(6)「生きて、責任を取って貰うからな」
「滅び――」
何を言われているのか、イズキは理解できなかった。
ただ、キットに抑え込まれた現状がよくないということだけは判る。吸血鬼の瞳は徐々に赤が増している。
このままでは、昨日の二の舞だ。
イズキは近づいた距離など気にしていないというように、キットから体を離した。両手を取られていては、僅かな間しか稼ぐことができなかったけれど。
「本気か、クソ吸血鬼? ガキみてえなイタいこと言ってんじゃねーぞ」
膝をついたキットの顔が、すぐ上にある。キットの意識は、もう半分ほど吸血衝動にっ持って行かれているらしい。
血の止まらない肩口から血液を掬い取って、口に運ぶ。ぴちゃり、とイズキの耳元で水音が鳴った。
「キット」
そっと呼びかけても、反応は返らない。
自分を落ち着かせようと眼を閉じた拍子に、くらりと世界が回った。血を失いすぎたのだ。
同時に意識の底に沈めていた痛みを思い出す。鈍い痛みが、思考を浸蝕していく。
「……や、っべ、」
今の状態から更に血を奪われれば、おそらく命はない。あっという間に遠のきかけた意識を必死につなぎ止めた。
「キット、キット、頼む、」
血の気を失った唇が、吸血鬼の名を紡ぐ。
子ども姿のときに垣間見た少年の心根と、吸血鬼としての彼のプライド。イズキは己の知るキットに、自分の命をかけた。
自由になった片手で、キットの肩を押しのける。煩わしげにイズキの手を払った男と、眼が合う。
吸血鬼の瞳は、赤い――。
「死ぬわけには、いかねえんだよ……!」
命と引き替えに自分を守った、パートナーのためにも。
最後の気力で胸ぐらを掴む。イズキは力任せに、キットの体を引き寄せた。
「酔っ払ってんじゃねーぞ、キット!」
ごちっ、と二人の頭の間で鈍い音が鳴った。
「クッッソ痛え……!」
仕掛けた側であるから心構えがあったとは言え、頭突きのダメージは互いに平等だ。痛みに悶絶するイズキの前で、キットがひどく不機嫌に呟いた。
「……痛い」
「ざまぁ見やがれ、クソ吸血鬼!」
意地でせせら笑ってやったが、気力は限界だった。痛みを訴えた頭がぐらぐらと揺れて、痛みが中からきているのか外からきているのかももう判らない。
感情と関係なく、涙が零れた。体の機能が壊れ始めている。
「あー……、ちくしょう」
「おい、イズキ?」
キットが僅かに狼狽えた声を上げたのは、イズキがぐったりと男に体重をかけたからだろう。横目で吸血鬼を見上げて、イズキは教えてやった。
「お前は知らねえかも知れねえけどな」
耳元で、秘密を教えてやるように。
「吸血鬼が考える何倍も、人間は簡単に死ぬんだぜ」
そこでようやく、キットはイズキが失血死をする可能性に思い至ったらしい。傷を押さえるように手を当てて、低く唸る。
「それは、困るな」
「貴族種様に惜しまれるなんざ、光栄、だな――」
「当たり前だ。お前は俺のものだ」
「はは、」
面白くもないのに、笑いが出た。
「そんなん、いつ決まったんだよ」
キットの指がイズキの顎にかかる。強引に持ち上げられた拍子に、視界が回った。
「お前はこの俺に、恥をかかせたんだぞ」
言いがかりめいたことを口にされて、イズキは回らない頭で考えた。
恥。恥。
あぁ、そうか。腑に落ちて、喉を鳴らす。
「血の匂いに狂うなんざ、だっせェの……」
「判ってるじゃないか」
金色の瞳が、イズキの顔を覗き込む。
「生きて、責任を取って貰うからな」
イズキの唇に、キットの唇が重なった。
顎を押さえられて無理矢理開かれた歯と歯の間に、厚い舌が強引に割り入った。イズキの口に、自分の血の匂いが広がる。
ざらり、と舌を舐め上げられる。堪らず突き放そうとしたが、がっちりと頭を抱えられては抵抗もできなかった。
「は、やめ」
「黙ってろ」
空気を求めて逃れようとした僅かな隙間も埋められる。咎めるように下唇をやや強めに噛まれて、体が跳ねた。
再度深く唇が合わさって、ざらりと上顎を丁寧になぶられる。頭が真っ白になって力が抜けた瞬間、腰を引き寄せられた。
完全に覆い被さられる形になって、ほとんど食らうように唇を奪われる。抵抗も諦めてイズキの手がだらりと下がった瞬間、
がりっ、と口の中で鈍い音が鳴った。
「ん、!?」
痛みはない。代わりに、今までの非でない鉄さびの匂いが広がった。
キットが自分の舌をかみ切ったのだ、とは遅れて気づいた。角度の問題で、唾液ごとキットの血液がイズキの口に流れ込む。
吸血鬼の体液は、人間にとっては劇薬だ。
ほとんど本能的にキットの血を吐き出そうと暴れたイズキは、反応を予想していたようにあっさりとねじ伏せられた。唇を離したキットが、イズキの口を手で塞いで耳元で囁く。
「飲め。あぁ、それとも」
甘ったるく、恫喝するように。
「下から飲ませてやろうか?」
するり、と腰を撫でられて、イズキは無我夢中で唾液と血液を飲み込んだ。内包される強い魔力が、胃の奥で熱を持つ。
「あ、つい、」
腹を押さえて、譫言めいて呻く。眼の奥が明滅する。
熱と痛みで暴れ回る視界に、キットの顔が見えた。半ば反射的に手を伸ばせば、彷徨ったところを握り返される。
「キ、ット、」
「飲んだな。良い子だ」
褒められて、力が抜けた。
流れっぱなしの涙をそのまま、抱きしめられながら熱が過ぎ去るのを待った。腹から胸に凝った魔力が、時間とともに体に広がっていく。
男の肩口に顔を埋めれば、上質な布が濡れるのが判った。吐き気を堪えながら、静かに時を数える。
目眩が治まった頃には、受けた傷の痛みは完全に消えていた。キットの魔力によって治療されたのだ。
判っても、イズキは動けなかった。情けなさと恥ずかしさで顔を上げられない青年を知ってか知らずか、キットがイズキの顎に再び指をかける。
「待、」
構わず、顔を持ち上げられた。吸血鬼の瞳と眼が合ってぎくりとする。
金色に、僅かに赤が散っている。
「むり、無理だからな!」
小刻みに首を振るイズキが何を拒否しているのかを理解したのだろう。キットは小さく苦笑して、降参を示すように両手を耳の横に上げた。
「さすがに、いま食らいつきはしない。貸しにしておいてやる」
「貸しって、なんかそれも嫌だな」
「じゃあ、別の方法で返すか?」
見せつけるように自分の唇を舐められて、イズキは表情を消した。
「借りとく」
「素直で結構。――と、お迎えみたいだぞ」
ちらりと村の奥に視線を向けたキットが、詰まらなそうに言った。先ほど別行動になったラリーが近づいているのだろう。
イズキの傷は塞がったが、失われた血は戻らない。しばらくは身動きできないから、イズキはラリーに拾って貰うしかない。
キットはラリーが合流するまで待つ気はないらしかった。体を離す男を見守っていれば、吸血鬼が面白そうに瞬く。
「じゃあ、またな。忘れるなよ、お前は俺の獲物だ」
自分勝手な台詞を、当たり前のように口にして。
思い出したように、キットはイズキの顔を覗き込んだ。油断していた青年の唇を、あっさりと奪っていく。
「下手くそだな、童貞か。次はもう少しまともに応えろよ」
「……余計な、お世話、だ!」
怒りのまま振り回したイズキの拳は、あっさりと空を切った。反動でくらりと目眩がする。
青年一人が残された空間に、吸血鬼の笑い声だけが余韻のように響いて、消えた。
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