二章 花売りの少年

(1)「あなたはハンターでしょう!」

 イズキが眼を覚ましたのは、太陽が中天を通り過ぎてしばらく経った頃だった。

「嘘だろ、寝過ぎた!」

 がばりと飛び起きる。

「テディ、なんで起こさねえんだよ」

 文句を言おうと首を回して、言葉を止める。

 白地に茶のダマスク柄の壁紙に、入り口近くに設置された黒い電話。絨毯はなく床は木張りで、こじんまりとした部屋に木製のベッドと、小さなテーブルが置かれている。

 間違いなく、イズキが村から貸し出された部屋だった。一人部屋に、他の誰かが隠れる場所はない。

 テディはもういないのだ。何度も何度も確認した事実をまた突きつけられて、イズキは唇を半端に歪めた。

「――あー、」

 立ち上がって、カーテンを引き開ける。全身が悲鳴を上げているのは、人間には無理な動きを繰り返したためだろう。

 けれど、休んでいる暇はない。

 窓の外を見下ろした。陽光の下、幾人かの村人が広場でくつろいでいる。

 ことさら小さな影を見つけると、イズキは身を翻した。



 花を探す時間がなかったのか、今日の仕入れは少なかったらしい。朝早くから商っていたとも思えないのに、キットの抱える花はもう数本しか残っていなかった。

 最後の一本を残して、イズキの眼の前で一人の男が花を買っていく。黄色い花は、灰色の街にひどく映える。

 男の背中を見送って、イズキは子どもに声をかけた。

「幾らだ」

 言ってしまってから、問題になりそうな発言だなと自分で思った。裏通りで同じことを口にすれば、治安兵に眼をつけられても文句は言えない。

 内心で冷や汗を流したイズキに気づいた様子もなく、振り返ったキットが金額を応えた。差し出された二枚のコインのうち、一枚を拾い上げる。

「安くしてあげる。昨日のお礼」

「あぁ……」

 ごく平坦な口調で言った少年に、イズキは頭を掻いた。

「花を売ってるんだよな」

 受け取ったピンクの花を眺めてしみじみと言うイズキに、キットが首を傾げる。汚れを知らない子どもの表情だった。

「うん、花売りだからね」

「そうか」

 頷いて、イズキは横に視線を向けた。

 森を切り開いた村は、あちこちに切り株と、倒すのを億劫がったのだろう木が残っている。木と木の合間を縫うように、煤けた煉瓦造りの家がちらほらと立っているのだ。

 生業は恐らく、狩猟や木こり、炭焼きが主だろう。近くに川があるようだから、もしかしたら鍛冶もいるかも知れない。

 男たちのほとんどは出払っていて、村に残っているのは細やかな商人と、家や畑の仕事をする女性ばかりだ。ぱっと見るだけで、閉鎖的な村なのだろうと判る。

 身を守る術でもあるから、イズキは全身を包むしっかりした布の服を着ている。動きやすさと周囲への威圧を目的とした兵士の服に近い見た目は、田舎では些か目立つ。

 イズキの服装が物珍しいのだろう、幾人かの子どもの好奇心に満ちた視線。それから年嵩の村人たちの、よそ者に対する警戒心に満ちた視線。

 何人かと眼が合って、ぱっと逸らされた。

 正直、良い気はしない。良い気はしないが、しかし。

「平和で、良い村だな」

 さりげなく周囲の人間がイズキに気を払っているのは、親のいないキットの近くに見知らぬよそ者がいるからだ。子どもを搾取するでもなく、彼らはキットを守っている。

 イズキがキットに視線を戻せば、少年は何を今さらというように眉を上げた。

「そうじゃなきゃ、子どもが花売りなんかで生きていけるわけないでしょう」

「……本当にガキか?」

 思わずというように呆れた声を上げたイズキの前で、キットがぐっと伸びをした。ぐいぐいと腕を振る姿は、物言いから考えられないほど子どもらしい。

「さて、今日は店じまいだよ。明日の分を仕入れに行かなくちゃ」

 ふと、イズキは心配になった。花売り以外に、この少年は何をしているのだろう。

「お前、勉強はしてんのか? なんなら俺が教えてやっても良いぜ」

「言っておくけど僕、文字を書けるからね」

 思わぬことを言われて、イズキは眼を見開いた。田舎では、物書きや計算を知らない大人も珍しくない。

「すげーじゃん」

「でしょう。週に何度か、村長に教えて貰うんだよ」

 得意げに鼻を鳴らして歩き始めたキットの後ろを、イズキは慌てて追いかけた。少年が不思議そうに見上げてくる。

「花を探しに行くんだろ? 俺も連れて行け」



 そもそもは、キットにしばらく庁舎で過ごさないかと声をかけるのが目的だった。

 吸血鬼が潜む中で、一人きりの家で過ごすのはあまりに危険だと感じたのだ。昨日は吸血鬼を倒した後に帰してしまったけれど、いまは事情が違う。

 アーシュリーには、まだ吸血鬼がいる。


「最低でも、一人」

 昨夜襲いかかってきた男を思い出した。

 貴族種ならば危険はないと言いたいけれど、昨夜の様子を考えるに安全だという判断はできなかった。叶うならばもう一度接触して、状況を確認したい。

 指令書には、吸血鬼の予測数は一と記載されていた。二人目の吸血鬼が出てきた以上、一度ティモシーと方針を練り直す必要がある。

「何にせよまずは、昨日のアイツだな」

 彼の安全性が保証されないまま、村を離れることはできない。


「イズキ?」

 ちょろちょろと森の先を歩いていたキットが、振り返って声を上げた。

「遅れないでよ、おじさん」

「お、おじ……」

 数日前に上司に向けたからかいをそっくり言われて、イズキはぴしりと硬直した。ころころと笑う子どもを前に、拳を振るわせる。

「上等だ、クソガキ! 後で疲れたっつってもおぶってやらねーぞ!」

「言うわけないでしょう、いつも通ってるんだから。もう少し先に――」

 キットの言葉が、途切れた。

 何かの音を聞きつけた獣めいた仕草で、ぴくりと顔を動かす。同じ方向に眼を向けたイズキの耳に、不穏が届く。

 甲高い、女の悲鳴だった。

「―――……、」

 一瞬、足が止まった。森の中に子どもを置き去りにすることを、体が躊躇う。

 イズキの迷いを見通したように、少年が言った。

「行って、イズキ!」

 突き飛ばされるように、

「あなたはハンターでしょう!」

 キットの声に背を押されて、イズキは走り出した。

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