第4節 鋼色の光を放つソレ
晩御飯の準備をしている妹を椅子に座って眺めつつ、龍崎は自分の身に起きた事件を整理しようと頭を働かせていた。だが考えに考え直し、その結果として何も整理できていないのでいるのだ。
「いや、意味がわからん。ムリムリ、無理」
龍崎はズボンのポケットに右手を突っ込んだ。中からあるモノを取り出し、眼の前にあるテーブルの上に置くと、ゴトンという重々しい音を立てる。
4つの穴が横並びに連なっているソレは鋼色の光を放っている。両端の穴からは棒状のようなモノが伸び、それが平たい板へと集約されていた。今日、別れ際に涼香から押し付けられたモノである。
龍崎はソレに見覚えがあった。あったのだが、名称を思い出そうとすると、なぜか、荒くれモノ同士の喧嘩のシーンばかりが浮かんだ。パンチを喰らって口から血を噴き出す男。そんな光景は思い出すのだがソレの名称は思い出せないでいた。
と、そこで龍崎の視界に影が映る。
「お兄ちゃん。お待たせ。てか、料理くらい運んでよ」
龍崎が顔を上げると、妹である
「うわぁぁぁ、急に足が重くなってきた。なにこれ?」
「……このクソ兄貴」
「へえ、鰹……いや、高くなかった?」
「んー、まあ旬だし、安かったし。兄を質に入れても初鰹って言うから、たまには贅沢していいでしょ」
「俺はそのことわざの意味を知らんが、俺を馬鹿にしていることだけはわかった」
「このくらい中学校で習っているよお兄ちゃん。兄じゃなくて嫁だけさ」
葵はガクリと肩を下した。そして机の上に置かれた鋼色のソレに視線を向ける。
「てかお兄ちゃん‥‥‥なにコレ?」
(それで何かわかるの?)
龍崎は思わず口にしたくなってしまった言葉を飲み込んだ。何気ない一言が妹の逆鱗に触れることもある。というより、最近の葵は多感な時期もあってか感情的になることが多く、龍崎は日々怯えて暮らしているのだ。
「なんだろ? クルミ割り器? んー? どっかで見たような……なんか武器になりそうな形」
「いや、どうやってそれでクルミ割るんだよ……たたき割るの?」
「かもねー。なんか指にハメられそうな形しているし。ぶっ叩くじゃない?」
そして龍崎もソレを机の上に置き「いただきます」と言ってから食べ始める。
「てかお兄ちゃん‥‥‥なんでそんな正体不明なモノを持ってるの?」
葵は机の上に置かれたソレを眺めながら、みそ汁をズズッと啜った。
「いや何でって‥‥‥アレだ。知り合いから貰ったんだよ」
龍崎の声が少しだけ上ずる。湯呑に手を伸ばして口元を隠してしまった。
葵は咀嚼を繰り返し口の中のモノを飲み込む。
「あっそう。そんな使い道の分からないものを貰うのか私には謎だけど‥‥‥あ、そう言えお兄ちゃん‥‥‥」
葵あ《あおい》はそう言って席を立ち、台所とダイニングが一緒になった部屋を離れ、しばらくして元の席に帰ってきた。右手には通帳が握られている。
「はい、叔父さんから振り込みがあったから。一応確認しておいて」
龍崎は「あいよ」と言って葵から通帳を受け取り数字羅列を眼で追う。
「……ああ。たしかに今月分は振り込まれて‥‥‥あ?」
龍崎は目を細め、もう一度通帳の記載を確認する。龍崎家の口座には毎月決まった日に一定額の金が振り込まれる。それは生活費であるとか、その他の為に使われるべきお金なのであるのだ。だが今回振り込まれた金額は、いつにも増して多すぎた。
「葵‥‥‥なんか金額多くね?」
龍崎が通帳越しに葵の顔を覗き見ると、彼女はあくどそうな顔をして「へへん」と笑った。
「そんなにいらないって言ったんだけどな~。叔父さんがどうしてもって言うから、先週に会ったときに多めに言っちゃった」
「言っちゃったって……‥‥‥初めから遠慮せずに貰ったりしてねーだろうな」
「そんなことするわけないじゃん。叔父さんは私のことが可愛くて仕方ないだけだよ」
「‥‥‥あ? あーそうだな。超かわいいぞ葵。いやでもこれはダメだ」
「あーダメだねお兄ちゃん。わざとらしい。リップサービスでもそれらしく言わないと女の子にモテないよ?」
(可愛くねぇヤツ)
現在、葵は中学3年生である。十四歳。アシメの髪型に幼さを残した顔立ち。世渡り上手の体質を兼ね備え、まるで人の膝の上に乗る猫。ただし激怒したときに眼が異常に怖い。これが妹の外見と性格に対する龍崎の評価である。
「確かに今月分はあった……というか何万円か多いぐらいだ」
「でしょ、でしょ。だからどっか遊びに――」
「ダメに決まってんだろ。ウチの家計状況が分かってんのか」
龍崎は強めに視線を送ったが、葵はなんら押し負ける様子もなく口を開く。
「そんなの分かってるよ。だから取りあえずお兄ちゃんの食費でも削っ――おぶぇ」
と、葵の頬が龍崎の右手で挟み込まれた。
「あでででっ。ゴメンってお兄ちゃん! 私はお兄ちゃんと遊びに行って、たまには楽しいことしようかなって思っただけで、決してお兄ちゃんのことを————」
「お前が楽しむのはいい。でも俺の食費を削った結果苦しむのは俺じゃねーか!」
「やめてよお兄ちゃん!お兄ちゃんの稼ぎが少ないからって私に当たらないでよ!この窓際族!」
「俺をダメなサラリーマンみたいに言うんじゃねえ! てかサラリーマンですらねえんだよ!」
龍崎はそう言ってから葵を解放すると、両手を頬にあて円を描くようにしてマッサージを始める。そんな姿に龍崎は小さく笑った。今日、怖い人に頬を挟まれた際の自分の反応とそっくりであったからだ。やはり兄妹であると。
「で、だ。葵。叔父さん何か言っていたか?」
龍崎はそう質問しながら、葵の顔から意図的に視線を外した。そうでもしなければまた笑ってしまうことになる。
すると葵は「んー」と声を出して腕を組む。
「あー……何だったかな?元気にしているならそれでいいって‥‥‥あ、美香ちゃんが5歳になったってさ」
「へー、そうか。美香ちゃんはもう5歳か‥‥‥いやじゃなくてだな。もっとあるだろ。叔父さんからこうしろ、ああしろとか言われなかったのか?」
龍崎は首の後ろに手を当て、撫でる。今現在、龍崎兄妹は父の弟である叔父の世話になっている。衣食住は勿論のこと、学校に通うための費用も、叔父のお世話になっているのだ。そのために龍崎と葵は週に一度、交代制で叔父の自宅を訪れては近況報告を兼ね食事を共にしている。そして先週、叔父の家を訪れたのは葵であった。
ところが葵はキョトンとした顔のまま口を開く。
「別に? 特に言われなかったけど。お家に行って、お金の話をして‥‥‥それでごはんをご馳走になって‥‥‥あとは美香ちゃんと遊んで解散かな。スッゴイ楽しいよね」
そう言って「あはは」と笑う葵を見て、龍崎はポカンと口を開ける。
(楽しい?……叔父の家が?)
龍崎は叔父の家での食事を思い返してみたが、あまり楽しい思い出などなく、自分達の置かれた環境と、その原因をさまざまと見せつけられている気分になるだけなのだ。
「‥‥‥あのさ、葵。俺の時は……ちょっと……なんか居づらいんだが?」
「なんでだろうね? お兄ちゃん美香ちゃんを嫌らしい目でみたりしてない?」
「いや、俺はロリコンじゃねーから。お姉さん派なんだよ。30歳ぐらいまでいけるぞ」
「直接聞くとキッツなぁ。……じゃあなんだろ? お兄ちゃん、叔父さんに嫌われてたりして」
葵は冗談でも言うようにケタケタと笑った。
だが龍崎をしては「だろうな」と、ばつの悪そうな顔をした。だが、嫌われているという表現は正しくない。避けられているのだ。そして叔父さんが龍崎を避けているのではない。叔父さんの奥さん、つまり叔母が龍崎を避けているのだ。ただ叔母は露骨に態度に出すことはしない。が、それでも避けられていることを、なんとなしに龍崎は気が付いている。
と、そこで葵が目を細めた。
「お兄ちゃん‥‥‥なんか疲れてない?気のせい?」
葵は右手を伸ばし、何かを確かめるようにして龍崎の顔をぺちぺちと叩いた。
(うぜえ)
龍崎は思いながらも疲れているのも仕方がないと感じている。原因なら、ある。
「葵‥‥‥今日の帰り道、黒装束を着た死神みたいなヤツに出会ってな。そいつは人知れず化物と闘ってるらしい」
「……いや、もういいでしょお兄ちゃん。中二病は卒業しなよ」
「だからアレは中二病とかじゃ……」
「じゃあ高二病。お兄ちゃんちょいちょい捻くれてるし、ヤバイよ?」
「ヤバくない。もう捻くれすぎてねじり切れちゃってるから。一周回って真っ直ぐだ」
と、そこで葵が小さく溜息をついてから、龍崎の顔をジッと見据えた。
「―――ま、何でもいいけどさ。お兄ちゃん変な人とはつるまないでよ。叔父さんはそういう事をしないって約束で、私たちの面倒を見てくれているんだから」
葵はさも当たり前であるかのようにしてそう言って、鰹のたたきを口に運ぶ。
そして龍崎はついつい半笑いを浮かべた。努めて変な人と絡まないようにしているが、なぜかあちら側から怖い人がやって来るである。
龍崎は少しばかり過去を思い出す。叔父が龍崎と葵の面倒を見ることになった際。そのときに提示した条件の一つに『親と同じようにならないこと』というものがあった。しかし龍崎兄妹にとってそのあたりのことは叔父に言われなくても『絶対にそうなってやるものか』と誓い合った内容であった。それこそ誰かを殴るだとか、怖い人と同類になった場合、叔父は援助を打ち切られてしまう。だからこそ龍崎は面倒ごとを起こさないためにも全力で逃げるのだ。
「わかってる。俺はあんな風にはならない。それは……葵だって同じだ」
龍崎は自分達を育てた両親と同じような生き方をするなど、考えられなかった。全てを否定したいのだ。だからこそヤンキーも不良もデゥンデゥン音を鳴らす車も大嫌いなのである。
すると葵が「うん」と呟いてから、「あ」と声を出した。
「そうだお兄ちゃん。昨日学校の先生から言われたんだけど‥‥‥」
と、葵はそこで言葉を区切り、眼を伏せる。
対する龍崎は「なにかあるな」と思い、口の中のモノをすぐに飲み下した。妹である葵が、言葉を区切って目を伏せるその動作は、相談事の前兆であると知っているのだ。だからこそ気分を切り替えるつもりで椅子に座り直し、葵の顔を見る。
「先生から言われたんだけど‥‥‥」
また、葵は言葉を区切った。
(これはきっとロクでもないことだ)
龍崎としては『学校のセンセイ』という言葉自体が怖いのである。なにも悪いことをしていないにも関わらず、校内放送で呼び出しを喰らったときのような不安感に包まれる。
すると葵がゆっくりと口を開いた。
「推薦が貰えるかもしれないの。高校の」
「……ん? ……え? マジで?! ……ん? ……でも時期的に早くね?」
龍崎は首をかしげる。今は4月中旬。葵は中学3年生。受験生であることには間違いないが、それでも高校推薦の話がどうのというのは、何が何でも話が早すぎるのだ。
すると葵は「いや~」と声を出してから少しだけ笑い、右手を左腕にあてがって、僅かに目を伏せる。
「えっとね、確定じゃなくてね。先生が『アナタの成績なら問題なく推薦でも通るでしょうね』って言ってたから。あっ、でもあんまり信じないほうがいいよね!口約束みたいなもんだし」
「……いや、口約束とはまた違うだろうけど‥‥‥まあ、大丈夫だろ。葵なら」
龍崎は空中に視線を飛ばす。そう思えるのは「葵は勉強が出来る人間である」と知っているからだ。正真正銘に勉強ができると。ただし、葵の試験の結果や模試の結果を龍崎は詳しく知らない。叔父を介して葵の優等生ぶりを知っているのだ。例えば学年一位だとか、模試の結果は割といい所にいるだとか。
「……まあそれはいいとして。で?どの辺りの高校を狙ってんだ?いや、てか、推薦なら受ける高校は分かってんのか?」
すると葵はスッと視線を龍崎から反らし、席から立ち上がった。
「ん? あ、お兄ちゃん。ご飯のお代わりいるでしょ? はい茶碗貸して」
「え? ああ……そうだな。頼む」
手渡した後なにも乗っていない龍崎の手だけが、宙に浮いている。
(ま、俺に言うより叔父さんに言うか)
龍崎は葵の態度を見て、そんな風に思った。拒絶とはいうわけではないが、兄に対して受験関係の話を避けているようにも思えたからだ。しかしそれも仕方がない。
龍崎焔雄虎龍崎ひゅどら》は高校受験に失敗している。色々と原因があって失敗した。その結果として滑り止めで受験した私立高校に通うハメになっているのだ。だからと言って失敗は失敗。そんな人間に、失敗した人間に、人生を左右するかもしれない受験関係の話をするなどあり得ない。そんな風に考えているからこそ、龍崎はそれ以上葵に追求はしない。追求、できない。だから今の葵の言葉は相談などではなく、近況報告である。
と、龍崎はそんな考えを振り切るようにして、今まで手を付けていなかった鰹のたたき箸を伸ばしかけると、鋼色に輝くソレが視界に入った。
「―――いや無理だって」
龍崎はポツリと呟き、ソレを手に取ってからポケットに戻した。ポケットの中に重みを感じると、その重みがそのまま心にそのまま引っ掛かっているように思えた。そしてこの重みの正体は、浮舟涼香という女なのだ。
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