第5節 まだいけるっ!

 龍崎は視線を上げた。遠くにいるのは葵の姿。自分の体は動かない。呼吸はできるが、脚に力が入らないのだ。立ち上がろうという意識はあっても体が言うことを聞かないのだ。


 視線を横に動かした。少し離れた場所に涼香がいる。彼女は両手を使い、折れた竹刀を杖にして、立ち上がろうとしていた。


 龍崎はそんな涼香の行動を見て唇を噛んだ。ここまでして、ここまで身体を張っても、涼香の両手の痺れが取れるぐらいの時間しか稼げていない。

 涼香は歯を食いしばり、口から血がとろりと垂れ出した。


 そんな涼香の表情を観察できるほどには、龍崎は冷静になってしまった。

 と、そこで龍崎は顔をしかめる。脇腹の激痛がぶり返してきたのだ。忘れていた痛みを思い出す。


 龍崎は頭を必死に働かせるが、なんら策など思いつかない。立ち上がれない以上、この場から動くことなど出来ない。そして涼香の助けも期待できない。できることなど何一つない。もしあるとすれば、葵に対して命乞いでもするか、感情にでも働きかけてみるかの、どれかであろう。


(―――――ダメか)

 葵は龍崎にトドメを刺し、その後で涼香を葬るだろう。どんな殺されかたをするのか分かりはしない。

 その後、葵は暴れまわり『スレイヤー』に狩られる。

 狩られたらいいが、逃げ延びられた場合は『カワイガリ』は体を蝕み、葵を殺す。


 だが葵は『カワイガリ』において上位クラスの強さを誇る『武器持ち』。それを倒せるスレイヤーは少ないと言う。なれば葵の『カワイガリ』は狩られる可能性が、低い。


(だけど‥‥‥仕方ない)

 そもそも人はいつか死ぬのだから、葵が本当に『カワイガリ』の影響で死んだかなど、分からないではないかと。そんなふうに龍崎は思ってしまった。


(それに‥‥‥これは俺達が悪いわけじゃない)

 龍崎は理由を並べる。

 それが自分の罪悪感を紛らわすためにだけの言葉であると知りながらも、適当な理由を並べる。自分が葵を助けることが出来ない、仕方ないと納得できる理由を。

 ここで葵の『カワイガリ』を取り逃し、最悪の場合、葵の『カワイガリ』が狩られなくても納得できる理由を。


(やられても‥‥‥今の記憶は消える)

 涼香にメリケンサックを返しているために、『カワイガリ』の影響を受け、記憶は消える。こうやって葛藤して、結果として葵を助けられなかった苦しみも、消えるのだからどうでもいいではないかと。


「そこだけは‥‥‥浮舟に感謝しねーとな」


 それは龍崎にとって、まぎれもない本心であった。曲りなりにも『スレイヤー』として、死にそうになりながらも体を張ってくれたのだから。だが、それが涼香のスレイヤーの仕事でもある。

 と、そこで龍崎は呼吸を止め、眼を見開く。


(‥‥‥スレイヤー)

 龍崎は涼香を横目で見る。その場にうずくまり肩を大きく揺らして息をしているのは涼香。そんな彼女が身にまとっているのは服。たしか『バンカラ』。

 龍崎は視線を葵に向ける。あと数歩のうちに自身の元へ辿り着くだろう。


(……スレイヤー)

『カワイガリ』を狩るのは『スレイヤー』の役目であり、『カワイガリ』は決して生身の人間が戦えるような相手ではない。『スレイヤー』こそが『カワイガリ』に対抗できる唯一の力。


「‥‥‥簡単だ」


 龍崎は苦笑した。簡単な方法があった。そもそも、もっと早く気が付くべきだったのだと。


 これは葵を助ける可能性のある方を選ぶか、このまま諦めてしまうか、その2択であるのだ。勝率は低い。恐ろしく低い。だが、勝負に出なければ勝率もクソもない。試さなければ、意味がないのだ。そして試してこそ意味をもつ。

 龍崎は腹に力を入れた。腹に力を入れれば痛みが走る。だが、そんなことは関係なかった。


「浮舟えぇぇぇぇぇぇ‼」


 涼香は龍崎に顔を向ける。血の滴る腹を抑え、粗い呼吸を繰り返しながら、龍崎に顔を向けた。


「そいつをよこせ‼ その! それを! 俺を『スレイヤー』にさせろ!」


 と、龍崎は叫び、右手を伸ばした。右手だけは、伸ばすことができた。痺れが取れていた。力を得るために、カワイガリを狩るために、葵を救うために手を伸ばしたのだ。

 涼香は眼を一瞬だけ閉じ、頷いた。


「これで殴って! ヒョドラくん!」


 涼香は叫んだと同時に、右手をポケットに伸ばし、引き抜くと同時にナニかを投げる。


 龍崎が伸ばした右手に、ナニかが投げ込まれた。寸分の狂いもなく。龍崎の手に吸い込まれるようにして、それが投げ込まれたのだ。

 龍崎の手に投げ込まれたソレは、丸い穴が4つ空いている。

 涼香と出会ったその日に龍崎が手渡されたソレ。まさにそのメリケンサックこそが『スレイヤー』になるためのアイテムであったのだ。


「――もう遅いってお兄ちゃん」


 瞬間、龍崎はパッと顔を前に向けた。眼の前にいるのは―――葵。 

 だからこそ龍崎は、右手に素早くメリケンサックをはめ込んだ。

 言葉よりも思考。

 思考よりも行動。

 行動よりも反射。

 体が自然と動いていたのだ。

 葵は右手を振り挙げる。素早く振り上げ、龍崎目掛けて振り下ろした。


(—————不味い)

 龍崎は直観的に感じた。これだけはマズいと。確かな恐怖と死の予感が全身を襲い、一瞬にして額から汗が吹き出し、背筋と首筋に冷たい厭な感覚が走る。

 だから龍崎は、右手の拳で葵を殴るのではなく、ただ振り払うようにして、メリケンサックを装備した右腕を振った。もはやそこに意図的な物はなく、ただただ自己を守るための生存本能。


 が、それが幸いしたのだ。それだけが幸いしたのだ。

 龍崎が横に振った右腕が、たまたま、偶然にも葵の拳に当たったのだ。

 その瞬間、葵の右腕がなにかに弾かるようにして、ガクンと後ろに弾き飛ばされた。そのまま葵は、右腕に引っ張られるようにして後退りをする。


「――――――変わった」


 龍崎の右腕全体に靄がかかり、袖口付近に5つのボタンがついた黒い服へと一瞬にして変化した。


 龍崎には右腕が異様に軽く感じられた。全身の痛みも、脇腹の痛みも全く感じない。四肢には力が宿り、活力を感じた。呼吸も整い、息の乱れもない。


(――――いける)

 龍崎は一気に立ち上がり、視線をあげる。

 葵は右手を抑え、龍崎を睨みつけた。犬歯をむき出しにするようにして、口を開く。


「もう。めんどくさいぁ…‥‥」

 龍崎と葵は探り合うかのようにして視線をぶつける。 

 相手がどう動くか、相手がどう仕掛けてくるか、どう対処するのか、それを探っているのだろう。


(でも‥‥‥これは)

 龍崎は自身の右腕をチラリと見る。変化したのは右腕だけである。涼香のように全身の姿が変わってはいない。果たしてこれで戦えるのか。

 と、その時。


「せあああああああああ!」


 葵は青白い閃光を纏い、龍崎の眼の前に躍り出る。否、瞬間移動と言ってもいい。

 そして葵は握り込んだ拳を突き出した。

(―――速ぇ!)

 龍崎は反応することが出来なかった。防御をするにしても体勢が悪すぎる。棒立ちに近いのである。

 葵の右拳による突きが、龍崎の腹部に直撃する。指先が肉込み、骨を軋ませる。

『バンカラ』を身に纏っていない部位に、『カワイガリ』という人間ばなれした人間の攻撃が、放たれたのである。


「——————なっ」


 声が、出た。

 だが、声の主は龍崎ではなく、葵。彼女は目を見開いてある一点を見つめていた。手刀による突きが直撃した場所。


 龍崎の腹部辺りを覆う制服の布地が波打ち、靄がかかったのだ。

 ブレザーの丈がへそ上あたりまで短くなり、ボタンが4つ付いた服へと変形した。


「――いける」


 龍崎は変わりゆく自分の制服を見て、驚きの感情とともに、そう感じた。相手に攻撃をしても、攻撃を受けても、『バンカラ』を身にまとえるのだと。


 残るは、左腕と両脚。

 龍崎は動く。変わりゆく制服を見て驚いたのか、葵に隙ができていた。

 龍崎は転んでしまうほど体勢を前に倒し、葵に突っ込んだ。

 形など、どうでもいいのだ。攻撃が葵に当たらないことなど、百も承知である。攻撃が当たらずとも、葵の攻撃を受ければ『バンカラ』の姿は完成へと近づく。

 だから龍崎はまだ何の変化も起こっていない左腕を振った。

 が、葵は頭だけを動かし龍崎の左腕をよける。


「――――まだいける!」


 龍崎は続けて攻撃を放つ。

 左の拳が外れたのであれば、右脚を突き出すようにして蹴りを入れる。

 葵の左脚を、龍崎の右足がかする。右脚に靄がかかる。

 だが、葵は体勢を立て直した。

 葵は右脚を腰の高さまで上げ、龍崎の胴体を蹴り込む。ノーモーションに近いミドルキック。

 龍崎の体はよろめく。よろめくが、倒れはしない。


「ああああああ!」


 龍崎は左腕を大きく振り回す。攻撃の為ではなく、防御のためでもなく、左腕を大きく動かせば、葵の足にかするだろうと思ったのだ。

 事実、龍崎の左腕は葵の右脚をかすめ、もやが掛った。

 続けて龍崎が左脚を振りますと、葵の右手をかすった。


 ――――――轟ッと燃え上がる。

 龍崎の身体から黒色の焔のようなものが湧き立つ

 風になびく松明のようにして、ゆらゆらと黒色の焔がはためく。そして一瞬にして、四散する。


 龍崎の纏った『バンカラ』は学ランに似たデザイン。

 上着の丈が異常に短く、へそより上。

 上着の前は、ボタンで止められてはいない。

 上着の下にはTシャツ。

 両腕の袖口には5個ボタンが連なっている。

 腰には、太く白いベルト。

 スラックは、脚の太さの倍はあろうかというサイズ。

 そして龍崎は思い出す。いつだかテレビで見た、その昔、不良と呼ばれる人間が来ていた服。怖い人達が纏っていたその服。いつだかあの男の私物を整理している際に見つけた、同じような服。


 龍崎は自分が纏っている服を見て、苦笑いを浮かべた。


「―――――なにお兄ちゃんその恰好‥‥‥だっさ」


 龍崎は反射的に、声のした方向を見る。

 声を出したのは葵。彼女もまた苦笑いを浮かべていた。

 龍崎は、葵に『カワイガリ』が湧いるなど嘘ではないかと思ってしまった。そのくらいに葵の笑みが自然で、いつもの口調であったからだ。

 だが龍崎は葵の視線の質に気が付く。視線は射殺さんばかりに研ぎ澄まされているのだ。

 だがそれでも龍崎は苦笑いを浮かべ続けた。


「……言っとくが、好きでしてるわけじゃねえからな」

「‥‥‥……ああ、そう!」


 葵は龍崎に向かって突っ込んだ。青白い光を纏い、電撃のような残像のみを残す、瞬間移動。


 だが、龍崎には葵の動きが見えていた。否、見えるというよりも、感じる。感覚が広がって、何から何まで察知できるのだ。


 そして、どう体を動かせばいいかも直観的に理解した。

 葵の攻撃をよけることも、攻撃を防御することも、無様に逃げ回る必要はない。涼香と同じ力を手にした龍崎は、ただ前に進むのみ。ただそれだけ。

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