瓦解

 この機械の手は、いろいろなものを壊してきた。

 指先に込める力の加減を間違えたばかりに握りつぶしたもの――コップ。携帯電話。拳銃の銃把。

 ひとたび拳を握れば、どんなものでも粉砕できる――コンクリートの壁。防弾仕様の車のドア。軍用機体の分厚い装甲。

 破壊屋ブリーチャー――付けられた渾名あだな。自分が壊してきたものをリストにして並べようとすれば、トイレットペーパーほどの長さの紙が必要になるだろう。

 そのリストの最下行に新たな名前が追加される。

 FES。

 あの急襲作戦から数日後、リモンが撮影していた作業の写真が流出する。

 ひと目で致死量とわかる血痕がぶち撒けられた壁を背にして、麻薬密売人が溜め込んだ貴金属やブランド品を着飾るFES隊員。その姿が全国紙の一面を飾り、ニュース番組で繰り返し放映され、SNSを通じて全世界にシェアされる。

 そしてまるでタイミングを見計らったかのように同時に公開される――FESが参加した全ての作戦において、押収品が不自然に少ないことを指摘する告発記事。

 急転直下。

 議会にマスコミ、世論からの激しい糾弾が続けざまに押し寄せる。FESは麻薬戦争の英雄から、一転して恥ずべき盗賊集団と看做みなされるようになる。

 グスタボ殺害を華々しく喧伝していた大統領官邸ロス・ピノスもその列に加わる。

 FESは、汚職にまみれた政府機構から距離を置き、独立独歩を貫いてきた。そのことが今回ばかりは仇となる――孤立無援。

 グスタボ殺害の件が尾を引き、CIA、そしてアメリカ政府からも政治的援護はなし。

 そして鶏男――エドゥアルド海軍省副大臣がぞろぞろとお付きを連れて基地にやってくる。その手には大統領の署名入りの命令書――FESの活動の無期限休止を命じる内容。

 僅か一枚の写真が、この国最強の部隊を、あまりにあっけなく瓦解させる。


 いつの間にか自分の独占席となっている、運動場横の喫煙所。リアンはベンチの上で胡座をかき、三本目となる大麻煙草モタに火をつける。

 処方されている医療用大麻は室内栽培された高級品。薬理成分THCの含有量はそこらの通りで売られている安物の四、五倍はくだらない。数時間後には酷い悪酔いバッド・トリップになるだろう――世界がひっくり返り、自分が地球に押し潰されるような感覚に襲われる。それでも吸わずにいられない。

 流出した写真に写っていた数名の隊員ら――撮影者であるリモンも含む――は部隊を去る。マスコミの追求とカルテルの報復から身を護るため、除隊後は家族と共にすみやかに姿を消した。

 一度は自分も姿をくらまそうと考えた。だがこの機械の四肢――特甲義肢はアメリカ政府の所有物。これを付けたままでは、きっとCIAパトリックが地の果てまで追ってくる。

 それに、内務調査部は幸いにも――果たして本当に幸いなのかはわからない――写真の流出元については、欠片も気に留めていない。彼らの頭の中は、FESが溜め込んだ資産をどれだけ自分たちの懐にねじ込めるかという皮算用でいっぱいになっている。

 隊員たちはマスコミ対策の名目で基地に幽閉されている。内務調査部の連中が自分たちの資産を押収して回っている様を、ただ黙って見ることしかできない。

 おそらく自分の口座も空にされるだろう――除隊後に国境の北エル・ノルテの大学に進学するための学費が貯めてあった。

 まるで泡のように、あっさりと消えていく――居場所。仲間。未来。

 煙草を持つ自分の手を見つめる。

 いつかの生身の手足と違い、それを切り捨てたのは悪魔エル・ディアブロじゃない。自分がこの手で切り捨てた。

 フラクタル模様を描きながら空へと立ち上る紫煙に目を移す。この煙のように、ゆらりと消えてしまえればいいのに。

「無くした手足がまた痛むのか?」

 背後から、FESのこの窮地にだんまりを決め込んでいるアメリカグリンゴ、その代表者の声が聞こえる。職業病なのか常に気配を消している男。とはいえ今日ばかりは、誰であろうと自分の背後を容易に取れるだろう――薬理成分THCが脳細胞全体にくまなく行き渡っている。

 リアンは声の主に向けて顔を向ける。都市迷彩なみに視認性の低いスーツ姿。こんな状況にも関わらず、いつもの涼しげな表情を崩していない。今やアメリカグリンゴに対する敵意で針のむしろとになっているこの基地で、この男はどうしてこれだけ飄々としていられるのか。

 人ひとり分ほどの隙間を空けて、パトリックがベンチに腰を下ろす。リアンは足を組み替えるふりをして体をベンチの端へとずらし、隙間をふたり分にする――充血した目を見られないように。

「実は本国ステイツに戻ることになってな。今日はそれを伝えに来た」

 パトリックが手にしたミネラルウォーターのペットボトルに口をつける。相変わらず煙草を取り出しもしない――自分は大事な資産アセットグスタボエル・ディアブロを殺したあの日から、心の奥底でくすぶり続けている自己嫌悪がまた一回り大きくなる。

「……ヤンキー・ゴー・ホーム」

 ぼそりとそう呟く。

「酷い言い草だな」

 リアンはそれ以上応えない。このタイミングでの帰国――自分が引き起こしたこの惨事以外に原因は考えられない。罪悪感で胸が満たされないよう、先んじて紫煙を目一杯吸い込む。

 口答えをしないリアンの様子をいぶかしみ、パトリックが一斗缶の中を覗き込む。

「お前、キマってるのか?」

「……どうせ任務も訓練もない」

 エドゥアルドによる嫌がらせ――訓練用の弾薬の供給を停止。パトリックはますます顔を険しくする。だがこちらとしても今はとても説教を聞く気分ではない――リアンは先手を打ち、その顔に大麻煙草を挟んだ二本指を突き付ける。

「あんたが帰国するだけのなのか、それともCIAカンパニア丸ごと引き上げるのか、どっち」

 ここのところ隊内で囁かれていた噂――CIAが支援の引き上げを検討している。パトリックは説教のために開きかけた口を閉じ、少しの間押し黙る。そして無人の運動場に目を向け、質問に答える。

CIAカンパニーはこの国からは引き上げたりはしない……ただ、FESからは引き上げる」

 噂は正しい――リアンは続けて疑問をぶつける。

「あたしのこれはどうなるの」

 自分の四肢を順番に指差しながら男に尋ねる。CIAがFESから支援を引き上げるなら、差し迫って重要な問題が発生する――特甲義肢の行き場。

「その手足は複雑怪奇な政治的手続きを経てその体に繋げられている。だから引き上げるにしても手間がかかってな。今のところ処遇は宙ぶらりんだ。俺としてもお前から一方的に手足をもいでいくような真似をせずに済んで安心している」

 今日はそれを伝えに来たのだろう。予め原稿を用意しているスピーチのように、淀みなくその台詞を言いのける。

「……そう」 

 この手足は失わずに済む――その事実に思いのほか自分が安心していることにリアンは驚く。むしろこの手足をもいで行ってくれほうが都合がいいはず。特甲義肢さえ失えば、この男に構われずに済む――いつでも逃げられる。

 煙と一緒に真実も吐き出してしまうのはどうか。パトリックも、自分が卑劣な裏切り者だと知れば、その複雑怪奇な政治的手続きを処理して、この手足を引き千切っていくだろう。

「――何か相談したいことでもあるのか?」

 唐突なパトリックの申し出――まるでこちらの内心を見透かしているかのような、絶妙なタイミング。横隔膜が痙攣し、肺に充満する紫煙が押し出される。リアンは激しく咳き込む。

「――いきなり、なんで」

 涙目になりながらリアンは横のパトリックを睨みつける。パトリックが吐き出された煙を手ではらいながら応える。

「なに、昼間からハイになりたくような悩みを抱えているなら、まずは俺に頼って欲しかったと思っただけさ」

 恥ずかしげもなくそんな台詞を言いのける。こちらを子供と思って侮っているのか――リアンは少しむっとする。だから突きつけてやる。無茶な要求を。

「なら……この状況をなんとかしてよ」

 今の政権は対米追従路線。だからアメリカ政府の政治支援さえあればFESはまだ再建できる。だが、それがなされなることはないだろう。アメリカが数年前からメキシコに提供している包括的麻薬対策支援プログラム、その資金と装備の一部がFESに流れていたことが、向こうの議会でも問題になっている。

「……それは難しいな」

 パトリックがわざとらしく後頭部をかき、困惑した顔を浮かべる。

 予想通りの反応。本国ステイツがそう望まない限り、この男はFESに手を差し伸ばしたりはしない。いつか教えて貰えなかったこの男の戦う理由――今となってはわざわざ本人の口から伝えられずとも、その答えはわかる――国家アメリカのため。

 米帝国主義の犬。

「国と国の問題ならともかく、個人的な相談ならいくらか力になれると思うぞ」

 そう言いながら、パトリックがベンチから立ち上がる。

「……そんなのは、ない」

 そっぽを向いて見せようとするが、体のバランスを巧くとれない。ベンチの端に座っていたことが仇となる――世界がひっくり返る。だが、地面に転げ落ちそうになる寸前で、パトリックが手首を掴み、体を引き上げてくれる。

「大丈夫か」

 手首を掴んだまま、パトリックが尋ねる。リアンはその手を払い除け、慌てて釈明をする。

「――大丈夫。が思ってたより早かっただけ」

「ぶっ倒れないうちにさっさと部屋に戻れ。それとも部屋まで送るか?」

「大丈夫、本当に大丈夫だから――」

 リアンは吸いかけの大麻煙草を慌てて一斗缶に投げ捨てる。パトリックは黙ってリアンの様子を見守りながら逡巡する――熟慮の後、本人の意思を尊重することにする。

「ともかく、俺がこの国にいるうちに気が変わってくれることを願ってる」

 そして、またいつものように肩を叩き、歩き去っていく。リアンは機械の手首に残るパトリックの手の感触を反芻しながら、男の背を見つめる。

 途端に、その背中に向けてぶち撒けたくなる。

 全てを。真実を。始まりを。

 自分がラ・カンパニアの殺し屋シカリオとして何をしでかしたのかを。

 それなのに、声がでない。

 次の瞬間――体全体がどっぷりと沼に浸かっている。喉に沼の黒い水が流れ込む。もがき這い上がろうとするが、手足が空を切る。手足が消えている。無敵の力を与えてくれる機械の手足――それがない。

 沼の奥で大きな鰐が顔だけを水面から出し、こちらを見つめていることに気づく。その巨大鰐が、自分に向かってゆっくりと近づいている。

 無い手足を使ってもがき、鰐から逃げようとする。一〇センチたりとも進めない。すぐに鰐の鼻先が額に触れる。鰐がその顎を大きく広げる。びっしりと並んだ不揃いの牙。真っ暗なその喉奥に、千切れた手足が見える――自分がかつて失った手足。

 その口が勢いよく閉じられる。

 リアンは覚ます。咄嗟にパトリックの背中を探す。しかし眼に入るのは、宿舎内にある自室の天井。聞こえるのはルームメイトの寝息。地面の方向を確認する――下。地球はひっくり返っていない。薄闇の中、リアンは再び自分の手を見る。

 先端科学技術の粋を寄り集めて造られた精巧な機械義手――見た目は生身の手ほとんど変わらない。それでも機械の手と生身の手を見分けることは容易い。

 機械の手は乾いている。汗をかかない。

 その乾いた指先で目元を拭う。生温い、湿った感触――この頭部は機械でない。

 いっそのこと、この頭も機械であればよかったと、そう思わずにはいられない。

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