第2節 俺はなにをすりゃあいい?
『葵ちゃんに『カワイガリ』が湧いている』
龍崎は
と、そこで葵は怪訝そうな顔を龍崎に向けた。突如として黙りこくってしまった兄を不思議に思ったのだろう。
「お兄ちゃん‥‥‥どうしたの?」
龍崎は、はっと顔を動かす。葵の言葉でようやく我に返ることができたのだ。
「あ? ああ、ちょっとな」
と言って龍崎はチラリと涼香の顔を見る。すると涼香は龍崎の胸倉から手を放し、椅子に座り直した。
龍崎は無理矢理に明るい顔を造りはしたが、自分でもわかるぐらいに眼が泳いだ。
「あ、ついでにデートでどこに行くか決めておくか。それでいいよな……浮舟」
すると涼香は真剣な顔を消し、笑みを浮かべた。
「うん! いいよ! 龍崎くんとお出掛けなんて久しぶりかなー」
「……まあそういうことだ。てか、葵。友達ほっといてもいいか? なんかずっとコッチ見てるぞ」
と、龍崎は顎だけを動かして、葵の友人が座っているボックス席を指し示した。
すると葵は少しだけ眉をひそめ、それから何かを察したかのような顔をして、
「わかった。じゃあ浮舟先輩! 今度ウチにでも遊びにきてくださいね!」
とだけ言い残し、龍崎と涼香の元から離れ、友人たちがいる席に戻っていった。
龍崎は葵の背中を見送りつつ席に座り、涼香を見据える。
「それで浮舟。葵に『カワイガリ』が湧いてるってのは……本当なのか?」
すると涼香は「そうね」と前置きをしてから、葵にチラリと見る。
「ええ、本当の話。アナタの妹さんには『カワイガリ』が湧いている。私たち『スレイヤー』には感知できるの」
「いや、感知できるって言っても……俺にはなにも……」
思わず龍崎は疑いの眼を涼香に向けてしまった。『カワイガリ』という化物、そして『スレイヤー』という存在。信じるほうが可笑しい。だが、そんな世界があると実際に見てしまっている。だから簡単に否定ができない。だが、それでも否定したかった。葵に『カワイガリ』が湧いてるなど、嘘であって欲しいのだ。
すると涼香は、そんな龍崎の気持ちを察したのか、肩をすくめた。
「ま、信じたくない気持ちも分からないでもないわ。ヒュドラ君にとっては妹さんなわけだし。それでも『カワイガリ』というのは誰にでも沸く可能性がある。まあでも、中学生で『カワイガリ』が湧くというのは本当に珍しい。運が悪かいったと言えば、悪かった。いえ、悪すぎると言ってもいいかもしれない」
と、涼香は言ってから、まだいくばか残っているパフェに手を付ける。
龍崎は葵が座る席に目を向ける。同じ制服を着た友人と、お喋りの興じている姿がそこにはある。相槌を打ち、手を叩いて笑い、はしゃいでいる。どこにでもいる中学3年生。
だが龍崎にとっては妹であり、兄妹であり、たった一人の家族であった。
と、そこで龍崎は顔を涼香に戻した。
「浮舟。さっき言ってけど『カワイガリ』が狩られなかった場合は…………」
龍崎が弱々しく視線をテーブルに落としながら言うと、涼香は口の中ものモノを飲み込んでから口を開いた。
「死ぬ。『スレイヤー』に『カワイガリ』を狩られることがなければ確実に」
「…………死ぬ、な」
龍崎が奥歯を噛みしめると、力が入り過ぎた拳が震えた。まず感じたのは疑問に似た怒りの感情だ。なぜ葵なのだろうか。もっと他にいるはずではないのか。それこそ、痛い目にあうべき人間が。死んでしまってもいいような人間が。にもかかわらず、なぜ葵なのだ。
龍崎葵の人生を語れば、それは幸福であったとは言えないだろう。幸福であったかどうかは別にしても一般的に言えば普通ではない。龍崎家に産まれたというだけで色々とハンデを背負っている。それは経済的な問題であったり、同世代の女の子が普通に甘受している家族という名の恩恵であったり。だがこれは選びようのなかったことであり、どうしようもないこと。にもかかわらず、そんなどうしようもないことを背負っている人間に湧く『カワイガリ』とは何様なのだろうか。
龍崎は握り込んでいた拳をそっと解き、力を抜いた。
「……浮舟。俺はなにをすりゃいい?」
すると、涼香は口に運びつつあったスプーンをピタリと止める。
「それはつまり……私に協力するということかしら」
「そうなる」
龍崎は間髪入れずに答える。すると涼香は龍崎を見据えてから、少しばかり微笑んだ。
「わかったわ。では協力関係を結びましょうか。もう脅迫関係は必要なくなったもの。私は『カワイガリ』を狩るために。そしてヒュドラ君は妹さんのために。」
「それでいいし、文句ない。てか、マジで学校に通報すんなよ」
「分かってるわよ。一ノ瀬さんの件は無事に終わったしこれでチャラ。私は脅迫するかもしれないけれど、約束だけはキチンと守るわ」
涼香はそこでパフェを食べ終え、柄の長いスプーンをカランと、容器に入れた。
「と、言っても。ヒュドラくん。取りあえず落ち着きなさないな。妹さんの『カワイガリ』が湧ききるまで……まあ私たちはグレるって呼んでいるけれど、妹さんがグレるまで最低でも数週間はある。それだけ時間があればどうにかなるわ」
「いや、落ち着けってそんな……」
「大丈夫よ。基本的に『スレイヤー』が『カワイガリ』を狩り逃すことは極まれ。それに、言ってないと思うけれど私は『スレイヤー』の中でもトップランカー。この間全日本スレイヤー協会から表彰されたぐらいなんだから。ぜんぜん安心しちゃっていいんだからね」
「……すげえ不安なんだが? てかなんだよ全日本スレイヤー協会って。お前らいったいなんなんだ?」
「秘密結社」
そう言った涼香はニコリと笑った。そして彼女の笑みを見た龍崎は、そこでやっと、自分の肩に力が入りっぱなしになっていることを知り、力を意識的に抜いた。たしかに、力みすぎるのはよくない。そのくらいは分かっている。
「わかったよ。で、俺は結局なにをすればいいんだ?
と、龍崎は腕を組み『自己援助同好会』であの一連の会話を思い出しかけた。しかし、
「いえ待って。それは駄目。一ノ瀬さんのとき同じような過激な行動はしないで」
涼香は少しばかり慌てたような顔をする。そして続け様に口を開いた。
「一ノ瀬さんだけれど、あれ。恐らくヒュドラ君のせいでグレるのが早まったのよ」
「え……え? いや、俺頑張ってなかった?一ノ瀬からちゃんと悩みを……てか、あん? オイ。お前も悪くね?」
と、龍崎は涼香を睨んだ。あの『自己援助同好会』での会話を思い出し、途中で『涼香はしでかした事』を思い出したのだ。
が、涼香は顔色を変えることなく首を傾げる。
「ん? 私なにも失態はしてないのだけれど。それともアレなのかしら? ヒュドラ君は、ちょっと前の記憶が曖昧になってしまう程に頭の造りが――――」
「チャンスを自分で作って自分で壊しろ。 ポンコツ」
と、そこで涼香は一瞬、ほんの一瞬だけまぶたをピクリと動かして、テーブルの上に視線を落とし、すぐさま龍崎に顔を向けた。
「え?……えー、私、なにも失態はしていないわ。あ、もしかして私が『一ノ瀬さんが悩みを喋る流れだったのに、私がぶっ壊した』というのを言っているであれば、それは勘違いよ。アレも犬かぶりの一環。まったくもって本当にアホなことをやったわけではないわ。ええ本当に」
すると龍崎は「へッと」と笑い、可哀そうな眼を涼香に向ける。
「……あのとき話した悩みってマジなのな。まあ、なんだ? ……気にすんなよ」
龍崎はテーブルの端に置いてあるナプキンを何枚か手に取り、それを涼香に投げた。
すると涼香は「うるさい」と言いながらナプキンを受け取り口元を吹く。
「とにかく妹さんのときは気を付けなさい。一ノ瀬さんみたく一気にグレることもある。ま、そこまで過激なことをしなければ、心配いらないわ」
「わかったよ。グレるまで時間があるなら、慎重に行く」
龍崎は腕組みを解き、ひと息ついた。
なにか一言が原因で、葵に『カワイガリ』が一気に狂暴化してしまったら目も当てらない。その場に浮舟が同席していなかったら、事態は最悪な方向へと向かう。だからこそ慎重に、かつ着実に、妹のお悩み相談に乗ってやらねばならない。
と、そこで涼香が制服の胸ポケットからゴソゴソと携帯電話を取り出した。
「じゃあヒュドラ君。連絡先交換しましょう。そのほうが便利だから」
涼香の言葉に龍崎はうなずき、自分も携帯電話を取り出してから、連絡先を交換した。
と、そこで涼香はチラリと葵を見た。
「ところで、ヒュドラ君は妹さんとそういう話ができるのかしら?」
「……ん? どういうことだ?」
「だから、妹さんとそういう……つまり何でも話せるぐらいに仲がいいのから、と聞いているのよ。兄弟にも色々とあるじゃない」
「あー……なるほど。そうことか」
龍崎は納得して、頷いた。だが、その質問について思い悩むということはなかった。
「大丈夫だ。自分で言うのもあれだけど、まあ兄妹仲はいい」
「あら、そうなの。てっきりヒュドラ君は妹さんからぬれ落ち葉のような扱いを受けていると思っていたのだけれど」
「あん? なに? ヌレオ・チバ? 千葉? 千葉県? ここは
「……濡れた落ち葉ってどこにでも引っ付くでしょう?つまりヒュドラ君が、妹さんにベッタリ引っ付いて迷惑を掛けていると思ったのよ。まあ正確な意味としては……」
「勝手にダメな兄貴あつかいすんなや。……つか、葵には迷惑を掛けてない……つもりだ。てか、兄妹なら多少の迷惑ぐらいいいだろ」
「……まあ、確かにそういうものよね。兄妹というものは」
と、涼香は首をすくめ、すっと机に視線を落とした。
そんな涼香の表情を龍崎は不思議に思った。犬かぶりでも裏の顔でもない、憂いを帯びたような顔。そしてその眼は酷く哀しそうでもある。
「……とにかく大丈夫だ。伊達に何年も兄貴してない」
すると涼香は「そう」と言ってカバンを持ち、席を立った。
「なら取りあえずはヒュドラくん任せていいかしら。兄妹仲が良いなら私の出る幕もないでしょうし。……では私は帰るわ。コレは払っておくから」
涼香は伝票を取り立ち去ろうとした。
「いや、俺も食ったから――」
「いいわよ、このくらい。私が出すわ」
そう言って涼香はかたくなに拒否した。
「なんだお前? ひょっとして金持ちなのか? 普通、割勘だろ」
と、龍崎が冗談交じりに言うと、涼香はフッと笑い、
「私、お嬢様なのよん。ふふん」
と言って、龍崎をその場に残し去って行った。
そして残された龍崎は、まだ店内にいる葵をチラリと見て、少しばかり笑みを浮かべる。
(やれやれ、や~れやれ。兄貴らしいことしちゃいますかー。ま、兄貴だし。ほら、兄貴だし。やれやれ、まったく。兄貴が先に産れてくるのは、下の子を守るためって言われてるけど、やっぱりそうだよー。ま、葵に悩みを話させるなんて余裕っすわ)
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