この手をもう一度

 風が河の水面にさざ波を立てる。

 銃声――なし。爆音――なし。川の中央で静止した大蛇。ピキピキと氷結装甲が水を吸う音だけがかすかに響いている。

 嵐が到来する前の静けさ。

 河岸で瓦礫の塊が崩れ落ちる――静寂を打ち破るクローラーの稼働音。一台の軍用機体が堤防から身を乗り出し、そして滑り落ちる。異物の存在を感知した鋼鉄の大蛇が、氷結装甲から露出した背骨、そこに設置されている二門の機銃でそれを狙い撃つ。

 機銃はサテュロスの持つ対物ライフルと同サイズの口径――しかしその連射速度は桁違い。瞬く間に穴だらけになる軍用機体――全損と思われた機体。装甲に開いた大穴に、急場しのぎとして鉄板や土嚢を固定して補強を施したもの。サテュロスからの遠隔操作により、辛うじて無事だった脚部のクローラーを駆動させていた。死体撃ちのごとく自動擲弾銃――MK47Mod0グレネードランチャーから発射される対人・対装甲車両用のHEDP弾が、目前に着弾――機体が横転し、爆破炎上する。

 攻撃の矛先がデコイへと向けられている間に、静音モードで密かに両岸に展開していた四頭のサテュロス――対物ライフルで大蛇の武装を狙い撃つ。立て続けに撃ち込まれるタングステン製の弾芯が機銃の機関部を打ち砕く。黒山羊たちは反撃を受ける前に素早く散開する。

 自動擲弾銃がサテュロスたちに狙いを定める――装填されているのはスマート弾。擲弾銃本体の照準器に接続されたレーザー測距計を使い、弾道計測コンピューターが標的に対して最も効果的なダメージを与えられるよう、発射した擲弾の起爆タイミングを制御する――文字通り思考するスマート弾。連射速度は毎分二五〇発――さながら爆撃。高速で移動するサテュロスといえど、遮蔽物を飛び越え頭上で爆散する擲弾の波状攻撃は避けきれない。まず一頭が、その脚部をもぎ取られる。

 残る三頭のサテュロスが擲弾銃の射程外に向け全速で退避を試みる。彼らを狙うべく、銃口の仰角が高まり――その瞬間を待ちわびていたもう一頭のサテュロスが、完膚無きまでに破壊された軍用機体、その影から躍り出る。手に構えているのは「グース」の愛称で知られる、カールグスタフM3無反動砲。高性能炸薬をみっしりと詰めた弾頭が盛大な後方爆風を放ちながら猛進――敵の自動擲弾銃を爆散させる。

 直前に放たれた最後の擲弾が、廃工場の屋根を突き破り炸裂――更に一頭の黒山羊が瓦礫の山に押し潰され行動不能になる。

〈武装は剥ぎ取った――猟を開始する〉

 パトリックから全体へ無線通信――作戦は第二段階へ。

 それぞれの持ち場に素早く移動する兵士たち。予め指定された場所で待機中のリアンは、今一度パトリックによる作戦の解説を思い起こす――自分の役目を再確認する。

「犠脳体兵器の弱点――それは犠脳そのものだ。都市の防衛システムに対抗するために、剥き身の脳という脆弱な代物をその身に抱え込む必要がある」

 武器を失った大蛇が河の下流へと向けて移動を開始――こちらから少しでも距離を取り時間を稼ぐつもり。相手はドローン群による都市への攻撃を完了するまで、ただ犠脳を守り抜きさえすればいい。

「犠脳を生かし続けるために、それの格納部分周辺は人間の体温と同じ温度でなければならん――分厚い氷を纏った本体の中で、生体の維持に最適な温度を維持している箇所――そここそが犠脳の隠し場所だ」

 作戦の開始前に、サテュロスたちが熱線映像装置サーマルを使い大蛇の躰の温度分布を探査。大部分は氷に熱を吸われるがまま摂氏零度に近い低温――だがその中にも幾つかの熱源反応が存在している。動力機関の発する熱は蛋白質を変質させかねないほどの温度――それを除外していくと、大蛇の首元にだけ唯一、犠脳の生存条件に適合した熱源がある。

「見た目のサイズに惑わされるな。ただのドローンのプラットフォームとしては不自然に長い胴――おそらく頭部以外は下部に輸送用のコンテナか何かをぶら下げるものだろう。そしてそれも今は空だ。現在の奴の質量、その殆どは身にまとった氷結装甲――氷で構成されている。つまり、通常の兵器に比べれば比重は軽い」

 先程の激戦でも倒壊しなかった河岸の両脇に立つ廃工場――それぞれの屋根の上から、二台の軍用機体が這い出てくる――犠脳の隠された大蛇の首元を狙い、二本のアームの先からワイヤーアンカーを射出する。

 アンカーが分厚い氷に深々と突き刺さる。亀裂から滲み出る凍結液が河の水と混ざり、アンカーを飲み込んだままの氷結装甲を素早く再生させる――装甲の奥深くでアンカーが硬く固定される。

 大蛇が残していた二発のミサイル――FGM148ジャベリンを発射。光学照準器と赤外線照準器を搭載した二発の弾頭が自律誘導でそれぞれの標的――軍用機体へと迫る。

 軍用機体の装備するアクティブ防衛システムがその攻撃を事前に検知――発煙弾とフレアをばら撒きながら素早く後退――二台の軍用機体が屋根の上から身を投げ出す。目標を見失ったミサイルは、廃屋のジャングルへと吸い込まれ――やがて火球に姿を変える。

「だから残存している軍用機体二台だけでも十分に吊り上げられる」

 ウィンチによって巻き取られた合計四本のワイヤーがぎりぎりと張り詰め、河に浮かぶ大蛇の躰をゆっくりと持ち上げていく――首元を吊り上げられ、頭と尾をたれ下げた姿勢に。今度は大蛇がその身を守るために煙幕やフレアをやたらめったらに射出――その躰が煙と閃光に包まれる。

「河から引き上げ、水分の供給さえ断てば氷結装甲が復活することはない。とはいえ、こちらの手持ちの火力では、その氷を引き剥がすことすらままならない――」

 軍用機体のいた廃工場の屋根の上に立つリアン――工場跡地から拝借したパレットと長い鉄筋を手にしている。犠脳体兵器を吊り上げているワイヤーを擁刃肢ヨンレンツーで掴み、助走をつけて屋根から飛び出す――ワイヤーを握る鋼の手から火花を散らして、煙の中へと滑り落ちていく。

「そこでお前の出番だ――擁刃肢ヨンレンツーを使って大蛇の躰に張り付き、C4爆薬で氷を吹き飛ばしてもらう」

 大蛇の背に着地――手にしたパレットを犠脳を覆う氷結装甲に押し付け、上から鉄筋を突き刺し固定する。パレットの裏には粘土のようなC4爆薬がたっぷりと塗りつけてある。機械義肢の力で鉄筋を折り曲げ、突き出た先端が大蛇の躰の裏側に届くようにする。それからC4に挟み込んである導爆線デトコードと、点火器の導爆線デトコードを接続――電気コードが千切れないよう、鉄筋に巻き付けながら伸ばし、点火器に接続する。大蛇の躰の反対側へと身を隠し、起爆装置のスイッチを押す。

「本体装甲が露出したところをサテュロスの対物ライフルと軍用機体のチェーンガン、そして無反動砲グースの固め撃ちでそれを貫き――内部の犠脳を破壊する」

 C4爆薬が爆裂する――巨体の裏側に隠れてもなお感じる、音速を超える燃焼速度が発する強大な空気の圧力。爆風が煙幕を吹き飛ばす――衝撃で大蛇の躰が振り子のように大きく揺れる。振り落とされないよう、擁刃肢ヨンレンツーの手で大蛇の背骨を必死に掴む。氷の塊が砕け、凍結液を吐き出していた肋骨の何本かがへし折れる――河へと落下したそれらが、水柱を幾つも打ち上げる。

 サテュロスの視覚センサーが爆破部位を拡大する。煙の下から現れる本体装甲――まだ氷結装甲が薄く張り付いている。

〈くそっ――爆風が拡散して破壊しきれなかった!〉

 リモンの悲鳴に近い報告――パトリックがなだめるように攻撃を命令する。

〈まだ諦めるな。あの薄さなら手持ちの武器でも貫けるはずだ」

 河岸近くの瓦礫の山に移動した三頭のサテュロス、そして軍用機体から取り外した合計三門のチェーンガンを構える歩兵たち――味方の残存戦力が総力を上げ、犠脳を護る装甲を目掛け攻撃を開始する。巨大な銃声が続けざまに放たれる――衝撃波が水面に波を立たせる。

 大蛇の首元に叩き込まれる怒濤の集中砲火。 

〈――弾切れです!〉

 ひっきりなしに鳴り響く轟音の中、チェーンガンを撃つ味方から飛び込む無線報告。ドローンとの戦いで弾薬の大部分を消耗――それはサテュロスが手にする対物ライフルも同じ。次第に途切れ始める銃声――次々と寄せられる弾切れの報。

 ライフルのスコープに映る犠脳体兵器の本体装甲――今や氷は完全に引き剥がされ、幾発も撃ち込まれた弾丸の衝撃で歪み凹んでいる――あともう一押し。

 パトリックの搭乗するサテュロスが、弾切れとなった対物ライフルを投げ捨て、無反動砲グースに持ち替える。スコープの照準レティクルを損壊した装甲部分に合わせ、引き金に指をかけたその時――。

 銃声に紛れ、誰もが聞き逃していたローターの風切り音。その音の主が黒山羊の背に密かに忍び寄り――爆発する。起爆したのは僅か一匹のドローン。サテュロスの装甲を破壊するに足る威力はない――それでも攻撃の狙いを反らすには十分過ぎる衝撃。

 的を外した弾頭がアンカーの突き刺さった氷結装甲に着弾――氷から伸びるワイヤーを引きちぎる。

 巨体を吊り支えていた四本のワイヤー――そのうちの一本の喪失によって、犠脳体兵器の躰が大きく片側に傾く。

 別のワイヤーを手繰りながら河岸に向けて退避中のリアンも揺れに巻き込まれ――危うく掴んだワイヤーを離しかける。

 冷や汗が滲み出る。眼下に広がる河――この躰は水に沈む。それに度重なる戦いの損耗で、頭部装甲の気密機能が無事かすら怪しい。落下しようものなら溺死の可能性――大。

〈作戦は失敗だ――早く逃げろ!〉

 パトリックからの通信――ワイヤーに掴まったままリアンは背後を見やる。視えるのは氷結装甲を復活させるため、河にその身を浸そうともがく大蛇――そして空を覆うドローンの一群。

 敵はこの危機に対応するために、軍の到来を妨害するための防御網を構築していたドローン群を慌てて呼び戻した。群れは河岸の味方部隊には目もくれていない。目標――おそらくは大蛇の氷結装甲。装甲ごとワイヤーを全て切り離し、再び河に飛び込むつもり。

「――あたしが、終わらせる」

 無線でパトリックにそう告げて、リアンはワイヤーを握る手の力を緩める。

〈――っ! 馬鹿な考えは止せ!〉

 パトリックの制止の声は無視――無線をオフに。重力に身を任せるままワイヤーを伝い、大蛇の背を目指す。

 軍に決着を付けさせるわけにはいかない。こればかりは自らの手――文字通りの意味――で、終わらせなければならない。

 再び大蛇の背に着地。濡れた氷で脚を滑らせないよう、擁刃肢ヨンレンツーの指を氷結装甲に突き刺しながら移動――再び襲いかかる激しい揺れ。先程まで自分が掴んでいた――最初に失われたワイヤーの対角線上にあるワイヤーが、重みに耐えきれずに千切れ飛んだ。またひとつ支えを失った大蛇の躰が、河に向けて滑り落ちる。勢いで投げ落とされる――空中で貫手を放つ――背骨付近の氷結装甲に突き刺さる。

 落下は不完全なまま途中で停止する。伸び切った擁刃肢ヨンレンツーにぶら下がった格好のリアン――ゆっくりと下を見やる。河面まで五メートルかそこら。剥がれた氷結装甲が、河の水に触れた部分を起点にして瞬く間に再生していく。

 擁刃肢ヨンレンツーを縮めて露出した本体装甲の位置まで上る――パトリックたちの攻撃によってできた窪みに両足をかける。背後から肉薄してくる無数のローター音。時間がない。右手の超振動雷撃器を起動――最大出力。いつもよりも眩しい稲光、甲高い唸り声。自らの発する高速振動に機械部品が耐え切れず――小さな破裂音をたてながら、表面の装甲が少しずつ弾け飛んでいく。

 破壊すべき部位を目に焼き付け、頭部装甲を閉鎖。暗闇の中、装甲越しに聞こえる音だけに意識を集中する。

 高周波の発するノイズ、そのピッチが次第に上昇していく――最高潮に達する瞬間を見計らい、右腕を思い切り振りかぶる。

 崩壊の寸前で叩き込まれる右拳――それと殆ど同時に後方から飛来したドローン群が氷結装甲に突撃する。砕けた装甲の破片が嵐のように吹き荒れる。爆炎がこの躰を包み込む。巨大な水飛沫が全てを飲み込む。

 耳をつんざく、大蛇の巨大な咆哮――断末の叫び。今日だけで耳にするのは二度目となる――世界の終わる音。

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