(5)「見逃すのは、一度だけ。次に会ったら、君を殺すからね」
テディに、生き残るつもりはなかった。
イズキに自分の魔力を全て注いで、そのまま灰になるつもりだったのだ。だからことが終わっても生き延びている自分に気づいて、正直なところ拍子抜けした。
「……生き延びちゃったわ」
長い間、気を失っていたらしい。石畳の上で眼を覚ましたテディは、ぽつりと呟いた。
月は姿を隠して、夜が明けようとしていた。薄明かりに視線を向ける。
朝が、くるのだ。直感した。
ぐるりと視線を巡らせる。村は壊れ果て、死体があちこちに転がっていた。
血と、血と、血の匂い。
僅かに香る花の香りは、イズキの血だろう。イズキからはいつも、花と獣の香りがする。
「……イズキ、」
気づいて、周囲を探す。気を失う前から変わらない光景に、イズキの姿がない。
ふらりと立ち上がったテディに、かけられる声があった。
「庁舎の部屋で休ませてるよ」
振り返る。見覚えのある吸血鬼が逆光に佇んでいる。
子どもの姿。彼の形は仮のものだ。
「イズキの、人狼の血は――。ひとまず、抑え込まれてる。よっぽどちょっかいをかけられなきゃ封印は外れないでしょう」
テディが質問をするより早く、キットは情報を投げて寄越した。
「完全に覚醒しきってはいなかったのと、覚醒してから時間が経っていなかったのが良かったね」
「そう……。ありがとう」
テディが全てをかけて編み上げた封印の魔術は、効果があったのだ。ほっとして、テディは深く嘆息した。
夜を追いかけるように、テディが歩き出す。
「会っていかないの?」
背中に声をかけられた。先ほどテディを追い詰めたのとは違う、子どもの声だ。
伸びやかで、明瞭。陰りなどどこにもない響きなのに、どこか暗がりめいた傲慢さがある。
傲慢さが吸血鬼の特徴の一つであることを、テディは知っていた。
生まれつきの吸血鬼の声は、聞けば判る。おそらく、吸血鬼同士でしか判らない感覚だろう。
「ええ、結構よ」
会わせる気などないくせに、と胸の中で返す。
足を止めて、振り返る。キットが首を傾げているのは動作だけだ。
テディの返答を、キットは疑問に思った様子もなかった。答えを知りながら問うたのかも知れない。
「僕がパートナーなら、敵性吸血鬼は捕縛する義務があるのだろうけれど」
まだパートナーじゃないからね、と面白がるように告げる。もう二度とパートナーとしてイズキの隣には立てないであろう、テディに向けて。
キットの印象を、テディは下方修正した。
イズキは随分とキットを信頼した様子だった。けれどイズキが考えているよりも、キットは恐らく性格が悪い。
「捕まるなんて嫌よ。処刑されてしまうでしょう」
たとえ魔術で操られていたとしても、混血貴族種の娘だとしても。テディの起こした事件は甚大で、処刑の可能性も低くはないだろうとテディは考えていた。
だって全ては、テディの意志だ。
日本刀にかけられていた魔術は、少しだけ、テディの理性を溶かした。理性が緩んだテディは、自分の意志で己の誇りを汚した。
間違いなく、
自分の願望、――だったのだ。
イズキがテディよりも早く死ぬのは事実で、テディがそのことを惜しく思っていたのも事実だった。操られる以前から、イズキを覚醒させることを一度も考えたことがなかったといえば嘘になる。
転化させるのでは意味がない。転化はテディをイズキの眷属にするということだ。
あくまで対等な立場で、隣に立った状態で、長く一緒に生きたかった。
そう考えた末に、イズキの意志と人生を弄ぶ結果になったのだから。それは確かに、テディが背負うべき罪だった。
「処刑されるのが判っているのに、逃げるの?」
さもおかしなことを聞いたというように、キットは言った。
小憎らしい吸血鬼の意表をつけたことに、テディは微笑んだ。キットの疑問は、実に吸血鬼らしいものだった。
吸血鬼は、プライドが高い。誇りを尊び、己の名誉が傷つけられることを何より嫌う。
自らの罪を自覚しながら罪から逃げ出すというのは、なるほど。――キットにとっては、理解できないものなのだろう。
テディにだって、理解できないものだった。けれど彼女には、処刑されるわけにはいかない理由がある。
「イズキに二度も、わたしの死を目の当たりにさせるわけにはいかないわ」
しかも今回は、イズキ自身が捕縛し、処刑に一役買う形になる。
そんな真似を、イズキにさせるわけにはいかなかった。テディが魔術にかけられていたのだと知れば、イズキはきっとテディの死の原因になった自分を責めるだろう。
「人狼の血を封印した拍子に死んでしまうなら、それも良いと思ったのだけれど」
イズキの糧になれるのならば、命など惜しくはなかった。けれど生き延びた以上は、死を選ぶわけにはいかない。
テディは今この瞬間に、生きるしかなくなったのだ。
「だから、逃げるのよ! 逃げるの」
誇りある吸血鬼が、決して使わないだろう言葉を。理解できないであろう意志を。
高らかな声で、テディは宣言した。
「逃げてやるわ! 逃げて逃げて逃げて、誇りも何もなげうって地の果てまで逃げ延びるわ! イズキがひとの命を全うする遠いいつかまで!」
言い切ったテディに対して、キットの反応は薄いものだった。
いかにもどうでも良いことを告げるように。「へえ、そう。頑張ってね。ハンターの追跡は甘いものじゃあないだろうけれど」
ほんの僅かに肩を揺らしたテディに、もののついでのように。
「じゃあ僕も、いまここで君を殺すのは止めておこう。君を慕うイズキと、イズキを守った君の行いに免じて」
風に流されそうなほど、小さく呟く。
「――殺したって、村人たちは戻ってこないしね」
「あなた……」
「ねえ、忘れないで」
軽やかな声が、テディの言葉を遮った。
「覚えたよ。君の顔を覚えたよ。君の名前を覚えたよ。君の魔力を覚えたよ。君の匂いを覚えたよ。君の行いを覚えたよ」
ひそりと、秘密を教えるように。宝物の場所を囁くように。
「見逃すのは、一度だけ。次に会ったら、君を殺すからね」
「――……!」
ぞわっ、と。
全身が粟立って、テディは反射的に飛び退いた。
眼の前の吸血鬼を見返す。極度の緊張のためか、手が震えている。
ひどく穏やかに微笑むキットを前に、テディは心の中でイズキに問いかけた。
――ねえ、イズキ。あなたはいったい何と出会ったの。
一歩、二歩、下がる。じりじりと距離を開けるテディを見ても、キットに動じた様子はなかった。
まるで、どうでも良いものでも眺めているように。
「あなた、」
問いかけて、口を閉ざした。
この男は、とんでもない化け物なのではないか。予感が、テディの言葉を封じた。
「行きなよ、水遣い。僕の気が変わらない間にね」
キットの言葉と同時に、見えない鎖がテディの体を雁字搦めに縛り上げた。
支配されたのだ、と直感する。混血貴族種が、名前すら呼ばれないまま。
「待ちなさい!」
テディは叫んだ。言わずにはいられなかった。
「イズキを傷つけでもしたら、わたしがあなたを殺すわ!」
「――、」
テディの言葉が、キットにとっては予想外だったらしい。テディが眼を覚まして初めて、キットの顔に感情の乗った表情が浮かんだ。
驚いたように、瞬く。
それからキットは、――得体の知れない雰囲気を、あっさりと掻き消した。親しみのこもった、もしかしたらイズキに馴染みなのかも知れない顔で苦笑する。
「楽しみにしてるよ」
キットの声の優しさに、テディは少しだけ、許されたような思いがした。勘違いであることは百も承知だったけれど。
これからも、テディは生きていくだろう。同胞に蔑まれようと、誇りを失おうと。
それがテディが己に課した罰だった。罪を犯した生きものは、裁かれなければならないのだ。
たとえそれが、あの男に操られて、甘言に乗った結果であろうと。
ふと、一つ言い忘れたことを思い出した。大切な、忘れてはならないことだ。
「ねえ、あなた――」
テディの言葉を、キットは静かに受け止めた。嘆息して、頷く。
「承った、水遣い」
安堵して、テディは力を抜いた。
端から、意識が塗りつぶされていく。次に眼が醒めれば、テディは村から遠く離れた場所に移動させられているだろう。
薄れていく意識の片隅で、テディはあの男のことを思い浮かべた。考えてみれば、彼にも申し訳ないことをした。
彼の契約者である吸血鬼、テディの兄を殺すだなんて。
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