(2)「……それでも、俺の魔器だ」
数日後、夕暮れ。
吸血鬼が活発になる夜に見回りを強化していたイズキは、仕事前のつかの間の休憩で微睡んでいた。
庁舎の部屋で一人、半端な姿勢で横たわるベッドの上には資料が散乱している。ドロシア・カナール他、この数日で暴走した住民の情報だ。
イズキの瞼が、ふるりと震える。
「……ん、」
呻いて、イズキは寝返りを打った。仰向けになって、ぼんやりと眼を開く。
「なんだ――」
イズキはゆるりと顔を巡らせた。首の後ろに手を当てる。
ぞわりと、背筋が粟立っている。
違和感の正体が判らずに、窓に視線を向ける。ベッドに横たわったままでは、村の様子は見えない。
空の片側が赤く染まっている。遠くにぼんやりと山の峰が見える。
起き上がって窓に近づこうとしたとき、背後の喧噪に気づいた。振り返る。
庁舎の中が、ざわついている。
寝起きで靄がかかっていた意識が、今度こそはっきりと覚醒した。ベッドに立てかけてあった日本刀を掴む。
一瞬、手が止まった。
――胸に抱く、青がある。
テディがテディ自身を使い切って作った魔器だと、テディの形見だと思って持ち歩いた青い日本刀。イズキの、イズキだけの魔器。
生きていた、テディの。
する、とわずかにイズキの手が刀の鞘を滑って、
意志を持って掴み直した。
「……それでも、俺の魔器だ」
何を思ってテディがイズキに魔器を託したのか、イズキには判らない。何を考えて死んだように思わせていたのかも。
けれどイズキにとって青い日本刀こそ、テディを思う唯一のよすがだったのだ。この一年、イズキを支え続けてくれた。
「――どの、ハンターどの――」
扉の向こうから呼ばう声に、イズキは声を張り上げた。
「今、向かう!」
等間隔で燭台と窓の並んだ狭い廊下を、硬質な革靴で歩く。木張りの床を急ぎ足の靴が叩く。
先ほど確かに聞こえたはずの声の主は、見えない。
「誰かいねえのか!」
立ち止まって、イズキは周囲を見回した。
イズキが宛がわれた部屋は、宿泊用に作られた一角にある。村に唯一の宿泊施設で、客人などが稀に泊まるのだ。
誰が描いたかも判らない、安っぽい絵画が眼に止まった。鮮やかに青い花。
初日にキッドが持っていた花だ、と気づいた。
青色の面影が、少女から少年に置き換わる。脳裏を過ぎった幻想を、イズキは断ち切った。
廊下の奥に視線を戻す。細やかな階段がある。
階段に向かおうとしたとき、物音に気づいた。
「この部屋か」
イズキの部屋から幾つか開けた部屋の中から、ごとりと何かが暴れるような音がした。
現在アーシュリーにいる村外の人間はイズキ一人のはずだ。
清掃でもない限り、この一角には誰もいないはずなのだ。そしてわざわざ、手燭を使わなければ隅までは見えないような時間帯に普通は掃除しない。
朽ちた取っ手に手をかけて、躊躇った。
イズキの脳裏を、キットの顔がよぎる。幼い少年と、白い青年の姿。
「……ふざけんなよ、俺」
首を振って、迷いを払った。契約するなどと決めてもいないのに、力を借りようなどと虫の良すぎる話だった。
魔器に手をかけて、扉を押し開けた。室内を確認する。
作りはイズキの部屋と同じだ。部屋の端に置かれた燭台に、壁沿いにごく小さな棚がある。窓と平行に置かれたベッドに、窓には安っぽいカーテンがかかっているのだ。
そして、棚と反対側に置かれたテーブル。テーブルの下にうずくまる影に、イズキは眼を止めた。
扉が開いた音に気づいたのだろう。眼を見開いて、男はイズキを凝視している。
半分ほど正気を失ったような男に、イズキは駆け寄った。
「大丈夫ですか」
「ひっ、」
イズキを見ながら、男はイズキに気づいていないようだった。膝をついて視線を合わせれば、徐々に焦点が合う。
はく、と男の口が動いた。
我を失ったようにイズキに縋りつく。自分よりも体格の良い男を、イズキはどうにか受け止めた。
「なん、なんだ、なんだ、なんなんだよ。なんだよなんだよなんだよ」
男の、イズキの肩を掴む手が震えている。
「何かあったんですか」
辛抱強く、イズキは問うた。はく、はく、と男の口が魚めいて動く。
「村の、村のやつらが、」
「村?」
イズキは視線を巡らせた。
窓に眼を向ける。カーテンの隙間から、僅かに焦げついた光が入り込んでくる。
――村で、何かあったのか。
イズキが立ち上がろうとするのと、男がイズキの肩から手を落とすのは同時だった。イズキは男に視線を戻す。
男は、自分の手を見つめているようだった。
男の手の震えは止まっていた。じっと視線を落として、何ごとかを呟いている。
イズキは注意深く顔を近づけて、耳を澄ませた。
「――が、」
最初は何を言っているのか、判らなかった。ややあって意味を理解する。
「喉が渇いた喉が渇いた喉が渇いた喉が渇いた」
聞き取った瞬間、イズキは魔器を抜いた。
「喉が渇いた喉が渇いた嫌だ食いたくない化け物になりたくない」
男はもはや自分が何を言っているのか、理解もしていないように。
「俺は! 俺は、化け物じゃない!」
びよっ、とした動きで顔を上げる。見開いた眼は、真っ赤に染まっていた。
「血を吸う化け物になんか、なりたくない! ハンターどの、」
幾筋も幾筋も、涙を流している。ひび割れた唇が、開く。
「――助けて、」
「その願い――」
鞘が、走る。
「イズキ・ローウェルが聞き届けた」
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