(3)「――黒い髪と黒い瞳は、東洋の血脈だそうだな」
花と、
鉄錆。
香りを追いかけるように、キットはイズキの背中に眼を向けた。立ち上がったキットの眼前で、イズキが青色の少女と対峙している。
あたりには、血の匂いが満ちている。血と、血と、血と、
花の香り。
己を失った村人たちは正気を失った吸血鬼となり果てて互いを食い合い、あちこちから流血している。彼らの匂いを霞ませるほどの強烈な香りだ。
テディの魔力の支配下にある村人たちは、テディから支配権を奪い返さなければ元に戻らない。一度行使された魔術の効果を打ち消すには、いまのキットは僅かばかり力が足りなかった。
村人から視線を外す。顔が動いた拍子に、風の匂いが鼻をつく。
血と、花と、それから仄かに残る獣臭さ。
「イズキ、きみは」
身じろいだ拍子に強く香って、キットは自分の体を見下ろした。胸元にかけて、べったりと血がついている。
キットを庇って傷ついたイズキの血だ。滴るような血を、指先ですくって口に運ぶ。
舐め取った瞬間、口の中に血の味が広がる。
イズキの生命と、魔力。仄かに香る、
獣臭さ。
「――黒い髪と黒い瞳は、東洋の血脈だそうだな」
静かな口調で、キットは言った。声は、少年のものから男のものに戻っている。
イズキは振り返らない。ただイズキの向こうにいるテディが、僅かに眉を上げる。
僅かに動揺した、相手の吸血鬼の反応で確信を深めた。
空を見上げれば、月がかかっている。まどかの月。
満月を待って、ことを起こしたのだ。
イズキに眠る、人狼の血を目覚めさせるために。
そしていま、思惑通りにイズキの血は目覚めようとしている。強くなった血の香りが、事実を裏付ける。
キットは力を持つ吸血鬼であり、吸血衝動になど滅多なことでは負けるはずがなかった。だというのに、イズキの血の前であっさりと理性を失った。
認めたくないことだ。吸血鬼にとって、吸血衝動に負けることは屈辱でしかない。
その原因が、イズキの血だ。
人狼の血。膨大な魔力に、滅びの匂い――。
「滅びは、力だ。失われたものであればあるほど、滅びに近いものであればあるほど、存在の力が増す」
たとえば、魔のものに対して。イズキの血の匂いに、キットが誘われたのは当たり前のことだったのだ。
「東洋の血脈に、人狼。そういえば極東の国で、滅んで久しい狼がいたな」
とうの昔に途絶えた血筋。彼らの残滓が、人狼の中に残っていたとすれば。
「イズキ・ローウェルは未覚醒の人狼であり、東洋狼の先祖返りだ」
キットの断定に、背を押されるように――、
イズキが、テディに向けて地を蹴った。
イズキの足下で石畳が砕ける。舌打ちして、キットは低く発した。
「とまれ、イズキ!」
呼びかける。名を口にすることで、イズキの体を見えない鎖で縛る。
数日前はあっさりと通じたはずの支配は、キットに一瞥すらくれないままあっさりと弾かれた。
「おいおい、嘘だろ」
乾いた声が漏れた。
手にこびりついた血を舐めとる。どれほど力を持つ血であっても、ごく僅かでは足りないらしい。
対して、イズキから吸血したテディは。ありあまる力を受けているはずの、吸血鬼は――、
迫りくるイズキを前に、うっとりと眼を細めた。
「そう……、」
うふふ、と柔らかく笑って。
「良い子ね、イズキ」
親が子どもにするように。姉が弟にするように。
「あなたはわたしと生きるのよ」
「――!」
聞いた瞬間に、キットは完全に理解した。
「それがてめえの目的か!」
聞こえたのだろう、テディがキットに鬱陶しげな視線を向けた。いかにも興味なさげにすぐに顔を逸らす。
「そんなの、当たり前じゃない。だって人間のままじゃ、すぐに死んじゃうわ」
くるりと、指先に髪を巻きつけて。
「人狼なら、人間よりもずっと長い時間、一緒にいられるでしょう」
「――てめえは!」
キットの叫びは、水の轟音に掻き消された。イズキの召喚した水が、長い針のように地面に次々と降り落ちる。
「召喚した、っつーよりも……」
はっとして、キットは顔を上げた。
つい先ほどまでこうこうと輝いていたはずの月が、黒い雲に隠されて霞んでいる。雲など一つも見当たらなかったのに、あっという間に空が黒い雲に覆われていく。
星が、塗りつぶされていく。
「……ひとの身で、天候を操るか。そういうのは天候魔女までにしておけ」
吐き捨てた声は、苦々しさに満ちていた。
キットが視線を向けた先では、イズキが日本刀でテディに斬りかかるところだった。水の攻撃を弾いたテディの隙を、青色の刃が狙う。
「いやだ、生意気ね」
イズキの一撃を、水の奔流が防いだ。うねってイズキの体をはじき飛ばす。
吹き飛ばされたイズキは空中でくるりと身を捻って、民家の外壁に着地した。そのまま壁を蹴ってテディに突進する。
「ばかか! あんな体の使い方をしたら、」
元は人間であるイズキの体が、いきなりの酷使に耐えられるはずがない。イズキを確認すれば、顔に僅かな赤色が見える。
鼻血だ。体が動きに堪えられていないのだ。
当たり前だ。人間の体が人狼の、それも既に滅んでいる先祖返りの人狼の力に堪えきれるわけがない。
体も、
魔力も、
心も。
「――おい吸血鬼! イズキを止めろ!」
堪らず、キットは声を張り上げた。テディが鬱陶しげに髪を払う。
「あなたに指図されるいわれはないわ。……でも、そうね」
唇に指を当てる。世間知らずな令嬢のように。
テディに、イズキが迫る。
「愛しいイズキ、わたしのイズキ、可愛いイズキ、」
青色に、火花が散る。
火花ではない。あれは、――電気だ。帯電しているのだ。
見とがめて、キットの思考に疑問が浮かぶ。イズキは、雷の術を得意としていただろうか。
多いのは、身体強化。基本は魔器による物理攻撃だ。
水の魔術はテディとの契約によるところが大きいだろう。本来であれば人間は、自然を操る魔術をあんなにあっさりとは使えないはずだった。
だというのに――。
「……雷?」
はたと気づいた。もしや、集まっている雲は。
イズキが魔器を振り上げる。
斬り捨てるのではなく、突き刺すように。明らかに日本刀には適さない構えで。
相対するテディが、迎え入れるように腕を広げる。
テディに肉薄したイズキが、日本刀を振り下ろした。イズキの日本刀の切っ先を、テディの操る水が受け止める。
接触する。
刃が水に。
「いらっしゃい、キット。あなたはわたしと生きるのよ」
――だめだ、
「止めろ、イズキ・ローウェル!」
キットの叫びを、かいくぐるように――、
静かな、ひどく静かな、言葉が転がった。
「光あれ」
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