理論を並べ立て、女性ににじり寄る。女性の顔は闇に紛れて見えなかったが明らかに美人のオーラが感じられた。通りの向こうにほろ酔い加減の会社員が通りかかったが、こちらを見ると背筋をのばして何事もなかったかのように早足で立ち去った。
「ハハッ、あのおっさんは賢いね。こりゃあ誰がどう見ても自由恋愛ってやつだ。邪魔する奴は馬に蹴られてなんとやらって昔から言うしな。で、そこで覗いてるアンチャン、アンタはどうすんだ? 覗くのは勝手だがそこはアリーナ席だ。チケットなら1万で売ってやらねえこともねえ」
「なあ、お前らさ、そういうのやめとけって。こんな街中で悲鳴まで上がってんだ、警察が飛んでくるに決まってんだろ? 」
勇気を振り絞って注意を促す。正面切って「やめろ!」と言えないところが俺の限界をよく表していた。もちろんいざって時は大声を出す準備をしている。セリフは「こーろーさーれーるー」をチョイス。ポケットの携帯も110と入力済みだ。今の俺に死角はなかった。
「けっ、まさかお説教? ご機嫌だね、アンタ。まあ、メインデッシュの前には前菜が必要だって言うしね」
「すげー!正義の味方? 俺、もう、ファンになりそう」
「あーあ、タケちゃんやる気になっちゃったよ。どうせ後で「ふっ、またつまらぬものを殴っちまった」とか言いてえだけだろ? 」
「あはは、バレた? って事でオニーサン、ちょっと痛いかもしれないけどいいよね? 答えは聞いてない!ってね」
ガフッ重いパンチが俺のみぞおちに直撃した。叫びたくても声が出ない、というか呼吸ができない。踞る俺の腹に容赦なく蹴りがぶち込まれる。
「無慈悲な攻撃!なーんてね。次はおねーちゃんに俺のミサイルを無慈悲に叩き込まなきゃな」
「チョーウケるんですけど。んじゃ俺もリクエストに応えて無慈悲な攻撃を」
リクエストなんてしてねーよ! おかしな髪型の男が俺の背中にエルボーを決めた。再び呼吸が止まり、カハッとつばを吐き出した。
「なにこいつ、きったねえの。んじゃ次は俺の番ね、汚物は消毒だー! 」
やたらでかいサングラスをかけた小男が飛び上がったかと思うと蹲った俺の上に膝を立てて降ってきた。だめだ、声が出ない。俺の必殺技パート1は諦めざるおえないだろう。
「ちぇ、もう御終い?にぃさんたのむよぉ、もうちょっと頑張ってくれないとこっちも張り合いないんだよねー」
「ははは、自分でやっといてよく言うよ。タケちゃんてば、パンチングマシーン100kg超えてんだから普通ワンパンで終わるっての」
「ふっ、またつまらぬものを殴っちまった。なーんてね、一応言っとかないと後味悪いからな」
「だよねー決めゼリフだし」
お前ら、俺を甘く見てんじゃねーよ。ガキが!大人にはな、大人の戦い方ってのがあんだよ! 俺はガクガク震える膝を叩き、なんとか起き上がる。
「おぉ!見事な復活ですよ! どう思いますか? 解説のタケさん」
「んーそうですね。彼の場合決定的にカンフーが足りてません。せっかくの見せ場ですけどあれでは盛り上がりませんね」
ケケケと下品に笑う若者たちと正対する。俺はこいつらに大人の威厳ってものを見せつけてやるのだ。
「おいおい、テメーら、あんまし大人なめてんじゃねーよ」
そう言って俺はポケットの中で握りしめていた携帯を印籠のように彼らにかざす。
「へへ、いい事教えといてやる。こりゃあな、無敵の召喚獣を呼び出す魔法の杖だ。既に呪文は入力済み、あとはここを押すだけでポリスマンのご到着だ」
「おい、やべえよポリスマン召喚するってよ」
「そうだぜタケちゃん、こないだ出てきたばっかだろ? 今度捕まったら長いんじゃねーの? 」
「け、何ビビってんだお前ら。ポリスなんか目じゃねーよ。おい、そこの魔法使いさんよ、いいから呼んでみろ。アンタの召喚獣とやらをな。但し、召喚されんのは早くても5分後だ。その間アンタはひたすら殴られちゃうけどいいんだよね?」
ゾクリとするほどの鋭い殺気を浴びせられ、俺は一瞬ドキッとなる。しかしここまで見栄を張った以上、俺に残された道はひとつしかない。ええい、ままよ!
通信ボタンを押す。プップップッと発信音が鳴り、タケちゃんとやらがゴクリとつばを飲んだ音が聞こえた。
「午前 1時 55分 ピッピッピッポーン 」
機械的な女性の声が流れ、あたりは静寂に包まれた。
「えっ?」
「えっ?」
「おいおいニーさん、この状況で一発ギャグ? アンタスゲーよ! マジ感動」
大爆笑の渦の中、襲われていた女性までが「ぶっ」っと吹き出したのが聞こえた。ああ、もうだめだ俺。俺の中の人間の尊厳は今、完全に打ち砕かれた。もうどっちかって言うと死にたい。110と117を間違えるなんてありえないでしょ。
もちろんそのあと俺は、不良3人組からジェッ〇ストリームアタックを喰らい、完膚無きまでに倒された。
「はいはい、前座は終わり。ここから本番ね。んじゃオネーちゃん、一番手は俺だから宜しく。タケシ行きまーす!」
暴れる女性は他の二人に取り押さえられ、今やニュータイプと化したタケシによって服を剥ぎ取られようとしている。抑えられた口から時折漏れる声が無力な俺の罪悪感を煽り立てる。
くそっ、なんで俺はこんなに弱ぇ! なんでこれほど無力なんだ! 俺は生まれて初めて己の無力を呪った。
『無力じゃありませんよ、貴方は。』
『オメーは何を見てたんだよ。たった今、全開で無力さアピールしてたのが見えてなかったとは言わせねえよ? 』
『そうではありません。貴方にはあの女性を助けたいと思う強い心がありますから。』
『思っても実行できない奴のことを弱いって言うんだ。シルヴァーノ、お前、もうちっと日本語覚えたほうがいいぜ。』
『僕は霊体ですからね。どんな言葉を話す人とでも通じ合えるんですよ。文法とか言語とか関係なくね。』
『そうかい、だったら俺とだけ通じ合えないって訳だ。済まないがどっか行っててくれるか? これ以上醜態を晒したくないんでね。』
『ロクに動けないのにまだやるつもりなんですか?』
『ああ、昔からしつこいのだけが取り柄でね。』
『彼女は貴方とは何の関わりもないじゃないですか。放っておいたらどうです? 咎める良心を埋めるだけの行動は既にしたでしょう?』
『悪いな、俺の良心ってのは欲が深いらしい。とてもあの程度じゃ満足できねーとよ。』
『そうですか。ジョージ、貴方はあの女性を救ってあげたいのですね? 』
『ああ、そうだ。』
『我が身を犠牲にしても? 』
『見ちまったもんはしょうがねーさ。』
『では一つ提案です。貴方が僕の願いを聞いてくれるのであれば、僕は貴方の力になりましょう。どうです?』
すでに女性の服は破かれ、鮮やかな下着の色が目に痛々しい。タケシは女性の顔を舐め、いたぶるようにゆっくりと手を伸ばしている。
『願いってあれか? 中世に一緒に行けって言う。お断りだ、と言いたいとこだがこのままじゃ一生後悔しながら生きていく羽目になる。お前がなんとかできるってんなら聞いてやるよ。』
『神に誓って? 』
『ああ、神に誓ってだ。』
『よろしい。契約成立ですね。』
ジルヴァーノは何やらブツブツ呪文のようなものを唱えると、一瞬にして消えた。その刹那俺の鼓動がドクンと一つ大きく音を立て、体中の力が失われる。自分なのに自分じゃない。まさにそんな感じだ。
俺の体はゆっくりと立ち上がり、蛮行の現場に向かう。そしてタケシの襟首を捕まえると、そのまま女性から引き剥がし、硬いアスファルトに投げ捨てた。
「テメエ、まーだ電池が残ってやがるのか。はは、上等、ヒーローってのはこうじゃなくっちゃな」
地面に投げられた時に打ったのだろうか、タケシは鼻血を垂らしながら凄んだ。
次の瞬間、俺の口からは思いもかけない言葉が飛び出した。
「セント・ジョージの名において、邪なる竜には裁きの剣を」
やべぇぇぇ、めっちゃかっこよくね?なんか十字とか切って、ポーズまで作ってるし。てかセント・ジョージって誰だ? もしかして俺? だって俺、ジョージだし。
「へへ、かっこいいいねぇ。アンタ、キリスト教かい? イエス様も言ってんだろ、右を叩かれたら左を差し出せってな。おい、お前ら、俺たちの役どころはこの敬虔な信徒様を殉教させてやることだ。それがこいつらの喜びなんだとよ」
「んじゃ、遠慮なく」
サングラスの小男は背中から特殊警棒を抜くと、ひと振りして伸ばす。変な髪型の男はポケットからメリケンサックを取り出してキュッと指にはめた。そしてタケシは鼻血を手の甲で拭き取るとポケットからナイフを取り出した。
まずいよね、どう見ても死亡確認だよね。俺は息が詰まる思いでどうにも動かない体の中からそれを見ていた。
「いっちばーん! 」
サングラスの小男が走り出したかと思うとジャンプ、その勢いを特殊警棒に乗せて俺に打ち下ろす。俺の体はその攻撃を既のところで避け、カウンターで拳を顔に叩き込む。サングラスが砕け、ついでに鼻の骨でも折れたのか気絶して動かなくなった小男からはとめどなく鼻血が流れていた。
「ちっ、ザケンナ! 」
変な髪型の男がメリケン付きの拳を大きく振りかぶり殴りかかってくる。俺の左手はその拳をつかみ、ぐいっと手前に引き寄せる。そこに待っていたのは俺の左膝。脇腹をしたたかに打たれ、踞る変な髪型の男の顎を俺の右足が蹴り上げる。閉まって久しい空き店舗の落書きだらけのシャッターに強く頭を打ち付けたその男は泡を吹いて動かない。
「甘いんだよ! 」
タケシの叫びと共にナイフが俺の背中に迫る! 半歩体を開いて躱すとナイフを持った腕を抱え込む。そしてそのまま一気にタケシの肘を可動する方向とは反対に捻じ曲げた。モキっという鈍い音と「がああぁぁぁ」と言うタケシの叫びが聞こえ、腕を抱え、アスファルトにヘタりこんだタケシの顔に存分に力をためた蹴りを放つ。
タケシが動かなくなったのを確認すると、突然体がふっと軽くなり、自由が戻る。
『まあ、このくらいにしておきましょう。』
やれやれと言った表情で現れたシルヴァーノが肩をすくめる。
『すげーな、お前。』
『まあ、僕は騎士ですからね。戦うのが本分。そのへんの若者には引けをとりませんよ。それより先ほどの約束、覚えてますね。』
『ああ、イスラエルだかどこだかに行くんだよな? ちゃんと覚えてるって。』
『では早速。』
『ちょっと待って、まだあの女の人の無事も確かめてないから。』
俺の言うことを聞いていないのかシルヴァーノは再びなにやらモゴモゴと呪文めいたものを唱えだした。
「だいじょうぶですか? 」
俺は泣きじゃくる女性の肩に着ていたジャージの上着をかけてやる。まだ下着は健在。と言うことは事には及んでいなかったようだ。ギリギリセーフといったところだろう。
「あ、ありがとうございます」
涙を拭きながら上げた顔は見覚えのある顔だった。
「て、てめえ! 詐欺師女じゃねーか! 」
確かシスタールカと呼ばれていたその女は俺に気づくと泣き顔を驚きに変えた。
「あ、アンタは悪魔憑き! 」
「ふざけんな! その悪魔を派遣しといてよくそういうこと言えるな! 」
『さあ、用意できましたよ。』
シルヴァーノが俺の手を引きたぐり寄せる。だめだ、俺はこの女に言いたいことが山ほどあるんだ! しかし俺の存在が一秒ごとに希薄になっているのを感じる。ここから消える前にせめてもう一言!
「いいか!覚えてろよ、お前には文句が山ほどあるんだからな! 戻ってきたら絶対その胸を・・・・・・」
揉みしだいてやるからなぁ! と言いたかったがそこまで持たなかった。俺の体は透明度を増し、何もかもが遠いものに感じられる。
目の前が暗転し、意識が途切れる。俺の二十一世紀での生活はそこで終わった。
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