(4)「出てきやがれ、いつまでも隠れて震えてんじゃねーぞこのポークビッツ!」

 村人たちの態度はともかく、寝室の居心地はまずまずだった。

 辺境に電話があるのかと心配したが、庁舎にだけは線が引かれているらしい。居室として庁舎の一室を与えられたイズキは、自由に電話を使う許可を得た。

『一人? 一人でアーシュリーにいるのか、イズキ』

「お前の命令だろうが、オッサン」

 呆れた声を上げた電話相手――上司であるティモシー・カークランドに、イズキは同じくらい呆れた声で言った。

『誰がオッサンだ。良いか、お前も二十年後には同じ年になるんだからな』

「二十年後の話はしてねーだろ、今の話をしてんだよい・ま・の!」

 軽やかに返せば、反論を思いつかなかったのかすぐに話題を変えてくる。

『ともかく、だ。ラリーと合流するまでは大人しくしておけ。ラリーの到着日が確定してからお前を出立させるべきだったな』

 ラリー、と己のパートナーを呼ぶティモシーの声は絶対的な信頼に満ちている。

 彼の声の響きには覚えがあった。かつて、イズキ自身が彼のパートナーを呼ぶときにも、同じような声をしていたからだ。

 ハンターとパートナーは、互いにとって絶対的な存在なのだ。イズキとて、例外ではなく。

 イズキが返事をしなかったためだろう。ティモシーが低い声を出す。

『聞いているか、イズキ』

 新人ならば震え上がるような上司の声に、イズキは鼻を鳴らしただけだった。

 受話器を持ったまま窓に近づき粗末なカーテンを開ければ、眼下には夜の村が広がっている。吸血鬼騒ぎのためだろう、人影はほとんどない。

「へーへー、判って――」

 イズキとて、無意味に自分を危険に陥れる気はない。

 窓の外を眺めながらティモシーに適当な相づちを打ちかけたイズキは、ふと見えた人影に言葉を止めた。

『イズキ? イズキ・ローウェル、どうした』

 不穏を感じたのか、ティモシーの声に焦りが混じる。イズキは受話器を持ち直した。

「こちらイズキ。異常はねえよ」

『しかし――』

「こんな真夜中に出歩いてる馬鹿なガキを見つけただけだ。ちょっくら保護してくる」

 ベッドの横に置かれた時計を確認した。短針は、そろそろ日付が変わる時間を示している。

 こんな時間に、何をしている。

『イズキ、馬鹿な真似は――』

 舌打ちして、イズキは何事かを言い募ろうとしているティモシーとの電話を強引に切った。この一年を知っているからか、ティモシーはイズキに過保護だ。

 イズキにだって判っている。パートナーを持たないハンターは、吸血鬼にとっては格好の餌だ。

 人間であるハンター一人では、吸血鬼を相手にできることは少ない。万が一出くわせば、先日の転化二種のようにうまく倒せるとは限らない。

 ハンターの中には特別正義感の強いものや、吸血鬼に強い敵愾心を抱く者もいる。イズキはそのどちらでもなく、あくまで報酬分の仕事をこなすだけのハンターでしかない。

 判っている。ラリーがいない今、無防備に外に出るのは割に合わない。

 けれど、それでも。

「放っておけねえだろ」

 窓から見えたのは、花売りの少年だ。年の頃は十か、もう少し上か。

 相方の日本刀を携えて、燭台の明かりを消す。部屋の扉に手をかけながら、イズキは一人ごちた。

「……あの年ごろのガキには弱いんだよ、俺は」


 一年前に失ったイズキの唯一のパートナーの見た目が、ちょうどあれくらいの年齢だったものだから。



「おい、クソガキ!」

 庁舎から飛び出して、イズキは影が向かった方向に走り出した。村の端で見つけた小さな影に声を上げる。

 驚いた様子もなく、子ども――キットが振り返る。月の光が少年を照らしている。

 狭い視界の中でも判るほど、可愛らしい見た目の子どもだった。街中であれば、吸血鬼ではなく別の心配をするところだ。

「お前、こんな時間に何して――」

「ハンターのお兄さんだね」

 イズキの言葉を遮って、子どもが言った。青年のこめかみに青筋が浮かぶ。

「ああん!?」

「そんなに青い刀、普通の武器じゃないってすぐに判るもの」

 言われて、イズキは刀の柄に触れた。無意識の仕草だった。

 一方的な物言いに苛立ちかけて、余計な感情を追い払う。今はこの子どもを家に送ることが先だろう。

「ちっ――おい、クソガキ。さっさと家に帰れ」

「キット」

「は?」

 つくづく、ひとの話を聞かない子どもだ。首根っこを引っつかんで連れて行こうとしたイズキの手をひょいと避けて、キットはにこりと笑った。

「僕の名前はクソガキじゃなくて、キットだよ。ちゃんと覚えてね、ハンターのお兄さん」

「……、」

 イズキは嘆息した。ぐしゃぐしゃと髪をかき回して、何度目かの舌打ちをする。

「判った、キット。吸血鬼がひとを襲ってるって話は知ってるだろ。危ないから、家に帰れ」

 言ってから、はたと思い出した。

 ザカライアは、キットが村はずれに一人で住んでいると言っていた。吸血鬼に押し入られでもしたら、ひとたまりもないだろう。

 ならば、どうするか。イズキの思考に、先ほど飛び出したばかりの庁舎が浮かぶ。

「いや、討伐が終わるまで、俺の部屋に――」

「お兄さんのお名前は?」

 一方的で無邪気な物言いに、イズキはこめかみを揉んだ。

 深々と息を吐き出して、子どもの前に腰を下ろす。低い位置から見上げれば、キットの瞳は好奇心で煌めいている。

「……イズキだ。イズキ・ローウェル! ハンターに興味があるなら、後で幾らでも話を聞かせてやるから」

「じゃあ、お散歩しながら話そうよ。夜にだけ咲く花があってね、村のみんなにも見せたいんだ」

 ――だから、吸血鬼がいるっつってんだろーが!

 とうとう我慢の限界を超えたイズキが立ち上がって叱りつけようとしたとき、ざわりと夜が揺れた。風が一瞬だけ凪いで、また流れる。

 青年がそっと息をのんだ。

「やっべ……。ティモシーに大目玉食らうな、こりゃあ」

「イズキ?」

「呼び捨てかよ、端から端まで生意気だなお前!」

 子どもの呼びかけにきっちり突っ込んでから、イズキはキットの腕を強引に引き寄せた。小さく悲鳴を上げてよろめく少年を後ろに隠す。

 イズキは呼吸を整えた。唇を湿らせる。

「おい、キット。走れるか」

「そりゃあ、今から日が昇るまで走り続けられるかと言われれば難しいけれど。そこそこは走れるつもりだよ」

「上等。じゃあ俺が足止めしてる間に庁舎まで走れるな」

「足止め?」

 不思議そうな声を上げた少年の頭を、イズキはぐしゃりとかき混ぜた。耳元で、低く教えてやる。

。お前くらいのガキなんざ最高のご馳走だぜ。食われたくねえだろ」

「いるって――」

 戸惑う少年に行き先を示してやろうといま来たばかりの方向に視線を向けて、イズキは、

 ――へらりと、引き攣った笑みを浮かべた。

「マジで説教だな、こりゃ……」

「イズキ?」

「前言撤回だ。俺から離れんなよ、クソガキ」

 すらりと鞘から刀を抜き放つ。青い刀身が、月の光を弾く。

 庁舎までの道が、確かにあったはずの道が、つい先ほどイズキが通ってきたはずの道が、

 閉ざされた空間の、中心で――。

「出てきやがれ、いつまでも隠れて震えてんじゃねーぞこのポークビッツ!」

 イズキ・ローウェルが、吼えた。

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