五章 白の吸血鬼
(1)「吸血鬼と人間は常に、《盟約》の前に平等だ」
対峙する、白と青。
座り込むイズキを案じるように、キットの視線がイズキに向いた。その隙をついて、テディが動く。
「邪魔しないでよ!」
たっ、とヒールの低い靴が石畳を蹴った。
水を纏って、テディが迫る。襲いくる水の槍を最小限の動きでキットが避ける。
体を斜に構える。くいと指を動かして、キットは挑発的に笑った。
「そりゃこっちの台詞だ、
二人の様子を呆然と眺めていたイズキは、ややあってキットが子どもの姿であることに気づいた。
普段は子どもの姿で過ごし、イズキの血を飲んだときだけ大人の姿になる吸血鬼。ラリー相手に遅れを取っていたことからも、彼の本来の姿は大人なのだろうと想像がつく。
おそらく、力を一時的に失っているか、あまりに長いあいだ吸血をしていないか、他のいずれかの理由で貯蔵魔力がほとんど底をついているのだ。子どもの姿を取っているのは、魔力を節約するためだろう。
対してテディは、子どもの形がそのまま本来の姿だ。今のままぶつかり合えば、押し負けるのはキットのほうだ。
「キット、」
――血を。
言いかけて、イズキは言葉に詰まった。つい先ほど、力を借りるなどと虫の良いことはできないと考えたばかりだった。
イズキの耳を、高い少女の声が叩く。
「ぽっと出の、吸血鬼が――」
迷いに動きを止めるイズキを置き去りに、事態は動く。テディは既にキットに狙いを定めていたし、逆も然り。
「わたしの愛しいイズキを奪おうとしないで!」
「随分とわがままだね、ミレディ。それを決めるのは――」
水の本流が、キットに襲いかかる。
キットは右手を振るって、召喚した炎を水に叩きつけた。白い炎が水を飲み込み、蒸発させていく。
全ての水が消え失せる、かに見えた。炎に打ち勝った水の一部が、キットの体を貫こうと伸びる。
間一髪で、キットは身を逃がした。直前までキットの体があった場所を、殺意を伴った水が貫いていく。
キットが地を蹴る、そこまでは肉眼で認識できた。子どもの姿がかき消える。
キットの動きを眼で追っていたイズキは、ほんの一瞬、キットを見失った。テディもキットを見失ったのか、周囲に視線を走らせる。
「僕たちじゃなくて、イズキでしょう」
声は、右手から降ってきた。テディの背後にある家の屋根に、少年が佇んでいる。
同時にテディが気づく。振り返る。
テディが完全に振り返るよりも、キットが掲げた手を振り下ろす方が早かった。ちりっ、とテディを中心に魔術陣が浮かんで――。
イズキの前に、白い火柱が上がった。
「……テ、」
呼びかけて、言葉にはならなかった。テディの名前を呼ぶのは違う気がしたからだ。
「吸血鬼と人間は常に、《盟約》の前に平等だ」
絶句するイズキの耳に、些か機嫌を損ねたようなキットの声が届く。
「イズキの意志の前に、あなたは少しだけ横暴が過ぎたね」
幼い声に、イズキは少しだけ、呆れた。
どの口がものを言うのか。思い返せば、イズキはキットに随分と横暴なことばかり言われている気がする。
あぁ、けれど。
ハンターであるイズキ・ローウェルの意志を。ただの青年であるイズキ・ローウェルの意志を。
穢すような真似は、キットは絶対にしなかった。
たとえば、キットを森に置いていくことを迷った一瞬に。名前も知らぬ少女の遺体をテディに重ね合わせて、混乱したときに。
イズキがイズキとしてあるべき道に向けて背中を突き飛ばしたのは、キットだったのだ。
キットは絶対に、イズキの誇りをおかすことはしなかった。
「第一、難しい方が燃えるでしょう」
――その一言は、どう考えても余計だったけれど。
イズキの見守る前で、立ち上がる火柱が徐々に細くなっていく。
力が弱くなっているのではない。一か所に集中させているのだ。
本性ではないキットの炎が、果たしてテディにどれほど効くかは未知数だったけれど。
白はますます白く、その眩しさに僅かに眼を細める。拍子に、イズキはあることに気づいた。
「……ひび?」
石畳が、ひび割れている。
もともと古びていたし、村人たちが吸血鬼になるという混乱で更に劣化は進んだように見えた。既にあるひびに紛れるように少しずつ、けれど確実に。
火柱付近から伸びたひびがキットの立つ家に向かっていることに気づいた瞬間、イズキは走り出した。
「キット、下だ!」
イズキの警告に、キットがぴくりと反応する。キットが屋根から飛び降りるのと、地面から水が噴き出すのは同時だった。
タイミングが悪い、と歯がみする。ちょうど飛び降りたところで、キットの体が宙に浮いている。
宙にいる間は、体勢を変えられない。ほんの一秒にも満たない隙を、水は的確に狙う。
水が、しなった。
鋭く尖った水が小さな体を穿とうとする。そのまま水に貫かれるかに見えたキットはしかし、辛うじて小さな結界を張ったらしかった。
結果によって僅かに勢いが弱まった奔流がキットにぶち当たる。先端を砕かれた水の槍は、小さな体を貫くほどの力は持たずに吹き飛ばすに終わった。
子どもの体が地面に叩きつけられる。上からのしかかってくる水を、白い炎が焼き払った。
同時に、テディを焼いていた火柱が蹴散らされた。水に対抗するためにキットの意識が裂かれたためだろう。
熱に炙られたのか、ほんの僅かだけ肌の幾らかを赤らめたテディが姿を見せる。髪を掻き上げる。
「もう、最低。女の扱いがなってないわ」
毒づいて、テディは。
指揮者のように、
壇上の演者のように、手を振るう。
あぁ、だめだ。
イズキは直感した。地を蹴って、キットに向けて走り出す。
キットは地面に転がされた体勢のまま、まだ起き上がれていない。
そしてイズキの、直感のままに――、
テディが終演を歌う。同時にイズキが叫ぶ。
「もろもろの星よ、青を讃え遊べ!」
「
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