四章 雷の狩人
(1)「僕があなたの、パートナーになってあげる」
ティモシーに渡せるラリーの名残りは、小瓶の灰と、魔器のナイフ数本だけ。
テディは数百年を生きていたから、兄であるラリーも同じほど生きていただろう。人間からしてみればあまりに長い命の終わりに、彼の遺品はひどく呆気なかった。
庁舎の部屋のテーブルに並べた小瓶とナイフを前に、イズキは顔を歪めた。
ティモシーの暴走の引き金になったのは、イズキだった。そのことが、心を重くする。
避ける道はなかったのか。
他の方法はなかったのか。
きっと、ティモシーはひどく嘆くだろう。気難しい男だが、彼なりに己のパートナーを大切にしていたことを知っている。
きっと、ティモシーはひどく恨むだろう。
暴走のきっかけになったイズキを。彼のラリーの命を奪ったテディを。
「……それでも俺は、お前らが嫌いじゃなかったんだぜ」
今さら、届かないとしても。
燭台の火を消した部屋を、窓から差し込む月の光が照らしている。光の差し込むベッドの上に、イズキは体を投げ出した。
ベッドから窓を見上げる。
月は、明るい。近日中に満月を越えるだろう。
「ティモシーに、」
報告を。考えても、体が動かなかった。
胸を凍らせる感情は、恐怖だ。己の弱さを、イズキは認めた。
ここにきて、ティモシーの強さに気づいた。パートナーの死をハンターに伝えるのは、こんなにも恐ろしいことだったのか。
全ての終わりを、告げることは。
一年前、テディの死をイズキに伝えたティモシーは、何を考えていたのだろう。
「……そうだ、テディのことも」
ラリーの死とテディの生存を、ティモシーに伝えなければ。
もう何度も考えたことを頭の中で繰り返す。動かない体に、投げやりな笑みが漏れた。
眼を腕で覆って、呼吸を数える。そのうちに、静寂が耳についた。
それから、ベッドにかかる微かな重み。誰かはすぐに察しがついた。
「どこから入った、キット」
言いながら、腕をずらす。視線の先で、ベッドに腰かけたキットがイズキを覗き込んでいた。
窓は閉めたままだったというのに、どうやって入ってきたのか。
「泥棒の才能があるな」
「せめて怪盗と言ってよ。泥棒なんてダサいじゃない」
ダサいダサくないの問題なのか。
問おうとして、止めた。いつものような軽口は出てこなかった。
キットの手が伸びて、イズキの頭を撫でる。子どもの手は柔らかくて、血が通って温かかった。
「……血、通ってるんだな」
「今さら何を。吸血鬼はそこらにいる魔物の一種だよ」
言って、ひたりと額に手を乗せる。
「ただ、他よりはほんの少しだけ人間の真似が得意で、人間に友好的だ」
大人の姿のときと比べて、当たり前だがキットの声は高い。けれど、耳につくほどではない。
風が木を揺らすのと、水が落ちる間のような声だ。
「けれど吸血鬼は人間に支配しているわけではないし、」
響きは、淡々として重い。
「人間は吸血鬼に支配されているわけじゃない。人間は人間の、吸血鬼は吸血鬼の意志で行動する。吸血鬼と人間の間には、因果関係は存在しても絶対的な責任は存在しない」
それまでイズキは、話の着地点が判らない
ままキットの言葉を聞いていた。
ここにきてようやく、先が見えた。僅かに頭を起こす。
「だから水使いの吸血鬼の件は、イズキには」
「やめろ、」
堪らず、イズキはキットの言葉を遮った。
キットが口を噤んで、イズキを見下ろしてくる。頭を落として、イズキは視線を背けた。
「慰めなんか要らねーよ。判ってる」
月を見上げる。いびつの月。
「あれはラリーの暴走で、悪いのはラリーだ」
ずっと殺したかった、と言われた。
ならばラリーはこの一年、殺意を抱き続けていたのか。それでいながらテディを失ったイズキを、守って、支え続けてくれたのか。
憎しみを育みながら。
「でも、最後の引き金を引いたのは俺だろ」
すり、と何かが手に触れた。
投げ出されたイズキの手に、キットが触れたのだ。ゆっくりと手を組み合わせながら、言う。
「じゃあ、僕も共犯だね」
イズキの顔に影がかかる。キットが覗き込んでいる。
「そもそも、パートナーの死を乗り越えるのは悪いことじゃない。人間の命なんて短いもの。ずっと過去に囚われたままでいろなんて、そんなの、」
「止めろっつったろ!」
キットの手を振り払って、イズキは言った。
静かな眼で、吸血鬼が顔を離す。起き上がろうとしたイズキの肩を片手で押さえたまま。
「……離せ、」
唸るようなイズキの言葉を、キットは気にした風もなかった。
「キスしようか、イズキ」
「はあ!? いい加減空気読め、クソガキ!」
思わず威嚇したイズキにくすくすと笑う。本物の子どもめいた、邪気のない声だった。
「あなたはそれくらい元気なほうが良いよ」
自然に近づいてきた顔から、イズキは顔を背けた。キットが動きを止める。
「止めろ。――今は、止めろ」
「ねえ、イズキ」
キットは構わず、無防備になった首筋に口づけた。思わず顔を向けたイズキと至近距離で眼を合わせる。
「あなたはもう、僕のものだ。本気だからね」
ひどく身勝手な台詞を口にして、キットは微笑んだ。
「僕があなたの、パートナーになってあげる」
「……くそったれ、」
キットが姿を消したベッドから、イズキはようやく体を起こした。
子どもと話す前よりも、心は僅かに軽くなっていた。認めないわけにはいかない事実を前に、短く舌打ちする。
月は僅かに傾いて、その分だけ室内に入り込む光は多くなった。仄く照らされた部屋で、燭台もつけないまま電話に手をかける。
僅かに、迷った。
古めかしい機体を前に、逡巡する。ややあって、イズキは受話器を手に取った。
「――ヒサメ、いるか」
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